遺伝子診断における遺伝情報の問題について
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近年、疾病の原因の遺伝子レベルでの理解と遺伝子変異の検出法の開発が進み、極めて高感度な分析結果を提供し得る疾病診断法としての遺伝子診断が急速に発展しつつあります。しかし、その遺伝情報をめぐって、様々な倫理的問題が同時発生的に次々と提起されるようにもなりました。
とりわけ、診断結果における個人の遺伝情報の所在について、どのような社会的運用体制を採っていくべきかが問題となっています。すなわち、遺伝情報とは一体「誰の、誰のための、誰によって」取り扱われるべきものなのかが、開示・非開示の問題をも含めて包括的な「情報」全般の在り方をめぐる大きな社会問題となっているわけです。
昨今、いわゆる「知る権利」の発想から、国や自治体の行政機関が保有する情報を外部のものに如何に提供するかをめぐって、様々な議論が展開されています。これについて、行政の円滑な遂行を妨げるという理由から非開示を正当化する意見もあるようですが、やはり「プライバシーの権利注1 保護」の発想から「知る権利注2 」の在り方を捉え直す考え方が大勢を占めているように思われます。
つまり、「プライバシーの権利」と「知る権利」両者のバランスを如何にとっていくべきかが、媒介する情報流通体制の問題とも絡んで、現在、最も解決困難な社会的懸案の一つとなっていると考えられるわけです。
特に、 「プライバシーの権利」の内容は「自分に関する情報を自らコントロールする権利」であるとする認識が広くなされるようになり、情報を持つ者と持たざる者の関係が「自己と他者」の二つの視点から改めて問い直されることになりました。
しかしながら、一概に自己の権利のみを絶対的に適用し得ないところに、情報を扱う事の難しさがあります。情報は必ずしも個人、すなわち自己のために存在するものとは限らず、場合によっては他者、あるいは集団のために存在し得る「相対的なもの」とも考えられるからです。
特に、本人のみが知り得るべきであるとする「情報に対する個人の権利の絶対性」が容易に考えられる遺伝情報の問題においてさえも、場合によっては、その絶対性が逆に、個人に連なる家系の不利益をもたらし得ることにもなるのです注3 。
ここにおいて、集団の利益を尊ぶ「相対的権利」の発想をとるべきか、個人のみの利益を絶対的に尊ぶ「絶対的権利」の発想をとるべきかが重大な意思決定上の指標となってくるわけです。
こうした「情報をめぐる権利のバランス」の問題を難しくしている重要な要因として、「情報概念そのものが本質的に有する性質」が挙げられるのではないでしょうか。
そもそも「情報」というものは、それを発信する側と受信する側の完全な合意の基に扱われるべき注4 、何らかの伝達「資源」であると私は考えています。この「資源」としての情報を、発信側・受信側双方の意思決定支援のために如何に活かしていくかが、常に問題となっているように考えられます。
ここにおいて、「情報が活かされる」という事は広義においては、情報が媒介することによって、それに関わるもの全ての互恵的な生産活動が図られる事であると私は考えています。つまり、情報の発信者・受信者それぞれのニーズに適合する形で如何に「資源としての情報」を各々に分配し、互恵的な利益として還元させるかが重要となってくるわけです。
その際、当該情報の有する「性質」によって、発信者・受信者双方の交信形態の変化、すなわち「情報の価値転換」が起こる可能性があると考えられます。積極的に情報を流通させることで公正な情報資源の分配が図られる場合もあれば、逆に、情報の消極的価値を認めて抑制することで、発信者・受信者双方の利益関係の均衡が図られる場合もあるからです。
これら情報の本質に関わる問題は、近年とりわけ重視されるようになった「メディア・リテラシー注5 」や「情報リテラシー注6 」等の概念とも関連して、重要な公共政策課題となっているわけです。
この観点から、情報そのものがもたらす利益と不利益、さらには、介する当該情報に対する各々の立場からの価値規範から「自己決定としてのプライバシーの権利」と「知る権利をめぐる恩恵享受の権利」のバランスを考慮していくことが望まれます。
このバランスから、同じ一つの情報を媒介として相互の利益追求を実現し得る「互恵的情報の価値規範」を見い出し、絶対的あるいは相対的な情報運用の在り方を臨機応変に意思決定していくことが肝要であると考えられます。
こうした「情報観念」を各人が正しく共有して問題解決を図っていく事は、遺伝情報のみならず、情報に関する困難な社会的問題に直面した際に効果的な方策であると私は考えるのです。(終)
(早稲田大学大学院人間科学研究科 河原直人)
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