全日本鍼灸学会雑誌 (全日本鍼灸学会), 47 (3), 1997, pp. 93-100.Prof. Rihito Kimura wearing a smile
'97.9.1 特別講演

健康のイメージと伝統医療
- バイオエシックスの視座から -


早稲田大学教授・ジョージタウン大学医学部客員教授・ケネディ倫理研究所国際バイオエシックス研究部長
木村利人 (早稲田大学人間科学部人間健康科学科)

Images of Health and the Traditional Medicine
- Bioethical Perspectives -

Rihito KIMURA
Department of Health Sciences, School of Human Sciences, Waseda University
Kennedy Institute of Ethics, Georgetown University



はじめに:何故バイオエシックスなのか

 私は、バイオエシックスという、まだ聞きなれないカタカナの言葉である新しい学問に取り組んでいます。このバイオエシックスを日本語に訳しますと「バイオ」は「生命」という意味であり、「エシックス」は「エシィコス」というギリシア語が語源で、「倫理」と言う意味があります。したがって、日本語では単に「生命倫理」と訳されることもあります。
 このバイオエシックスは、人間行動の規範、つまり良いか悪いか、正しいのか否かを研究する応用倫理学の分野だとする考えもあります。したがって、「生命倫理」と訳しますと特に医療分野での臨床の現場における倫理学の一分野というように受け取られる可能性があります。
 私は、バイオエシックスは倫理学の一分野ではなく、倫理学をも一つの学問分野としてその中に含まれていると考えています。例えば、医学・法律学・政治学・経済学・宗教学、そして東洋医学も含めた、非常に幅のある、広い大きな展開をしている学問がバイオエシックスなのです。しかもこの学問の基礎にあるのは、人間を全体として捉え直し、人間の命の尊厳を新しい時代の中で、もう一度捉え直し、そしてどのような方向で21世紀を展望して行こうかという、スケールの大きな学問なのです。
 したがって、バイオエシックスというのは学際的研究の枠を超えた研究分野なのです。公共政策 (public policy)、つまり、これは健康・医療・生命をめぐって私達がよるべき方策として、どのような方策を作り上げていったら良いものかということを考えて行こう、そういうことを含む実践的、超学際的な学問分野として私は「生命倫理」という言葉ではなく、「バイオエシックス」という言葉で、この新しい学問分野を作り上げてきた、パイオニアの一人なのです。
 本日の講演では、さきほど浜添先生からもご紹介がありましたように、日本で自分なりにこの新しい学問を展開するにあたって、私が世界各地で学びました様々な知識、あるいは研究と教育の体験なども取り入れてお話します。
 私自身、タイのバンコクにありますチュラロンコン大学という大学で5年間、サイゴンにありますサイゴン大学、スイスにありますジュネーブ大学、アメリカにありますハーバード大学、そしてジョージタウン大学など、様々なところで法学、生命、倫理について教育し研究する機会があり、それらを総合しながら新しくバイオエシックスという学問を展開してきました。
 この日本でもここ数年間、特にバイオエシックスの問題に様々な角度から光が当てられています。今まさに一般の人達をもこの中に入れた形で、様々な提案がなされ、研究会が行われ、学会が開かれているのが現状です。しかし、今から約20年前に、こういった事態になることは、おそらく誰も想像しなかったと思います。例えば、国会で脳死に関する法案が審議され、衆議院で可決され、参議院で再び審議される、この法案が可決されるかどうかということが、果たして20年前に誰の目に見えただろうかというようなことを感じるのです。

