第1. 2回バイオエシックス研修会講演録 (1)


********************バイオエシックスと看護 (1)********************
1983年2月13日 9:30〜12:00 AM
於:名古屋第二赤十字病院桑山講堂
講師:岡村 昭彦/木村 利人

岡村; それでは、11回目のセミナーをオブザーバーの方が多いものですから、日赤病院の御好意を得てこの新しい会場でやります。今日は私のバンコク以来の友人で、アメリカのジョージタウン大学のケネディ研究所バイオエシックスセンターの教授として活躍している日本で唯一人、バイオエシックスを教授できる木村利人君をセミナーのレクチャーにお招き致しました。バイオエシックスっていうのは、今、アメリカで一人でしゃべるという事はほとんどない訳で、法律の専門家、医者、神学者、その他、色んな人達がずらりと並んで、21世紀に向う人間の生き方について、レクチャーをするという型を取ってます。日本では、そういう事が出来る人が少ないので、木村君と私と二人で、午前中は「バイオエシックスと看護」というテーマで行います。
 私達は、アメリカの大学でのレクチャーの仕方をしますので、途中で、どうぞ質問を・・・。手を挙げて話してくれる事は、全く構いません。
 それから午後は、私が「SFを使った教育とそれによる未来の展望」をお話します。それでは、木村さんお願いします。

木村; 只今、御紹介にあづかりました木村でございます。岡村さんの御紹介の中にありましたように、1965年にバンコクで、岡村さんに初めてお会いして以来、サイゴン、ジュネーブ、東京、ケンブリッジなどいろんな所で、お会いし一緒に語り学び合ってきました。このことについては、岡村さんが監修して家の光協会から刊行された『ホスピス』という本の後書きの中に書いてあるので、或いはお読みになられた方もあるかと思います。
 私は今アメリカのジョージタウン大学におります。この大学がどこにあるか御存知ですか。何州にありますか、ジョージタウン州・・・(会場笑い)。
 沢田さんいかがですか。

沢田; ワシントンD.C.

