脳と性行動との関係についての一考察
─人間の性行動の特異性を考える─


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 性行動とは、生物が生殖のために行う全体的反応を指すが、通例は求愛行動から始まり、雌雄の交尾行動までを含む言葉である。
 そもそも、性行動を含む本能的な行動の多くは神経系と内分泌系の協調した働きによって制御されているが、特に視床下部を含む辺縁系が統合の働きを持つといわれている。脳と性行動との関係については、最近多くの人々の関心を集め、その研究報告も多い。
 しかしながら、人間の脳に関する研究そのものは他の部分の研究に比して全体として遅れているといわれており、人間のように大脳の発達していない動物での実験データをそのまま人間に当てはめることができない点、さらに倫理上の問題から人間の脳を生体で操作することができない点等が、この研究を一段と難しくしているといえる。
 従来、性機能や性行動を支配する中枢として「性中枢」という概念が考えられてきたが、現在では人間の性中枢は脳の内部の間脳といわれる部分にあるといわれている。その間脳の中でも、大脳の内側・腹側部にある視床および視床下部といわれる領域に性中枢が存在していることが、ほぼ明らかにされてきた。この領域はまた、内臓の働きを調節したり、飢えや渇きのような生理作用を調節したり、喜怒哀楽といった情動作用の中枢としても知られていた。この自律機能に関係した領域は辺縁系と呼ばれ、その部分の脳は辺縁葉といわれているが、扁桃核、中隔核および視床下部といわれる部分がこれに相当する。
 ラット等の実験においても、性中枢のうち刺激することで機能が亢進する自動車のアクセルのような場所と、破壊することでかえって機能が亢進するブレーキのような場所が確認されているが、とりわけ人間の性中枢は視床下部にあって、アクセルとブレーキがすぐ隣合って存在しているといわれている。
 ところで、この辺縁葉の外側を白くて大きい大脳皮質がとり囲んでいる。この部分は人間が生まれてから後に、その大部分が発育する新皮質と、生まれた時までに発育している旧皮質に分けられる。性中枢は、この旧皮質といわれる部分に存在しているといわれているが、この部分には他にも、食欲の中枢とか、睡眠の中枢、自律神経の中枢等、人間が生きていく上で重要な性欲、食欲、睡眠といった基本的生理現象を司る中枢全てが存在しているといわれている。
 一方、新皮質といわれる部分は、高等な精神活動、例えば思考、発想、記憶、創造、意志といったものを司る中枢が全て存在しているところであり、動物が下等になるほど小さくなる。哺乳類になると新皮質が発達して大脳基底核を覆うようなり、さらに人間になると新皮質が非常に発達してきて旧皮質をすっかり覆うようになる。
 この大脳皮質と視床下部を中心とする辺縁葉との間では、体液を媒介として生化学的に、またホルモンを媒介として内分泌的に、あるいは神経繊維を媒介として神経的に相互に絶えず緊密な連絡がなされており、外界から受ける五感の刺激は全て大脳皮質を通って体液的、神経的に辺縁葉に伝えられ、そこから下垂体や性腺に、あるいは自律神経を介して、全身の内臓や性器等に興奮を伝えることになるわけである。
 人間の性が、人間以外の動物の性と異なる点は、この大脳皮質のコントロールがあるという点であり、大脳皮質と視床下部辺縁系とが互いにコントロールし合っていることは大きな特色といえる。そのために人間では、様々な外的、内的刺激をより多くの大脳皮質に伝達することができ、その結果、性中枢が抑制されることもある代わりに他の動物には見られない複雑で高度な、そして豊かな性生活を営むことも可能となるわけである。
 このように人間の性行動発現のメカニズムは、教養、学問、倫理、道徳、宗教、思想等といった高度の精神活動を司っている人間の大脳皮質がよく発達しているために、他の動物とは大きく異なるものである。
 以上、人間を中心に、その特異な性行動発現の概略を述べてきたが、他の脊椎動物の性行動発現のメカニズムはどのような機序なのであろうか。以下、性ホルモンを中心に述べていきたい。
 脊椎動物では通常、行動を引き起こす環境要因の変化が刺激となって感覚系に捉えられ、それが神経情報として、動機づけ系である視床下部-辺縁系と行動のパターンを作り出す運動系に伝達されていくといわれている。
 動機づけ系は、感覚系から運動系への情報の流れを調節することにより、行動の発現を制御しているが、性行動の場合には、それだけでなく視床下部-辺縁系に含まれる神経ホルモン産生ニューロン、特にGnRHニューロンが、下垂体-生殖腺系の働きも制御し、生殖腺の成熟と性行動の発現のタイミングを合わせている。この際、下図1のように生殖腺から分泌される性ステロイドホルモンの脳へのフィードバックが重要な役割を果たしている。

 動物の行動の中でも特に性行動は雄と雌でそのパターンが異なるが、これは脳内のニューロンネットワークに雌雄差があることによる。
 ラット等の哺乳類の視索前野は、雄に特徴的な性的二型性をもつ領域のニューロンがアンドゲン感受性をもっており、内側前脳束を経由して中脳、あるいは延髄の運動系の神経核に信号を送って、雄の性行動を発現させる。
 一方、下図2のように、雌の性行動の発現を制御しているのは視床下部腹内側核で、通常はより上位の辺縁系-視索前野から抑制的な支配を受けている。脳にエストロゲンとプロゲステロンが働くと、腹内側核のエストロゲン感受性ニューロンの活動が高まるだけでなく、上位の抑制的な支配がとれるとともに、中脳から脊髄にかけての感覚系および運動系のニューロンが興奮しやすくなり、雄との接触ですぐ性行動が起こるわけである。
 また、視索前野のGnRHニューロンは中脳中心灰白質に投射していて、灰白質ニューロンの電気活動を高め、雌の性行動を発現させると考えられている。

