■「病院」, 41 (9), pp. 52-53., 医学書院, 1982. 9.

バイオエシックスと医療

Prof. Rihito Kimura wearing a smile
9. バイオエシックスの思想と文化 - その2
 「医は仁術」の国際化 

木村利人 (早稲田大学人間科学部教授)
 今年 (・1982年) は我が国に現存する最古の医書『医心方』全30巻 (982年) が刊行されてからちょうど1,000年の記念すべき年に当たります。
 この平安時代の医学全書は徳川末期に復刻され広く読まれ、この原本 (安政6年, 1859年刊) が米国ワシントン D. C. の国立国会図書館にもあります。その第2頁には、「大慈惻隠の心」をもって医を行うべきこととあり、「医は仁術である」との精神がすでに著者の丹波康頼によりはっきり記されています。
 仏教 (大慈) や儒教 (惻隠の心) の教えをよりどころとした人間性の発露として、傷つき苦しむ病者を助け、救うのが当然人としての務めであるとする発想なのです。中国で「方技」としての卑しき職業とみなされた医療という思想は本書には読み取れません。
 日本でこれからバイオエシックスを展開するに当たって、このような、私たちの国の歴史と文化の中で育ってきた医療や人間観、仏教や儒教などの外来宗教や倫理と、昔からある原始宗教の要素は無視できないと思います。
 近代化、西欧化の大きな流れの中で、私たちの思想や文化、医学、医療も大きな変化を受けました。確かに「西欧科学思想」の観点からみれば、非合理的で遅れた面も多かったのも事実です。しかし、近代西欧で形成された諸科学や学問の有効性とその普遍性が問い直され、世界の国々の固有の文化や思想の根本的な再評価が今行われつつあることは周知のことです。
 バイオエシックスという新しい学問分野においては、このような世界の歴史の変動の中で、世界の各国、各文化や民族の貴重な伝統と遺産、その現在の動態などを意欲的に大きく取り入れて形成されつつあるのです。
 西欧諸国のみならず、日本を含む非西欧世界の宗教、歴史、文学、法律、医学などの専門家からの寄稿によって刊行されるに至った前述の『バイオエシックス大百科事典』は、この意味で真にユニークな成果だと言えましょう。人間と人間の生命があまりにも狭く、細かく専門領域により分断されてしまったことに対する批判を踏まえ、バイオエシックスは一つのまとまりを持った一個の全体像としての「人間」をとらえ直し、固有の文化と共同体の中での人間と生命の再発見をしつつあるのです。
 現在まで、人間や生命、環境の問題などは専門の領域を越えて研究する試みが多くなされつつあり、恐らく「バイオエシックス」は21世紀に向かってますます大きく展開していく新しい学問分野となると考えられます。

  「仁術」は亡びず  

 「医は仁術である」との考えはそれ自体としては決して否定さるべきものではありません。仁とは惻隠の心であり、人をいたみ、おもんばかる心、つまり、心の底から相手に同情するという意味です。医が仁術であると言われるとき、ただ傷ついた人、病の人を癒すのみでなく、その人たちと痛みや苦しみの心を共有し分かち合うということになります。
 儒教の教えを身をもって行った医師もいましたし、多くの人々、特に医療費をも払えない人たちは、「仁」にすがってあわれみを受ける立場におかれてきました。
 織田信長や豊臣秀吉との会見記を書いたことで有名なポルトガルの宣教師フロイス神父は、日本の患者が、お金を払わず医師に大根や芋を持っていくとか、医師は治療費を請求することがないと書いているのは的を得た見方と言えるかもしれません (上智大学からこの文書の原本が復刻されています)。更に、同文書中には医師が使いの者に命令して薬を患者の家へ持たせるとあり、薬剤師に処方して作らせないのを奇妙に感じているようです。このころからすでに西欧では、医薬分業となりつつあったからだと思われます。
 さて、その後我が国に展開されて行く定められた身分階層秩序の中で、封建制度と結びついた「医は仁術」思想が支配者に都合のよい安全弁となりました。あわれみをかけるといった仁的儒教倫理のわく内でしか医療をとらえざるを得ないことになっていたので、医師の責任や義務としての医療という考えや社会の中での制度としての医療といった発想は成立する余地もなかったのです。特に閉ざされた師弟関係、派閥の対立、秘伝、中国医書への盲信などが生み出した退廃が、やがて蘭学の導入により大きく変化することになります。
 米国ワシントン D. C. 近郊メリーランド州、ベセスダには世界でも最大の医学研究センターの一つがあり11の研究所と1,200の実験室が極めて広大な森と芝生の中に広がっています。そこの医学図書館には日本の新旧医学書も数多く所蔵されています。
 例の有名な『解体新書』の四冊本 (安永3年刊, 1774年) が二組ありますが、それを手にして私が一番強く感じたのは、このような翻訳の試みの、地域を越えた広がりでした。通訳官、医者、印刷・刊行者が江戸、秋田、中津など、当時の日本の中で大きく広がったネットワークをつくることによって、このような試みが成功したことを目の当たりにして、学問の本質的なあり方について学ばされました (米国のこれらの図書館では、この『解体新書』でも他の医学古典でも、カードに番号と名前を記してだれでも手に取って見られるのに、日本ではこれらの医学書の実物を手に取って見るのは必ずしも容易ではないように思われます)。
 曲直瀬道三 (1507〜1594年) の口述の形を取っている「雖知苦菴道三翁養生物語」では、日本には日本にふさわしい医のあり方があると述べています。唐の方書、日本の医書を読み尽くし、キリシタンの洗礼を受けたと言われる日本医学中興の祖としての道三によるとされているこの書は、口語体のカタカナで分かりやすく書かれています。
 「不養生ノ者ハ、死スル時気ヌケシテ、ウロタヘマワリ、得死ナス也、況ヤ善死スル了 (事) ハナラヌ也、爰ニ心得違イノ者有、養生スレバ天命ノ定数ヲモノブルト思ヒ、又養生セズニ、定命ヲ縮ムルヲモ知ヌナリ」
 道三によれば「養生」は「死ヲ善センガ為ナリ」ということでした。このような「善死」の思想はもちろん、発想は異なりますが、字義的には Euthanasia にも通ずる考えだと思われます。

