第1. 2回バイオエシックス研修会講演録 (1)


21世紀の医療を展望する
- ダーウィンから、バイオエシックスまで - (1)
1983年12月15日 13:00〜17:00 AM
於:愛知厚生年金会館
講師:岡村 昭彦/木村 利人

司会; お忙しいところ、多数いらっしゃいまして、有り難うございます。
 先生をご紹介したいと思います。まず、木村利人先生ですが、アメリカのジョージタウン大学の教授でいらっしゃいます。それから、岡村昭彦さんは、国際報道写真家で、フリーランスのジャーナリストでいらっしゃいます。よろしくお願いいたします。

岡村; まず岡村、私から、話させていただきます。バイオエシックスといっても、木村利人のバイオエシックスを紹介します。バイオエシックスは、既にアメリカでは10年以上経過しました。バイオエシックスというのが、何故、日本に伝わらないのかという事で、私たちが1980年から2人で大きなトランクを2個かつぎ、そのトランクの中には、アメリカで既に発行された資料を持って、北海道から九州までレクチャーしたものです。
 話は変わりますが、日本というのは、なかなか面白い国でして、日立や三菱や、そして、松下電機も外国のアイデアをぬすんでくるのが大変うまいのでして、アメリカでぬすんだものが、それぞれ裁判になり、それから新聞紙上をにぎわすようなスキャンダルとなって、賠償金を払ったわけです。しかし、医療の世界では、盗用したものにはペナルティがないようで、私たち2人がしゃべりましたものを、そのまま、お使いになって、おまけに数字が間違っています。この本は、メヂカルフレンドから最新医療秘書講座の1冊として出版され、医療者を読者としたものです。ジョージタウン大学には、ケネディ研究所があって、この中に世界一のバイオエシックス・センターがあるのですが、マサチューセッツ工科大学ケネディ・スチューデント・インスティテュートというような、今まで聞いた事のないような名前に代わっております。このように明らかに偽物のバイオエシックスが、日本医師会の名で世に出るようになったので、私と木村と話をしまして、バイオエシックスのただ1人の日本の研究者であり、パイオニアである、そして、世界のトップクラスで仕事をしている木村君のバイオエシックスを、はっきり木村利人のバイオエシックスの patent を確立しようと決意しました。例えば、憲法では宮沢先生の憲法と呼ぶように、木村利人のバイオエシックスと呼ぼうではないかというふうに決めたわけです。
 私は、名古屋で看護婦にバイオエシックスの勉強会をいたしておりまして、日本にバイオエシックスを創り出していくのは、看護婦である。また、看護婦でなければならないという事を言ってきたわけです。そういう意味では、大変に幸運だった事は、日本のお医者さん方が、質の低いバイオエシックスを武見太郎さんの前文付きで出して下さった事です。これは、看護婦が中心に日本のバイオエシックスを創り出していく上で、非常に有利な出発点を持ってたというふうに考えています。後で実物をお回しします。ご覧いただきます、この本は、一般に市販されておりませんが、メヂカルフレンド社へ直接ご注文なさると、手に入るという仕組みです。このようなちょっと理解に苦しむようなバイオエシックスの展開が、日本のお医者さんの中では始まっているわけです。
 木村利人は、昨日、アメリカから着きまして、明日はマニラに発つわけですが、特に時間をとってもらい、この名古屋のバイオエシックス学習会だけのために日本に寄ってもらいました。そして、特に今年の夏、カナダで行われました第14回国際哲学学会で、木村が発表したバイオエシックスが非常に高い評価を受けましたので、その内容を紹介してもらいながら、皆さんにお考えいただく素材にしたいと思います。
 私たちが、いつも考えなければならない事は、我々は今、どんな時代に生きているか。だから、このような会合をもたなければならないんだという事です。そういう意味で、我々が今、どんな時代に生きているのかという事を、今一度、皆さまの前に展開して、その上で、バイオエシックスについて木村に話してもらおうと思います。