木村; そうですね、ワシントンD.C. というのはアメリカの首府ですね、そして、ホワイトハウスのあるところです。レーガンさんが住んでいる大統領官邸から車で10分程度行ったDistrict of Columbiaにあるのが、ジョージタウンという大学のある住宅街です。D.C.ができる前からある古い古い街がジョージタウンなんです。この街にあるからジョージタウン大学といいますが、これは1789年にできたアメリカの最初のカトリック系のイエズス会、つまり日本で云えば上智と同じ系列の大学で、アメリカの第1回の国会が開催された年に創設されました。従って、あと6年で200年祭を行います。
 このジョージタウン大学にあるケネディ研究所というのは、ケネディ大統領のお父さんとお母さんが基金を出して、設置された研究所です。この研究所の中に、世界中で最初の大学附属のバイオエシックスセンターっていうのが1971年につくられました。バイオエシックスというのは、既に御存知かと思いますが、新しい統合された学問の体系ですから、なかなか日本には分かりにくい点があるのですけれども、大きく言えば、命、暮し、生命についてのあらゆる出来事を全部再び統合して考え直そうと云う新しい超学際の学問分野なのです。学際というのは、いろんな学問が協力しあって、一つのテーマについて研究していこうという学問の方法論なのです。国際というのがあるでしょう。国際というのはinternational。学際というのは、interdisciplinaryです。Disciplineっていうのは、学問という意味です。inter とはいろんな学問の立場を交流されるという意味です。
 例えば、死なら死の問題をめぐって、お医者さん達、或いは看護婦さん達、つまり今まで医療従事者の方達だけが、死の問題を考えていたという時代が続いてきました。しかし、これが過ぎてしまって、法律学ではどうだろうか、宗教の立場からはどう考えるか、人権の立場からはどうかと色々な学問分野から追及していこうとするのです。脳死の状態で全くただ生きているという「からだ」がそこに存在しているというだけで、果して、本当に生きているという事になるんだろうかといった問題もあります。むしろ、信仰を持っている人の立場からすると、神様は、そういう時には機械に接続させて生かさない方が良いというふうにおっしゃるんではなかろうかという宗教的な立場もあり得ると思います。法律上の様々な見解も成り立ちますし、医学の立場もありますし、宗教にも、いろんな立場があるんですね。このような各学問分野の意見を出し合って、死の問題なら死の問題というものを、いろんな立場から研究していかざるを得ない時代になってしまったわけなのです。私達が今まで、小さな学問の枠にとじこもって、その学問、つまりこの場合は伝統的な医学がいろんなかたちで定義してきた死というのは、脈拍が止まってですね、呼吸が止まって、そして瞳孔が動かなくなるという一つの判断を大きく超えて、いろんな角度から考えなくちゃいけない時代になってきたんですね。これが学際研究なんですが、学際研究では、自分の学問分野に固執するために、やはりいろんな問題が出てくるのです。そこで、これらを超学際研究としてとらえようとして、supra-interdisciplinaryという言葉が新しく出来てきました。学際を超えるという意味なのです。ですから、学際研究の枠組みをも超えて、お互いに協力し合う中からいろんな問題への解答を捜していこうということなのです。