  伝統文化を超えて  

 バイオエシックスは、現代に生きる私たちが同時代史の観点から共有でき得る価値観をつくり出して行こう、と試みつつある一つの「運動」と言えます。
 確かにそれぞれの国に、それぞれ固有の文化、歴史、倫理、道徳、価値意識があります。私たちはこのエトス (習俗) の中で影響を受け、それに規定され生きていますし、それを尊重し、良い点は評価しなければならないことは言うまでもありません。
 にもかかわらず、私たちが生命と人権の尊重を基軸にしてバイオエシックスを展開しようとする場合、はっきりと旧来の社会や意識の中に組み込まれた思想や思考のわく組みに妥協できない場合のあることを知らねばなりません。その意味でバイオエシックスは現状の許し難い人権侵害にあくまで挑戦し、現在から未来にかけて豊かな人権が育ちゆくための活動とイマジネーションを養い、積み重ねて行かねばならないと思います。
 確かに一つの文化の価値観の中で当然のこととして認められてきたとは言っても、私たちは、今までに奴隷制、殉死、まびき、人身売買、売春などの非人間的な悪や不正義を追求し、これらの廃絶への厳しい闘いの中で人類の文化を進展させてきました。
 一つの固有な文化の持つ価値は、国際的に評価され得るレベルでの基準から光を当てられ、再評価されなければなりません。その意味で、バイオエシックスと深いかかわりを持つ医療の分野には、すでに国際レベルでのガイドラインの伝統が形成されてきていることは人類にとっての大きな文化遺産の一つです。それらの重要なものとして、例えばニュールンベルグ宣言 (1946年, 人体実験についての規制)、世界医師会ジュネーブ宣言 (1948年)、世界医師会・ヘルシンキ宣言 (1964年, 1975年修正) などがあります。そしてこれらのすべてを貫いて、第二次大戦の悲惨な戦禍の反省の中から生まれた国際連合の「世界人権宣言」(1948年) 及び「国際人権規約」(1966年) は、私たちにとっての重要なガイドラインとなるべきなのです。

  医を選ぶ  

 江戸時代の儒医、貝原益軒は『貝原養生訓』(文化10年, 1813年刊, 米国国立国会図書館蔵) の中で「人身は至りて貴とくおもくして天下四海にもかへがたき物ならずや」(総論上) と述べています。
 益軒の養生訓で説かれているような平生の健康、食事、精神や心構えなどで、日本はユニークな伝統を持っています。ストレスとか、セルフ・ヘルス・ケアとかプライマリー・ケアとか片かなで外来語として定着しつつある用語も、ある意味ではすでに江戸時代の日本社会の中にあった発想なのではないかと思われます。
 このような考えが当時のベストセラー『養生訓』を通し広まっていき、現代に至るまで日本人に語り継がれ読まれていることは驚くべきことです。
 もちろん益軒は「医は仁術」ということの意味を広く唱えた人としてもよく知られています。特に注目すべきと考えられるのは、個々の病気だけでなく一個の全体・統一体としての「人間」を生活の中でとらえようとしたことです。日本の中で展開されるべきバイオエシックスは、このような統一体としての「ひと」を大事にしようとしてきた日本文化のよき伝統を正しく評価するべきでしょう。人権尊重のゆるぎなき基盤の上に立ち、国際社会に限りなく豊かな貢献を成し得るバイオエシックスを、私たち一人ひとりがつくり上げて行くべき責任を持っているのです。
(つづく)


次号/
バイオエシックスと医療 (10) バイオエシックスの思想と文化 (その3) 「全人医療」のための指針に続きます。

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