中央公論, 110 (11), 中央公論社, 1995, pp. 21-23.

「問い」を学ぶ教育


木村利人(早稲田大学教授・ジョージタウン大学客員教授)
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 今から五〇年前の八月十五日のことだった。東京から山梨県に集団疎開していたお寺の境内で、国民学校(小学校)の生徒だった私たちは「玉音放送」を聞いた。その後、先生が日本は「敵」に負けたがこの「仇」は必ず君たちがとってほしいと悲壮な顔つきで語った。なぜ「聖戦」に負けたのだろうという私たちの素朴な「問い」を押さえつけるように一方的に語った教師の言葉は空しく響きわたった。現在その、かつての「敵国」に住んでいて、五〇年目の敗戦記念日を迎えようとしている。
 大日本帝国の教育の被害者である立場からすれば、私たちは人間を生かす教育ではなく、滅ぼす教育を教え込まれたのだと思う。戦前の小学校では、修身や歴史などの内容に関して生徒が疑いを持ち、質問することは許されなかった。しかも、それが絶対に正しいと教えられた内容の重要部分が、戦後は間違いだったとされ、使用してきた教科書を墨で黒く塗り潰す作業を私たちは体験することになった。威厳の失われた顔で墨塗りのページと段落を指定する先生に対して大きな不信とやりきれなさを、私は子供ながらに強く感じた。率直な疑問や質問を封じ、洗脳を目的とした人間破壊の教育はいまも姿を変えて行われていることが、最近の数々の事件からも明らかになった。
 一方、戦前とは全く異なり自由に何でも問いかけることができる時代のはずなのに、現在の大多数の日本の学生たちは授業の後にまともな質問すらできないという状況にあるのも事実だ。要するに大学に入るのは、将来の就職と趣味やスポーツなどの部活動や友達作りのためなのであって、試験の時だけはやむをえず勉強し、あとは学問の学び舎にいても、求めることも、尋ねることもしない。これは私の世界各地での大学教師としての経験からすれば、日本だけに特有な珍現象である。
 一九六〇年代から約三〇年間、タイ、ベトナム、スイス、アメリカ等の諸国に移り住んで、それぞれの国の大学で教育と研究活動に従事した後、母国の大学で教え始めた私にとっての最大のカルチャー・ショックは講義の後、特に時間をとっても学生たちがほとんど質問をしないということだった。
 諸外国の大学では教室での学生の私語は全くないし、講義の後は必ず何人かの学生からの質問が活発に出てくる。この話をしたら、心理学を教えている同僚から「外国の大学生は、一体どういう動機づけでそうなるのでしょう」と問われて、一瞬返す言葉に詰まってしまった。
 難しい入学試験に合格し、高い授業料を払って入ってきた大学で、学びたいことをきちんと学ぶのが、学生の権利であり義務なのだし、もちろん質問の権利の十分な行使は当たり前のことなのだ。質問というのは、よく準備してよく聞いている学生がする傾向にある。教師にとっても学生の理解度を知るいい機会なので、質問はクラスの授業をすすめる上での大きな貢献として積極的に奨励されるべきなのだ。
 アメリカで育った私の長男が、中学生の頃生活体験のため日本に帰国して寮に入り、一学期だけ日本の中学校に通っていたことがあった。彼がアメリカでのクラスでいつもやっていたように、授業の途中や終わった後で質問を繰り返したら、先生は「君はうるさいね。注意深く聞いてないから、そういう質問をする。わからないところは今後、友達に聞きなさい」と答えたという。郷に入っては郷に従えということなのかもしれないが、いまも教師が質問を奨励しないという点で昔と変わっていないように思えた。
 さらに、限られた時間内での一方的な詰め込み教育のせいもあるようだ。私のジュネーブでの同僚だったパウロ・フィレというブラジルの教育学者は私にこう語った。「銀行貯蓄型教育は人間性を破壊する」と。つまり、教師が一方的に知識を注ぎ込んで学生の頭に貯蓄して、それを学生が試験の時に払い戻すだけという比喩での、一方的詰め込み教育批判なのだ。
 間違っていることや、ごまかしを鋭く見抜いて正面から問いをぶつけ、批判し合い正しい結論を見つけるに至るという教育のプロセスが大事なのだ。ところが旧来の貯蓄型教育は、それを不可能にする。それを克服するためには、常日頃から学校や社会生活の中で「問いかけ」や、「疑問」をお互いにぶつけ合う態度を身につけることが必要だ。例えば、こどもたちによる問いかけを煩わしく感じ、無視したりする日本の教育の現場や家庭の状況をまず変えねばなるまい。
 大学での私のバイオエシックスの講義とゼミでは徹底して「問い方」を学ぶ。学生たちは一年も経つと、やっと自分なりに自由に問いかけ、意見が述べられるようになる。問いかけにより「対話」が生まれ、お互いに真剣に学問することの喜びや厳しさを体験する。
 私がいま取り組んでいる「バイオエシックス」という学問は正に「問いかけ」の中から誕生した。その「問いかけ」への諸国の研究者による応答の試みが『バイオエシックス大百科事典』として最近ニューヨークで刊行された。これは、世界各地の生命医科学の発展や環境問題などに対応して、哲学、倫理、法学、医学、科学、宗教、経済、政治、公共政策など各分野の専門家が旧来の専門分野の枠組みを超えて「問いかけ」に答えた国際的学問協力の成果なのである。
 戦後五〇年、新しい世紀に向けて、いつも自由に大胆に「問いかける」ことを学ぶ教育を、着実に展開していきたいと願っている。


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