 ここで大事なのは、今まで私達は、いろんな社会の問題を考える時に質問の仕方というものがあるわけです。そういうものをそれぞれの人達が、私達の質問の仕方が一番正しい質問の仕方だ、とすると解答はこうならざるを得ないというのが、今までの学問です。しかし、バイオエシックスの考え方は質問の仕方自体にいろんな質問の仕方がある。複数の質問の仕方があるし、複数の問いかけの仕方がある。従って、複数の答があって、その中から自分の場合、自分の生き方にふさわしいものを取り出してゆくべきではないかという問題提起をしたわけです。つまり、解答というのは今までは一つしかあり得なくて、そして、その考え方をいろんな学問の権威者たちが、例えば、哲学ではこう考えるといえば、そういうふうに選択せざるを得ない状況が今まであったのです。しかし、新しい時代における学問の捉え方自体が非常に変化してくる事になりました。このような学問の極度の細分化、専門化への反省と再統一への願いの中から、このバイオエシックスという新しい学問分野が出てきたわけです。
 従って、このビオス - (生命) とエチィーコス (倫理) という言葉とを、結びつけ合成されて出来たのがバイオエシックスという用語なのです。この場合、エチィーコス、つまり「倫理」というのは、私どもが考えているバイオエシックスの立場からは、生物学や医学のその問題について「倫理」の面での研究だけをするというのではなくて、私達の倫理のみならず、ライフスタイル、あるいは、ポリシーに新しい価値観を選択して、創り上げていく。いろんな選択の幅はあるけれども、これから未来を展望するためには、一つの方向を見い出していく事を含んでいるのです。
 つまり、バイオエシックスというのは、人権の問題を中心に、人間の生命 (いのち) とは何か、そして、また人間の尊厳を守るとは何か、今まであまりに生命が粗末にされてきたのではないか。そういう人権の枠組みを持ちながら、新しい価値観や、価値基準や判断っていうものを作り上げてゆこうという事からバイオエシックスは出てきたわけです。
 私がバンコクで岡村さんに会ってから2年間ベトナムのサイゴン大学で教えていた時、当時1970年、71年です。私の一人の学生がうちに来て、片手の肘から下がない学生ですけれども、非常に青ざめた顔をして「木村先生、今ベトナムでは大変な事が起こっています。それは、先生はもちろん御存知の枯葉作戦です。ねらわれているのは、ベトナムの非常に良質の地域ばかりです。しかも、それが作戦の一環としてアメリカによって行われて、生態系が全く破壊される、生態系が破壊されるだけでも大変な事なのに、それが人間の染色体、特に性染色体に影響を与えて自然流産がおきたり、奇形児が非常に多く産まれたりするんです」と話してくれて、この事実を初めて知らされたわけです。
 この事が私をバイオエシックスと人権問題に向わせるきっかけになりました。1971年には、ぼつぼつそういうニュースは出てきていたんです。しかし、本当にその事態の深刻さ、つまり、今まででしたら私達の生命を殺傷する事によって戦争に勝つとか負けるとか決まったのですけれども、次の世代に影響を与える遺伝子戦争が今起きていて、これは大変な事なのです。北ベトナム側からのニュースで学生を通じて知り、大変にショックを受けました。これを契機にして、科学技術の誤った用い方と人権の問題を結びつけて、そこから生命と人権の問題を研究しはじめました。それが1971年です。
 それからジュネーブで3年間教えていた時に、WHOや国際連合のヨーロッパ総本部と連携を保って、人間生命、特に遺伝欠陥の問題や、人権の問題を研究して、バイオエシックスの研究に入っていったわけです。アメリカでは当時、反戦ベトナム運動、人種差別運動が起こっていました。皆さん御存知のようにベトナム戦争というのはアメリカがやった戦争なんですけど、その実際は前線に行ったのは70%位黒人だったわけです。ベトナム戦争というのは、東南アジアの人を直接に殺傷する戦争であり、そして、その戦争は黒人兵や、その他のアメリカ以外の兵隊によってになわれており、韓国の兵隊もいっぱいいました。そういう人種差別に反対する運動がアメリカの中で1960年代から皆さん御存知のマルチン・ルーサー・キング師などによって行われました。従って、バイオエシックスというのは、そういう不審への中で生まれた学問なのです。生物医科学技術の進展に伴って心臓を移植したら、この人はどうなるか、死ぬ時にはどうなるか、そういう医学の進展に伴って展開してきた新しい学問分野でもありますが、実際にアメリカの社会の中で市民の運動の一環として展開してきた要素が非常に強いんです。
