1997年10月15日 読売新聞朝刊 (p. 23)
臓器提供の「意思」尊重期待 (論点)
木村利人
16日に施行される「臓器移植法」におけるいくつかの問題点などを、バイオエシックス (生命倫理) の視座から指摘したい。 そのうえで、今後の日本における移植医療を含めた医療全体のあり方についても考えてみたい。
第1に、この法律は、バイオエシックスの基本の考え方の1つである「自己決定の原理」を踏まえていることを評価したい。第2条には、「自己の臓器の……提供に関する意思は尊重されなければならない」 と記されている。第6条には、「提供する意思を書面により表示」している場合について、その2項に「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止」の判定が規定され、第3項には「前項による判定に従う意思を書面により表示」している場合とするなど、死亡したものが生存中に持っていた自発的な意思の徹底した尊重を定めているからである。
ただ、その一方で、これらの条文はいずれも、遺族または家族が死亡した本人の「自己決定」を拒めるようになっており、条文の規定の内容が首尾一貫していない点は大きな問題である。
第2に、「インフォームドコンセント」(十分な説明に基づく同意) の考え方を、法律として明確に規定したことに注目したい。第4条には「医師は……移植術を受ける者又はその家族に対し必要な説明を行い、その理解を得るよう努めなければならない」 としている。また、第10条では移植に関連する臓器の摘出や、移植などの記録の作成や保存について規定し、その3項で遺族その他の請求により条件付きながら原則的には閲覧を保障したことは評価できる。従来の日本の医療現場では、記録の閲覧すらもほとんど無視されてきたからである。そうした状況を改善するためには、臓器移植法では記録の複写 (コピー) 権も認めるべきであろう。
ひるがえって、一般の医療を考えるとき、医療側から患者に対して、本当に満足のいく内容の診断結果や処置の情報がわかりやすく説明されているだろうか。それは医療側の勧める医療処置だけでなく、いくつかある選択肢やそれに伴うリスクなど情報の開示が前提とならなければならない。それらを理解し、納得することが出来て、患者は初めて人生観や価値判断に沿って「自己決定」が出来るからである。
これからは日常的な医療となるであろう臓器移植に関する法律の施行にあたって、患者やその家族、医療側は従来の権威主義的かつ恩恵的医療の考え方を捨て去り、医療へのアクセスは患者の権利であるという発想へと考え方を転換すべきである。そして、この法律で明白に規定された「自己決定」や「インフォームドコンセント」、「記録の閲覧」などバイオエシックスの原理に基づいた考え方が、一般の医療現場にも波及し、当然、行われるようになることを大いに期待したい。
第3に、バイオエシックスの視座から「移植医療の公正・公平性」の確保が急務であることを指摘しておきたい。すでに国や地方公共団体、移植関連学会などで、意思表示カードの普及や臓器移植ネットワーク、移植に関連する人的資源の養成などに向けた努力が積み重ねられつつあるのは心強い。
しかし、臓器移植手術ができる施設が地域的に偏ることによって、患者に有利な地域と不利な地域が出てくることが想定される。 法的に有効な意思表示カードが行き渡らないために、臓器提供の意思が生前、明白であったのにもかかわらず、提供がかなえられないケースも起こり得る。 また、移植を受ける機会の公平を定めた第2条4項に関連して、移植を受ける患者のための選定基準は早急に統一すべきである。いずれにせよ、これらの問題点の解消に向けて、今後、公正・公平の原則が厳しく問われることになるだろう。
なお、患者が医療費を支払うだけでなく、国民の税金が移植医療やその他の先進医療、医学研究、医学教育などのために支出されている。医療は国民の1人1人がスポンサーになっているからこそ、公平・公正・公開の原則が求められるのである。特に保険医療による給付の継続を定めた附則第11条との関連では、移植医療費や予想される自己負担額などの具体的な支出などについて、国民の「知る権利」があることを強調しておきたい。
法律の施行によって、臓器移植を願いながら苦悩に直面して生きた患者さん方に生への希望が生まれることを心から願っている。私たちは、臓器を提供する側あるいは提供される側のいずれかになり得る可能性を持っている。
愛する人の死への悲しみをこえて、生前の本人が感じていたであろう「いのちを支えあう喜び」を実現するための臓器提供への意思尊重が、臓器提供側の遺族には期待されている。
無償の愛による「自己決定」を選択できる機会が、日本でも法的に確立されるようになったことをバイオエシックスの立場から積極的に評価したいと思う。
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