島崎光正先生講演資料 (於早稲田大学人間科学部)

先端医療技術をめぐって


島崎光正(私の歩み/PROFILE
(身体障害者キリスト教伝道協会会長)
 (去る11月27日、早稲田大学人間科学部所沢キャンパスにおいて、島崎光正先生の講演会が行われました。同先生は詩人としての創作活動を展開され、また厚生省科学審議会・先端医療技術評価部会にてキリスト者のお立場から御意見も述べておられます。以下の資料本文は同講演会当日に会場の出席者全員に配布されたものです。なお、島崎先生のご意見をも含む同議事録の全文は、厚生省大臣官房厚生科学課・厚生科学審議会先端医療技術評価部会のホームページ上に「第8回議事録 (s0424-1.txt)」として公開されております。併せて御参照されれば理解が深まるものと思われます。)

 私は去る四月二十四日(金)に、只今厚生省に設けられている厚生科学審議会・先端医療技術評価部会に招かれ、先端医療技術に関してのキリスト者の立場よりする意見を求められた。以下は、その時に話したことの内容に少しく手を加えたものである。尚、この日の該当評価部会の審議会は八回目にあたり、一般にも公開されていた。

(1)

 本日は、松本平の入口にあたる塩尻駅より車椅子に乗ったままJRとタクシーを乗り継ぎやってきた者です。
 そもそも、いわゆる先端医療技術につきましては「医療」という言葉が入っている訳ですが、最初に、そのような医療そのものにつきましては全くの素人であり、何等の資格もまた知識にも覚つかない者でありますことを、予めお許しを願います。
 ただ、この医療技術に関し、一キリスト者の立場より、また特に出生前診断におきましては、今やその胎児の時点から予知が可能の範囲となったと言われる二分脊椎のハンデを負い続けてきた当事者の一人と致しましても、素朴なりの意見を申し述べてみたいのであります。
 まず、聖書に盛られた人間のいのちの創造につきましては、その基本として次のように記されております。これは『旧約聖書』の創世記二章七節からの引用でありますが、「主なる神は土のちりで人を造り、いのちの息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」とあります。ここに見られるいのちの息の「息」(ルアハ) とは「霊気」とも訳されている言葉でありまして、他の地上における被造物である動物とは根本的に異なった、外に表われた身体と心の状態がいかようであれ霊を備えた存在として、人間はさいしょから捉えられております。
 したがって、出生前診断において、若しもその時点での有効とみられる治療の行為を決して否定するものではありませんが、いのちそのものの存在を脅かし、冒すことは許されないのであります。要は、人間の次元に属する医療技術と、神の領域との接点をいずこに置くべきかに問題は帰するのではないかと思われます。しかし、現実的には、この医療技術の登場は、検査方法の簡便化ともからみ、妊婦の当事者の動揺を誘うことは容易に想像されます。すなわち、その時点における特定の障害を負った胎児の判別は選別へとつながり、誕生前に不幸な事態を招く危機をはらんでおります。その背景にありますものは、出生後の医療処置をふくめた育児に対しての種々の不安であり、更には、現代の日本における人間の価値観が大きな要因をなしているものと思われます。
 敗戦後の日本も半世紀を経過し、著しい経済成長とあらゆるテクノロジーの進歩による生活の変化は、教育問題はもとより、人間の価値観の規準を知らず知らずにこれに合わせようとします。したがって、この規準に合った者を出来るだけ世に送り出そうとし、それにそぐわないケースはここより排除しようとします。まさに、障害児はこれに該当する者として、あってはならぬ存在であり、「悪」であるとの判定がされがちであります。
 けれども、神はあらゆる存在をそのありのままの姿において創造し、霊を分与したものとしての尊厳を宿らせ、この地上においているのであります。たとえ胎児の段階において特定の障害が判別される場合があったとしても、けっして選別へとつながることがあってはなりません。もとより、繰り返すまでもなく、人間の手による治療への努力は、決してやぶさかであってはならないものの、障害を負う負わないにかかわりなく、この地上において多様性を認め合うことは極めて大切であります。
 むしろ、弱い肢体の混在こそ社会にとってのノーマルな姿であり、お互いの優しさと労 (いたわ) り合いの喚起のために、この存在は用いられ役立っているのであります。このことは、今の日本の高齢化社会における該当者の処遇の在りようにも通ずるものであり、互いに重荷を負い合い担い合う価値観の転換をこれからの日本は図っていかなくてはならないと思います。
 以上のことに関連して、地元の長野における、今回の冬季オリンピックに引き続いたパラリンピックの現場において観戦し実見できたことを、ここで紹介しておきたいと思います。そこでは、身体に、また心に何らかのハンデを負った者こそ人間の善意をかき立て、人間そのものへの回帰をあらゆる人々に教え示していたものと考えられるからです。

(2)

