第1. 2回バイオエシックス研修会講演録 (1)


21世紀の医療を展望する
- ダーウィンから、バイオエシックスまで - (2)
1983年12月15日 13:00〜17:00 AM
於:愛知厚生年金会館
講師:岡村 昭彦/木村 利人

岡村; 木村さんが言っている事をちょっと補足しますと、日本の看護婦の最も欠けている点は、虚構と現実の違いが分からない事です。虚構を通して現実に迫り、更により真実に迫るという方法を知らないのです。だから、クソリアリズムになるわけです。これについては木村さんが4時に帰った後に、私が諏訪日赤でどういうカリキュラムを組んでいるかという点をお話しますけれども、例えば、能の観世栄夫とか、それから舞台装置の朝倉摂とか、そういう連中に来てもらって、虚構というものをくぐり抜けて、現実をどう迫る事が出来るのかという問題で、レクチャーを4回やります。この間は、私の弟が芝居の演出をやっているものですから、彼が、虚構と現実という中で、演劇史とそれから身体的構造姿勢、そして、発声というような事。その次に観世栄夫か朝倉摂が、その後に、作家の高橋治に来てもらおうと思っております。しかし、看護婦はどうも虚構がよく分からない。そのために、クソリアリズムになってしまい、患者とのコミュニケーションの場合にも、お涙ちょうだい式な声を出すのではないかと私は考えていますが。
 人間が創り出してきた色んな可能性、例えば、日本の伝統芸能の中で作り出してきたもの、歌舞伎や能。何しろ歌舞伎の助六も知らない医者がいたりするものですから大変です。それは、看護婦でも同じなんですが、日本人が創りあげて来た伝統芸能を全く知らないというのでは困るのです。

木村; また、そういう意味では、アメリカは、やっぱり大きい実験をやっている国ですね。ただ、このバイオエシックスの考え方の枠組みというのが、非西欧文化圏を含めた大きい試みとして行われているという事が非常に重要な事です。
 そこで、こういうふうに私の話をしているところで岡村さんが介入し、そして、こうやっているところへ、また「ちょっと、それそこのところ分かりませんけれども」と質問のやり取りが会場の方からあるという形で、バイオエシックスというのは実際に行われているわけです。例えば、法律家、宗教家、それから、医者、看護婦などが、一つの教室の中にいつも講師として出席をして講義をしたり、ゼミをしたりしているわけです。テレビなんかでも、死の問題を取り扱う時には、日本でしたら死の問題についての権威と言えば、大脳生理学者、臨床の癌のご専門の先生、それからまた、実際にそういうところで看護をしている婦長さん、その3人ぐらいなんです。おそらく、人間の死を考えるTV教育番組だと、こうなってくるでしょうけれども、アメリカですと必ず入ってくるのが宗教家です。宗教家がなければ、メディカル・プロフェッションというのは成り立たないぐらいに、必ず病院にはチャプレンがいる事が通例です。よほど変わっている病院は、いない所もありますけれども・・・。
 つまり、人間の生活の現実の中で、そういう宗教的要素が極めて重要な役割を果たしているのです。しかし、どうも日本という国は、経済成長の前あたり、つまり、日本の敗戦のところから、何か人間が現実を越えた一つの生活の基盤といいますか、そういうものを欠いたところに、どこかに日本に他の国と違う、ネガティブな、ある意味ではポジティブな見方かもしれませんけれども、大きく人類の歴史を見る事が出来なくなってしまったのではないかと思うのです。
 お医者さん、それから看護婦さん、それから学者、それから宗教家、それにもう一つ加わるのは、例えば病院とか、ホスピスをマネージしているマネージメントの方、つまり事務関係の人、そういうマネージのエキスパートが入って、ホスピスがどうあるべきか、死の宣告はどうあるべきか、あるいは、死というものは、どういうふうにコミュニケートするかという事を病院の立場で話すんですね。そういうリアリティが、色んな形で現在進行しているという情報は、やはりおさえていく必要があると思うんです。
 私たちは未来に向かって生きているのですが、その未来というのは、もう私たちの中に入り込んでいるのです。例えば、コンピューターなんていうのは、未来にものすごく展開するわけですし、コンピューターにしてもオリジナル・パターンを越えて、バイオ・コンピューターというものが出来る可能性があるわけです。実際に今、使い始めていますね。
 それから、未来が入り込んでいる一つの例は、遺伝子治療です。遺伝的欠陥を持った胎内にいる子どもさんの遺伝子を、胎内で治療していこうというような研究が今、アメリカで進んでおります、実験も行われています。それから、もちろん体外受精とか、そういう体外受精になるとほとんど女性を必要としないで遺伝子の選択、人工授精と人工子宮などにより子どもを生む手続きは、男性の手によってだけ完了する。つまり、それが大体2009年から15年ぐらいまでには、ほとんど完了するだろうと言われているぐらいなのです。
