第1章:人工妊娠中絶と諸問題
人工妊娠中絶は、出産を抑制する最後の手段であり、女性を望まない妊娠から解放する一つの手段である。権利意識に目覚めた女性達が、子供を産むか否かを自分で決める権利を主張し、妊娠中絶法の改正、人工妊娠中絶の合法化を要求し始めた。
第2章:プロ・ライフとプロ・チョイス
人工妊娠中絶に対しての考え方は二つに大別できる。「胎児は人であり、人権を有するものである。生命は無条件に尊重すべきであるから中絶は絶対に認めない。」とするプロ・ライフと女性の自己決定権を第一とするプロ・チョイスである。この章では、中絶に対する代表的な考え方を比較検討していく。
第3章:ベビードゥ事件
ベビードゥ事件はバイオエシックスが展開していくなかで大きなステップとなったケースの1つであるため、本章で取り上げる。
第4章:周産期の倫理
中絶問題を始めとする生命の始まりに関する事柄がこんなにも複雑化した背景には医療技術の発展がある。それにしたがってどれくらい小さな胎児にまで治療を施すべきかという周産期における倫理、胎児の権利というものが問題の争点になってきた。次に産科医・周産期医の視点からその問題に迫り、胎児と周囲の人々の持つ権利について考えてみたいと思う。
第5章:生殖医療と人工妊娠中絶
むやみな不妊治療の結果の多胎妊娠の末、緊急避難的に減数手術が行われている。これに対し、日本母性保護医協会は「減数手術は優生保護法の定義する人工妊娠中絶に該当せず、堕胎罪の適用を受ける可能性がある」という見解だ。問題なのは減数手術だけではなく、むやみやたらと行われている不妊治療であり、その歪みが彼のところにしわ寄せとしてきているのだといえる。
減数手術を含めて、生殖治療についていえることは、まず臨床現場で水面下的に技術が先行し、社会問題化してから社会の同意をなし崩しにとるという現実があるということだ。
第6章:中国の人口問題と一人っ子政策
子供を産む・産まないというプライベートなことがらも、人口論というマクロな視点から考えると国家が干渉するのがむしろ正当とされる場合がある。果たして、その考え方は真理であろうか?この章では、増え続ける人口と経済のバランスに苦しむ中国の政策を例に、国家はどこまで個人に干渉する権利があるのかということについて考えていきたい。
第7章:北京宣言
1995年国連世界女性会議で、北京宣言が採択された。その中で、生殖に関する自己決定権は、女性の人権と明確に認められたことは非常に意義深い。
考察
産む・産まないの自己決定権は道徳や倫理の問題ではなく、人工妊娠中絶を選択する法的権利を設定すべきか否か、安全な人工妊娠中絶を受けられる社会制度を整えるべきか否か、という法律や社会政策の問題である。法的・社会政策的には、女性が中絶を受けられる余地を残しておくべきであり、選択の余地を残す以上は、なるべく安全で侵襲の少ない中絶を受けられるよう制度を整えるべきである。また、妊娠・出産は、国家や社会が直接に統制すべきではない。国家や社会が出生率を上げたければ「産める社会、産みたい社会」を実現するべきであって、法制度や社会政策によって中絶を制限するなら女性を闇中絶に追いやるだけだろう。その逆も当然いえることだ。人口抑制のための産児制限を法制度などによって強制するべきではない。なぜなら、女性の権利である性に関する自己決定権は、人権であり、不可侵かつ付可分な権利だからだ。