 従って、バイオエシックスの中には3つの大きい流れがあって、第1には、医の倫理の伝統を受け継いでいます。ヒポクラテスに始まる4000年の歴史を持つ医の倫理の伝統では、医師は神の名によって患者の利益になることをするというような、そういう原理に基づいたメディカル、プロフェッションの中のいろんな基準があるわけです。医療の職業倫理が、バイオエシックス展開の一つのルーツとしてありました。それから、第2には、人権を守る立場からの市民の運動と連なった流れです。そして、第3には生物学のいろんな実験、あるいは人体実験の問題などに関連して、そういう基準を作るという大きな3つのルーツがバイオエシックスの中には入ってきて、1971年に、私どもの大学に研究所が出来た、という歴史の動態をおさえないと、カタカナのアメリカで流行している新しい学問というふうになってしまうのです。今日お渡ししてあるプリントは、前にお読みになっていらっしゃる方がありますか?、大体目を通してみましたか?「バイオエシックスと看護」というのが今日のテーマですが、私の「バイオエシックスと医療」(『病院』, 1981, 1〜12) というのを読んで下さったという前提で話をつづけます。
 今日は皆さん方が大体看護婦さんであり、お医者さんであり、そしてまた一般の方々もおられると思いますが、看護ということをバイオエシックスからどういうふうに結びつくのか、ちょっとお話申し上げます。
 これから私がお話しようとするのは主にアメリカの事例ですので、日本とおそらく色々な事で違うと思うのです。違うのですけど日本とアメリカと世界は連動してますから、そういう意味では日本の一つの方向性が出てくると思います。そのアメリカの事態をみますと、アメリカではもうナースをsheという形で受けるという事はなくなってきたわけです。she or heですから、アメリカの看護婦さんの倫理基準というのがありますけれども、それも女性中心の文章スタイルになっていたのですが、今そういう表現をやめようという方向になってきております。御存知のように看護をになう人は女性だけでなく、私が入院した時もそうですが、男性がどんどん中に、入ってきてます。だから、私は看護婦という言い方ではなくって、看護師。医師の師ですね、医師、牧師、教師、だから看護師でいいんじゃないかと思うんです。
 ここで一つ質問をしてみたいのですが、「看護婦さんは患者さんの質問に答える権利はありますか」という問いなんです。いいですか、「義務」じゃないです。患者さんの質問に答える「権利」がありますかという質問がアメリカの看護の教科書の第1ページにあります。いかがですか。看護婦さんというのは、患者さんの質問、あるいは患者さんからの話かけに答える権利を持っているかどうか、白柳さんどうですか?・・・というと日本では、権利としてはない、今の白柳さんのお答えは、アメリカではあるでしょう。しかし、日本ではそういう権利はないんではないか、では、日本では患者さんが色々聞いた時に、村上さんいかがですか?、何かご意見を言って下さい。・・・患者さんが、色々と看護婦さんに聞くという事はしょっちゅうあるでしょう、日常の看護行為の中で。そういう時に大体どういうふうに応対しているのですか。分かる範囲で応えている。こういった事に関連してアメリカの具体的なケースがあるんです。山中さんはどうですか?、看護婦さんというのは患者さんの問いに応える責任、義務があるのか、あるいは、それは患者さんに応える看護婦さんの権利なのか、いかがでしょう。日本のテキストの中ではどうでしょう。