 そういう未来が私たちの中に入り込んで、2000年と言ったって、たかだかもう後20年ないわけです。ですから、そういうふうに私たちが、そういう未来を待っているのではなくて、どういう未来を作っていくかという方向付けをはっきりさせていかなければならない。次に、未来の医療の構造の特色をいくつか述べてみましょう。
 私どもの同僚や、看護婦さんたちと話していると、未来の医療の構造というのは、どうなっていくかという事を考えさせられます。まず第一に、今、私たちが持っている技術、既に手にしている技術ですね。もうそれを皆さん方、現実に病院の中、あるいは、大学の研究室の中で感じていると思うのです。そういうものが、西暦2000年になっていくと、かって手にしており、現在私たちが手にしているものが、実用化されて全く日常的に使われる時代が来た事が分かるでしょう。つまり、未来の医療を考えていった場合に、私たちが手に持っているものですね。やさしい英語を使ってみますと、「have」私たちが手に持っているものが日常的に「use」されている時代、日常的に用いられている時代になるでしょう。
 それから、第2に、色んな意味の医療の中の規格化、標準化というものが行われてくるんですね。日本でいいますと、例えば、官公庁が色んな意味のスタンダード化をしていく時代となるでしょう。スタンダード化とは、どういう事かというと、ある意味では、統一化された利用価値、官僚化というだけではなくて、統一化されたアドミニストレーション、そういうものになっていく可能性がますます大きくなります。何でもかんでも記号化され、機械的にコンピューターにデータとして入れちゃうわけです。従って、どうなってくるかというと、非常に危ないのは、現状のままに進んでいくと、ますます非人間化が起こる。こういう規格から外れた人は、コンピューターに入らない人間は生きていけないみたいな感じになってくるわけですね。
 この規格化という事が、先ほど岡村さんが一番終わりに言われた、ジョージ・オーウェルの『1984年』、つまり、1984というのは今年の事です。このジョージ・オーウェルの小説をお読みになりたかったら、日本でも訳本が出ております。この人は1948年に書いたんです。この1984年という小説は、ソビエトの全体主義を背景にして書いたんです。起こった歴史的出来事も政府の一つの方針によって無かった事にしちゃうと、つまり、起こった出来事であっても無かった事にしちゃうというので、そういう特別の任務を持った省のことを、真理省と名付けています。自分に都合の良い真理を中心に行政を行う省、真理省です。だから、日本でもそうでしょう。起こった事でも報道されなければ無かった事になっちゃうというのは、最近の誘拐事件がそうですね。起こっているけれども、報道されないから、我々が知らないのだから「無かった」事になるのです。
 これは、ジョージ・オーウェルなんかは、テレビがまだ普及する前の小説ですけれども、テレスクリーンという名前にして、それが自分の家に置かれているのです。その置かれているテレビは、情報を送ってきますが、実際は監視しているわけですね。つまり、双方コミュニケーションテレビが出来るだろうと。そして、1984年には、全員に番号が付いて、全員が本当の事を言っているのか、嘘を言っているのか、そして、ある人が消されると、その消された事によって、その人の存在も無くなっちゃう。つまり、殺されてしまえば、生きていたという事実も消えているわけです。これは、ある意味で不気味な予言なんですが、スタンダードライゼーションといいますか、統一された規格化された社会で、いつも起こってくる非人間化の意識、これは注意しないと、慣れちゃうと、いそいそと進んで非人間化されたくなるような人間まで出てきてしまうのです、分からないうちにね。
 3番目には、未来の医療の構造ではっきりしている事は、経済的な財源の不足です。医療のみならず社会全体にお金がかかるのです。財源そのものに完全なエコノミック・プレッシャーがあり、且つ、お金が必要になってきますから、これを未来の医療費などはどのように展開するのか。特に、老人医療。つまり、若年層が老人を支えていかなくてはいけないソサエティが、人類の歴史始まって以来出てくるわけです。このリソースの問題がある。