 ここに2冊の英語の雑誌があります。これがタイムで、こっちがニューズ・ウィークですけれども、同じ1983年11月の月末の週にアメリカで発売された雑誌です。
 これは、ご承知のように「1984年」、ジョージ・オーウェルの「1984年」という本がありますけれども、それに予言された1984年がやってくる事を告げています。
 今一つは、ジョン・F・ケネディ大統領が殺されてから、ちょうど20年になりますけれども、ジョン・F・ケネディは、アメリカ人にとって、どんな意味を持っていたのか。2冊の週刊誌に注目したいと思います。この時、私はちょうどワシントンにおりまして、木村君の家に泊まっていたんですが、その時に「デイ・アフター」という核戦争を予測したアメリカのABCテレビが作った番組、アメリカ人の70パーセントが見たというテレビを木村の家で家族と見ました。
 それから、ロンドンへ飛び、アイルランドを回って、私は12月の3日に日本へ帰ってきました。朝10時半に成田へ着いたのですが、すぐ朝刊を買って見ますと、新聞は選挙の記事で埋まっていましたけれども、ヨーロッパに配備されたアメリカ中距離核弾道弾の核ミサイルのため、核軍縮交渉が決裂した問題などは全く入っていなかったんです。つまり、目の前の選挙の事しかないわけです。
 来年 (1984年) の6月には、日本の近海に巡行ミサイルが配備され、これで、日本も核戦争の輪の中に入っていくわけです。来年6月に、トマホークが配置される事は既に決定しているわけですけれども、そして、そのために私たちは、本当に生きて21世紀を迎える事が出来るのか出来ないのかという瀬戸際に来ているにもかかわらず、そういう緊迫さが全くないという不思議な国です。
 私は、この異常さを、まず先に皆さん方にお話しておかなければならないと思います。1960年に、ジョン・F・ケネディが大統領になった時、核兵器を使えば人類は滅びてしまうのだから、止めなければならない。しかし、核戦争を止めても、後に残る戦争は、どのような戦争なのか研究されました。それは、限られた地域でのゲリラ戦争です。このような結論から、ケネディは緑のベレー帽をかぶったグリーン・ベレーを創設して、対ゲリラ戦の訓練を始め、そして、ベトナム戦争を作り出していったのです。
 そのベトナム戦争を潜り抜けていく中で、大きな問題が次々と出てまいりました。例えば、枯葉作戦でやったように、直接、遺伝子を攻撃するという、そういう戦争が始まったのです。それから、科学者が戦争に参加していって、そのために人類が滅びるような時代が来るかもしれないという事が分かった時、人間の生命を根本から考え直す事が必要になってきました。
 私は自分の体験として皆さんにお話しますと、1963年の10月に、ゴー・デイン・ディエムという大統領がサイゴンで殺されるわけですが、その1週間前に、サイゴンの街頭に LIFE が特集した DNA の2重らせんの表紙の雑誌が並びました。それから2年後に、control of life (生命の操作) という特集号を、LIFE が4回にわたって発表いたしまして、臓器移植の問題、死の判定の問題、それから、クローニングの問題など、様々な問題を提起したのが、1965年ですし、その65年になりますと、5歳から6歳の子どもがコンピューターの前に座って、パーソナル・コンピューターをたたいている写真が LIFE にのります。
 世界の人々は、1960年前半をそのように認識しました。そして、医療の問題を、特に1967年、68年と LIFE は追及し、薬漬けの問題、それから、terminal ill の患者のケア、癌の告知など、実際に看護に関する事を報道しました。さらに、医療の矛盾が看護婦にしわ寄せされていく事、そのような問題を掘り下げて、早くからアメリカの国民、そして、英語をしゃべる国民には、新しい科学の時代が抱えている矛盾を解決しなければいけないという事を警告してきたのです。