 ところで、動物の雌における性機能は周期性をもっていることが多く、これを性周期と呼ぶ。中枢からのゴナドトロピン分泌の変動によって、卵巣において周期的に排卵が起こり、卵巣からの性ステロイドホルモンの作用により子宮も周期的に形態的変化を示す。ラット等では4日周期で、発情間期、発情前期、発情期、発情後期の四つの時期に分けられる。
 雌の性周期は視床下部-下垂体-卵巣系の内分泌活動により支えられている。まず、性中枢である視床下部からは性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)が分泌され、下垂体門脈を経て、下垂体前葉から性腺刺激ホルモンのFSHとLHを分泌させる。性腺刺激ホルモンは全身循環を経て卵巣に達し、卵胞の発育、排卵、黄体形成を司る。
一方、卵巣から分泌される卵胞ホルモンと黄体ホルモンは、視床下部-下垂体系にフィードバックし、その機能を調節している。このように視床下部-下垂体-卵巣系は一つの機能環を形成し、雌の性機能の円滑な活動を支えているのである。
 このように性行動において重要な役割を果たす性ステロイドホルモンの脳への作用は、発生段階の形成作用と成体における活性化作用に分けられる。前者は脳内のニューロンネットワークの雌雄差に、後者は性的に成熟した成体の性行動の発現に関わるが、いずれも主にステロイドホルモンの受容体による遺伝子の発現の調節を介したものであるといわれている。
 上述した通り、人間以外の動物にあっては性行動は完全に性ホルモンに支配されているといえる。人間も生殖に関しては、ホルモンの支配下にあるが、動物においては性=生殖の関係にあるから、性行動も完全に性ホルモンによってコントロールされる。
 例えば、ラットは卵巣を除去されれば性的に全く雄を受け入れなくなるが、このような卵巣を除去されたラットにエストロゲンを投与すると、急速に性行動を開始するようになる。ところが、人間では卵巣が除去された場合、月経はなくなっても性欲や性行動には何ら影響がないという。もし、卵巣除去によって性行動が減退したとすれば、それは脳からの影響、すなわち心理的な影響によるものであるという。
 また、雌のラットに男性ホルモンを投与しても、ラットはロードーシス等の性行動を起こし、さらに雄のラットに男性ホルモンを投与すると、マウンティング等の性行動を起こすという実験結果が既にあるそうだが、これらの事実からも、性ホルモンを投与されたラットは、脳の辺縁系からの興奮が大脳皮質を経由せずに直接、中脳脊髄を経てロードーシスやマウンティング等を発現させていることが推測される。
 このように人間以外の動物では、性中枢と性ホルモンがあれば性行動を起こすことが可能であり、大脳皮質が発達しているか否かはそれほど影響がないと考えられている。
 一方、人間の性行動のメカニズムは、性ホルモンよりもむしろ、外部からの刺激とパートナーであるといわれている。すなわち、パートナーから受ける視覚、聴覚、嗅覚、触覚といった五感からの刺激によって大脳皮質が興奮し、その興奮が性中枢を刺激することで性行動を発現させるに至るわけである。
 結局のところ、人間の性欲から始まる性行動の発現には、性ホルモン・脳・外界の刺激やパートナーの存在等が複雑に関連し合っているということになる。外界の刺激もパートナーも大脳を通して作用するものであり、性ホルモンも脳の中の性中枢の指令によって分泌されているものである。したがって、性欲に起因する性行動のメカニズムを解く鍵は究極的に脳にあるということが分かる。
 性中枢のように性に関する中枢は全て脳の中にある。性ホルモンの刺激も、外部からの刺激も全て脳を経由して伝達されている。さらに性行動の発現も全て脳によって行われている。その意味で、人間の性は脳であると言っても過言ではないだろう。性を科学的に解明していく最も有効な手段は、脳そのものを科学的に研究していくことではないだろうか。
 結局のところ、人間は下図3のように、パートナーから受ける刺激等の外的要因や、それに伴う内的な精神心理的要因が複雑に連関し合って大脳に作用し、性ホルモンも脳の中の性中枢の指令によって分泌され、やがて性行動に至るわけである。
 この際、パートナー同士が双方向的に脳を働かせることが人間特有の性行動の始まりであり、やがて行われる生殖器の結合と併せて捉えなければならない重要な側面なのである。

 我々人間の性は、その人間が健康である限り生涯にわたって続けられるが、人間が他の動物と一線を画した性をもち、特異な脳の働きとそれによる性行為を行う動物であることを考えれば、必ずしも性器の結合ばかりが人間の性行為ではないといえるだろう。
 脳の働きによる性行動、いわゆる心のふれあいによって人間は単なる生殖以上の価値をもつ性を手に入れたように思えてならない。(終)


参考文献;
近藤四郎他:『人間の生と性』, 岩波新書, 1982.
野田春彦, 日高隆, 丸山工作:『改訂新版 新しい生物学 〜生命のナゾはどこまで解けたか?〜』, 講談社, 1986.
フロイド・E・ブルーム他, 久保田競監訳:『脳の探検 〜脳から精神と行動を見る〜』, 講談社, 1987.
石浜淳美:『第3刷 セックス・サイエンス 〜性の分化から性行動まで〜』, 講談社, 1987.
川島誠一郎編著:『図解生物科学講座2 内分泌学』, 朝倉書店, 1995.

(早稲田大学大学院人間科学研究科 河原直人)


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