患者の権利
バイオエシックスの発想
私が「患者の権利」を実体験したのは米国で病気になった時のことだった。
ハーバード大学の診療所から紹介されて、同大学の系列のマウント・オーバン病院の中にある泌尿器科のレザビッツ博士の診療を受けた。アポイントメントをとっての医師による診療の時間は約四十分以上はあった。レントゲンのフィルムをもって、地下の別室に行き、さらに専門家からもくわしい説明を受けた。医師は検査のデータを前にしながら、私に「ここに結石があります。血液は出ていないように見えますが、試薬を入れて調べたら下に血が溜まっています。どうぞ、ごらんください。わたしは結石摘出のためには手術が最適だと思います。しかし、手術を受けるか受けないかはあなたが決めることです」「もし、他の医師に相談したいのならレントゲン写真をはじめ、検査結果のデータは全部お渡しします」と語ったうえで、「どういたしますか?」とたずねた。
私が、「手術しない場合にはどうなりますか?」と聞くと、「腎不全にかかり、死ぬかもしれません」という答えだった。
手術を受けるか否かは患者である自分が決めるとはどういうことなのか。他の医師から「セカンドオピニオン」を受けることができるとはどういうことなのか。
医師は不審な顔をしている私に「ここにある患者の権利章典を読みましたか?」と壁のポスターをさし、「患者には自分の医療処置について自分で決める権利があるのです。治療を拒否することもできるのです」と告げた。
十分な説明を受け、疑問の点も納得し、私は最終的に手術を受けることを自分で決めた。つまり、これが「インフォームド・コンセント」であり、米国において、これをはじめてみずから体験することになったのだった。
じつは、私にとって腎臓結石は二度目で、この時より約十年ほど前、サイゴンに滞在している時にかかったことがあった。その時はベトナム情勢が不安な折でもあったので、日本に帰国し、手術を受けた。大学病院であったが、医師からはなんの説明を受けることもなく、即手術を受けることになった。医学生にとっては最適な教材だったようで、まるで見世物のようにベッドをおおぜいの学生に囲まれ、医師が私にではなく、学生に細かく病状を説明していた。
最近になって日本でも、「患者の権利」とか「インフォームド・コンセント」とかいったことばをよく耳にするようになってきた。しかし、ほんとうに意味するところが正しく理解されていないのではないだろうか。
本稿では、上記のような私自身の体験をふまえて、なぜ患者の権利が定着しつつあるのか、また、医療の本質が「患者の権利」に象徴されるバイオエシックスの発想によってどんなに変化したかについて具体例をあげて述べてみたい。
「病気の権利宣言」とか「患者の権利宣言」ということばは、わが国においては、和田心臓移植事件を契機に開催された集会で、一九七〇年に使われたことがある。しかし、この具体的内容については、一九八〇年代に入るまで、ほとんど指摘されていなかった。
たしかに医療者側は、いつも「患者のために」を第一に考え、治療に専念してきたという歴史はあった。一九五一年九月に制定された日本医師会の「医師の倫理」の中の第一章、患者に対する責務の項には「診療に際しては念頭にただ『患者のために』ということあるのみ」と記されている。ただ、この場合もあくまで医療側の考える価値観に応じての「患者のために」であって、患者側の人間としての切なる意向は無視されがちであったことは否めない。
国際的にみても、医療の中での患者自身の価値観、人生観、患者自身のいのちに関する評価についての価値判断の最終決定権は患者にあるという、いわば医療の伝統的パターナリズムの崩壊が、一九六〇年代からの社会的な価値観の激変の中でおこったのであった。
たしかに、米国においては患者の権利、とくにインフォームド・コンセントをめぐっての法理がさまざまな判例の中で形成されるにいたったが、これはむしろ、医療の中でのパターナリズムを支えてきた価値観よりも患者の「人としての尊厳」と、いわばバイオエシックスをつくり出すにいたった「自己決定」という価値観の形成が社会的に容認されたという事実の反映なのであった。