山中; 日本の中では権利というふうには述べられていないと思います。

木村; 日本では権利ではない、日本の中では義務としては一応あるわけですか?

山中; 問われた場合の質問の内容にもよりますけれども、看護的な面での問いかけであれば、看護的な範囲での・・・。

木村; 看護の範囲内での。この質問は非常に重要な質問なんです。アメリカでは、いろんな州があります。その州の一つにアイダホ州というのがあります。ここで問題になったケースですが、入院患者さんがお医者さんによって診断されて、このお医者さんは患者さんに診断の結果を告げた。そして「悪性の白血病で、化学療法 (chemotherapy) による方法が一番いいと思う。これしかほとんど選択の方法はないんじゃないか」とお医者さんが患者さんに言ったのです。患者さんは、もちろんショックで看護婦さんに「私は医師に化学療法をすると言われたけれども、毛は抜ける、身体は急激に弱くなる。私はそういう治療はしたくない。看護婦さんそう思いますか?」と、看護婦は聞いているうちに患者さんの言っている事に非常にもっともだという事で相談に乗ったわけです。
 相談に乗るってどういう事かといいますと、アメリカでは医療の主体は、患者さんです。だから、患者さんがいやだと言えば、治療は出来ないのです。だから、看護婦さんが患者さんの相談に乗るっていう事を、お医者さんからみると、看護婦さんが患者さんの意見を聞いて、その治療はしない方がいいんじゃないのというようなアドバイスを与えたという感じになってくるわけです。つまり、キモセラピーではなくて、例えば、患者さんは実は癌じゃないかという事はある程度分かって、自然食にライフスタイルを変えて、今まで何年か、それでもちゃんとやってきたんだから、これからもそういうふうにやっていこうと思うけど、看護婦さんどう思いますか?と問うわけです。看護婦は話を聞いた上で、「その方がいいかもしれませんね」と言ったりしたのです。つまり、それが結果的に治療の拒否に結びついたわけです。患者はキモセラピーを絶対やらない、看護婦さんも話にのってくれたし、それがお医者さんの側ではなくて、家族の側からお医者さんに伝えられ、看護婦さんがうちの娘と話したために化学療法を拒否するという事態になってしまった。だから、あの看護婦さんは困るって言う。家族の側からの申し出によって、医師がその看護婦さんの立場を問題にしたわけです。問題にしたというのは、どういうふうに問題にしたかというと、つまり、医師の指示に違反したということで、看護婦さんは、医師の指示に従って一つの医療行為に従事するという。この看護婦さんは、英語の言葉で言えば、unprofessional conduct である、という事で問題になりました。
 つまり、看護婦の職業にもとる行為、患者さんのそういう質問に対して、「ああそう、それもそうだけども、お医者さんが正しいのよ」という事にすればいいのに、一生懸命相談に乗っちゃって結果的には医師の判断と反対になったわけです。そして、「まあいいんじゃないですか、そういう考えも成り立ちますね」と患者さんの立場に立ってあげた行為は、実は Unprofessional conduct だという事でアイダホ州の看護委員会という免許を出している機関があるわけですが、その advocate of nursing が6ヶ月免許を停止したのです。つまり、その理由は unprofessional conduct という事でした。
 ところが、この看護婦さんは非常にそれに不満でアイダホ州の最高裁に提訴しまして、もちろん最高裁ではひっくり返りました。最高裁は、その看護婦さんの行為は反職業的行為ではない。その理由は、なぜ unprofessional conduct と最初言われたか、それは、医師はキモセラピーという方針を打ち出したわけです。化学療法っていう方針を打ち出していたのにもかかわらず、それを知った上で患者さんの相談相手になって、患者さんの言っている自然療法の方に看護婦さんが傾いたという事で命令に違反したと、医師も怒り、家族も怒ったわけです。しかし、最高裁ではこれがひっくり返り、看護婦さんのとっていた立場は正しいということになったわけです。最高裁の方の理由づけはこうです。それは、看護婦さんというのが患者さんと話をし、コミュニケーションするように訓練されている職業だ、という考え方です。いいですか、ここで看護業務の内容の質が転換が起きているのです。看護婦さんというのは、患者を守るという立場を貫く、従って、看護婦さんというのは、patient adovocate である。医療の基本の考え方に戻す事ですね。看護婦さんというのは、今までは profession としては、医師の指示に従わなければならなかったのです。つまり、それなりに profession としては、医師を support するという考え方ですから、以前は患者さんが何を言ったって、お医者さんが駄目と言えば駄目だという事でした。しかし今、時代が変わってきて、バイオエシックスの基本の考え方は、看護婦さんは患者さんの立場に立ち、患者さんを守る人という考え方ですから、そういうふうにトレーニングされ、profession として患者さんとコミュニケーションするという事が、unprofessional conduct という事にはならない、というのがアイダホ州の最高裁の決定で、この看護婦さんは免許取り消しを撤回されたわけです。撤回されただけでなく、賠償金まで取得しました。
