科学技術の発達に伴い、医療技術も著しい発達を遂げた。その結果、それまでの技術では助かる見込みのなかった患者も、生命をとりとめることができるようになった。そのため、"生きたい"と強く願う患者や、"生きて欲しい"と強く願うその家族の希望に応えることができるようになり、そのことが病気と闘う励みとなった。
だが、皮肉なことに、そのことによって患者の生命を少しでも長く延ばすことに重点を置く"延命至上主義"という現状が生み出されることとなった。本来、医療は文字通り、"手当て"するものであった。だが、近代化・西欧化の流れの中で、日本の文化、医療も大きな変化を遂げることとなった。その当時の西欧医学は、今から2000年以上も前にヒポクラテスによって唱えられたという「医の誓い」の影響を、計り知れないほど受けていた。当然、日本もその影響を受けることとなった。だが、現在、世界的には、このヒポクラテスの医の誓いのような形での医の倫理は改められる方向に向かいつつあり、それに伴って、患者を中心とした医療に変化しつつある。
だが、日本は未だに近代化・西欧化の流れの中で受けたヒポクラテスの誓いの影響から抜け出せないままでいる。このことを踏まえて、患者の権利について、インフォームド・コンセントに焦点をあわせて、アメリカの現状と比較し、検討したい。
第1章 日本の現状について
日本の医療は患者に対して情報を隠し、告知しないで行われているのが現状である。このことは日本における医師と患者の極端な格差、つまり、患者は医師の下にいて医師の言うとおりにする、医師は患者の上にいて密室で勝手なことができるという現状に原因がある。だが、医師の方にだけ問題があるというわけではない。というのは、患者の側も依頼心が強く、医師に判断を求めるといったことが多々見受けられるからである。一方的な医師の態度にも問題があるが、医師に全てを委ねるという患者の受け身の態度にも、同じくらい問題があるということである。患者と医師とが病気の治癒を目標に、完全なパートナーシップを築き上げるために、医師は患者に対してインフォームド・コンセントを行わなくてはならない。
だが、日本ではまだインフォームド・コンセントが定着しているとは言いがたいのが現状である。実際にインフォームド・コンセントをして欲しいと思っている人の割合と実施率の間に、どれくらいギャップがあるのだろうか。告知についてはどうなのだろうか。インフォームド・コンセントの概念、役割、阻害要因などを踏まえて述べていきたい。
第2章 アメリカの現状について
1992年9月に、Washington, D.C. を中心とした地域で行われたゼミ合宿で、アメリカの精神病院における"患者の権利とその責任"について学んだ。また、がんセンターで子供に対するインフォームド・コンセントや告知について学んだ。訪問後、まず感じたのが、"患者の権利とその責任"ということが完全に確立されているということである。というよりはむしろ、それがもうごく当たり前のこととして存在するといった方が、言葉としてはより適切かもしれない。また、子供へのインフォームド・コンセントや告知も行われており、子供にどのように伝えたら良いかといったことが書かれた、分かりやすくて読みやすいパンフレットがたくさん置かれていた。それも英語だけではなく、スペイン語などで書かれたものもあり、患者の立場に立って作られていると感じた。
だが、アメリカも最初から"患者の権利とその責任"という考え方が、一般に浸透していたわけではない。では一体、いつ頃から、こういった考え方がされるようになってきたのだろうか。そういった歴史的背景も踏まえて述べていきたい。
第3章 日本とアメリカの現状の比較とそれぞれの課題
日本の医療は、技術面では世界でも最も進歩している国々のひとつであるのに、患者のための医療という意味では、他の先進諸国に比べて非常に遅れているといえる。では、どれくらい日本における患者のための医療が遅れているのかを、アメリカの現状と比較して、それぞれの課題を挙げていきたい。
おわりに
このようにまとめてみると、日本の医療が非常に多くの問題を抱えていることを改めて痛感した。私たちが目指す"患者のための医療"に辿り着くためには、まだまだ長い時間が必要となりそうである。
まずはやはり、「患者の権利法」を早急に採択し、実施することが必要であろう。アメリカ病院協会が「患者の権利章典に関する宣言」を承認してから21年、未だに日本では法案が成立していない。この差は非常に大きいし、非常に問題である。日本が先進国と言われる国のひとつである以上、こういった"患者の権利とその責任"ということが確立されていないことは、恥ずかしいことだと思わなくてはならない。言い換えれば、いくら科学や経済が発達していても、こういった当たり前のことが確立されていなければ、先進国とは言えないということである。
また、患者はもちろん、病院関係者・病院を訪問する人々・地域の人々に"患者の権利とその責任"についての教育を行い、彼らにそういった意識をさせることが非常に重要になってくる。
こういった様々な努力によって、少しでも早く、私たちが目指す"患者のための医療"が実現することを心から希望するし、私も努力していきたい。