バイオエシックスの視座:インフォームド・コンセント

 私自身は、その当時から日本の医師・患者関係のあり方は非常に早く変化するのではないかと予測したのですが、これは一般の方々、特に専門家の方々にはそのように思われなかったという状況がありました。例えば、鍼灸にも直接関係があると思われますが、皆さん、インフォームド・コンセント (informed consent) という言葉をご存知だと思います。このインフォームド・コンセントという用語、これを定着させるきっかけを、私は日本の医療の現場につくったのです。
 1980年にジョージタウン大学から一時帰国した私は、北は北海道から南は九州まで、日本各地の医師会で講演をする機会がありました。1980年代の初め、約17年前ですが、法律学者の一部の間では、このインフォームド・コンセントという言葉は知られておりました。しかし、日本の医師会の大半の先生方は、インフォームド・コンセントという言葉の内容を私から聞いた上で、「木村さん、そういったインフォームド・コンセントなどということは日本の状況の中では全く考えられないし、必要がない。むしろ、これは非常に西欧的な考えであるので、定着するはずもないし、またその必要もない」と言われたのです。
 これは、私にとって大変な驚きでした。このとき、すでに WHO ではインフォームド・コンセントをめぐって様々な基準を作成していました。日本だけが、世界の中でこの点に関してほとんど関心がもたれていなかった数少ない国の一つでした。もちろん、インフォームド・コンセントといった考え方自体は、世界的なレベルでみても、比較的新しい考え方です。17年前の日本で「木村さんは、火星から来た火星人のようなことをおっしゃる」と言われたことを覚えています。
 インフォームド・コンセントは、今、日々新聞に取り上げられていることですから、その内容については、皆さんもご存知だと思います。「充分に説明を受けた上で、患者は、治療を行うことに同意する」というように大部分の方はお考えと思います。大半の方は、この言葉の具体的な内容についてもご存知かと思います。しかし、私は日本でインフォームド・コンセントという言葉が、日本語的に翻訳される危険性を感じました。その時から、これは (カタカナのやや少し長い言葉になりますが) 日本語に直さず、今後の日本社会に定着させる必要性があると考え、使ってきました。このカタカナ表現は、20年を経過した今日では辞書にも記載され、テレビや新聞でも取り上げられるようになるなど、やや定着してきたようです。
 しかし、日本の医師会はインフォームド・コンセントを「説明と同意」と訳しました。「説明と同意」と訳したこと自体は、ご存知のように今まで説明も同意もなかった医療でしたから、そのようになりますと、大変に良いことだと考えます。つい先日、NHK 教育チャンネルの番組に出演しました。その番組は、司会のアナウンサーの方と私でメディカルボランティアや、医療のボランティアの問題について話をするものでしたが、司会のアナウンサーの方が「説明と同意、今こういうインフォームド・コンセントの時代になりました」と解説したのです。しかし、「説明と同意」は内容的にインフォームド・コンセントと違うのです。ちょうど「生命倫理」というと、「バイオエシックス」という内容と違ってくることと似たことになるのです。どこが違うかは、皆さんもお分かりだと思います。
 インフォームド・コンセントと言うのは、ご存知のように、診断をしたらその診断の内容を、正しく患者に伝えなくてはなりません。まず、第一に日本では正しく伝えられているでしょうか。今でこそ変化が起こりましたが、例えば癌などではその内容を、正しく伝えていないケース等が今でもたくさんあります。それから、診断の内容に伴って、どのような処置が必要か、そのリスクや成功率、予後も伝えなくてはなりません。その処置にしても、ただ説明するだけでなく、分かりやすい言葉で相手が理解し納得するというところまで、きちんと説明するということが、インフォームド・コンセントなのです。
