末期医療におけるSPIRITUAL CAREについて
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末期医療における「SPIRITUAL CARE」について考える時、去る1996年の8月27日、ゼミの研修の一環としてHospice of Northern Virginiaを訪問・見学した際に伺ったScofield先生たちのお話を思い出します (【注1】 以下、「1996年度バイオエシックス夏期特別研修REPORT 北ヴァージニア ホスピス訪問/講演」を省みての考察)。
彼らは全ての末期患者のために、徹底した「Home Care」を行うこと ( For all terminally ill persons, "Care in the home" is emphasized)、また、症状が発生した場合は延命治療を施すのではなく、現時点での苦痛の緩和のみを最優先させて治療を行っていくこと (Symptom management takes primacy) を重視していました。これらのケア・コンセプトには一貫して「生を肯定し、その一環としての死をノーマルなプロセスとして捉える」彼らの思想があるとのことでした (The hospice philosophy, which affirms life and regards dying as a normal process) 。
彼らは、末期患者が死に至るプロセスを図に示して私たちに説明してくれましたが、その概要は次の通りです。 すなわち、「無限大に拡がる複合観念」→「死の想起」→「死に直面」→「死を真剣に考えるようになり、神秘なるものに直面する」→「何もなくなる(Nothing) 心境」→「勉強して、自分の病気を治そうとする」→「苦しい日が後何日続くのだろうか・・と思い煩う」→「ある日突然訪れる、ある一つの地点 (全てが終わってしまうpoint) に行き着く」→「愛と暖かなCare、そしてRich Experience」→「支えられて、満足して飛び立っていく (死の享受)」という一貫した流れです。
この「死へのプロセス」は、まさに永年にわたって末期患者に接してきた彼らだからこそ達し得た価値観変容のプロセスであり、本当に患者たちを愛しているからこそ、患者たちの死を素直に、そして冷静に考えることが出来るのであると感じました。そして、彼らが所謂「死への教育 (Death Education)」、そして何よりも「Spiritual and Emotional Care」を重視する所以も、ここにおいて理解できるような気がしたのでした。
こうしたスピリチュアル・ケアの必要性は近年になって、ようやく我が国でも重視されるようになってきましたが、「スピリチュアル・ケア」の在り方そのものにも、やはり社会的な要因が大きく影響しているように考えられます。
つまり、急速に拡がりつつある核家族化、少子高齢化に伴う高齢者の単独世帯の増加等の社会現象による「大家族ネットワークの衰退」が、死を迎えようとする者のライフスタイルにも大きく影響しているものと考えられるわけです。
従来、我が国でも「家族を中心に営まれてきた生活の最終段階」としての「 Home Care」が、ごく自然な形で行われていました。家族構成員の誰かが死を迎えようとする時、そこには見慣れた家族や近所の友人たちの顔が集まり、場所も病院ではなく、住み慣れたわが家の一室である場合が多かったと思われます。
しかしながら、現在、状況は一変しています。不必要な長期入院の増加によって死ぬまでの豊かな生活はなかなか個人に保障されません。所謂「社会的入院」状態のままに終末期を迎え、見慣れた家族たちの顔の代わりに医療従事者たちの顔が病床に集まります。死に場所は無機質な白い部屋のベッドの上なのです。
こうした社会全般にわたる家族形態の変化に伴い、患者の家族と共に、あるいは、その代わりとなって良心的なケアを施してくれる施設が求められてくるのは、当然なる社会的要請、当り前の成り行きとも考えられるわけです。さらに、私はこの「家族の在り方」こそ「スピリチュアル・ケア」をめぐる文化的差異の問題を考える上での重要な指標になり得るものと考えるのです。
今後、末期の患者をめぐって、家族のケアだけでは支えきれない世帯が多くなることは容易に予想されます。従来の大家族ネットワークの代わりとなって、患者とその家族を支えていく地域連帯のコミュニティづくりが我が国でもますます必要となってくるでしょう。その一環として地域単位で、Hospice of Northern Virginiaのような「Care Home」を構想していく事は、昨今の画一化された病院機能を改めていく上で重要な布石になり得るものと私は考えています。
また、Hospice of Northern Virginiaでは、下図のように患者やその家族を中心にPhysicianやNurse、SocialworkerさらにChaplainやTherapistが相互に連携をとっており、それをVolunteerや Occupational、Dietitianが支えているといった、まさに理想的なシステムが構築されていました。
図1: Hospice of Northern Virginiaのネットワークシステム
Hospice of Northern Virginiaでは患者とその家族の立場に立った「血の通った」終末期医療を肌で感じることが出来ました。医師や看護婦たちが、あえて白衣を着ていなかったのも印象深かったです。
この経験で私は、本質的に医療というものは、従来考えられていた医師・看護婦中心のようなものではけっしてないと再認識したのでした。まだまだ、我が国では患者やその家族の立場を軽視した医療観念がまかり通っているような気がします。しかし、患者の身になって考えれば、医師・看護婦が満たすニーズ以外のものにも応えてくれる、様々な専門家が必要なのは当然のことなのです。
Hospice of Northern Virginiaでは「Begin again」の精神のもと、残された子供たちのためのTherapyも充実しているとのことでした。出来るだけ多くの分野の専門家が集まり、さらにはVolunteerによるBack-up systemを充実させて、肉体面はもちろんのこと、精神面においても包括的な医療を実施させていくことが、近未来における理想的な病院システムであると改めて考えた次第です。
従来、地域を基盤として家族中心に行われていた「スピリチュアル・ケア」を今一度、本当の意味で実現させるには、患者とその家族を取り巻く多くの医療従事者、専門家、ボランティア達が各地域単位で力を合わせ、「一つの家族」としての営みを行っていく方法が最も望ましいと考えられるわけです。なぜなら、こうした「家族的な温かさ」こそ、洋の東西を問わず、文化的差異の問題をも超えて、終末期患者の最も望む事であると考えられるからです。至極当たり前、且つ難しい事ですが、これこそが最も「スピリチュアル・ケア」なるものに期待されるべき本質であると私は考えています。(終)
(早稲田大学大学院人間科学研究科 河原直人)
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