 4番目に、医療の拡大をどこでストップするのかという問題が出てきます。医療の財源を拡大していく、色んな技術が使われる。心臓の移植や、色んな形で行われていく、止まるところがなくなっちゃうんですね。例えば、体外受精にしても、子どもがない人が、子どもを持てるようになれば、それはいいではないかというと、無制限に体外受精をしないかという問題です。アメリカでは、はっきりとした形で色んな人たちの意見を公共のものとして出していくというパブリックなインプットがあるのです。それから、タイにいた時も、あるいは、ネパールにしても、環境の中に非常に強い宗教が生きていました。このような宗教的な環境の中で育った伝統を大切にしている人が、インプットとして言っているというようなシステムがある国と、日本のように良い事ならどんどんやろうという国とあります。しかし、その良い事というのは、何が良いのか基準がはっきりしない。それがそのまま評価せずに進んでいきますと、色んな大きい問題が出てくる。パブリック・ポリシーなんて言っておりますが、これをどういうふうにするかを、はっきりさせていかなければいけない時代なんです。21世紀というのは、そういう時代になってきたのですね。
 それから、医療について申し上げましたが、非常に専門化されたメディカル・スペシャリスト、特定の分野について非常に詳しい medical specialist と、それから、general physician とに、どうも医療というものが分かれてしまうと考えられます。今でもそういう傾向ははっきり出てきていて、患者さんとも全くタッチしない病院の中にいても、長い伝統の中での医者としてのカテゴリーには入らない、technical expert みたいな medical specialist が出てきている。そして、medical specialist と general physician とが分かれてきちゃう。その中で、ナースが果たす役割がどうなるかという事が、まだはっきり見えてないです。未来の看護婦さんの役割も、おそらく色んな意味で新しい展開がされていくだろうと考えられます。
 それから、この5番目の看護婦さんの役割ですが、おそらくはっきりしてないのですが、ちょっとだけ見え隠れしているのは、老人の問題とか、あるいは、子どもの問題とかに関連して、例えば、これは私が今アメリカにいますから、アメリカの例をとりますけれども、看護婦さんの中で、今はっきりとした一つの傾向が出てきているのが小児科の分野で、医師と同じ一つの判断なり、診断なりをする、pediatric practitioner という形になっています。お医者さんとチームを組むんですが、その中で看護婦さんが自由裁量の権限を大幅に持てるという州が、アメリカに出来つつあるわけです。まだ全体がそうなっているというわけではないけれども、一つの方向としては、看護婦さんが医師のオーダーに従っていくという原則が、おそらく崩れてくるだろうし、むしろ看護婦さんが現場で小児科、あるいは、老人、小児を対象にした場合、看護婦さんが自らイニシアティブを持って診察し、決定して、それの評価をほとんど患者さんには会う事のないお医者さんに色んな形で相談していく。つまり、看護婦さんの考えた一つの枠内で、お医者さんとの一つの協力関係、そういうような傾向が出てくると考えられます。つまり、看護婦さんの役割というのは重要さを増す方向に進むのではないかという事です。これは、そういうふうにしていかなくちゃいけない点もあるわけですね。
 それから6番目に、developing country (開発途上国) を考えないで、医療をその国だけで充足的に考える時代が過ぎつつあるという点を指摘しておきます。つまり、日本ではお医者さんが増えていあんすね。そして、ある一定の限度を越えると、病院の定員もだんだん減らしていこうというようになる。つまり、医者の需要は少ないのに、供給が過剰になってくる。そういうような現象を日本の中だけで解決するのではなく、むしろ世界、特に、開発途上国にレベルを合わせて考えてみると、メディカル・スペシャリストが、まだまだ足りないのです。アフリカ、ラテン・アメリカ、中国、東南アジア、そして、そういう国が、福祉医療である程度色んな成果を上げた段階で、次のステップをどのように作っていくのか。つまり、私たちの国というのは、西欧から色んな形のアイデアなり、実際のモデルなりをとって、そして発展させたわけですが、そういうモデルを日本の中で展開させていって、必ずしもうまくいかなかった点もあるわけです。しかし、はっきりしている事は、かつて先進国であった、色んな国の人たちが、例えば、アメリカのミッショナリーなどとして、あるいは使命感に燃え、当時の開発途上国であった日本に来て、そこで一生を捧げて死んでいった人がいっぱいいるわけです。そういうような方向が、日本の中に今後展開していく可能性があるのかどうか。
