■早稲田学報, 24 (3), 1970. 4., pp. 12-16.

東南アジア理解への手がかり
 - 現地での生活体験から - Prof. Rihito Kimura wearing a smile


木村利人
  出会いの原点  

「幸せなら手をたたこう!」という歌がはやったことがあります。
 流行歌の移り変わりは激しく、この頃では三ヶ月単位ではやりすたりがあるということですので、この歌もとっくの昔に消えてしまっていると思いました。
 ところが、まだ時たまテレビやラジオでやっているようで、四年ぶりにタイ国から帰って何となく懐かしく聴きました。
 実は、あの歌の作者はわたくしなのです。
 学生時代にフィリピンでの国際ワーク・キャンプ (労働奉仕) に参加しての帰りの船の中で作ったのがあの歌です。もう今から十数年以上も前のことになります。
 さて、わたくしがここで言いたいことは、あの歌のフィーリングとでもいったものは、フィリピンでのわたくしの一つの体験なしには考えられないということです。
 わたくしが東南アジアについて語る時、まず第一にこの歌からはじめねばならない理由があるのです。
 当時、まだまだ対日感情の悪かったフィリピンへ日本の学生代表としてわたくしはビクビクしながら、しかし戦争はまだ子供にしか過ぎなかったわたくしには責任のないことだという軽い気持で日本をあとにしました。
 しかし、そこで目にしたものは何だったでしょうか。平和な村の人たちを全員集めて、日本軍が虐殺したというカトリック教会の焼跡、弾痕もなまなましい市庁舎、旧日本憲兵隊の獄舎等々、マニラ・サンチャゴ要塞・元日本憲兵隊獄舎跡それまで話に聞いてはいたもののこの目にそれらを見せられた悲惨な出来事の現実にひきずりこまれてしまいました。
 しかも、父や母などの肉親を目の前で日本人に殺されたという何人もの人々に出合って、どんなにか日本人としての恥ずかしさ、悲しさ、そして何とも言えない苦しさを覚えたことでしょう。
 たとえわたくし自身は集団疎開で、当時日本にたしかにおり、また子供でしかなかったとしてもそんなことは言い逃れにしかならないのです。やっぱり、わたくしも共犯者の一人なのだという強烈な思いはその時以来わたくしの心の中から消え去らないのです。
 フィリピンの学生代表の仲間たちはわたくしに言いました。
「悲しい思い出は消えない。しかし戦争は終わったんだ。戦争は戦争さ」
「もう平和がきたんだぜ。お互いにゆるし合おうや。そして今の幸せをかみしめよう」
「平和ってのはいいもんだ」と。
 わたくしは、アジア諸国の学生たちと「平和の幸せ」をかみしめつつ、涙を流して語り合い汗を流して働き合ったのでした。
 何を今更、戦争の話をと思われるかもしれません。
 しかし、その後わたくしは機会を与えられ、数々の東南アジアの国々を巡り、またその中で生活してきましたが到る所で過去の日本の罪とそして戦争の悲惨さを思わせられてきたのです。その深い傷は、現地の人々の悲しい思い出の中にまだ残っているのです。
 このようにして、わたくし自身と、東南アジアとの意識的な出合いの原点は、日本人としての原罪意識にあると言えるのです。