 特に、1960年には、ワトソンとクリックが、DNA の二重らせんの構造を明らかにした功績により、ノーベル賞が授与されたわけですが、その年の日本の新聞をお読みになると、なんと、その DNA の二重らせんによって、ノーベル賞を受賞した事の報道はないのです。つまり、日本のマスコミには、その時に、DNA の二重らせんの構造が明らかになった事が、どんな意味を人類の未来にもたらすかという事については深い認識が欠けておりました。今だと沢山の会社が、遺伝子操作を取り入れる事によって、人類の未来への発展の鍵を扱っているわけですが、1962年には無知でした。
 しかし、キリスト教文化圏にとっては、大変な問題でして、そのために生物学のカリキュラムが変わってくるわけですが、そういう布石が全く欠落したまま、日本は進んできました。そのために、総合して未来を判断するという点が欠けているわけです。
 遺伝子操作が可能になった新しい時代には、1人の人に権力を渡す事なく、民衆が決定に参加し、そのために学問と学問の壁を打ち破ってゆく必要が生まれました。それには、深い一般教養が必要です。そして、多様な民衆の考え方が、未来に反映していくという事が望まれる時代になってきました。このような時代の背景の下に、バイオエシックスという新しい学問体系が1968年から始まったのです。
 1968年といいますと、ビートルズが解散した年です。そして、シンセサイザーを使った新しい宇宙空間への進出を予想するような音楽が作られました。1976年には、Jesus Christ Superstar というような造物主 (イエス・キリスト) を、ロックン・ロールで歌うというような新しいタイプのものが誕生してきましたし、患者の権利宣言も生まれてきました。
 皆さん方が受けられた日本の教育では、これらは皆ばらばらな現象なわけです。しかし、そういうものを全部総合して考え、判断を迫られる時代がやってきているんです。それをやっていくのが、新しい学問としてのバイオエシックスです。しかし、ヨーロッパは、既に18世紀に、フランス百科全書運動という大きな歴史の転換期の体験をもっております。そういう意味においては、私は、ジャーナリストとして申し上げたいのは、もし比較する事が出来るとすれば、バイオエシックスというのは、フランス百科全書運動のような非常に大きなスケールで、人類の転換を迫る学問であろうと思います。
 ですから、誰かの言っている事をちょっと盗んで武見さんが序文を付けて出すというような、そういう日本的バイオエシックスなんていう事では出来得るものではないわけです。そのために木村利人に今日来てもらいました。そして、これからも何回も何回も、色んな角度から世界のバイオエシックスというのは、どういう方向へ行っているのか、どういう事を主体的にして考えていかなければならないのか、そういう点について皆さまとお話する機会を持ちたいと思います。
 11月に私がアメリカへ飛び立ちます時に、私が新幹線の中で、隣の人が読んでいる本、それも40代の女の人でしょうか、その方が見ている本を覗いて見ていましたら、「アンアン」という雑誌で、「1万円あったらの特集号」で、ごちゃごちゃ沢山買い狂ってみたいという事が書いてありました。私も本を買って、中を見てみたのですけれども、1万円で買えるものは、実にお粗末な物ですね。その中には本がありません。1万円でどんな本を買うかという生活はないんです。料理屋へ行って1万円食べてみたとかが取り上げてあります。
 日本資本主義は、いよいよ苦しくなったんで、せいぜい給料が10万か13万くらいの女性から、1万円ずつを抜き取ろうとするために、こういう特集を始めたのだなと興味を持ちました。それなら我々は、バイオエシックスでみんなが2万円払ったら、どんな事が出来るかという会合を持ったらいいだろうなと思ったのです。主催者の方から私宛で電話がかかってきました。「私らの集まりは、アンアンが1万円というのなら、我々も1万円でやろうじゃないか」と言ったら、「1万円というと来る人がいなくなりますよ。6千円でも高いという人があります」と、こういう答えです。これは、日本の運動で、いつでもとまどっている事で、今度は800円にしようとか、いや600円がいいとか、ただでいいとか、最後にはそうなってくるわけです。
