脳死と臓器移植
- 日本で脳死移植はできるのか -

J9B044-3 小野圭弘

Japanese | English

1. はじめに
   1992年1月22日、政府の脳死臨調は、脳死を「人の死」とすることを認め、脳死者からの臓器移植も認める答申を出したが、その後現在まで脳死者からの心臓や肝臓の移植手術は行われていない。これは、答申が出てもそのことが法律として立法化されなければ、殺人罪で告訴される恐れがあるからだと思われる。
しかし、脳死と臓器移植に関する法案はいまだに国会に提出されていない。その理由として、生命倫理研究議員連盟の中山太郎会長は「国民のコンセンサスがまだとれていない」ということを挙げていたが、いったい国民の何%の人が認めれば「コンセンサスがとれた」と言えるのだろうか。国民の意識は世論調査という方法で調べるのだろうが、ここで注意しなくてはならないのは、この問題はある程度の医学的知識がなくては何が問題であるのかということさえも分からないので、現在行われているような簡単な世論調査では果たして本当の意味での国民の意識が計れているのかという疑問が残る。
 そこで今回の卒業論文では、私なりの独自の調査方法を用いて、医学的知識がこの問題を考えるときにどのくらい影響を与えるのかということを調べ、本当の意味でのコンセンサスをとるにはどのようにしてゆけばよいのかということを私なりに考えてみた。

2. 調査方法
 まず普通の世論調査によくあるような質問に答えてもらい、次にこの問題に関する医学的知識を資料という形で読んでもらい、最後に初めと同じ質問に答えてもらい、資料を読む前後でどのくらい回答に差が出るかということを調べた。
 <対象>
早稲田大学、明治大学、学習院大学、日本女子大学を中心とする大学生男女計100人

3. 結果と考察
 予想通り資料を読んだ後ではほとんどの回答に差が見られ、特に「脳死を人の死と認めますか」という質問と「家族が脳死になったときに死亡したということを受け入れられますか」という質問では、クロス検定において有意な差が見られた。やはり、この問題を考えるにあたって医学的知識は重要な役割を果たしていると言えよう。
 しかし、資料を読んだ後でも「脳死を人の死と認めてもよい」という意見が71%であったのに対して、「家族が脳死になったときに死亡したということを受け入れられる」と答えた人は61%にとどまり、身内の場合には、一般論よりも認めにくいという結果が出た。つまり、この問題は医学的知識も重要ではあるが、このような「感情的なもの」をどのように克服していくかということが、この先コンセンサスをとるにあたって、最も重要であると思われる。

4. 脳死が発生する現場の対応
 脳死が発生する率が最も高い救急救命センターでの受け入れ実態について、厚生省の研究班が1991年11月に調査を行ったところ、脳死判定を行った後では30%の医師が家族の同意のもとに人工呼吸器を取り外し、60%の医師が人工呼吸器をつけたまま治療のレベルを落とすと答えており、現場の医師には脳死は受け入れられているようだ。
 しかし、臓器移植については、NHKが脳死臨調の答申後に行った調査によると、家族の側から心臓の臓器提供を申し出たとしても5割以上の医師が「断る、わからない」と答えており、その理由として「法律の整備ができていないから」ということを挙げていた。やはり、脳死からの臓器移植を行うには何らかの法律が必要であると思われる。
 一方、実際に肉親の脳死を体験した家族に対して、1991年の春にNHKが行ったアンケート調査によると「脳死を人の死と思った」と答えた人はわずか39%であり、私の調査とかなりズレがあった。やはり、医師に医学的な事柄を説明されても、感情的なものは克服できないようである。これでは法律の制定は難しい。脳死からの臓器移植を無理なく行う方法は果たしてあるのだろうか。

5. 柔軟な法律の整備
 NHKが脳死臨調の答申後に行った電話世論調査によると「脳死を人の死と認めないが、移植は厳しい条件付で認める」という意見に62%の人が賛成しており、「脳死を人の死として臓器移植を行う」の15%を大きく上回っていた。
 この調査結果や受け入れ現場の状況などを考えると、脳死からの臓器移植を行うには「脳死を一律に人の死とはしないが、本人や家族の明確な意思があれば死としてもよい」というような柔軟な法律を制定するのが最もよいと思われる。こうすれば、本人や家族の意思を尊重することができるし、脳死からの臓器移植への道もひらけることになるのではないだろうか。

6. おわりに
 「脳死」という状態は、私たちが今まで知っていた死の概念を根底から覆すようなものであり、それを「人の死」とは思えない人がいるのは当然のことである。しかし一方で、臓器を提供してもよいという人と移植手術を受けたいという人がいるのも、また事実である。
 もちろん、臓器移植を行うことが最善の方法であるとは言えないかもしれないが、大事なことは、そのような方法もあるという道をひらくことではないだろうか。脳死と臓器移植に関する柔軟な法律が早期に制定されることを願ってやまない。


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