つまり、医事訴訟の増大が患者の権利を認めさせたのではなく、現実の臨床や医学研究の中での価値観、被検者を中心に考えようという新しい価値観の変動が、現場を変革していったということを正しく把握しておかなければなるまい。
これは被差別者、少数者などの権利を充実させる公民権運動や女性開放運動、消費者の権利運動や情報の公開、住民の行政機関への発言や決定への参加などと連動しつつ、さまざまなセルフ・ヘルプの運動を糾合し、患者の権利運動、バイオエシックス運動へと展開されていくのである。
このような一九六〇年代の欧米諸国にはじまった国際的な価値観の変動と体制・権威主義批判を通しての社会変革の大きな広がりの中で患者の権利運動を評価すべきである。その意味で、わが国の患者の権利運動は、外国でできあがった運動の単なるコピーになってはならない。患者や良心的な医療者側が旧来の日本に特有な「患者のおまかせ意識」と「医療側の権威主義的パターナリズム」を変革することがよいのだという確信をもっていたとしても、日本人の人間関係や社会意識、事大主義が根本から変革されないかぎり、医療の現場も変革されえないことは明らかである。
つまり、患者の権利の問題によって、じつは私たちの医療をとりまく日常的な生活の場での「人権意識」が問い直されているのであるし、そのための変革の行動が求められているのである。
アメリカ病院協会(AHA)は一九七二年に「患者の権利章典」を採択している。これは二つの重要な意味を私たちに示している。単に患者の権利といわずに「章典」(Bill of Rights)という表現をとったことである。このことは、いわば人間の基本的人権を権力側に認めさせるという、一種の革命的なメタファーが示されている。つまり、旧来の医療の絶対的権威への挑戦なのであった。第二に、いわばいままで完全に医療側の立場にあった病院という組織体が、全面的に患者の権利を提唱するという医療における価値観の大転換をやりとげたということである。
これは、近代化、合理化、機能化が急激なスピードで進行し、非人間化状況のまっただ中にたった病院のいわば起死回生策であったともいえる。私はかつてこの間の事情を分析し、わが国における患者の権利章典の形成を訴えたことがあった(「バイオエシックスと病院の機能」『病院』、四〇巻第一号、一九八一年一月)。
もちろん、世界の同時代史を歩むわが国でも、このような欧米諸国をはじめとする国際的動向から無縁であるはずがない。前述の「病者の権利宣言」(一九七〇年)、「精神医療における人体実験の原則案」(一九七三年)、「患者の権利宣言(案)」(一九八四年)などがあげられるし、最近では医療生協が日本の医療関連組織体としては、はじめて「患者の権利宣言」を採択している(一九九一年五月)。
現在、「患者の権利法をつくる会」準備会では、「患者の権利法」立法をめぐる運動の準備作業に入っている。一九九一年七月十一日現在の準備委員会によるたたき台草案によれば、前文、1. 患者の基本権、2. 医療従事者および医療機関の責務、3. 国および地方自治体の責務、4. 患者の権利各則、5. 患者の権利擁護システム、6. 罰則、などから構成されている。従来の「患者の権利宣言」が、病院など、臨床の現場での医師、患者の相互の心得や決まりを律していたのに比べると、患者の権利擁護委員をおいたり、地方自治体の責務を含めた幅広い意識での患者の権利の擁護を意図している点など、私が従来から構想し、提唱してきた「患者の権利章典」と多くの点で重なりあっている。
わが国では、患者の権利という場合に、どちらかというと医療行為におけるインフォームド・コンセントが焦点となっている。日本医師会の生命倫理懇談会が一九九〇年一月に公表した「説明と同意」に関する報告書では、日本にふさわしいやりかたでのインフォームド・コンセントの考え方を示している。
そもそも、インフォームド・コンセントにおいては、医療側が患者側に単に情報を伝えるだけではなく、患者がそれを理解したことを確認しなければならない。つまり、医師と患者との関係は一方通行的なものではなく、患者にもわかりやすいことばを用いての情報の提供と交換と同意にもとづいた治療処置を行うという点で、平等な人間関係が望ましい。治療内容については、医師の専門家としての判断と裁量権が重要ではあるが、患者の生命、身体の最終決定権は患者自身にあるというバイオエシックスの考え方が医療の本質を変えることになったのである。