 しかし、そうではなくて、我々が目標を持って、きちんと今日の会合を進めていこうと思います。そして、幾つか本を会場のすみに置いてもらいましたけれども、バイオエシックスを学んでいくために、何か努力目標がなければいけません。私も、今、諏訪の日赤の看護婦さんを教えているわけですけれども、看護婦さんとお付き合いするようになって分かった事は、彼女らは努力目標を高く置いてないのですね。やはり人生は、チャレンジするのだという考え方で、我々は、これを叩きのめしてやろうとか、これを乗り越えてやろうという目標を持っている。そこで、バイオエシックスの学習会をするのに、木村さんが法律の専門家ですが、岩波から出ている『医療と法と倫理』から1つの目標にしました。これは、私は諏訪の日赤の22人の生徒には全部持たせました。勿論、すぐ読んで分かるわけではないんですが、本棚の中に努力目標とする本を持たないような勉強の仕方をしてはいけないです。
 それから、我々が今、どんな時代に生きているのかというのに、皆さま方が直接問題にせねばならないのに、ダーウィニズムが既に終わったという考え方が、ヨーロッパやアメリカの中では定着しています。そして、そのダーウィニズムの後に出てくる進化論、それは、バイオロジカル・レボリューションであろうというふうに考えられています。木村利人の非常に仲の良い友達であるリフキンという『エントロピーの法則』という本を書いている人がいます。『遺伝子工学の時代』や、その他、岩波現代選書で、『誰が神に代わりうるのか』という磯野さんの訳で出ておりますけれども、そのリフキンなんかの著書も看護婦の大切な目標です。
 それから、皆さんも既にお読みになった方があるかも知れませんけれども、意外な題名がついているために、ちょっと手に取りにくい本ですけれども、『安楽死』という松田道雄さんが書かれた岩波ブックレストの1冊です。こういう本が、これは内容は「日本の医療とは」というような題をつけ、チャレンジするのが正しいのかと思いますけれども、こういうものがどんどん医療関係者以外の一般の人に読まれているという事です。もうそういう時代なのです。だから、医者と看護婦が、わあわあで患者を喰いものにしている時代は、もはや終わったのだろうという気がします。
 これは、そういう言い方をすると、いや私はそんな事をしていないとおっしゃるかも知れませんけれども、どうも看護婦の場合も、建て前と本音とが、だいぶ違うところがある。どこの病院へ行っても、例えば、患者からお菓子とかそういう物をもらわないと書いてあるね。もらわない事になっているけれども、実際には「そんな事はおやめになって下さい、頂かない事になっています」と言いながら、「それじゃあ頂きます」と、こういうふうになります。しかし、私たちは、優れた理念を掲げ、その理念に向かって進んでいかなければならないと思いますね。
 今まで、普通、木村利人のような専門家が来ると、木村利人だけしゃべって、あと質問を皆さんから伺って、それで分かっても分からなくても拍手して終わっちゃうというような会合をしているようです。しかし、私たちが1980年から日本中にバイオエシックスのレクチャーの仕方としてやりましたのは、2人で話しまして、時にはつかみ合いにならんばかりの意見の食い違いが出まして、そういう事が実際、バイオエシックスのレクチャーではやるわけですが、法律家と医者と、ジャーナリストとか、心理学者とか、そういう人がみんなで話し合うような形をとっておりますが。日本では、2人でやるというのは少ないわけですが、今日も、2人で話をして、私が途中からコメントをしますし、木村が私に対してコメントをするという形をとります。