 その処置についても、当然お分かりだと思いますが、いろいろな選択肢があります。例えば、癌の場合でも、いろいろな癌があります。肺癌・乳癌・子宮癌など様々な癌があり、その部位と症状によって、医療側にも選択の余地があることを、患者にはっきりと伝えなくてはなりません。例えば、どのようなものがあるでしょうか。この会場の中には癌が専門の方もおられると思いますが、癌ですと、もちろんご存知のようにキモセラピー (chemotherapy・化学療法) で薬物を使って癌細胞を殺していこうというもの、外科手術でその部位を摘出してしまおうというもの、乳癌の場合などは摘出せずに温存療法で治療していけるといった報告もあります。そういった様々な方法がありますし、放射線治療でその部位を徹底的に焼いてしまおうという方法もあります。それからレーザー光線で焼く方法もありますし、免疫療法で何か特定のワクチンを使ってその治療をする方法を開発すること等もあり、日本でも各方面でいろいろな研究がなされています。その他にも、鍼にいちばん関係があると思われるペインコントロール等もあります。痛みを止めながら、積極的治療はしないという方法です。残された一定の時間、限られた時間に、無理な治療を受けて、自分自身が動けなくなり、自分のクウォリティー・オブ・ライフ (quality of life) が異常に低下することを恐れ、むしろ限られた生命ならば、痛みを止めて最後まで充実した生を送ろうという決断も可能です。
 このように様々な方法があると思いますが、私の父の場合は肺癌で亡くなりました。当時、今から25年前ですが、老人性結核と診断されており、壮絶な痛みが伴い、しかも当時は今と異なり、ペインコントロールを主眼とした治療法、いわゆる対処療法というものが余り展開されておりませんでした。そのために私の父は、何とかこの痛みを止めてもらいたいと「何とかして下さい、看護婦さん、お医者さん」と言っても、「時間がきません」とのことで、いわばモルヒネも使ってくれなかったので、激しい痛みの中で父は「一気に、今自分の命を止められた方がいい」と言って最期の最期まで苦しみの中で悶えながら逝ったのです。
 私は、そういったいろいろな選択の幅がある、その選択の幅を含めて患者に伝えることが、インフォームド・コンセントになると考えます。それから、そういった処置を患者から自発的に選択した場合、結果としてどのようになるのかということも含めなくてはなりませんし、その選択の中にあるリスクについて、どういった危険性があり、どういった利点があるのかということも伝えなくてはなりません。これらを伝えていただかないと、後に大きな法的問題を生じたとき、つまり、そこまで話していたか、いなかったかということが議論になります。
 これらのことは、患者が医療側の提示した、医療側から言われたことに対して、説明を受けて同意するというレベルの問題ではなく、内容的に説明と同意をはるかに超えたインフォームド・コンセントという具体的な新しい考え方が出てきていることを示します。
 いわば、これはバイオエシックスが作り出した考え方です。私は、それでインフォームド・コンセントという、カタカナの長い言葉を使っているのです。この言葉は、今日では日本の社会に定着しかかっていると考えています。総理府の調査では、インフォームド・コンセントと言う言葉を聞いたことがあるかについては (聞いたことがあるが) 30パーセントです。これは、私の予測よりもはるかに少ないのです。また、内容について詳しく知っている人については、それよりも更に少ないようです。しかし、辞書にも登場し、医療の専門家でおそらくインフォームド・コンセントを知らない人はいないほどに広まったことは、日本におけるバイオエシックスの一つの成果だと考えます。
 このように、予後も含めた全体を患者側に知らせるということは、鍼の治療に置いても同様だと思われます。私は、先生方が患者さんとの間にどのような同意の上でどのような治療をするかということ、おそらく個々のケースがあると思いますが、いろいろな言葉で説明をしながら、問診をしながら、「ここに、このように鍼をします」と、話していると思います。