 私は今、松本平の一隅に住まっている者でありますが、パラリンピックの最後の日に当たった三月十四日に、家から一番近い会場である白馬へ妻と出かけて観戦をいたしました。その時に、私がじっさいにこの目で見、耳で聞いたことと申しますのは、そこで障害者を負った者と負わない者とがお互いに労り合いながら、メダルを目標とする競技というよりも、そこで本当の意味でのスポーツをしていたと申しましょうか、目立って感じられたのは、メダルよりもベストを尽していたということではなかったかと思います。たまたまそこで接した種目は、スキーのクロスカントリー、いわばスキーのマラソンとでも言うべきものでありましたが、一組ずつがペアを組み、目の前を先ず胴腹に目立った黄色い布を巻いたガイド役の選手が滑ってゆく、そのあとを視力に障害を負った選手が滑ってゆく。外国の選手が多く、話の内容はよく聞きとれないものの、励まし合いやコースの曲がりかどで注意しているらしい声も聞こえてくる、そう言った内容でした。この種目の前に、先天的に両腕のないこれも外国の選手が、ストックなしで滑っている姿も見られました。そして、そこに観戦に来ておりました - 私もまた車椅子に乗った障害者の一人でありましたが - 中にはもっと重い障害を負った仲間が、水筒持参の両親の腕に抱かれて、熱心に応援をしておりました。こうした選手たちのベストを尽す様子と、人間なるが故にひそむ可能性をわが子に見せたかったのだと思います。さらに気がつけば、私と介護の妻も、ボランティアの方々によってJRの白馬の駅からリフト車に乗せられ、この競技場まで運ばれてきておりました。
 このようにして、さいしょから人間の善意に包まれ、競技場において一層そのことが実証されていたということ。つまり、弱い肢体の入りまじることによりまして、人間の善意、労り合いのコミュニケーションの図がそこで遺憾なく展開されていたという事実を、私はパラリンピックの現場において如実に経験することが出来たということであります。
 そして、私自身の詳しいご紹介が遅れてしまいましたけれども、私は昨年の夏、ドイツのボンに参ることが出来ました。それは今、日本でも「二分脊椎症児 (者) を守る会」というのが発足し四半世紀近くに至っている訳でありますが、私はいわば当事者としての先輩にあたり、それらの人々とツアーを組み、ボンにおける、このハンデの国際会議に列なるのが主な目的でした。二分脊椎は、国際的にも発生をみているからです。そして、この会議自体はキリスト教の趣旨において催されたわけではありませんでしたが、ドイツという土地柄、或る神学校の教授と思われる方も講演者の一人に加わっていました。その話の中で、二分脊椎を負う胎児が出生前診断において判別のつく時代を迎えている点にふれ、通訳を通しての言葉でありましたが、「(その時点において) そうした子供を殺してはならない」という、きつい表現を以って語っていました。
 そしてまた、私は、会議の二日目のことでありましたが、短い時間を割いて頂き五分間のスピーチをした致した次第です。
 その内容を、そのままここでご紹介をしたいと思います。
 「私はこの度、日本のチームの一人として車椅子に乗りながらドイツにやってまいりました、二分脊椎の障害を負った七十七歳となる男性です。
 もちろん、私は生れた時からこの障害を負っていました。そして、両親と早くに離 別をしミルクで養ってくれた祖母の話によりますと、三歳の時にようやく歩めるようになったとのことです。その時から、すでに足を引いておりました。
 七歳となり、私は村の小学校に入学しました。やがて、市の商業学校へと進学しましたものの、間もなく両足首の変形が急にあらわれましたために通学が困難となり、中途退学をしなくてはなりませんでした。それからは、日本アルプスへの登山客の土産品である白樺に人形を刻むことを仕事とするようになりました。同時に、その遅い歩みの中から詩を綴ることを覚え今日に至っております。
 今、私がもっとも関心を抱いておりますのは、日本におきましても進んだ医療技術の一つと言われている出生前診断のことです。そして、二分脊椎の障害を負った胎児も、その段階において、こうした診断により見分けのつく時代を迎えているものと見られています。もちろん、診断以後のことは両親の判断にゆだねられているにせよ、全体の流れにおいて安易な選別と処置につながることを恐れる者です。
 たしかに、二分脊椎に限らず、障害を負って生まれてきたことは、人生の途上において様々な困難をくぐらねばならないことは事実です。私の七十七年の歩みのあとを振り返ってもそう言えます。けれども、それゆえに、この世に誕生をみたことを後悔するつもりは少しもありません。それほど、神様から母の陣痛を通してさずかったいのちの尊厳性は、重いものと考えられます。
 このような皆さんとの出会い、また日本でのわが家の庭の、朝露に濡れた薔薇との出会いの喜びは、何よりもそのことを証ししています。
 身に、どのようなハンデを負って生まれて来ようとも、人間が人間であるがゆえの 存在の意味と権利は、人類の共同の責任において確保され尊重されてゆかねばなりません。そこに、まことの平和もあります。そのことを、こうした場所と機会において訴えたいと思います。
 終わりに、この会場で綴った、いちばん新しい詩をご紹介したいと思います。