 それから、日本の方が慣れてないから、そういうふうにするのであって、その話している最中に手を挙げて介入して下さる事は、全く構いません。失礼でも何でもありませんから。ただ、そういうのに慣れていないだろうから、一応、3時から質問の時間をもうける。それから、明日の朝、木村がマニラに発たなければならないので、今日、東京で6時から、マニラへ参加する学者たちの打ち合わせ会があるので、4時には木村は、ここを出なければならないのです。それまでの間に、皆さんが熱のある討論を含めて、この会合を持っていただき、あと木村が帰りました後、5時まで私が皆さんとお話し合いをいたします。そういう進め方でよろしゅうございましょうか。意見があったら、何でも構わないですから、言いたい事を言って下さい。言いたい事を言わないと体に悪いですから、どうぞお聞かせ下さい。
 実は、アメリカなんかでは、こういう会合は全部テープを、お断りする事になっています。一応、記録として、この会の主催者が、この内容を記録して、私たちが見た上で出す事になっております。その関係で、個人のテープは、大変申し訳ないんですけれども、やめて頂きたいと思います。と言うのは、その方が、と言うのでないんですが、とんでもないところに私たちのテープが出回っておりあんして、その一部分だけを批判の対象にされた事があるのです。
 バイオエシックスは新しい学問なものですから、ある方にとっては、脅威な面が随分あるわけですね。そして、古いポストを守るために、色々な事をおっしゃる方があります。私たちは、その個人の1人1人を批判するのではなく、古い考え方の中からも参加していただき、新しいものを創っていきたいと思っております。けして記録を発表しないというのではなくて、より完全な形で皆さんの批判の対象にしたいと思いますので、ご協力願いたいと思います。

木村; この前も、私は、名古屋の岡村ゼミにお招きを受けまして、お話をしたんですが、私の話を聞いた方は、どれぐらいおられるでしょうか、ちょっと手を挙げていただけますか?・・・はい、有り難うございます。話す場合に、やっぱりどういう方がいらっしゃるかという事が、こういうふうに名簿が出て大変有り難いんですけれども、看護婦さんでも、お医者さんでもないけれども、今日特に関心を持って来られた方ございますか?・・・はい。学校の先生でいらっしゃいますか。特別に医療に関心をお持ちですか?

A; はい。

木村; そう言う理由は、どういうところから来ているんでしょうか?

A; ご案内を見てまいったのですけれども、歯医者なんです。それで、どっちかと言いますと、教育関係の事とか、医療のこれからの在り方とか、方向というのを、これを全部含めたものがどんどん必要になりそうだという事で、それが段々増えていますので、そういう事でご案内いただきまして参りました。

木村; ああ、そうですか。どうもわざわざお越しいただきまして有り難うございました。
 看護婦さんの方は、ちょっと手を挙げてもらえますか?・・・90パーセントぐらい。それから、女性の方でお医者さんという方もいらっしゃるだろうし、お医者さんの方、手を挙げていただけますか?・・・お医者さんの方もいらっしゃる。大体分かりました。
 私が今いるジョージタウン大学のケネディ研究所バイオエシックス研究センターでは、私どものジョージタウン大学の看護学部と提携して、シンポジュウムを開いたりするんですけれども、去年、バイオエシックスについて色々な話題になった事の1つは、未来をどういうふうに展望するかという事なのです。なかなか時代が、先ほど岡村さんのお話の中にもありましたように、私たちの時代がどういう時代であるかという事が見えにくい時代になってきているわけです。色んな意見が、色んな形で出てくるわけです。その一方で、世界の1つの歴史の流れを見極めて、我々が未来はこういうふうになるというのではなくて、こういう未来を創っていくという、そういう事がますます必要になってきます。私はいつも帰ってくるたびに、実際に岡村さん、ならびに、熱心な皆さん方が、こうやって現場の中からの問題を積み重ねていらっしゃるところにお伺い出来る。そして、色々な形で、私も勉強させて頂けるので大変嬉しいわけです。