 看護学雑誌にずっと連載されておりましたネパールに行った方の話がありましたが、私も1961年に、神戸大学で今、国際医学交流センターの教授をしていらっしゃる岩村先生と一緒にネパールに初めて、アシスタントとして入ったんですけれども、シャンタバワン・ホスピタルというカトマンズの谷間にあったその病院、石作りの病院でしたけれども、岩村先生はそこからまた3日ばかり歩いて、タンセンというところの病院に行ったわけです。『山の上の病院』という本が、新教出版社から出ていますが、私が1960年に行った時には、そのネパールの首都にあったシャンタバワン病院の中に電気もないんです。それで、私たちの部屋はローソクしかなかった。岩村先生は、そこでネパール語を学ばれるわけですね。ともかくネパールの人たちと一緒に住み、同じ物を食べて医療をやって、おれはここで死ぬと決めて行かれたわけですね。
 ご存知の方もあると思いますが、岩村先生は、広島で被爆されておりまして、その症状がおもわしくなく、どうしてもネパールを去らなければならなくなってしまったわけです。そういう開発途上国に一つの何か使命感を持った生き方を、ごく自然に体得出来る人たちをこれから生み出すような教育をどうしてもしていかないと、日本という国がこれだけリッチになり、非常に色んな成果を上げているのに、全く外の事を考えない、これは外国人の目には、非常に利己的なイメージで写っているわけです。それは、軍備の増強によって世界の責任を担う、そういう問題以前の問題があるわけです。そこらへんの問題をやっぱり考えていく時代になってきています。
 そういう意味では、私は、色んな看護婦さんや、お医者さにゃ、我々の大学の同僚なんかと考えると、こういう6つの点が未来の医療として、どうしてもおさえていかなくちゃいけない問題が出てきているわけです。全体から考えてみると、このパブリック・ヘルスというもの、パブリック・ヘルス・ポリシーというものが、大きい転換期に来ています。この辺は日本にいますと、medical education (医学教育) でも、あまりそういう大きい視点から歴史を考え、あるいは、社会を考え、文化を考え、というような項目、あるいは、カリキュラムがなくて、この間も日本のある先生と話をしたのですが、看護婦さんは、技術面でのエキスパートとして、医師の下で命令に忠実に働いてくれればそれでいいと。あまりごちゃごちゃと基本的な事はどうこうというか、やってもらいたくないし、また、そういう暇もないはずだという人もいるんですね。
 私は、これは本当にアメリカに比べて、30年から40年ぐらいずれちゃって、アメリカでそんな事を言ったら大変な事になっちゃう。それはアメリカだけじゃなくて、むしろメディカル・プロフェッションというのは、世界各地に色んな広がりを持っている。タイにしてもベトナムにしても、日本程そういう意味で、女性のプロフェッショナルの人が生まれない、そしてまた、女性としての自覚、人間としての自覚、女性としての自覚、自信、あるいは、人間としての尊厳というのが尊重されない国は、めずらしいのではないかというぐらいに、世界の国からみると大きな「ずれ」があります。
 タイの女性たち、ベトナムの女性たちの本当の生き様は、迫力があります。岡村さんと私どもは、南ベトナムで一緒にアフリカを考えるセミナーをやって、植民地主義の根源を探って、照明弾の輝く外を見ながら学びました。ちょうど夜になりますと、戒厳令といって、全部車を遮断してしまうのですが、そのぎりぎりの時間まで岡村さんは私の家にいて、ほとんど毎日勉強した事がありました。また、そういう状況の中で、ベトナムの若い人たちは、本当に良く勉強していました。特に、若い女性たちの熱心さ、生活力のたくましさには、教えられました。

岡村; 僕が戦場から帰ってくると、彼のところへ行って、夜、勉強会をしました。はじめ何人もいたんだけれども、最後には二人になっちゃって、二人で毎晩、勉強会をやっていましたね。それの続きなんですよ、現在のバイオエシックスは・・・。

太田 (新生会第一病院院長); よろしいですか、割り込んで。今、未来はどうなるだろうというお話を聞いたわけですが、私はちょっと今どちらかというと、病院のマネージャー的な役割をしているわけですけれども、やはり医療技術の進歩と知識の大きさというのが、年々膨大なものになっています。岡村先生が能の一つも分からないような医者はだめだとおっしゃいましたけれども、はっきり言って、今の医学教育の中で、それだけやっている暇があるかという事については、本当に疑問を覚えざるを得ない。出てからそれじゃあそれだけ暇と時間を与えられたというと、それぞれ資質はあるでしょうけれども、それはよっぽど大きな変革をしないと、だめなんだろうという気がしますね。それよりも私は、最近考えるようになりましたけれども、やはり医師一人一人が全て教養豊かな人間になる事が出来るだろうか。これはむしろ、非常に難しいというふうに考えた方がいいんじゃないだろうか。
