[ 第1章 宗教とは ]
本章では、一宗教社会学者の宗教の定義をもとに、宗教とはどのようなものなのか、なぜ必要とされてきたのかという問題を考察するなかで、宗教がなぜ自己決定と関係しあう事柄なのかということを検討した。
[ 第2章 信仰に基づく自己決定 ]
本章では第一にデュルケームの『自殺論』をもとに自らの命を断つという個人の決定と宗教がどのような関係にあるかということを述べた。このなかで示されたことは宗派ごとに異なる教義が個人の決定を左右するのではなく、宗教が個人を社会として結び付ける、その強さが個人の決定を左右するということであった。
第二に信仰上の輸血拒否の問題を取り上げた。『自殺論』とは異なり、教義が個人の決定に影響を与えることを示した。
[ 第3章 宗教に関する調査 ]
「日本人は宗教に無関心、寛容である」とは一般に言われることであるが、習慣や風習によって日本人の価値観の基盤に特定の宗教や宗教的な考えがあるのではないかと思い、大学生を対象にアンケート調査を実施した。
その結果、特定の宗教に限らないが、いくつかの宗教的価値観が大学生の間で受け入れられていることが分かった。そして、宗教に寛容であるという場合でも、他人の信仰に寛容であっても、自分が信仰を持つことには否定的な人たちもいることが分かった。
また、宗教を肯定的に捉える人と否定的に捉える人とでは、他人が信仰を持つことや自分が信仰を持つことに対し、感じ方に差があるという結果が得られた。
[ 第4章 自己決定の問題 ]
以上までの考察から、信仰を覆すような自己決定も起こりうるということ、信仰を持つか否かに関わらず価値観の基盤に宗教的なものがあり、価値観の基盤にある宗教的なものが自己決定を支えるという図式はこれからも続いていくという結論を導いた。
しかし、自己決定という考え方自身が孕む問題から、たとえ広く受け入れられた価値観に基づく自己決定であっても、常に尊重されるわけではない。この章では自己決定という考え方に向けられている指摘をいくつか取り上げた。
[ 終章 ]
昨今、医療の場に限らず「自己決定」という言葉が多用されている。しかし、自己決定を尊重するということは善悪の判断をつけがたい問題の議論回避の手段ではない。宗教にも同様のことが言える。伝統や教義であるという理由で問題が議論の場から下ろされるようなことがあってはならない。
なぜなら、宗教も自己決定も多くの他者から構成される社会の中の一現象であり、一行為であるからである。議論の場から遠退き、他者への視点を欠いた宗教や自己決定は、他者や弱者を排除する原理として機能しはじめることがあるということを忘れてはならない。