3. 真実告知 (Truth Telling) について
選択の自由と価値観の多様化 |
最も重要な点は「自己の生命」についての再認識と自覚の深まりだと思います。患者や死に行く人々との医療の現場での対話が行われるようになり、人格を持った判断の主体としての患者自身の法的・道徳的権利の尊重の重要性が指摘され、また確認されてきたのです。更に医科学技術などの急激な発達の中で、診断や治療の方法も、いろいろと選択の幅があることが明白になり、それらについて患者が詳しく知りたいと思うようになってきたのも当然のことと言えましょう。したがって、患者の「知る権利」が「患者の権利章典」の中にもはっきりと組み込まれ、各地の病院や米国病院協会 (AHA : American Hospital Association) などにより承認されることになってきています。
したがって、例えば、診断結果が癌と判明した場合、米国では、配偶者や家族よりも、原則的には当の患者本人にまずその事実が伝えられなければなりません。もちろん、例外もありますが、よほど注意しないと患者の「プライバシーの権利」の侵害となります。また、どうしても結果を知りたくないという患者もいないわけではないと思われますが、そのことが、医療従事者の患者とのコミュニケーション不足を正当化するいいわけにはならないのです。患者自身が自分の置かれている状況を正しく理解できるように暖かく配慮するコミュニケーションの専門家が、求められていますし、実際に米国の病院では、そういうスタッフを置いている例も増えつつあり、「患者の権利擁護官」と呼ばれています (本誌40巻1号51頁参照)。
もちろん、このような診断結果の「真実告知」、特に死を免れぬ場合の「告げ方」については、そのタイミングや方法について、個々人の患者の個性に応じた対応の仕方があるのは言うまでもありません。徐々に伝える方法や、伝えた後の心理的なケアも必要でしょう。真実を伝えることを恐れることなく、むしろはっきりと事実を伝えるという「誠実さ」の中に真の「医の倫理」の新しい展開を見いだす人々が増えてきました。正しく、オープンなコミュニケーションから、正しい治療や死への準備が生まれてくるからなのです。
癌などの例でみますと、治療を行う上での選択の幅を列記すれば (順序不同)、次のようになると言えましょう。
1) 手術 2) 放射線療法 3) 化学療法 4) ホスピスによる家庭看護プログラムか、同施設内看護プログラム 5) すべての治療の拒絶 6) 実験治療、研究計画などへの自発的参加 7) 前項のいずれかの組合わせ |
という具合に、患者やその家族の意向に沿っての治療方法や決断の尊重が、日本においてもこれからの課題となって行くことが予想されます。
子どもにも本当のことを |
米国では、現在、子どもたちに対しても、判断の主体としての人格を尊重する立場から診断結果や治療方法を明らかにして、医師、看護婦、両親たちと子どもの患者が協力し合って、病気を治すという方向がはっきりと打ち出されてきています。そして、そのような協力関係の中で患者である子どもたち同士や、親たちの間に連帯の意識が生まれ、情報の交換をしたり、慰め合ったり、助け合ったりするというケースが生まれつつあります。
1982年早々のワシントンのテレビ局での夕方の時間には「癌と闘う子どもたち」という特別公開参加番組が放映され、我が家の子どもたちと一緒にこれに見入りました。登場する子どもたちが明るく真剣な表情で、病気との闘いの経過を率直に語るありさまや、苦しみと悩みと格闘しつつ生命をギリギリまで、子どもとして燃焼させている様子に大きな感銘を受けました。約7歳から19歳くらいまでのこれらの子ども、少年、少女たちは自分の病気 -例えば骨髄癌、白血病、脳腫瘍等々- に関する難しい医学用語を一所懸命に学び、この病気の内容や治療方法についてよく理解した上で、「お医者さんに治してもらう」というより、皆の協力を受けて自分が病気と闘うという姿勢が、ありありと伝わってきました。もっとも、この番組に出た医学専門家としての「ゲスト」は、癌を「悪者」の侵入ととらえ、これと闘うという「イメージ」による心理的な治療を説いているという点で、ユニークな医師であるという印象を与えられました。子どもたちの一人一人がそういう病気と闘うという方向付けをはっきりと自覚しているのです。(もちろん、このようなアプローチへの賛否両論があります。米国の雑誌 "Psychology Today" 1980年9月に掲載された "Images that Heal" は参考になります。)
このテレビ番組の終わりには、録画後1年を経たそれぞれの登場人物のその後についての報告もテロップで流れました。また我が家の子どもたちと、病気、癌、その治療などについて語り合い、考え、学ぶ機会が与えられました。このような形のバイオエシックス教育プログラムが他にもいろいろな形でテレビに取り上げられています。(例えば全米人文基金の支出により1981年には6回シリーズのバイオエシックス番組 "Hard Choices" が放映されました。)
真実を共有すること |
米国のある病院で、入院している子どもの患者たちに「病院ままごとゲーム」(医師や患者の人形、ベッド、病室、手術室の模型からなる) をさせ、その子どもたちの心理テストをしてみたという報告を読んだことがあります。これによると、癌などで不治の病にある子どもたちは自分のベッドと定めた小さなままごと用ベッドを片すみに追いやり、病院内のスタッフがたまにしかベッドに近付かず、家族や親戚だけが入れ替わり立ち替わり訪問する遊びをしていたそうです。もう回復の見込みのない人に、大して興味も関心も抱かなくなり、むしろ患者さんである子どもたちを避けようとしている様子が反映されていて、現代医学と看護のあり方に非常な問題を感じさせる結果が出たとのレポートでした。
我が国の現状はどうなのでしょうか。子どもの患者に対してはもちろん、大人の患者に対しても、真実を告げるということはタブー視され、原則的には、医師も患者も、また特に患者の家族も、あからさまに真実を語ることを避け、「それとなく」知るのをよしとする傾向にあるのではないでしょうか。
これに関する米国での看護婦さんの間での統計 (Dealing with Death & Dying, 1976) をみますと次のようになっています。
1) 不治の病であるとの診断結果は一刻も早く患者に知らせるべき | 60% |
2) 患者から質問されたとき知らせる | 21% |
3) 病状が進行しつつあるとき徐々に知らせるべき | 16% |
4) 絶対に告げない、ただ重症であるということのみ | 2% |
5) もう死が全く避けられないということがはっきりした最後の段階で | 0.5% |
一般の人々が、どのようにして「死と死の過程」の事実に直面し、それをありのままに認め、受け入れて行くのか、また死を迎えつつある人たちとどう対話するのか、といった教育プログラム (Death Education) が、バイオエシックス教育の一環として高校・大学・医学部コース・病院や一般の医療従事者の間に大きく広がり定着しつつあります。
患者心理についての研究がますます進み、それらをめぐっての私たちの知識の量も大幅に増大してきています。それらを通して分かりつつあることは、病気や死の過程で、人それぞれのその人らしさがはっきりと現れてくるということです。
その人らしさを十二分に発揮して最後まで生き抜くことができるよう、患者や死に行く人々の意志・希望に耳を傾け、その意向に沿いつつ、しかもそれらの人々から学ぼうという願いが、前述のホスピス・プログラムにおけるボランティア運動となって米国では教会などの地域の組織を媒介にしてコミュニティの中に展開されつつあるわけです。
今、私たちが問われていることは、「私たちは、患者に真実を告げるべきかどうか」ということではなく「どのようにして私たちは患者と真実を共有すべきか」ということなのです。この立場こそがバイオエシックスの視座からの「真実告知」の理念なのです。
(つづく)