島崎光正先生の歩み |
1919 (大正8) 年 | 九州福岡市に父光頼の長男として生まれる。一ヶ月後に父死亡。母早苗とも生き別れ、父の郷里であった長野県東筑摩郡片丘村 (現塩尻市) に帰り、主に祖父母によりミルクで養育された (農家)。その上、生まれながらに二分脊椎の肉の刺を負っていた。 |
1926 (大正15) 年 | 村の小学校に入学。はじめての社会経験をしたが、手塚縫蔵校長と出会い、生涯にわたる影響と感化を受ける。 |
1933 (昭和8) 年 | 松本商業高校 (現松商学園高) に進学。但し、二年ほど学んだのみで足疾の悪化により中退。白樺人形を刻む。長靴と松葉杖に頼る。この頃から詩に目覚める。はじまりは歌誌アララギへの入会からであった。 |
1939 (昭和14) 年 | 満二十歳となり、徴兵検査を受ける。丁種。 |
1941 (昭和16) 年 | 太平洋戦争勃発。翌日、反戦運動の嫌疑により逮捕。半年間家を留守にする。 |
1945 (昭和20) 年 | 敗戦。この前後に育ての祖父母を失う。敗戦直後の混乱期に次第にキリスト教に近づく。 |
1946 (昭和21) 年 | 新憲法公布。 |
1948 (昭和23) 年 | この年八月八日、松本日本基督教会において植村環牧師より洗礼を受ける。ヘレンケラー二度目の来日。 |
1949 (昭和24) 年 | 身体障害者福祉法公布。 |
1956 (昭和31) 年 | 最初の詩集『故園』を未来社より出版。 |
1959 (昭和34) 年 | 足の整形手術のため上京、治療が終わってからそのまま永く東京にとどまる。 |
1960 (昭和35) 年 | 身障者雇用促進法公布。 |
1964 (昭和39) 年 | 瀬戸内海出身の尼崎キヌコと結婚 (浅野順一牧師司式により砧教会において)。 |
1965 (昭和40) 年 | 手動装置づきの自動車運転免許取得、足がわりとなる。 |
1974 (昭和49) 年 | キリスト教雑誌『共助』の編集に携わる。 |
1979 (昭和54) 年 | NCC に「障害者と教会問題委員会」発足、最初の委員長。この頃、両腕のないハロルド・ウィルキイ牧師アメリカより来日。合唱組曲「武蔵野」(作曲 飯沼信義) 作詞、田無公民館において初演。 |
1989 (平成1) 年 | 自伝『星の宿り』を筑摩書房より出版。 |
1992 (平成4) 年 | 郷里に帰住。 |