 結局、今は個人というものと、それから法人というもの、人格というものを、これからの医療というものは複数で患者に対して担う時代にしてしまっている問題だというような感じがします。結局、やっぱり何か診断治療をやる時に、スペシャリストというのは、かなり非情で、なお且つ、高度の技術というものがないと、もう納得出来ないわけです。少なくとも仲間からも全然納得してもらえないわけなのですね。
 私は、医療集団が医師でも納得出来るようなもの、すごい医療技術を持っているか、または、哲学的なもっとそういったバイオエシックスを志向しているかだと思います。しかし、全て医療技術はいるはずなんですね。そうでないと、高くなれっこないから。だから、その辺を、どううまくマネージャーとして組み合わせるかという事を真剣に考えています。その中で、看護婦さんの存在というのは、非常に大きくなっていくんではないかと。看護婦さんは、やっぱり医療技術といっても、各現場で医師ほどのはっきりした判断力を要求されていないところにある。その分だけ、もうちょっと患者さん全体をうまく把握出来る立場にあるんじゃないか、というふうに思います。ですから、これからますます看護婦さんの立場は重要で、医師というのは若干窮屈な集団になっていくのでしょうが、それでまた、看護婦さんがいいなというようなお医者さんは、技術では皆さん方に信頼されない。こういうような事が、ますます分流されてくるような気がします。
 それから、バイオエシックスがどういうふうに日本で展開するか、これは両先生方は、かなりぎりぎりのところを、いっぺんくぐり抜けて、また議論を展開されていると思います。日本では昔から一芸に秀出る者は、というのがございまして、日本の仕事というのは、一芸に打ち込むという事にかなり宗教的、なお且つ、人格形成的な意義を持ち、そういった人が多いという感じがします。だから、そういう人たちと付き合ってみると、なるほど60を過ぎて、すごいものが出てきた。若い頃は、それこそ随分、人を殺したと評判があったんだけれども、こうも変わるかというようなものが出てくる。だから、こういう人たちの意見というものが、意外に日本では年もとっているし、そういった年をとった人たちをうまくアレンジする、そういった人たちがやるバイオエシックスが少なくとも今の若手のジャーナリストが非常に浅はかな基礎技術も何もなく、浮ついた議論をやるよりは、いいものが出来るのではないかというような気がしています。

二木 (看護研究家); 今、太田先生が発言したんですけれども、全くドクター的男性流発言だと私は思います。と申しますのは、私は、やはり非常に質の悪い医者が多いと思うんです、人間的にも。
 そこで、ナースとして35年間、自分が医師との関わりの中で考えてみた事は、やっぱりナースがもっと自立して勉強しない限りは、こういう悪徳医者というのは放置するほかありません。現実に悪徳医者がいる、そういうような暴言を吐く事が許されているという事は、人間というのは弱い面と、強い面がありますから、悪徳医者が悪い強い面を出せるというのは、出さす事を許している人が周囲にいるという事なんです。その意味で、私は35年間の看護婦の生活の中で考えた事は、ナースが賢くなると同時に、賢くなる患者を育てていくという事、これはすごい大切な、これからのナースの試練だと思うんですよ。ナースがそうならなければ、私は嘘だと思うんですよ。
 医師は、本当に小さい時からの成育歴の中で、医師になったら偉くなるという、そういう傲慢なものの考えで医者になっていくのです。何千万円も払って、医者になるとすれば、民主的な日本の時代の中において変わってきたという事は、嘘ですわ。母ちゃんが、その自分の息子を医者にするために、本当に手を取り、足取りして、精神的なものを抜いてしまって、医者になるんです。この間、私がいた京都大学に講演に行って考えたのです。向こうの看護婦長は、ちょうど私の後輩だったんですけれども、現在の若い医者は人生をストレートに来ているから、患者とのコミュニケーションが出来ない。患者側の問題を持った時、障害のない人生をストレートに来ていて、医者になっているから、結局何か困るとイライラして、患者自身の中において共感を持って患者の悩みを吸収して、どうしたら患者自身が病気を受容して、自分自身は立ち上がる力があるか分からない。医療の主体は患者ですからね。医者でも看護婦でもないんですから。