鍼治療のリスクと同意

 私は、気を許している友人の鍼治療を専門にしている方に治療を受けたことがあります。私は自分自身でも鍼治療の効果を大変信じている人間の一人です。鍼を体内に入れて波動を起こす、その程度の刺激なら良いのです。その友人が、「木村先生もお疲れでしょう」と私に話をしながら、疲れに非常に効果のある場所があるといって、「ここに鍼をうっておきましょう」と言いました。私は、鍼を「ここにうっておきましょう」と言っても、同意しなかったのです。実は、そこにアメリカの友人であるベイラー医科大学のエンゲルハート教授が一緒だったのです。彼はアメリカのバイオエシックスの最高権威の一人であり、日本でも「バイオエシックスの基礎づけ」という訳本 (朝日出版社、1989年) を出しています。この著者である学者と一緒だったのです。私が鍼治療のモデルとなり、鍼をしてもらい、私は同意はしていませんが、気を許した友人なのでそのまま、疲れに効果があるという場所に鍼を受けたのですが、実はこのとき「うちましょう」ということで、私は「はい、いいです」と同意せずに鍼をうたれてしまったのでした。すっと走るような感覚と内出血がありました。翌日は、前日に受けた鍼の場所が、青くなり大きく腫れてしまいました。
 このような場合、皆さん、はっきりしておきたいのは前もっての同意が絶対に必要だということです。患者に伝えると不安感を与えるといった心配ごとなどとはまったく別に、大変にきちんと説明をするということの重要性です。例えば、鍼が入ると血管が逃げていく、本来そういったものだといっても、「場合によっては、出血する可能性があります」ということや、「しかし、出血しても問題ありません」と、前もって伝えておかなくてはなりません。私は、友人ですので訴訟とかといったことはしませんでした。しかし、アメリカの研究者が同伴していたので、「木村先生、今、同意をしましたか」と即座に聞かれました。
 リスクの説明や同意がない場合、出血してまぶたが異常に大きく腫れ上がって、紫色になったりすると、アメリカの場合はほとんど訴訟になります。リスクがあることを知った上で同意しているのであれば、問題はありません。リスクがあると知った上で同意をしているのですから。リスクも知らず、同意もないままに事故が起こったときに訴訟の問題になるのです。これは、細かいことなのですが、大変に重要なことです。インフォームド・コンセントというものは、そういった具体的な内容を持ったものなのです。
 皆さん、このようなことは今後大きな問題になりますので、きちんとしたインフォームド・コンセントを行うという習慣をつけて下さい。アメリカでは、文書で同意を取りますが、鍼治療の場合も文書や口頭でも同意を取るというようなことが非常に重要になってくると思います。私の場合は、その後も異常なく、出血は引き、まぶたは元通りになり、別にどうといったこともなく、その後も折にふれて鍼治療を継続しています。
 このような具体的なインフォームド・コンセントの内容というのは、やはり患者を人間として尊重するということが根底にあるところから出てきた考え方なのです。西洋近代医学で、最も大きな問題となったことは、一方的に患者が「もの」として扱われてしまったということです。人間が、人間として尊厳を持って扱われるべき最も重要なポイントは、その人の自己決定の権利です。これをバイオエシックスの用語でプリンシプル・オブ・オートノミー (principle of autonomy) と言いますが、これは患者自身の自己決定を尊重する、「いやならばやらない」ということです。
 私自身も結石の症状があり、サイゴン大学におりますときに結石の症状が発症しました。当時、サイゴンはベトナム戦争下でゲリラが活動していたので、手術中に病院が爆破されては困るということから日本に帰国して参りました。その当時、1970年代の初めですが、私はたいへん重症だったので羽田から某大学病院へ救急車で運ばれました。今でも覚えているのですが、その大学病院の診察室には学生が研修に入っており、主治医の先生が学生にレントゲン写真を見せ、学生に質問をしながら、学生と主治医とのやり取りで全てを決めていました。先生が「君、これはどのような患者か」、「レントゲン写真から診断すると結石ではないか」、「このようなときは、どう対処する」と、学生と対話をしていました。当時は超音波で結石を粉砕するなどの治療法はないので、学生が「手術でしょう」、「そう、手術」と言って、私にはなんの説明もなく、私の顔すら見ずにカルテに記載してしまいました。それくらい安易に治療の説明もなく、処置の決定も医療側が決定する時代でした。
 その後、スイスで発病しましたが、結石が上手く出てきました。再びアメリカで発症し、手術をする前にたっぷりに時間をかけて、手術の説明を聞き、解説にあった条件を含めて、手術を受けるか否かはあなたの決断によると言われ、じっくりと担当医と相談しました。私が決定して、担当医の先生に言いました。私は、たくさんある選択肢の中でこの方法が最も良いと考え、これが良いと思うと言い、承諾書にサインをしようとしました。その時、担当医は「待ちなさい。サインをする前によく文章を読んで下さい。あなたは、second opinion (二人目の専門家の意見) があることを考えましたか?。だからもう一人、別の先生にカルテやレントゲン写真の全てを見せて相談した上で、決断して下さい」と言われました。私はその文章をよく読み、主治医であるハーバード大学のドクターが計画してくれた具体的な内容をよく検討し、おそらくはこれがいちばん良いであろうという方法を自分で決定したのです。
 ですから、インフォームド・コンセントという言葉の日本語訳は「説明と同意」となりますが、同意ではなく、もう一歩踏み込んで、いまやインフォームド・チョイス (informed choice)、すなわち自分が充分に情報を得た状態で選択する権利をもっているというように、医療の世界が変わってきております。私がこのような話をしますと、「木村先生、アメリカやヨーロッパの話はやめて下さい」と言われますが、世界の流れはこのように変わってきているのです。私は、この流れに日本は追いついていけないのではないかと思っています。

