科学におけるガイドラインについて


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 ヘルシンキ宣言の緒言にも明記されているように、医学の進歩は、最終的には被験者による実験に一部依存せざるを得ない研究に基づいています (Medical progress is based on research which ultimately must rest in part on experimentation involving human subjects.)。
 こういった現象は、医学のみならず科学全般にわたって見受けられる問題でありますが、この一つの大きな要因として、科学という概念に本質的に内在している目的と手段の二律背反性が挙げられると思います。つまり、本来、科学は「人間」の為という目的によって、同じ「人間」が発展させて然るべき性質を有していますが、発展の手段・手法如何によっては目的である「人間」そのものを再帰的に傷つけてしまいかねない性質をも有しているということです。
 従って、科学を取り扱い、発展させていく上で不可逆的に起こり得る、あらゆる人間自身への損失を最小限にとどめ、あるいは回避していく方策として、いくつかの指針が必要となってきます。そのために幾つかの法律やガイドラインも確かにその役割を果たしていますが、何よりも重要かつ根源的な問題となるのは、同じ人間同士の将来に関わる科学の対処において、それを実際に方向付ける専門家の存在と、その意思決定に従順に従わざるを得ない非専門家の存在の二つの立場が我々の社会の中に厳然と在り続けている事実なのです。
 この観点から考えれば、あらゆる人間が自らが他者と共有する将来のために、目的を共有し、それを達成するための科学的知識を共有していくことが科学に対する理想的な態度ということになりますが、どちらか一方が、もう一方と何らかの事を共有したいと考える時、まず双方向的な「働きかけ」が自ずから必要となってくるはずです。
 つまり、「共有」実現のための双方からの同意とそのモチベーションが肝要な訳ですが、この同意をさらに「合意」へと結び付けていくにあたって、必然的に当事者間の共通する利益と共通しない利益の割合を見極めていくことが求められることになります。ここで注意しておかなければならないことは、その利益の割合の査定は決して一方向的なものであってはならないということです。
 専門家サイドが己の専門的知識と技量を以て、非専門家サイドに何らかの実験を行う際、それはあくまでも専門家-非専門家間に双方向的にシフトする共同参加形態が望ましいと考えられます。つまり、専門家としての実験者サイドから一方向的に、非専門家としての被験者サイドに対して一定の利益を図る方策ではなく、何がお互いに最も必要なのか、その必要とするものの中にどういった共通する利益が存在するのか、その利益は互恵的に専門家-非専門家間に作用するものなのか、といったことを同じスタンスで勘案していくことが必要であると考えられるわけです。
 この意味において、あくまでも非専門家サイド出自の専門家サイドに対して在るべき態度を明示した規範、例えば、被験者の自発的同意の尊重と共に、「実験者」の意思はどこまで認めて然るべきか、あるいは、医師の使命は人々の健康を守ることであるが、医師ではない人々が医師と関わる際に一体如何なる「使命」が発生するのか、といった「非専門家→専門家」方向の価値認識の構造についても更に考慮していく余地があると思われます。
 今回取り上げられたニュールンベルグ綱領やヘルシンキ宣言、患者の権利に関するリスボン宣言等は、「専門家→非専門家」方向の誤った価値認識を防ぐ上で確かに評価すべき規範であると考えられます。しかしながら、生物医学研究、ひいては科学全般における専門家-非専門家間の関係を考える時、問題となる研究行為の価値基準の査定は本質的に「非専門家⇔専門家」の双方向的な関係によって見極められるべきであり、この科学的態度においてこそ、より公正で広範な視野からのガイドラインを創出し得るものと私は考えます。
 我々は社会の様々なスタンスにおいて、非専門家であり、時として専門家でもあり得ます。たとえ専門家の代表的存在としての科学者であっても、自らの扱う専門分野以外のフィールドにおいては非専門家としての立場へと即時にシフトしますし、その逆も勿論あり得ます。
 従って、社会における様々な合意を導く全ての規範は、如何なる立場にあっても自らの行動に適用すべきものとして常に厳粛に把握しておく必要があると思われます。特にニュールンベルグ綱領等の一連の倫理規範は、とかく「科学者の科学者による科学者のための価値基準」と捉えられがちです。しかし、むしろ実際に科学者ではない人々ほど、これらの価値規範を充分に把握しておくべきであり、いつ如何なる時にも自らが科学者と同じスタンスに立ち得るということを知っておく必要があるものと考えられます。すなわち、重大な科学的問題に対処し得るような価値認識を常に確立しておく必要性が、非専門家⇔専門家の関係においては不可避的に存在せざるを得ないと私は考えるのです。
 これからの時代は、専門家と非専門家の双方向シフトのボーダーレスで多様な関係がますます取り上げられていくことになると思われます。この現象に伴う合意形成の方策として、従来のパターナリズムとそれに対するアンチ・パターナリズムを超越した、専門家と非専門家の共同の意思決定プロセスとしての科学の発展が望まれていくことになるものと考えられます。
 ここで我々がとるべき最も有効な方策は、これらの科学的発展を促進させる合意形成において、当事者間の裁量の基準と相対する利益と損失の臨界点を各々の立場から相互に見極め、そこに共通する価値のベクトルを見出すことであると私は考えます。つまり、科学が介在する「手段⇔目的」の二元的な意思決定プロセスにおいて、双方向から当事者間のスタンスに一貫性を持たせ、そこにバランスを維持させていく事こそ、重要かつ必要不可欠な意思決定の方策と考えられるわけです。
 これからは、こうしたバランスを如何に維持させていくかといった問題が、我々の総意としての価値規範創りに大きく影響していくものと考えられます。科学の孕む危険性を逆にポジティブな有用性としての「目的」に変容させ得る有為な「手段」構築のために、よりユニバーサルなガイドライン創りとその遵守が、科学に関わる全ての人間、すなわち我々全員の使命であると私は考えるのです。(終)

(早稲田大学大学院人間科学研究科 河原直人)


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