 この時点の中においてしなければならない事を、京都大学出とか東大出の医者が出来ないんですよ。もし医者が、仕方がないんだというふうに、あぐらをかいたら、国民は、アメリカで治療を受けなきゃならなくなりますよ。私は、のんびりあなた方が勉強しているのでなく、もっと真剣に命がけでぎりぎりになって勉強して欲しいです。岡村先生や木村先生に、私お目にかかったのが初めてなんですけれども、本当にナースがよく勉強して、患者がですね、自分が今、何をされているか、それを拒否したり、納得して受け入れるようなところまで援助しなければなりません。医療に関する知識をナースが持ち、患者にきちんと真実を言い、患者の人権を患者が守り、少なくとも、自分の人権は自分が守る。そのトータルの中でしか日本の医療はありません。私、物じゃないと思います。

木村; どうも有り難うございました。バイオエシックスをめぐってのアメリカでの論議展開は、ともかく一言で言うと、ばっと反論が出て、それに応じてまた反論というふうに、そこでずっと続いていくんですね。そうすると、壇上、あるいは、同じ教室の中にいる先生たちは、それを最後までゆっくり聞いていて、自分の考えを述べます。
 しかし、自分の考えを押し付けることをしないんです。大事な事は、今、看護の哲学の中から、それよりもおそらく、日本の中での看護の一つの色んな展開があるんでしょうけれども、そういう展開の中からはっきりしている事は、大きな価値観の変化が起こっているという事なのです。元来、医療というものが、非常にヒポクラテス以来の権威主義の構造の中にあったんですね。これは、やむを得ない事情があったわけです。やはり、メディカル・スペシャリストですから、スペシャリストとして一つの技能がなければ、尊敬されないのが当り前です。しかし、だからと言って、そのスペシャリストの持っている価値観や、その考え方によって、この患者にはこうしたらいいという事が、医師の判断として、そのバリューにしたがって出てくるわけですね。
 しかし、そのバリューにしたがって出てくるそういうものが、果して、患者中心のバリューであるかどうかという事については、これは大きい問題があって、患者を中心に考えていくと、必ずしも、最終的な医師の決断というのが、患者の考えとは一致しない事もあり得ます。そういう場合には、患者の決断を先行させようという考え方が、これは、米国医師会や米国看護協会や、世界医師会やWHOなどの基準、そういうところでも国際的にはっきり出てきています。
 ですから、世界のスケールで考えると、今まで通りに、日本でそのような事が忘れられた医療教育がなされているとしたら、これから医療教育のカリキュラムなんかでも大きく転換する事になるのでしょう。少なくとも、21世紀の医療を考える場合には、テクノロジーに重点を置いた医学教育ではやっていけない点が出てきています。これは、この間、WHOの事務局のマーラー博士が来て、やっぱり全体の方向としては、そういう事を言っておられました。そこら辺が、これから私たちが考えていく場合に、非常に重要なポイントになっていく。つまり、医の倫理とか、医の哲学というのは、技術的にどうという事がないというお医者さんがやってきたんだと、だから、大学の教授だとか、あるいは、病院の院長先生が、暇にあかして大学の講義に行って、という発想が強いんですね。
 だけれども、おそらくこれから、はっきりと21世紀を展望する場合には、患者の権利や、あるいは、一人一人の男性として女性として、あるいは、子どもとして老人として生きていた、そういう中からの基本の人間としての生き方、そこに焦点を合わせたバイオエシックス、そういうものが、21世紀におそらく医学教育の必修課程の中に入ってくる。そういう入ってくるような未来を、創り出していかなくちゃいけないというふうに考えています。
 ユネスコに人権部というのがあるんですが、国連には2つ、人権部というのがあるんです。それは、国連のニューヨーク本部に、human right commission というのがありまして、最近、ジュネーブに移りましたけれども、そこの調査と、それから、ユネスコの調査と2つあって、世界のレベルから言うと、メディカル・エシックスのカリキュラムというのは、どんなに技術が進歩して、どんなに医者が学ばなくてはいけない事が増えても、人間の権利は入れていこう、これがない限り、メディカル・プロフェッションというのは成り立たないという事を、はっきりさせていこうという方向が出ている事をふまえていただきたいと思います。もし、それがなければ、医療の構造はこれからも大きく崩れてしまうと思います。その中で一番大事なのは信頼関係なんですが、信頼関係がなくなると対決ムードになってきますから、患者対医者、患者対看護婦、看護婦対医者、あるいは、患者と患者が、というような、そういうふうな対立構造の中での医療という事になりかねないと思います。
 だから、そういう意味では、私は、バイオエシックスというのは、正しく理解されなくてはいけないし、医学の一つの領域の中で、どうでもいいものとして出てきているのではなくて、むしろ、それが根幹であって、そこのところとして外せないものとして出ているという事をはっきりさせたいと思うわけです。