 従って、第2の問題にいきますが、第2の問題は、看護婦さんが医師の指示が誤りだと思った時には、それを「No」と言えるかどうか、「No」と言える権利があるかどうかという問題です。最初の問題は、そういうケースではないわけです。しかし、最初の問題は、看護婦さんというのは患者さんの質問にあらゆる形で応える義務を持っているのではないか、義務というのは、「ねばならない」、ねばならないというのは、いやいやであっても患者さんが質問した時には、それに応えなくちゃいけない、「私はどうしたらいいんでしょうね。私の人生はどうなんでしょう」っていうような質問を含めてですね、「ねばならない」となると、無理やりにそうしなくちゃいけないし、出来ない時には、それはお医者さんに聞いて下さい、私は分かりませんと逃げちゃう事も構わないわけです。
 しかし、「権利」は全く違います。患者さんは看護婦さんに質問します。看護婦さんは、その質問に応える権利を持っています。義務じゃないですよ、質が違うんです。権利というのは、法によって保護された利益ですから、だから看護婦さんというのは、医療の補助者、介助者ではなくて、医療行為においては、医師と対等な主体なんですね、医師と対等な主体で、この時、患者に接する者として患者のために医師と協力する。医師と対決したり、対立したり、告発するんではなくて、医師とむしろ協力して患者を助けるという医療に今なってきている。これはバイオエシックスの原理が到達した今の時点での話ですね。第2は、もしそれでは医師が判断を間違ったらどうするか、アメリカでは難しい問題なんです。日本でもおそらくそうだと思うんですけど、看護婦さんというのは医師をたてるといいますか、医師の指示に従って profession として、その行為、医療行為をやってきたという考えですから、医師の判断を尊重するたて前になっているわけです。アメリカでは、お医者さんがこう言ったからと言って、看護婦さんがこのままにしてミスをおかせば責任を問われる時代です。
 私の手術担当医が仮に手術の現場で、もうそうやる必要はないんだと言って、看護婦さんに特に指示を与えなかった。うるさいから黙っていろと、俺が全部やるとお医者さんがやったとしますね、何かミスがあるとしますね、実際のその場にいた看護婦さんの責任が問われる事があります。お医者さんの命令に従ったのだから、私には責任がないとは言えないんです。だから、そういう権利があるという事は、責任があるという事ですから、お医者さんが仮に一つの行為、例えば、手術のプロセスの中で誤った判断をして、それを看護婦さんが質問をしても、僕の言う通りにやれ、と言われた場合、そうやっちゃいけないわけですね。手術ですから、これはいろんな緊急の事態がありますでしょうけども、そういう事を防御するためどうしているかといいますと、看護婦さんはいろんな形で慎重になってきてますから、明確に何がどういうふうに起こったかという事を覚えてなくっちゃいけないわけです。ですから、お医者さんが仮に、看護婦さんに対して、これは全部私が責任を取ると仮に言っても、責任が取れない時代ですから、どういう事態が起こっても、あの時こうなってこうなってと、手術が終わって自分の時間があるとすぐにメモに書いておくという。そのメモが裁判になった時に、ものすごく役に立つというふうになってきてます。
 医事訴訟が増えてきました、という事はどういう事かと申しますと、実際、病院の中で看護婦さんは医師に非常に問題を感じた時、あるいは指示に誤りがあった時に、はっきりとその理由を確かめなければいけないわけです。なぜ、この行為をするのか、その手術の現場が、討論の場になったら困りますけれども、どういう目的ですか、という事を確かめた上でやらねばいけない。professional としての責任があります。それは、なぜなら患者を守るのが看護婦さんの立場だから、ただ黙って医師の命令に従うのが医療の目的じゃないわけです。それは独立した profession として看護婦さんが医療行為の中で果たす役割が増大して、そういう権利が発生すると同時に責任が問われる時代になってきたからなのです。ですから、ただ黙って座って、お手伝いをしておればいいというところだとプロ意識が芽生えないわけです。アメリカでは、今そういう看護婦さんの責任が問われ、そしてまた、看護婦さんの自信に満ちた医師との対等の立場でのコメントというのがいろんな形で生かされる時代になってきているのです。日本はなかなかそこまでは、あるいは、きてないかもしれないですね。いかがですか?、高原さん・・・。