 ただ、私が言いたいのは、アメリカのバイオエシックスの現状を話すというだけなのではないという事です。これは岡村さんがはっきり言って下さったので、大変有り難い事なのですが、私自身の研究の焦点が法律、特に、人権の問題に焦点をあわせて始めたもんです。そういう事から、私自身がタイのチュラロンコン大学というバンコックにある大学ですけれども、そこで4年間、法律、特に、東南アジアの家族法を教えておりました。親子関係とか、婚姻とか離婚について、日本と色々な違う問題がいっぱいあるわけですが、私は専門が比較法律学だったわけです。
 今でもそうですが、その東南アジアでの4年の経験、それからまた、東南アジアといってもバンコックですけれども、それから、サイゴンに行きまして2年、東南アジアに行く前には、ネパール、インドネシア、色んな地域に行きました。それに続いてジュネーブに3年まいりまして、特にWHO、これは世界保健機構、それから、国際医科学協議会、そういう団体とコンタクトしながら、国際シンポジュウムを人権と医療の問題をテーマに開いたり、それから、ハーバード大学に行きまして、ハーバードで2年研究をしまして、それからジョージタウン大学へ移りました。そういう1つの流れの中で考えているもんですから、今日の色んな話の展開が、アメリカの事だけを話したり、誰かの本なり文献なりに基づいたものではないという事を先ほども確認して頂いたわけで、それをまず踏まえて頂かないといけないわけです。
 バイオエシックスというのは、アメリカを中心に展開されてきましたけれども、その中には、アメリカあるいはヨーロッパでの思想、あるいは、世界の色々な国々の文化や歴史や宗教や哲学の問題など、色々な考え方が流れ込んでいる。具体的に言えば、例えば、holistic medicine という考え方をご存知かと思いますが、メディシン、医療なり、あるいは医学なりというものが、非常に部分部分に分解をしていて、細かく細かくなってしまって、なるたけ隣の学問分野の事には口を出さない。あるいはまた、患者さんを他の専門家に送って、自分は他の分野に口を出さないというようなシステム、これは世界的に、医者が専門化した科学者になればなるほど、そういうふうになってしまうのです。つまり、アートとしてのメディシンが、テクニックとしてのメディシンとなって、そして医者のイメージというものが、サイエンティストになってしまったのです。技術者、あるいは科学者に、色んな問題が出てきて、非人間化現象が出てきますが、そういう時に、もう一度、この医療の伝統というのは考え直そうかというような事が、勿論、世界的なスケールで、ヨーロッパやアメリカの中からも、そういう色んな文献、研究も盛んに為されました。
 しかし、非西欧世界の中では、それをどういうふうに考えていくか、という問題になるのです。例えば、インドの哲学が、あるいは、日本の中で展開された漢方医療、あるいは、人間の見方、そのような非西欧思想の影響がすごくあって、バイオエシックスも、そういう1つの大きい流れを創り出しているわけです。ですから、そういう意味で、私の言う、元来1980年代以降に問いかけているバイオエシックスは、アメリカのバイオエシックスというふうに把握して頂きたくないと思うわけです。
 そこで、バイオエシックスの現状はどういうふうになっているかという事を、私なりにまとめたものが、『病院』という、これは医学書院から出している雑誌に去年1年間 連載 しまして、そこで、医療に焦点をあわせて、バイオエシックスの問題を考えまして、それから今年の1月から、ここに『看護学雑誌』というのがございます。これはきっと皆さん方、お読みになっている方もいらっしゃるかと思いますが、バイオエシックスのセミナーですね、私が担当しまして、この中に今年1年間書いていく事になっておりますので、その中でバイオエシックスというものの基本の考え方を展開していきたいと思ってます。ですから、その中でバイオエシックスというものの基本を押さえた上で、具体的問題の展開を取り上げていく。そうしないと日本というのは、先ほどからの話がありましたように、如何にどうなるかという具体的個々の事例に取り組む問題の解答を先にどうしても欲しいという事になってしまうのです。
