第1章 医学と宗教
古代医療と宗教は多くの関わりを持っていた。しかし科学的思考が重視されるに従って、医療と宗教は違う道を歩み始めた。人間のいのちの問題は、医学の領域に留まらず広く思想、文学、哲学、法学、それに宗教が深く関与する極めて学際的なテーマである。人間の生物学的ないのちは、科学としての医学により支えられるが、宗教的人格的な霊的な存在としての人間の心を支え、また人間の倫理的な生き方を支える役割をもつのは宗教である。ターミナル・ケアにおいて医療と宗教は協力できるのではないだろうか。
第2章 スピリチュアル・ケアとは
スピリチュアル・ケアとは、単に信仰をもっている人に対して、その宗教的信念を持続させたり、信仰がない人に対して、宗教的信念を紹介するためのものではない。病気になると様々な苦しみ、不安、恐怖を経験し、そこから生、死に対する疑問が生まれてくる。そのようなことに対して、今日まで生きてきた自分の人生の再評価をし、肯定することを手助けしていき、人々が人生の目的や意味について自分なりに納得できるようにすることが、スピリチュアル・ケアである。このスピリチュアル・ケアを中心になって行うのが病院付き牧師と呼ばれるチャプレン (Chaplain) である。
第3章 アメリカにおけるスピリチュアル・ケアの一事例
この章では、筆者が訪問したノーザン・バージニア・ホスピスでのスピリチュアル・ケアの実践を紹介し、またそのケアの中心を担うチャプレンの役割と、アメリカにおけるチャプレンの養成プログラムである臨床牧会訓練 (Clinical Pastoral Education)、チャプレン部 (Chaplaincy Department) サービスについて紹介する。
第4章 日本におけるスピリチュアル・ケアの現状
この章ではホスピスならびに緩和ケア病棟、ビハーラ (Vihara)、一般病院の3つの視点から日本においてスピリチュアル・ケアがどのように行われているかをまとめる。特にホスピスならびに緩和ケア病棟では1997年夏に筆者が行ったチャプレン (元チャプレンを含む) へのインタビューを中心に、医療現場における宗教との関わりの現状を報告する。またビハーラでは筆者が実際見学した長岡西病院ビハーラ病棟での仏教を基盤としたスピリチュアル・ケアの実践を紹介する。また現在一般病院では、宗教を取り入れているところはわずかであるが、一事例として南小倉病院の臨床宗教士の存在を取り上げる。
第5章 日本における医療と宗教の協力をめぐる問題点とこれからの課題
インタビューを通して感じた点は、日本のホスピスにおいてチャプレンがいても効果的に機能していないということだ。またビハーラでも仏教独自のケアの開拓はまだなされていなかった。この章ではホスピスならびに緩和ケア病棟、ビハーラ、一般病院での医療と宗教の協力をめぐる問題点とこれからの課題、またバイオエシックスの観点からターミナル・ケアのあり方、スピリチュアル・ケアの必要性を考える。
おわりに - 提言と展望 -
日本において、末期患者に対するスピリチュアル・ケアは、一部のホスピスや病院で意欲的に取り組まれているが、必ずしも組織的に展開されていない。専門家とのインタビュー等から知り得た範囲内では、積極的に取り組んでいこうとしているホスピスや病院でさえも、効果的に機能していないと考えられる。今後末期患者に限らず、また信仰をもっているといないに関わらず、医療においてスピリチュアル・ケアは必要になってくる。医師や看護婦も患者の霊的な側面の重要性を認識し、それに応えていかなければならないし、スピリチュアル・ケアの専門家が必要と思われる。
しかしアメリカにおけるチャプレンの役割をそのまま日本に導入することはできないと思われた。文化の違い、特に日本人は信仰をもっている人が非常に少ないということもあろう。従って日本なりのチャプレンのあり方は、特に宗教的な関わりをするのではなく、医師や看護婦に代わって患者や家族の苦しみ、悩み、悲しみ、を共有しようと努力してくれる人、病める人のそばに寄り添ってくれる人である、と私は定義したい。
患者が最後まで充実して生きることができるようにするためには、医学的対応だけでは不十分である。治癒ののぞめなくなった患者をそのままにするのではなく、医療の中に宗教者や他の専門家を加えることによって、全人的な医療を展開していかなくてはならない。ターミナル・ケアにおいて医療と宗教の協力が求められているのは、医師をはじめとする医療従事者、宗教者が本当に人間というものを見つめているのかが問われているということに他ならない。