末期ガンを患った人が、在宅ケアをしている時に困っているのを、ボランティアという形で助け、幸せに最期を迎えるようにさせてあげる、ということは、ホスピスを運営していく上で重要なことだが、ホスピスの持つ機能はそれだけではない。
ホスピスは、末期ガン患者のおかれている状況の改善を目指す、運動という側面があり、その運動の中で、行政機関の弱者への取り組み、現代の家族はどの様なものであり、将来どの様になっていかねばならないか、といった様々のことを考えることになるのではないだろうか。
私はこの論文で、ホスピスという視点を通して現代日本を見つめ、最終的に在宅ホスピスをつくるためには何が必要かを考える。
第一章 ホスピスと家族1
ホスピスに限らず、病人を家庭に受け入れ、介護していくためには、その患者の家族の果たす役割は大きく、その家族にその能力がなければ、近くにどんな医師がいても在宅ケアを成立させることは不可能である。
日本で在宅ケアを考えた場合、まず親子の同居が必須条件であるといった言い方がよくされるが、それは現代の核家族化、少子化への時代の変化に対応した考え方とはいえない。むしろ、同居していなくても、近くにお互いが住み、精神的つながりを保ち、どちらかが困っているときには助け合えるという、新しい家族像が、これからの日本では求められているのではないだろうか。そのような家族関係から、在宅ホスピスケアは生まれてくるだろう。
第二章 ホスピスと家族2
前章に在宅ホスピスケアは、「家族」を中心になされるべきと書いたが、患者と家族だけで介護の全てを行おうとし、他からの援助を受けようとしない、ということではない。
日本の家族の将来像は、コミュニティに開かれたものでなければならない。つまり、夫と妻と子供達だけで独占的、排他的に結びついていた「核家族の時代」は過ぎ、親族や友人などに開かれた新しい家族の時代がはじまっている。
第三章 ホスピスとコミュニティ
現代に生きる人々はコミュニティを失い、例えば会社組織というある限定された空間だけで生きることになり、健康な成人と付き合ってさえいれば、生活することができるため、社会の様々な年齢、境遇の人と接する機会がなくなり、生命の尊さといったことを実感することも少なくなってしまった。
そのような時代に、一般の人が例えばボランティアで地域のホスピスで働く、といったことは軽視されるべきではない。
そして、健全なホスピスとは、近くに住む人が互いに助け合えるようなコミュニティでしか成立し得ないだろう。
第四章 ホスピスと行政
ホスピスと行政の関係を考えるなら、ホスピスは国につくってもらうという意識では、私達の求めるホスピスはできない。むしろ、行政の現場にこちらの要求をきちんとした形で出し、行政と市民の連携でつくっていくべきだろう。
そのためには、私達一人一人が行政に対する問題意識を持ち、積極的に行政の場に発言していくことが必要であろう。
第五章 ホスピスと文化
様々な生の終わり方が考えられる現代において、ホスピスによる死は絶対的なものではなく、結局は時代の文化と患者の価値観の相互作用によって生み出される、文化の一つでしかない。だから、そのホスピスという文化を保持し、後世に伝えるためには、ホスピスを運動という形で多くの人にその内容を理解してもらい、その文化を共有する努力が必要であろう。
終章 日本における在宅ホスピスケアの現状と展望
一人の人が幸せにその生を終わるためにつくるホスピスは、ただ行政機関が金を出し、綺麗なものをつくればよいというものではない。家族、コミュニティといった様々なものを再構築した上に初めて健全なホスピスは生まれるだろう。