社会的性差別における女性の自己決定権
- 産む性としての視点から -
J0B151-7 塩谷恭子

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第1章 序論

 人間だけでなく、子孫を残す生物には殆ど雌雄の区別がある。人間の場合は男女と呼ぶが、基本的には他の生物と何ら変わるところはない。つまり、雄(男)が生命の源を雌(女)に授け、雌(女)がその体内に宿して命を産み出す、という構図である。この機能的な部分における性差は変えようのない事実であり、これを否定しようとは思わない。しかし人間は、他の生物よりも発達して言語を生み出し、社会を形成して文化を作り上げた。その中で、単に機能的な性差であったものに、徐々に様々な意味を附加し、性的役割を決定していったのである。
 女は産む性である。これは言葉通りに取れば生殖機能の問題であるが、社会の中で生きる女たちにとっては、そこに含まれた意味は大きい。何故なら、過去においても現在においてもこの社会の中で、女は産む性であることから差別を受け、抑圧されているからだ。
 この論文では、そうした社会的性差別における女性の権利を産む性としての視点から考え、社会における女性の自己決定権を確立することを目指している。産む性に生まれたことを悲観したり、拒否したりせずに、女であることに自身を持って人生を生きられるような社会を形成していくことが必要であるとし、そのためにどうすれば良いのかということを論じる。

第2章 産む性について

 人は男と女に生まれるが、それは肉体的に違いを持って生まれた、ただそれだけのことのはずだった。しかし好むと好まざるとに関わらず、生まれた時の性によって周囲の人間は、日々の生活の中で女の子らしさ、男の子らしさという、その子の性に対する役割を強要し、期待する。単なる肉体的相違のみで生まれてきたはずの男と女は、その肉体に社会が与えた役割によって、生き方を決定されてしまう。そしてその社会が女に与えた役割とは、子どもを産むという生殖機能を有することに母性のフィルターをかけて、「良き妻、良き母」として生きることであった。

第3章 性差別について

 産む性としての生き方を決定された女には、自分の人生を選択する権利がなかった。国や社会による産む機能を持つ女の身体の管理思想、女は子どもを産むものであるという社会的意識が、女の自己決定権を侵害してきたのである。この社会的性差別は、女自身の意識と社会状況などの変化と共に、女が社会進出を果たした後も職場や家庭で続いている。それは産む性である女の性的役割が存在し、男の女に対する固定観念が変わっていないからである。

第4章 男女平等について

 女が社会的に自立しようとする時に、つまり男女平等を実現しようとする時に、最大の問題となるのが、性別役割分業意識である。社会的性差別を根本から解消するためには、男女の、特にこの性差別のある社会を形成している男の、役割意識を変えなければならない。そのために必要なのは教育である。男女が共に働いて、共に家庭のことに積極的に参加するような社会を作るためには、人々の意識や行動を形成する教育が重要だ。この教育とは家庭や学校において、男女の相互理解を深め、家庭や社会の中の男女関係とそこに存在する様々な問題を解決していくための、人間関係教育である。女が人生を主体的に生き、社会において自らのことに関する自己決定権を確立するためには、性別に捉われない人間観を持つ人を増やしていくより他にないのである。

第5章 結論

 女は産む機能を持っているが、それは当たり前のことで、その機能を持ったまま、男と同じ人間として生きる権利がある。そのことを男にもっと理解してもらい、男は産む性の女を同じ人間として受け入れ、女は産む性を意識せずに済むような社会を作らなければならない。女に生まれても男に生まれても、同じように良かったと思えるような社会を望んでいる。


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