 今年の1月に、日本医学研究振興財団というところから招かれまして、バイオエシックスについての世界の現状と動向という事で、基調講演をしたのです。その時も、ご質問の方々の内容は、「木村さんのおっしゃる事は原則的に大変よく分かるのですが、それでは体外受精の場合にはどうなりますか」という具体的な質問、つまり、各論になるんです。その場合に、ご質問をなさっている方々の頭の中には、もう原則論はどうでもいいわけです。実際に、今自分が取り組んでいる部門で、バイオエシックスの原則をちょこっと応用出来ないだろうかという非常に緊迫したニードがあって、そういうご質問になるわけです。このバイオエシックスを、今の段階でどういうふうに考えたらいいかという事を、来年の2月20日前後に発売になる講談社の『生命科学の発展と医学』という本の中に書いておきましたので、ご参照頂ければと思います (医学研究振興財団編:『生命科学は医療を変えるか』, 講談社, 1984年刊)。それは一応前置きとして。
 先ほど、私どものケネディ研究所が、看護学部とか、それから医学部との色んな交流を持っているとお話いたしましたが、おそらく日本でも、そういうシンポジュウムがやられていると思うんです。先ほども会が始まる前に、この主催者の方ともお話したんですけれども、例えば、土曜、日曜などにゆっくりと時間をとって、私は、この次は岡村さんとも相談して、私だけが話すんじゃなく、皆さん方からも色んな意見をお伺いして、お互いに話を展開させるという会を是非もちたいというふうに思っています。
 そのような時に、例えば、ジョージタウン大学でどういう事をやるかというと、看護婦さんたちが自分の今現場で持っている問題をシンポジュウムの始めに、ドラマで問題提起したりするんです。例えば、そのドラマと言いましても、衣装をつけてセリフをしゃべる普通のお芝居というんではなくて、非常にシンボリカルな、例えば、癌で死にそうな子どもに扮した看護婦さんが、「先生はどうして私の側から離れてってしまうの? 私の側にいつもいてくれるのは看護婦さんだけじゃないの。お父さんやお母さんは忙しいと言って、いつも来てくれない」と言います。それは、お父さん、お母さんは、アメリカの事ですから、家庭の事情で別居したりと色々な事があるわけですね。そのような小さな子どもの悩みとか、あるいは、お医者さんが看護婦さんと対話したり、自分たちが工夫したライトを当てながら、ある時には黄色の光を当てながら、ある時には赤い光を当てながら、うしろで音楽を流してシンポジュウムの導入部分をみんなでドラマをやりながら考えたりしています。
 だから、こうやって座って、お話を聞いているんではないのです。おそらく、そういう事を日本でもやっているところがあると思うんです。例えば、若月先生の病院 (信州の佐久総合病院) なんかでは、病院祭というのがあって、地元の方々を入れて色んなお祭りをやって、お餅ついたりしているという話ですけれども、おそらく日本でも大学祭とか、そういうところで劇か何かそういう事をやるのかも知れませんが、どこかやっているところがありますか? 看護学部、大学祭、看護婦さんの方々を主演にしたドラマをやっているところ、ございますか? 看護学校みたいなところでは、何かないですか?
 これから人間の問題を考えていく時に、これも今までの人間の在り方を含めた人間の行動様式、つまり、私たちが文章や言葉でもってしかコミュニケーションが出来ないと思ってきたわけですね、西欧的な発想の枠の中で。しかし、それを目によるコミュニケーションとか、あるいは、体によるコミュニケーション。あるいは、色によるコミュニケーションとか、色んなコミュニケーションの仕方があるわけですね。そういうようなものを取り入れたバイオエシックスを展開していこうと私は考えています。ですから、バイオエシックスというのは、私の考えるところでは、今までの学問の枠を大きく打ち破るものとして21世紀に向かって形成されつつあります。


次頁に続く


「バイオエシックス講義録 (1) 目次に戻る。