価値観の変動:伝統医療の新しさ

 このように治療に対する選択を、いわば選択する権利を十二分に保障するような医療を、バイオエシックスは作り出してきた訳なのです。これは、なんといっても1960年代からの大きな価値観の変動、つまり非常にパターナリスティックな、いわば父権的温情主義と言うような一方的に医療側が提示したことに従わない患者は困る、といったことで正当化されていた医療に対する異議申し立てがされたからなのです。
 医療での患者の権利運動・女性の解放運動・消費者の権利運動や学生紛争・ベトナム戦争などと複雑に絡み合い、そういった形で全世界的に日本もその例外でなく、大きな価値観の変換が起こったのです。このときに、バイオエシックスが生まれる基盤が作り上げられたのです。バイオエシックスの生まれる基盤の一つは、西欧的な近代医療に対する根本からの疑問だったのです。西欧的な近代医療というものが、本当にこれでよいのかという疑問が、患者の価値観の問題と絡み合いながら、1960年代に起こったのです。そういった意味では伝統医学のことをオールタナティブ・メディシン (alternative medicine) といいますが、西欧で19世紀以降に展開されてきた scientific な method に沿った医学に対して、我々がいわば自分の体を自分で守るために西欧医学では存在しない選択肢も存在するという主張をふまえ、様々な医療における価値観、伝統文化の中での医療のあり方をめぐる問題などがバイオエシックスをつくる非常に大きな構成要素の一つとなっているのです。
 私はこの点に大変興味を持ち、注目していたのです。バイオエシックスと言うと、主として先端医科学技術、たとえば脳死・遺伝子治療・クローニングなどをめぐる、実行して良いのかの倫理問題と考えられがちです。この間も科学技術庁で行われたライフサイエンス部会でクローニングに対する意見を述べて参りました。また、厚生科学審議会では、遺伝子治療に関する審議も取り上げられます。これからは、病気ではない人も治療しなければならない時代になってきました。そのように、重要な病気ではない人を治療するとはおかしなことです。少なくとも今現在は健康で、しかし、例えばハンチントン舞踏病などの単一遺伝子を今持っていることが診断されると、大体中年で発病し、発病して数年で体にふるえが起こり脳に知能遅滞が起こり必ずお亡くなりになると言うように、絶対に発病する単一遺伝子というものが分かっているのです。しかし、現在は健康なのです。今までの病気というものは、どこか体の具合が悪くなってから医者にかかるということでした。治療することは、どこか悪い所を治すということでした。これからの病気というものの考え方は、健康でいる間にどこか悪い遺伝子、いずれ発症するであろう遺伝子を発見し、治してしまおうというものに変わり、病院や健康・医療などのイメージが全く変わってくる時代になってきたのです。今では結婚以前に遺伝子が分かりますし、生まれてくる子供の体内診断も含めて夫婦の遺伝子を検査することで遺伝病の子供は作らないと決断することも可能な時代になってきました。
 そういった意味で医療の変革が起これば起こるほど、患者の自己決定が非常に大事になってくるわけです。私は、そういった意味でも様々な文化の中での健康や医療、それに伴う患者自身の価値観であるとかいったものが大変な変革期を迎えようとしていると考えます。アメリカにある世界最大の医学研究機関であるナショナル・インスティテュート・オブ・ヘルス (N.I.H.) では、伝統医療の研究部ができ、そこでは鍼治療も含めて、様々な研究を行っています。
