科学朝日, 49 (1), 1989, p. 21
特集1・ヒト遺伝子解析計画

アメリカの実情から日本を見る


木村利人
(米国・ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所国際バイオエシックス研究部長)
Japanese | English

 この研究はパテントとかいろいろからんでくるので、自動車、コンピューターのようにまた日本に進出されてはたまらない、という空気が欧米にはあると思います。だから、いろいろ基礎研究や応用の面で日本よりも先にパテントを取っておこう、ということがあると思いますよ。
 ヒト遺伝子については、二つの点がポイントだと思います。一つは、我々が自由意思、ボランタリーなものを貫き通せるか、もう一つはプライバシーを守れるかという点です。一九八二年のOTA(*米議会技術評価局)の報告によると、米国では六つの大手の会社が、血液型、血液の検査を通して遺伝的適格性を調べているというのです。さらに、将来五九の会社が遺伝スクリーニングを取り入れ、それを入社の条件にするというのです。自分の会社に不都合な遺伝子があれば、その人は雇わない、というわけですよ。
 それから、保険会社がこうしたデータをものすごく欲しがる。保険会社はもうけなくてはならないので、遺伝欠陥のある人は入れないとか、するでしょう。たとえば、中年から発病するハンチントン病とかが事前に遺伝子検査でわかったときに保険に入れないとか。
 そういう保険のデータがプライバシーにからんでくる。医師というのはプライバシーに責任があり、業務を通して知りえた個人の情報をいっちゃいけないことになっている。しかし、親族の人がきて、身内がここで遺伝に関係する病気で治療を受けているが、では私の遺伝情報はどうなっていますか、といってきたときに、こうこうといわざるをえなくなってくるんではないか。自分のデータを絶対ほかに漏らさないでほしいというプライバシーがどこまで守れるか。政府レベルで医師に要請があったときに、それが守れるかどうか、米国では今問題になっています。
 この研究から、たとえば、正確に、早く、相当の広範囲にわたって、人間の遺伝子の連関(リンケージ)がわかってしまう。問題の根は深い。今はまだ始まりつつあるときだが、これから一、二年たつともう後戻りはきかない。だから、何かいうなら今しかない。個人の本当に知られたくないことを守る自由、そこに本質はかかわってくると思います。
 われわれ日本人にとっても倫理的、社会的、文化的な問題を考えておかないと。元来日本人は、遺伝病に対する差別感があるでしょう。だから、あの人は何かもっているらしいという情報だけでもダメージになる。結婚のために、遺伝情報を交換しようとしたら、あなたの遺伝情報はこうだからだめ、とね。
 この間、ローマで「人間と生命科学の会議」をやっている。ここでも、ヒト・ゲノムの解析が問題となっていて、先進諸国としても取り組むということを決定している。自分たちは常識的にルールを守っていると思っているが、ほかの途上国の科学者なんかがそれこそ遺伝子を入れ替えて、人間を強くしたり、勝手に実験したりしかねない、という思い上がりがある。だから、国際的にルールをつくらないとどうしようもないという思いがあるのですよ。
 僕は、元来いっているんですが、専門家は一般の人に今やっていることを納得できる形でいってもらわないとね。科学者としての社会的責任をやっぱり果たしてもらいたいと思いますよ。研究や実用化が進んだ状態でパーッと出てきて、あとはもうこうなっているからというのがいつもですから、科学研究って。全米研究評議会(ナショナル・リサーチ・カウンシル)などがヒト遺伝子解析研究についての報告を最近出しているが、それには米国のバイオエシックス関係者も加わった。その一人、ワシントン大学のアルバート・ジェンセン教授によれば、研究そのものに反対するバイオエシックス学者は少ないが、慎重さを要求する声は強いという。大事なことは、この報告を出すにあたり、米国では研究の専門家のほかに、宗教的背景をもった人やバイオエシックスの専門家といった、門外漢を加えて議論している。こうした門外漢を加えて議論するということが日本でも絶対必要と私は思います。
 それは、ヒト遺伝子の解析が直接的な人間の身体、精神資質の改造へと臨床治療の名前において応用され、いつの間にか優生学に走っていくということになり得るからです。


please send your E-mail to rihito@human.waseda.ac.jp

木村利人教授・評論等データベースのページに戻る