医療の場におけるインフォームド・コンセントに関する研究
J2B169-5 村松朋博

Japanese | English

序章 はじめに
 日本においても特に最近、広い意味での、生命、健康に対する関心が高まっており、新聞やテレビのニュース番組などで、しばしば医療問題が取りあげられている。そうした医療問題の解説のなかで、インフォームド・コンセントという言葉が、キーワードとして使われることも多くなっている。しかし、その、インフォームド・コンセントのとらえられ方は、日本においては、まだまだ曖昧であり、しばしば、本来それの持つ理念が正しく反映されていないと思われる訳語があてられていたりもする。それはまさに、インフォームド・コンセントの理解をめぐる、日本における混乱状態を示しているようである。そうした現状は、本来のインフォームド・コンセントのもつ意味について、それが誕生し、発展してきた歴史的、社会的な背景までもをふまえた研究が、日本ではまだ少ないという状況によって生み出されているとも言える。
 そこで本論文は、主としてアメリカ合衆国 (以下、アメリカと表記する) における、法律的、社会的側面等の分析を通じて、インフォームド・コンセントの理念や、発展過程を明らかにすることと、それに基づいて、未来へ向けての提言を行うことを目的とする。

第1章 インフォームド・コンセントとは
 第1節では、インフォームド・コンセントの概念について、それが、「自律」という哲学的概念を根底に持つ、患者の「自己決定」を中心に据えた概念であるということをまず確認した。
 第2節では、「(患者の) 意思能力」、「(医師による) 情報開示」、「情報の(患者による) 理解」、「(患者の) 自由意思」、「(患者による) 授権または許可」という構成要素についてそれぞれ解説をした。

第2章 インフォームド・コンセントの背景にあるもの
 アメリカにおける判例法は、「自律」という哲学的概念から導かれる「自己決定権」という権利が重視され、また、その権利が保証されるための義務としての、医師の義務を規定することを志向してきたが、この「自律」の尊重のルーツは、自由主義政治哲学にまでさかのぼることができるということに触れた。
 また、「多様な善」に関する理論もとりあげた。

第3章 インフォームド・コンセントをめぐる判例
 アメリカにおいて、インフォームド・コンセントを先導してきたのは、法廷である。そこで、この章では、インフォームド・コンセントの、法的な歴史をさぐるため、判例を分析し、考察をくわえ、また、それぞれの判例からインフォームド・コンセントの構成要素のうち、どれが抽出できるかを検討した。第1節では1905年のモーア事件判決、第2節では1914年のシュレンドルフ判決、第3節では1957年のサルゴ事件判決、第4節では1960年のネイタンソン事件判決、第5節では1972年のカンタベリー事件判決を取り上げた。

第4章 インフォームド・コンセントの展開と社会的要因
 第1節では、インフォームド・コンセントの展開を支え、促す要因となった幅広い意味での人権運動を中心に取り上げた。第2節では、私がアメリカの病院で見た、インフォームド・コンセントを支えるシステムについて取り上げた。第4章全体を通じて、医療の外部の世界からの刺激 (人権運動など) がきっかけとなり、医師らもみずから、「患者の権利の尊重」という方向へと意識改革をしてきた (その結果が、病院でのシステム) ことを論じた。

第5章 インフォームド・コンセントをめぐる日本での現状
 日本での現状を明らかにするため、第1節では日本における判例を、第2節では厚生省の「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会報告書」を取り上げて分析、検討した。

終章 まとめと未来への提言
 アメリカでのインフォームド・コンセントに関する主として法律的、社会的側面の分析を通じて、日本においても、患者側からの「患者中心の医療」を目指しての働きかけと、医療者側による意識改革という、両者の切磋琢磨が必要であることが、鮮明になった。また、日本においても、インフォームド・コンセントを患者の権利という概念のなかにきちんと位置づけ、立法化を目指すことを、本論文を通じての提言としたい。


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