 WHO には NIH よりはるかに以前の1977年から、すでに伝統医療研究プロジェクトができています。また、WHO の科学研究班の "A proposed standard international acupuncture nomenclature" と言って鍼治療のための専門用語を英語でどのように表現するかという、国際的な基準をパンフレットにしたものが1991年に作成されていますし、「鍼の臨床研究のためのガイドライン」も1995年に刊行されています。このように鍼治療に対する国際的関心は高いのです。今から10年前にニューヨークで大村恵昭博士が会長となって開催された「鍼治療における電気治療の問題」という国際シンポジウムがあり、世界の20カ国から150人ほどの人が集まり、私も招かれてバイオエシックスについて講演しました。
 このように考えますと、バイオエシックスの患者の自己決定を尊重する医療の重要性、つまり医療の中心は、確かに今までのように医療側が持っています。それを一方的に患者に押しつけるといった時代は終わりを告げたと考えています。この生命を守り育てるために、患者側の意識の変革も必要、また医療側の意識の変革も必要だというのが、バイオエシックスの基本の考えです。実際にバイオエシックスが、非常に幅広く、様々な文化の中での状況を踏まえて展開されていく事例を見れば見るほど、私はインフォームド・コンセントと同様に、この言葉が日本に定着するであろうと見ているのですが、ややスピードが遅いようです。臨床の現場ではインフォームド・コンセントという言葉が定着しております。インフォームド・コンセントという言葉を朝日新聞のコンピュータのインターネットに接続すると、この3年間でインフォームド・コンセントをめぐって約400件のデータが検索されますが、バイオエシックスという言葉を検索しますと50件ほどで、これだけの差ができています。
 初めに申し上げたように、この医療の質が問われる時代に東洋医学の持っている基本的な概念である人間を全体としてとらえる、浜添先生の話では全身的に人間全体をみる全身的治療と局所治療があるとのことですが、全体的な治療という考え方が非常に大事になってくると考えます。
 15年前に私がバイオエシックスの運動を始めたときに、友人の依頼で長野県の池田町にある厚生連安曇病院に講演をしに行きました。当時、この病院の中の神経科の医長をしておられた栗本医師の依頼でした。バイオエシックスの精神を活かして心に病のある方々を支えるプロジェクトを行おうということで1982年の7月から、私もボランティアとして参加しました。患者さんたちは、「体の中に蛇がたくさん居る」という人や全く話をしない人、物を手にすると投げる人など様々な心の病を持った人達でした。そうした精神科の医療の中で、看護婦さんやボランティアの医師、鍼治療の専門家などが加わり、精神科の病棟を改革する運動を、いわばバイオエシックスの運動の一つの展開として行ったのです。これは大変インパクトがありました。世界でも稀なことですが、日本で初めて患者の権利を考える専門家を置き、多くのボランティアが参加したのです。
 病棟がどのように変化したかというと、閉鎖的だった病棟を開放し、食器をプラスチックから陶器に変え、芝生を裸足で歩けるようにし、二階は自殺防止のために施錠されていたのを開放しました。その中心となって働いたのが、私の友人であり、共にボランティアに参加した鍼治療の専門家でした。
 私は体の痛みと同時に、必ず患者さんは様々な思い悩みがあり、心の痛みがあると考えます。今後、おそらく鍼治療の21世紀への大きな展開の一つとして、心の病と鍼治療の結びつきは大変に重要なテーマになると思います。様々な形で問題になると思いますが、私のおります早稲田大学の人間科学部では心理的な側面から、鍼治療や気功などの様々な研究をしています。今後、心の病と鍼治療との関係は非常に大きなテーマになってくると考えます。