高原; 今の日本では疑問だったら聞いて、それを確実に行います・・・。

木村; まあ、いろんなケースがあって、そしてまた人間の考え方、個人の自由な考え方、そしてまた、それぞれの働いている場所での人間関係、いろんな人達がありますから、アメリカのものをすぐそのままってというのはいけないというのは事実なんですが、profession として、やっぱり1950年代から看護婦さんに対する考え方が大きく変化して、medical profession の中で患者のためにというポイントが強く看護婦さんの方に生まれてきている。従って、patient's adovocate あるいは、patient's right officer は、ほとんどが看護婦さん出身の方たちです。看護婦さん出身で human communication というような事を専門にして、学校で単位を取ったり、勉強した方々が多いのです。

岡村; コメントさせて欲しいんだけど、患者のためのという言い方は非常に誤解が起きやすい、患者のために私達看護婦はやっている。患者のために医者がやっているのではなくて、患者を中心とした医療に変わってきてしまった。例えばね、こういう言い方をする場合もあるわけだけど、精神科の患者が誰かに電話をかける、患者のためを考えて私は一緒について行って、その話の内容を聞いてやる、それを聞いて医療に役立てる、という事をやり正当化しているところがあります。そして、それが看護婦がとんでもない事をしていると考えない。医者の手先として患者にくっついてきて、それで人のプライバシーを侵して、その話している内容を全部聞く。そんなスパイみたいな事をしないと出来ない医療であるなら、その医療は全くお粗末なわけでしょう。人間の権利を全部侵しておいて、人間を回復させるなんていう事は出来ないわけでしょう。そういうのを疑問に思って患者は自分一人で電話をかける権利を持っているんじゃないか、医者が何を電話しているのだと言ったら、そんな人権侵害は私には出来ませんよ。医療っていうのは人の権利を全部侵してやるべき問題ではありません、とするのが当り前。なぜならば、患者の権利宣言の中にちゃんとそう書いてあるのです。
 例えば、精神病院の病棟に、この前、うちのセミナーのメンバーにその話をしたんだけれども、今皆さんのところに配った、Saint Elizabeth とありますけれども、その Saint Elizabeth 病院というのは、Washington, D. C.、さっき言ったホワイトハウスのある Washington, D. C.、つまり、ジョージタウン大学のあるところにあるアメリカ第1の精神病院なんです。それは、アメリカ連邦政府の国立精神病院、その病院には、どこの病棟に行っても患者の権利、というのが貼ってあります。そして、あなたは次のような権利を持っていますと書いてある。You have the right と書いてある。その中に、あなたは1人で電話をかける権利を持っています。それは、なぜそういう事が書かれているかというと、患者を中心とした医療に、もはや変わってきているんです。
 患者のためを思って俺はやってやった、私は患者のためを思ってこういう事をしたんだという憐れみの中に逃れる事は出来ない。患者のために。部落差別の例をあげてみたらよく分かるんです。私がホスピスの話を倭羽さんという人と話をしたんだけども、その時になぜ部落差別の話をしたかというと、差別の構造というものが分かっていないと、人間の権利を認める事が出来ない。つまり、上から下へ向って恩恵を与えるのではないんです、医療っていうのは。英語でも WHO、NIH の文章の中でも、これから皆さんが看護の本を読まれると出てくる patient's center と書いてあります。患者を中心としたという言葉よりも、患者を中心に据えたというふうに訳した方が正しい、patient's center、そういう医療に変わりつつある。そこが今の日本とアメリカ、ヨーロッパの違いです。だから、患者の権利宣言というのが出た時に、アメリカでも医者が患者に権利だなんて言われたら、医療なんか出来るか、と言ってた。
 しかし、これは人間の権利を認めるという事が、どういうふうに進展を示すのかといういい例ですけれども、患者を中心にした医療に変えて、患者の権利を認めた場合に、逆に看護婦も医者の権利をちゃんと認められる、という時代が生まれてきて、1971年にアメリカの病院協会で、患者の権利宣言というのは作られ、誰にでも分かるように患者の権利宣言を病棟に掲げなければいけない、という指示が出された時はどうなる事かと思ったわけですね。日本の厚生省の官僚だってばかじゃないから、そういうものが出るとすぐ資料を取り寄せて翻訳してみるわけだけれども、日本の厚生官僚の判断の間違ったのは、あれはアメリカが特殊な事をやっている、これは必ずつぶれるだろうと。
 ところが、それから10年経つと、アメリカの連邦政府の国立精神病院の中にちゃんと患者の権利宣言が掲げられている。そして、そこのスタッフメンバーになるのには、掃除婦の人も、看護婦さんも、ドクターも、患者の権利を守る講習を受けて、それをパスしないとそれになれないという時代、それはなぜかというと、患者の権利を認める事は、即、人間として正しい看護婦の権利を認められる事になる。つまり、他人の権利を侵しておいて、自分の権利だけ主張するのはおかしいわけです。問題は、そこが基本からはずれているんです。例えば、ひっくり返して言うけれども、患者が1人で話をさせるのは、これは間違っている、だから私は面倒をみてやって側についててあげる、どんな話をするか聞いて医療に役立ててやろうというような人権を侵す立場をとっている者は、自分の人権を認められない。それがアメリカの中で、完全に確立して、そうやる事が21世紀へ向けて、医療を科学してゆく基本に据えなければいけない、というのが現実の問題になっている。それが現実の問題になってきたもので、これは否定する事は出来ない。しょうがないから、バイオエシックスを考えようというのが今の日本です。
 で、そこには長い人間の権利に対する戦いがあって、もちろん人間がする事ですから試行錯誤があり、間違いがあります。その間違いを乗り越えて、今日の新しいバイオエシックスの中で患者の権利というのが成り立っているんですね。ついでに紹介しておけば、患者の擁護というハンドブック、これは内容がちゃちですけど、Patient's Advocate というハンドブックですけども、空港なんかで売っているわけです。日本でいえば、国鉄の kiosk みたいなところで、患者の権利を擁護するのには、どういうような事をやらなければいけないかという事を売っている時代。
 どうぞ。


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