  行動の盲点  

 わたくしは今まで、東南アジアの各地でいろいろなタイプの日本人たちに出合いました。
 十数年前との大きな変化の一つは、かつて小さくなっていた日本人たちが、今は我物顔をしてのさばり歩いているということです。
 とにもかくにも、稼げや稼げということで、エコノミック・アニマルと言われようとどうしようと文字通り汗水流して、会社のために働き続けて来ているわけです。そして、現地での生活の実情を知れば知るほど日本では考えられない色々なストレスの下での仕事ぶりに、いささか同情せざるを得ないほどです。
 ところが今では、東南アジア諸国をはじめあちこちから日本人批判の火の手が上がってきました。日本人自身の中にも、アニマルとはあんまりだ、せめてエコノミック・マンになりたいなどと言い出す人々も出て来たのですが、エコノミックという形容詞の持つ意味の痛烈な皮肉にすら気付かなくなっているのは困ったものです。
 こういった中で、今一番気になっていることは、もちろんすべてとは言いませんが日本人の間に東南アジア蔑視感とでもいったものがまた、露骨に出はじめてきたということです。
 どうも、日本人であるわたくしたちの態度には、知らず知らずのうちに自分たちの育った国が世界にも稀な単一の民族文化を持った国であることを忘れ、そこで植え付けられた価値観、モラル、概念等々で他人のよしあしを判断し裁く傾向があるように思えるのです。
 文化の価値規準が異なるのですから、まずその既成の枠を取り払って、現地的なものの考え方で相手を理解しなければいけないのです。しかし、そのことが頭の中ではわかっていても、なかなかうまく行かず現地人は怠惰でやる気がないなどと決めつけることになりがちです。
 また同時にいつも商売本位の視点や、近代化とか経済開発の必要性といった観点からのみ東南アジアをみていると、何か大事なものが欠けてくるのではないでしょうか。
 現地の人たちは、先進諸国の人たちによって観察され、研究され、援助される対象物にしかすぎないということを本能的に感じとっているからこそ時に高圧的にすらなり得るのかもしれません。
 しかし、わたくしたちは、決してそうであるべきでないことを態度で示して行けないものでしょうか。たしかに、いろいろ困難な問題点が事実上あるにしても、タイ国をはじめとする東南アジア諸国との大幅な片貿易の是正とか、日本の出先機関や商社支店等での大胆な現地人スタッフの登用とか、日本の側から今の時点で、積極的な態度を示す必要があると思うのです。
 この場合、態度に示すというのは、学園の本明教授がその著書「態度的人間」(ダイヤモンド社刊) の中で、適切に説明されておられるように、行動にあらわすということなのです。
 ただその行動は、わたくしの解釈によれば言葉で説明するということを当然のこととして含んでいるのだと思うのです。わたくしたちにとって、これからの行動様式は、有言実行ということになって行くのではないでしょうか。
 その意味で、わたくしたち日本人が外国人と仕事をしたり、商売をしたりする時に陥りがちだった行動の盲点を打ち破るべき公式は「言葉 (現地語による説明) + 行動による意志表示 = 態度に示す」ということになるのではないかと思うのです。

  理解の焦点  

 東南アジアに住みついている日本人の多くは、滞在期間の短いこともあって現地の人たちのことや風俗、習慣等をよく理解出来ないといいます。同じアジア人なのですから、お互いに気持ちはわかるはずだといっても、日本人の価値観を動かない基準にとって相手を理解しようとしても無理なことは前に触れた通りです。
 しかし、まず比較してみることは、理解への大事な第一歩になると思います。
 わたくしは、その例をタイ国にとって、みて行きたいと思います。タイの社会は、一般に「弛緩した構造を持った社会」(loosely structured society) として知られています。そして、タイ人は全般的に概して、個人志向の度合いが日本人よりも強いとも言われています。
 タイのチュラーロンコン大学 (Chulalongkorn University) でのわたくしの東南アジア法研究講座の学生たちや、そこでの同僚教師たちおよそ三十人との、タイ人と日本人との比較についての語り合いの結果を、わたくしが、仮にまとめてみたものが次の表です。

国民性インテリの女性
(大学卒以上)
大学生宗教行動と思考人間関係
大らかで寛容
人なつこく楽天的、開放的
その日暮し的発想、外向的性格
外向的
夫と対等意識
結婚後も仕事をやめない共働きが原則
教師に従順
与えられたものを忠実に学習
暗記中心
エリート意識
仏教 (96%)
生活文化の基盤
関係状況を重視
個人中心志向
自己保全型
マイペンライ (まあいいから)
マイキャオ (関係ない)
概してドライ
他人に不干渉
 タ 
 イ 
コセコセ
島国根性
閉鎖的、派閥的
勤勉蓄積型
内向的性格
家庭的
比較的夫に従順
結婚までの一時的就職が多い
どちらかといえば自主的な学習を好む
学生の大衆化現象
諸宗教
無関心も多い
一応原則を重視
集団中心志向
自己犠牲型
義理人情を重んずる
概してウェット
他人に干渉
 日 
 本 