おわりに:世界に向けて新しい健康のイメージを

 私は、先ほど述べたように、父の最期にしましても、麻薬の使用ができずに安らかな最期を迎えられないのであれば、あの時に鍼治療を受けていれば、もしかしたら痛みを抑えられて安らかな人生の最期を迎えられたのではと、今になって思うことがあります。健康と言う言葉のイメージは、ヘルス・ヘルシーといいますとヨーロッパやアメリカの方々、外国の方々に訪ねると、大体、体が強い・速い・高く飛べるなどのハードなイメージがあります。私は、アメリカにおりますときに健康に関する様々な文献を読み勉強しました。これは、我々も学ばなければなりませんがアメリカという国は西洋伝統医学に関してもそうですが、大変たくさんの日本を含む東洋の医学文献を持っております。先ほど言いましたが NIH という世界最大の医学研究機関にある医学図書館には、日本の養生訓や医心方などの現物がありまして、私はバイオエシックスとの関わりで、東洋医学の勉強をアメリカで始めたのです。そこで分かったことは、養生訓や医心方の復刻版では分からないこともあるということでした。例えば、赤い筆で余白にかかれた書き込みや、養生訓等では当時の本の広告などが巻末に綴じ込んであったりします。
 さて、私は東洋医学における健康イメージは西洋的な強さ・固さ・素早さというよりも、一つの全体としての調和だと思っています。「和・ハーモニー」と、心と体の調和、あるいは世界と自分との調和であると考えます。
 この間、WHO で「西暦2000年に全ての人々に健康を」というテーマで国際会議が開催され、特にバイオエシックスと価値観との関連で健康のイメージについて討議したとき、私はヨーロッパやアメリカの方々に筆を取って、「丸を書いて下さい」と言い、これが日本におけるハーモニーのシンボルだと言いました。けれども、この筆を取って書いた丸は、ただの丸ではなく、虹色の丸であり、その虹の中には様々な肌の人、様々なところで働く人、例えば難民キャンプで働く人、鍼灸を専門とする人や、病院やホスピスで働く人などが、細かく虹の中におさまっているとイメージしたのです。丸はこのようなイメージとして、調和と健康のイメージと言いましたら、論文にしてくれと言われ、WHO に提出し、WHO の季刊誌に掲載されました。
 これからは、新しい調和に向けて21世紀を創り出さなくてはなりません。ご紹介の中にもありましたが、私が学生時代に作詞しました「幸せなら手を叩こう」という唄の中で、「態度に示そう」という箇所があります。これからは、態度に示すということが重要になります。バイオエシックスの精神を態度に示して、21世紀をめざして、新しい時代を築き上げていく。その中で、新しい時代の伝統医療の新生を通じて、新しい健康のイメージと新しい伝統医療が世界的に見直されていきます。
 ここにおられる先生方の役割も大変に大きく、日本から世界に向けての発言に対して、非常に注目されているのが現状です。「西暦2000年に全ての人々に健康を」という WHO のプロジェクトに東洋医学の研究と実践の果たす役割は極めて大きいと思います。その実現のために、ともに力を合わせ、伝統医療をふまえた新しい健康のあり方とそのイメージをつくり出して行こうではありませんか。

文 献

1)木村利人 : いのちを考える. バイオエシックスのすすめ、日本評論社、1987.
2)Kimura, Rihito : Medical Ethics. Contemporary Japan, in "Encyclopedia of Bioethics", Macmillan, N.Y., 1995.
3)Kimura, Rihito : The need for new images in "World Health Forum". W.H.O., 18 (2), 1997.
4)W.H.O. : A proposed standard international acupuncture nomenclature, report of a WHO scientific group, 1991.
5)W.H.O. : Guidelines for clinical research on acupuncture. WHO regional publications, Western Pacific Series, 15, 1995.
6)早稲田大学人間科学部 : 東洋医学の人間科学 I〜VI, 1991〜1996.


please send your E-mail torihito@human.waseda.ac.jp

木村利人教授・学術論文データベースのページに戻る