日本におけるホスピス・ケアの現状と展望
J2B065-5 草間麻子
Japanese | English
第1章 はじめに
長いこと治療を目的とする医療世界の中で、治る見込みのない患者は医療の敗北と見なされ、尊厳ある死とは言えない状況で死に至っていた。本人の自己決定により尊厳ある死が迎えられるように、その反省をふまえて、ホスピスが生まれてきた。しかし、ホスピスでもホスピスらしい死に患者を当てはめようとする傾向があるなど、問題が起きている。本人の自己決定が活かされて、望むような死が迎えられるようなホスピスとはどのような要素が必要なのであろうか。
筆者の訪問したHospice of Northern Virginiaと、ピースハウス病院、長岡ビハーラ病棟、聖ヨハネ桜町ホスピス(病棟見学のみ)を、比較した上で、今後の日本のホスピス・ケアの進むべき方向性を考察した。
第2章 ホスピスとは
ホスピスとは何を示すのであろうか。ホスピスとは治癒が不可能な病気の人に対する、人間らしく最期の時を過ごせるようにとのケアの概念 Concept である。日本ではホスピスというと病棟を示すとの誤解が多いが、ホスピスはあくまでもケアの概念である。
ホスピスはチームアプローチである。患者、家族、医師、看護婦、薬剤師、栄養士、理学療法士、作業療法士、カウンセラー、ソーシャルワーカー、聖職者、ボランティアがチームに含まれることが望ましい。日本では、このチームにボランティアが含まれることが希であるが、ボランティアの重要性を再提言した。
第3章 日本におけるホスピス・ケアの現状
日本ではホスピスとは正式名称ではない。「緩和ケア病棟」というのが正式名称である。厚生省の決めた認可基準を満たしているということを地方自治体に届け出て認可を受けるわけだが、その認可基準も必ずしも適切なものではない。昨今の子供の少数化で、産婦人科と小児科を縮小する病院が出てきた。現状の認可基準では設備さえ整っていれば、そのような空いたスペースを緩和ケア病棟として登録することが可能である。果たして、そのような安易な考えで、つくられた緩和ケア病棟でホスピスケアが正しく行われるのであろうか。患者主体の医療ということが忘れられはしないであろうか。さらにホスピスは末期がん患者か後天性免疫不全症候群の患者に限るとする基準もホスピスの概念にそぐわないものであると考える。
以上のような現状の基準に関する疑問点を明らかにし、ホスピスの概念が本当に活かされる設置基準を、全米ホスピス協会(NHO: National Hospice Organization)の25の基準を参考に考察し、提言した。
第4章 日本におけるホスピス・ケアの展望
アメリカのホスピスは在宅ケアが主である。アメリカのホスピスが平均入院日数12日であるのに対し、日本のホスピスは45.4日と大きな違いがある。これは日本の場合、在宅ケアが非常に困難であるということの数字での現れであろう。要因のひとつとしては日本の医療点数制度が考えられる。また、公的福祉サービスも在宅ケアは、老人それも寝たきり老人を主に対象としている。若年者が末期の状態になったり、在宅で死を望んだとしても、受けられるサービスはほとんど皆無である。さらに、在宅ケアに関する社会的認識も低い。今後の課題として、在宅ホスピスケアに関する啓発活動や、在宅ホスピスケアに関する包括的な診療報酬の設定、在宅ホスピス普及のための看護婦や地域の教育研修プログラムの作成などの対応を考察した。
第5章 おわりに
日本は未然のスピードで高齢社会へと突入してきた。今後、さらに高齢者の人口は増えると思われる。在宅で死を望んだときに、かなえられる環境を今整備しておく必要があるのではないであろうか。
場所は病院であれ、ホスピスであれ、在宅であれ、主体は患者であるということを忘れてはいけない。患者の自己決定が最大限に活かされる様なシステム作り、環境づくりが、今の私たちの課題である。
この高齢者社会の中で次にその主体となるのは私たちであるとの、当事者意識を持ってホスピスケアを考えて行かなくてはならない。
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