 先ほど、我々が「未来」を考える場合に、6つのポイントについて、私の考えを指摘しましたが、大きい「現在」の医療の在り方というものと対比して考えてみた場合に、別に5つばかり重要なポイントを挙げておきたいんです。それは、まず第1に、現在の医療の在り方というのは、どうしても現在あるシステムとしてのヘルス・ケア、どちらかと言えば「メディカル・ケア」ですね。つまり、医療というものを、もう少し広く考えると、ヘルス・ケアになるわけですが、現在は、この医療のシステムの中で、どうやって、パブリック・ヘルス・ポリシーを作るかという、「メディカル・ケア中心」なんです。しかし、さっき6項目で取り上げたのは、現在の状況を類推して考えると将来こうなる可能性が出てくるという考えなのですが、今、ここで展開していこうとするのは、パブリック・ヘルス・ポリシーが、とにかく、メディカル・ケアを中心に作られた事に対する再検討です。ところが、ヘルス・ポリシーというものを、メディカル・ケアを中心に考える時代が終わってしまっているのです。21世紀は、健康あるいは医療というものを、総合して捉える時代になっていくという事です。
 第2点は、今の医療システムですと、パブリック・ヘルス・ポリシーにしても、メディカル・ケアにしても「直撃方式」、これは私が作り出した言葉ですけれども、病気なら病気、それから、脳卒中なら脳卒中、あるいは、心臓麻痺なら心臓麻痺、病んだところを治す直撃方式、これはメカニズム中心ですから、ハードなシステムですね。
 むしろ、この21世紀を考えていく場合に必要なのは間接方式で、例えば、心臓麻痺が起こってから、これにどういうふうに対処してやろうか、というんではなく、起こらないようにするには、どういうふうにしたらいいのか。教育をどういうふうにするべきなのかというような、どちらかと言うと、ソフト方式。
 それから、現在のメディカル・ケアなり、パブリック・ヘルスというのは、非常に分析的であるのですが、これがやっぱり総合的になるだろうという事です。これは、こういう在り方をふまえてという事ですよ。分析的な方法がなくなっちゃっているという事ではないんです。先ほどの話じゃないのですが、膨大な量の情報が今、増えていっているわけです。これは、アメリカなんかで見ますと、そういう事を、ひしひしと感じます。
 それから、どうしても今のメディカル・ケアの在り方というのは、現在中心の発想なんですね。現状の肯定ではなく、どちらかと言えば、この現状ではしょうがないんじゃないか、医学教育というのはそういう事になっているのだから、新しいものを付け加えようと言っても、技術的な事ならいざ知らず、人間の生き方の基本という事は、個人でやってもらうよりしようがない、医学教育の方針を変えようとしても無理だ・・・こうなってしまう発想から解放され、現状への問いを、無理だと分かっていても、それを受け止めていく事が必要です。
 驚く事には、1980年に、今から3年以上前ですが、バイオエシックスの話を、北は北海道から、南は九州、大分の医師会にいたるまで、岡村さんと一緒に話して歩いたんです。その時に、患者の権利とか、それから、医学教育における医の倫理とか、そういう事を言った途端に、ほとんどの人が「木村さんや岡村さんの言っている事は無理なんだ、まるで火星から来た人たちの言う事を聞いているみたいで、日本の現状に合わないんだ」とおっしゃるんです。患者は、病院の敷居を一歩入ったら、医者の言う通りになるのが当然で、看護婦さんはお医者さんの命令を聞くのが当然で、要するに、病気というのは治ればいいんだという古い考え方です。患者が、ごたごた、くだくだ言わないのが日本の病院の原則なんです。「木村さんや岡村さんの言われるようなバイオエシックスの考え方は、私たちとは全く違います」と、はっきり言われました。
 1980年には、北海道、大阪、兵庫、大分、東京北区、杉並区などの医師会でも話しましたし、帝京大学の看護婦さんたちの集会でも、それから、北里大学でも、その他、関西学院大学や神戸女学院大学など、色んなところで話して、様々なご批判を受けたり、えらい先生方とも意見を交換したんです。ただ、私が感じたのは、今も話しているのですけれども、反発する人が多くて、むしろ60代以上ぐらいの年代、現在医科大学の常任理事であるとか、学部長レベルの方々、あるいは、学術会議の会長さん、大学の学長レベルのお医者さんの方が、この問題が分かるんです。そうやって考えてみますと、やっぱり異常な危機感は、むしろ、そこら辺の人たち、私はその当時、日本にいなかったんですが、大学闘争が東京大学医学部あたりを中心に展開された。その辺も何か関係があるのかも知れないけれども、その辺の事は、おそらく岡村さんがご存知かと思うんですけれども、その辺を境に、私なんかが言うと、むしろ保守的で、頑固で、権威主義的で、何言ってもしようがないと思うような先生方の方が、センスティブなんですよ。