通常、インフォームド・コンセントにおいては、(1)診断の結果にもとづいた患者の現在の病状を患者に正しく伝える、(2)治療に必要な検査の目的と内容を患者にわかることばで説明する、(3)治療の危険性の説明、(4)成功の確立の説明、(5)その治療処置以外の方法があれば説明する、(6)あらゆる治療法を拒否した場合にどうなるかを伝える、などの内容を意味している。欧米諸国においては、医療提供者側中心の発想が大きく変化し、医療を受ける患者側の権利を中心とした発想が臨床の現場でも、法的にも確立した原理となっている。
インフォームド・コンセントが患者の権利としてまだ十分に受け入れられていないわが国での論議に比べて、欧米諸国ではより本質的な医療への参加と自己決定の行使が現在の問題として大きく浮かびあがってきている。米国では昨年公布された連邦政府による「患者自己決定法」(一九九一年十二月より施行)により、入院時に病院などで、患者に生命についての価値判断をめぐっての自己決定権のあることを告げることが義務づけられた。わが国においては、このようなかたちでの自己の生命の最終の決定権をもつことについての論議も、まだ十分に熱していないのが現状である。
たとえば、現在の米国において患者の自己決定権が法的、社会的に尊重され、定着していることの当然の帰結として、心臓まひなどの場合、「蘇生を望まない」と本人が主張し、決断し、文書・カードなどに記載してある場合、医療者側はこれに従うことが求められる。病院などでは、入院患者の診療カルテの表紙にDNR(Do not Resuscitate)のスティッカーが貼られてあり、医療スタッフはそのことを知ったうえで対応する。
意味のないと思われる延命処置を拒否するリビングウィル(生前の意思表示)やこれを法制化した「自然死法」(カルフォルニア州、一九七七年)もDNRと共通する考え方で、本人が判断力を失った場合に備えてあらかじめ文書による意思表示をしたり、代理人に生前の意思にそった法的な処置をすることを認めさせている。なお、これらはあくまでも患者本人の意思の尊重としての、権利としての尊厳死につらなる考え方であり、一九九一年五月に東海大学での事件として報道された、医師による積極的安楽死とは根本的に異なるということを指摘しておきたい。
一九九一年夏、早稲田大学人間総合研究センターが主催した「早稲田大学国際バイオエシックス・シンポジウム」のテーマは、「患者にとって医療とはなにか---臨床医療と看護の現場から」であった。北は北海道から南は沖縄まで、四〇〇人近くの参加者のさまざまな意見を総合討議で司会をし、それをまとめながら感じたのは、まだまだ日本の医療は患者中心となっていないということであった。
しかし、インフォームド・コンセント、臓器移植、倫理委員会、看護などをテーマとした小グループ討議の中で率直に語られた批判や提案によって、きわめて示唆にとんだユニークな試みが日本の病院や医科大学、看護学校などで行われていることが明らかとなった。たとえば、医学部でのインフォームド・コンセントをめぐるロールプレイによる教育や、地域コミュニティでの家庭の主婦たちによるバイオエシックス研究会、ボランティア活動、医師と看護婦による地域での在宅看護の新しい試み、患者のセルフヘルプ・グループの形成、弁護士を中心とした患者の権利法制定への動きなど、バイオエシックスの大きな芽と広がりが日本の各地にはぐくまれ、大きく育ちつつある現状を実感できたのは大きな収穫であった。
わが国における患者の権利の充実を求めての運動も、明日は患者になるかもしれない自分自身、または家族にとって切実な問題であることをふまえ、わたしたち国民の税金によって、医学教育も、医学研究も、医療も行われているからこそ、私たちは発言し、政策決定の過程に参加する責任と権利をもっていることを自覚すべきであろう。なぜなら、それが私たちのつくり上げるバイオエシックスの出発点となる発想だからなのである。