    <自主決定によらずして
     たまわった
     いのちの泉の重さを
     みんなで湛えている>

 ご静聴ありがとうございました」。
 以上がその内容でありましたが、この詩に「自主決定」なる言葉を用いましたのは、この会議の中で外国の誰方かの講演において、障害児が障害を負うことの「自主決定」に関して触れておられたからです。二分脊椎は、今のところ、その原因は世界的にもまだよく究明されておりません。したがって、このさいしょの決定権は、本人も両親をも超えた、その向うにかくされているのです。この会議には、ハンデを負った本人たちをふくめ約一四〇名の人々が集まっておりましたが、私の短いスピーチは、英・独・仏のそれぞれの国の言葉に同時通訳となって会場に流されました。
 会議の最終日となって、地元のドイツの団体による、ライン下りを兼ねた送別のレセプションがありました。その船の甲板で、何人かの見知らぬ外国の婦人から握手を求められました。どうやらそれは、二分脊椎の子供を連れ、或いは抱いてやってきた人々であり、同時通訳の私の話を聞いてくれたからのようでした。

(3)

 もう一言、話を加えさせて頂きたいと思います。
 私は、一九五九年となりまして松葉杖と長靴に頼りながら信州より上京し、新宿・戸山町に在った国立の施設 (・国立身体障害センター) で変形した足首の整形手術を受けました。この手術は成功したと思っております。一時、ステッキ一本に頼れば街に出てゆくことが可能であった時期もありました。そのまま、三十余年にわたり東京にとどまる結果となった次第です。その間、キリスト教の雑誌 (・『共助』) の編集に携ったことが主な仕事でありましたが、今日ここに車椅子のあとを押してついてきて呉れた妻とも出会い、結婚をいたしました。私はその時、四十五歳となっておりました。
 そして、当初は民間の身障者の施設の舎監を仰せつかり、妻はそこでの保健婦の勤めと炊事場のお手伝いを兼ねました。間もなく、彼女は悪阻 (つわり) の症状をおこし、寝込むという出来事がありました。けれども、これは医者の誤診であり、単なる疲労の結果であることが日ならずして分かりました。二度と、このようなことはありませんでした。
 以来、六年前に郷里に帰り居住するに至りますまで何時の間にか三十年が過ぎているわけでありますが、私共にはそれにかわってと言いましょうか、よき友と隣人を与えられ続けてきた歳月であったと振り返っております。
 それにつけても思われますのは、子供のない夫婦の意味合いについてであります。詳しいデータは分かりかねますが、何組かに一組は子供のない夫婦のいることに気づきます。このことを、自他共に消極的なあきらめだけに終っている場合が多いかも知れません。けれども、この事実をポジティブな、積極的な意味合いに転換し捉え直す必要があるのではないでしょうか。
 もとより、子宝なる言葉もあります通り、子供をさずかることは、夫婦にとってこよなき宝であり幸いであることには違いありませんが、子供を与えられないこともまた、神様からの特別の恵みであります。
 むろん、今日の審議会におきましても、別の方の発題においてこうした課題も取り上げられておりましたが、現代の医療の先端のレベルにおきましても、夫婦間の不妊治療は徹底的になされるべきでしょう。けれども、同時にその限界を見きわめ、大意にゆだねる知恵を持つべきではありますまいか。そこにおいて、特別に選ばれた夫婦のケースは十分に考えられるからであります。
 私の話は、以上で終わります。

(付記)
(�) こうした厚生省における発言ののち、間もなく諏訪マタニティクリニック院長の根津八紘医師より、不妊の夫婦への第三者からの卵子提供にもとづく出産の出来事が直接公表され、論議を呼んでいる。この事例は、折角の先端医療が逸脱した場合と方向において介入したとみるべきであろう。

(�) ドイツでのスピーチは、昨年の『共助』十二月号「ドイツの旅から」の中に一度取入れてあり、重複をお許し願います。


二分脊椎 (spina bifida);脊椎の左右の骨癒合が完成されず、分裂している症状。主に仙椎、腰椎に発生するが、稀に胸椎、頚椎にも生じ、その発生部位から下の運動機能と知覚が麻痺し、内臓の機能にも大きく影響を及ぼす。二分脊椎に因る運動機能障害は多岐にわたり、特に下肢の麻痺や変形、膀胱・直腸障害に因る排泄障害が見られる為、二分脊椎の治療及び医療管理には脳神経外科、小児外科、泌尿器科、整形外科、リハビリテーション科を中心に全科的なトータルなケアが必要とされる。また、様々な障害の程度があり、各々に合わせた適切な医療、教育、就職、結婚の問題までケースワークが求められている。
 なお、詳細については・・・
二分脊椎症児 (者) を守る会・公認ホームページ」;http://www.asahi-net.or.jp/‾WC4N-SZK/sbaj.htm
及び、「二分脊椎症ホームページ」; http://www.asahi-net.or.jp/‾WC4N-SZK/index_sb.htm
を御参照下さい。


Return to the Gateway of Waseda Bioethics Website...