 こうやって表にしてみますと、ややステレオタイプ的なまとめの観はあるにしましても、同じアジア人といってもこうも違うものかと驚かされるくらいです。
 そして、タイ国だけでなく、東南アジアの他の国々にも、わたくしたちからみれば、多くの点で対立的な行動様式が見出されますし、また一つの国の中においてさえ、信仰する宗教や、地域、文化的、歴史的背景の相違によって、違いが生ずるわけです。そして、その違いを違いとして認めることが非常に大事なことだと思うのです。
 わたくしはその意味で、アジアは一つであるといったような単純なムード的一元論には全く賛同できないのです。かといって、アジアの国々が、全く完全にバラバラであるようにも思えないのです。
 何かしらアジアの人間同士として共感できる共通のものがあるような気がしています。チュラーロンコン大学キャンパス風景(中央筆者)それを具体的な事柄に即して見出して行く操作の手掛かりをわたくしは言語現象の背後にも見出せるのではないかと思っています。わたくしの場合は、タイ語がその手掛かりとなりました。
 タイ語は、わたくしたちの耳には何とも奇妙に聞こえる発音の言葉からなりたっています。中国語に似て一つ一つの単語に声調があるわけでこれを正しく発音しないと、「犬」も、「馬」も、動詞の「来る」といった言葉も判別しがたくなってしまうわけです (日本の片仮名で表記すれば、このいずれも「マー」となる)。
 さて、このタイ語がどうやら少しは出来るようになって、しばらくたってみますと、今度は言葉の背後にあるものの日本人とタイ人との間の行動様式の類似にハッと思いあたることがしばしばあることが解ってきました。
 たとえば、前掲の比較対照表に記した意味での個人主義的な志向性の自己主張を持ちながら、誰が何を言うかを判断して、その場の力関係の状況に応じて発言するといったようなことです。
 また、とかく議論は論理的というよりかは感情的に流れやすく、ある人の意見に反対するということが、しばしばその人の人格をも否定することにもなりかねないのです。なぜなら多数の人々の面前で、人の意見に反対するようなことはその人の面目をつぶす (タイ語でカイナー・すなわち顔を売る) ことになるからです。したがって、怒ったり、咎めたりすることによって、徹底的に相手を追求したりすることは最も悪いこととされ、その人との人間関係の終わりを意味し、一旦こじれるとその回復は非常に困難であるわけです。
 また、会議等で自らが発言した内容自体にあまりこだわるというわけでもなく、かといって全体で合意に達した結果に従うということでもない場合にわたくしはしばしば直面しました。すなわち、誰かある人のために、ある人によって頼まれたから、といったようなパーソナル・タッチでの行動様式が機能しているようで、その場合の一つのポイントは、一体誰の (コングクライ) 意見、指示、命令等であるかということであるようです。
 この意味においては、特定の状況下に、ある一定期間、ある人につながりを保ち、その人のために積極的に何事かをするという傾向があるといえますし、この観点からすると決して怠慢であるなどとは言えないのです。
 これらの上に述べた行動様式は、わたくしたち日本人には比較的に理解されやすい共通のものを含んでいるようにも思われるのです。
 たしかに、現地の言語を媒介にして、いろいろな立場、環境の人々と交わりを持ってみますとそれらの人々のものの考え方が、心の中にしっくりとはいって来るように思えるのです。
 それが理解<カオチャイ>(タイ語でカオチャイは心にはいるという意味) というものなのかもしれません。
 まだまだ解らないことだらけなのですが、しかし言葉の解らなかった時よりかは、焦点が定まって来たような気がするのです。
 東南アジアについて、何とわたくしたちはわずかな知識しか持っていないことでしょうか。
 このアジアの中でこそ、もっとお互い同士が知り合い、豊かになるために、そして共に共通の目的のために働き、また人間としての深い交わりを一層広げて行くために、わたくしたちは、たとえそれが小さくとも出来ることから力を尽くして行かねばならないと思うのです。

(昭32法学・元タイ国立チュラーロンコン大学政治学部講師・アジア研究所員)

[:本文は1970年4月、当時の早稲田学報<24 (3)>に掲載されたものです。]


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