阪神大震災にみる
行政と災害ボランティアについての一考察

J2B064-1 北川揚子

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 <目的>
 95年1月17日に起こった阪神大震災では、行政の混乱ぶりが目立ち、それまでにあった行政の防災マニュアルの在り方が問われた。その反面で、多くの人が被災地にボランティアとして駆け活動したことが、「ボランティア」が注目されるきっかけとなった。
 個人・団体を問わず、多くのボランティアが神戸で活動した。彼等が被災地にボランティアとして入ったルートやその受け皿となった団体・場所はいくつかあるが、その多くの人は、「何かしたいがどこに行けばいいかわからない」と、とりあえず行政窓口を訪ねた。そうして、神戸市内で各区を拠点とするボランティア・グループができていった。そうしたグループの中の一つであった「中央区ボランティア」は、阪神大震災の惨状に「とにかく何とかしたい」という人が、地域を問わず、神戸市中央区役所に自然発生的に集まり、そこを活動拠点にしながら、個人の寄せ集まりが緩やかにグループ化していった団体である。区役所を拠としたため、ある部分では区役所と協力し、ある部分では独立した組織として活動を展開してきた。活動していた中で、「中央区ボランティア」は行政とボランティアが協力関係を上手く築いて効果的な活動をしている、と言われたことがよくあった。
 そうだとするならば、なぜ役所とボランティアがよい関係を結べたのか。またそれはどういう点で効果的だったのか。また、災害時のボランティア活動に必要とされることに何があるのか。この論文では、筆者が活動した「中央区ボランティア」が震災後から3月にかけて展開した活動を、災害時におけるボランティア活動のケース・スタディとして追っていくことで、以上の3点について考察することを目的としている。

 第1章 阪神大震災でのボランティアの活動
            〜人の流れと受け皿

 この章では阪神大震災に際して活動したボランティアの被災地への流れと、彼等の受け皿となった団体、またそれぞれの特徴についてまとめる。

 第2章 神戸市中央区の概略と被害状況
 第3章に入るにあたって、「中央区ボランティア」が活動を展開した神戸市中央区がどのような特徴をもった地域であるのか、またこの震災で中央区が受けた被害がどの程度のものであったかを概説する。

 第3章 阪神大震災でのボランティア活動の事例
       〜神戸市中央区ボランティアの活動

 この章では、実際に「中央区ボランティア」が震災から3月にかけてどのような活動を展開したか、時間を追って説明する。最初から「中央区ボランティア」というグループとしてあったわけではなく、震災直後は地元の人が主力だった。それが時間を追うにつれ、学生の長期休みに重なったこともあり、他都市からの比較的長期滞在可能な者も増えてきた。人数が多くなるにつれ、ある程度組織だった活動が必要になってきたところから、徐々にグループ化・組織化していった。彼等の特徴は上がってくるニーズのみに対応するのではなく、自らの足でニーズを探し、それを活動につなげていく点であった。また、区役所(行政)も最初からボランティアに対して好意的だったのではなく、彼等の力を認めるところから徐々に信頼関係を築いたのであった。

 第4章 考察 〜災害ボランティアに必要なもの
 ボランティアが注目されたが「ボランティア」が万能薬なのではない。彼等を受け入れる体制とそのための受け皿があり、ボランティア個人個人の資質を見抜いて適材適所に配置する能力のあるボランティア・コーディネーターの存在があって、はじめてボランティアの能力が生かされる。そのためには、「災害が起こってから何ができるか」ではなく、「いかに日常から緊急時にすぐ立ち上げられる体制をつくっておけるか」ということである。
 また、ボランティア自身も誰かに指示されるのを待つのではなく、いかに自分で仕事を見つけられるか、見つけようとする姿勢を持てるかが問われる。そのためには想像/創造力が不可欠である。今回、残念ながら誰かに何かを指示されるのを待っていたボランティアも多かった。
 災害のような緊急時には、行政・ボランティアの相互関係が活動における相乗効果を生む。それは、行政が「平等」を建て前とするのに対し、ボランティアとは語源の通り、自発性を持って、個々のケースに対応しようとする性格の違いが、特に災害のような緊急時にはお互いを補完するものだからだ。協力関係といっても、決して行政の指導の下にボランティアが動くという関係ではなく、重要なのは、いかにお互いを信用し、受け入れることができるかということである。


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