8月27日、私たちはHospice of Northern Virginiaを訪問・見学し、そこでScofield先生たちの講演を聞きました。黒板に書かれた詩は彼らの心情が素直に吐露されていて、今でも私の心に深く残っています。以下に、その詩を引用してみます。
We didn't talk about it.
We accepted that we could't take our loved ones home to die.
Our loved ones died alone in ICUs,
while we waited outside the door for the next five minute visit.
We accepted pain.
We didn't know we could ask"why?"
We didn't have anyone to ask if we were crazy or grieving...
この精神から、彼らは全ての末期患者のために、徹底した「Home Care」を行うこと( For all terminally ill persons, "Care in the home" is emphasized)をThe Hospice Conceptとして考えていました。また、症状が発生した場合は、延命治療を施すのではなく、現時点での苦痛の緩和のみを最優先させて、治療を行う(Symptom management takes primacy)とのことでした。
彼らは、末期患者が死に至るプロセスを次のように捉えていました。
すなわち、「無限大に拡がる複合観念」→「死の想起」→「死に直面」→「死を真剣に考えるようになり、神秘なるものに直面する」→「何もなくなる(Nothing)心境」→「勉強して、自分の病気を治そうとする」→「苦しい日が後何日続くのだろうか・・と思い煩う」→「ある日突然訪れる、ある一つの地点(全てが終わってしまうpoint)に行き着く」→「愛と暖かなCare、そしてRich Experience」→「支えられて、満足して飛び立っていく(死の享受)」のプロセスです。
まさに永年、末期患者に接してきた彼らだからこそ、達し得た価値観変容のプロセスであり、本当に患者たちを愛しているからこそ、患者たちの死を素直に、そして冷静に考えることが出来るのであると感じました。彼らが、いわゆる「死への教育(Death Education)」そして、何よりも「Spiritual and Emotional Care」を重視する所以も、ここにおいて理解できるような気がしたのでした。
このホスピスでは下の図1のように患者やその家族を中心にPhysicianやNurse、SocialworkerさらにChaplainやTherapistが相互に連携をとっており、それをVolunteerや Occupational、Dietitianが支えているといった、まさに理想的なシステムが構築されていました。また、「Begin again」の精神のもと、残された子供たちのためのTherapyも充実しているとのことでした。
以上のように、このホスピスでは患者とその家族の立場に立った「血の通った」終末期医療を肌で感じることが出来ました。医師や看護婦たちが、あえて白衣を着ていなかったのも印象深かったです。
今回の経験で私は、本質的に医療というものは、従来考えられていた医師・看護婦中心のようなものではけっしてないと再認識したのでした。まだまだ、日本では患者やその家族の立場を軽視した医療観念がまかり通っているような気がします。しかし、患者の身になって考えれば、医師・看護婦が満たすニーズ以外のものにも応えてくれる、様々な専門家が必要なのは当然のことなのです。
出来るだけ多くの分野の専門家が集まり、さらにはVolunteerによるBack-up systemを充実させて、肉体面はもちろんのこと、精神面においても包括的な医療を実施させていくことが、近未来における理想的な病院システムであると私は考えました。
(早稲田大学大学院人間科学研究科 かわはらなおと)
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