 これは、皮肉な現象で、むしろ若い方々、若いと言っても、おそらく30代前後でしょうか、そういう方々の方が「バイオエシックスですか、ちょっと・・・」と、こういう感じになるんです。何かイデオロギーとか、それから、保守であるとか、革新であるとか、というものを越えた、人間としての誠実さ、私たちは、その人にイデオロギーで何か物事を判断しちゃうのですが、そういうものでないもので、そういう問題を考えている人たちの間には、むしろ、バイオエシックスの基本の考え方というような事が分かるんじゃないかと思わせられます。だから、そういう人たちが、日本にもそれぞれの場所で、色んな悩みを担いながら、実際やっていらっしゃるという事だけは、事実としてあるわけですね。

岡村; 私らが、1980年にそういうバイオエシックスの話をした時は、アメリカなんかから比べれば10年以上遅れているわけですね。それでいて、この名古屋で細野さんたちのセミナーで僕が話した時もそうだけれども、「岡村というのは、宇宙人ではなかろうか」という事をみんなが言ったりしたというんだけれども、それほど時代の差が出てきたわけです。そして、木村と僕とがバイオエシックスについて話している時に、朝日新聞とか色んなマスコミの記者たちが来ていて、盗みどりをしたわけ。ところが、さすが日本という国は、マネゴトの名人で、今になると「患者の権利」なんて日本人が言い出したように誰もが口にします。この日本式の知識の輸入方法とは別に、今日、皆さんが聞かれている事は、マネゴトとは違い、根っこから日本に紹介しようというので、新しい事のように思うかも知れないけれども、いずれ当り前な事になるんです。初めに聞く時は、とんでもない話をしているとお思いになるかも知れないけれども、未来を語る時には、いつでもそういう落差があるんですね。注意しなければならないのは、自分だけが新しい事をやっていると思うと大間違いで、間もなく、それが当り前になって、その事すら知らない人たちが育ってくるんです。
 その事を、もう一回頭の中で考え、これは難しい事だとか、こんな事は今までの考え方をすれば、とても看護婦がやるべき事ではないとか、というような枠を外して、もう一回、人間として、21世紀はどういう事であろうか。例えば、選挙目当てでも勿論あるけれども、レーガンが、昨日、月に永久宇宙ステーションを作るというような話を発表しますね。しかし、その設計図なんていうのは、1972年には出来ているんです。だから、向こうでは常識です。でも、それをレーガンが目前に迫った問題として、実現段階に入った事を印象付けるのです。
 日本という国には、バラバラの知識は一杯入って来るけれども、総合して見る事が出来ないために、分からない点があるのです。今、木村くんが言ったような古い世代の先生方とか、そういう方たちがバイオエシックスについて考えておられるのは、色んな体験の積み重ねがあったという事も、一つはあるんだろうと思うんです。

太田 (新生会第一病院院長); 今、木村先生が、大学紛争というのにちょっと触れられたんですけれども、実は、私の年齢がちょうど60年安保で医学部へ入って、70年安保までずっと続いた年代で、我々の年代でいくと、川崎幸病院の院長と諏訪中央病院の連中とか、それから、徳洲会の連中もそうだし、一つの面白い年代に形成されているんですね。今ここで、先生がおっしゃったような事というのは、認識としては分かるんですが、ただ、それを先ほど言いましたように、どうやって社会システムまで飛び込んでいくかというには、かなりギャップを感じるわけですね。
 それで、私たちが実は使おうやと言っているのですが、ちょうど木村先生がおっしゃった人たち、数世代ぐらい上の人たちですね。それと、我々の今一番、現場で実行年齢がつながれば、若干は変えたがっているというふうに思うんですけれども、ただ道遠しと思うのは、誰か、がつんとやらないと、今、学会でもみんなバイオエシックスばやり (流行) や、プライマリー・ケアばやり (流行) でやっておるんです。
 シンポジウムをやると、上に立たれた教授の先生方は、同じ事をおっしゃる。みんな反省する。だから、それだけ、この間、僕はフロアーから言ったんですけれども、それだけ先生方が、この医学会を担う、その道の専門家が全て反省しているのに、なぜそういうカリキュラムが出来ませんかという質問に対して・・・と言うのは、ただ、そこのもう一つというところが、非常に日本においては大きいという気がしますね。それをどうするかという事が、これからの問題だろうというふうに思います。


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