第1. 2回バイオエシックス研修会講演録 (1)


21世紀の医療を展望する
- ダーウィンから、バイオエシックスまで - (3)
1983年12月15日 13:00〜17:00 AM
於:愛知厚生年金会館
講師:岡村 昭彦/木村 利人

木村; どうも有り難うございました。私たちがバイオエシックスについてキャンペーンを始めた時には、道遠しと思ったんですが、今年の4月13日から、例えば、厚生省は「生命と倫理」を考えるために、大臣の私的諮問機関を作りました。それから、文部省の中にも、21世紀の医療をめぐっての委員会が出来るといった具合で、やはり日本というのは、アメリカから時々見ていると、孤立していてどうしようもなく固まっていて駄目のように見えるんですが、しかし、それが不思議な事に、一旦それを押し止めている力がどこかで崩れると、堰を切ったように流れて、色んな実際上の動きがいち早く出来る国でもあるようです。
 しかし、出来たところでしばらくすると、パッと消えてなくなるという事もあるんです。ですから、それらの動きを消さないようにやっていかなくちゃいけない。今度、選挙になりますから、ああいうふうに私的諮問機関として作った人が大臣をやめて、選挙で仮に当選しなければ、今度また全然違う人が始める、あるいは、始まらない。しかし、そういう意味では、日本も色んな変化への可能性を持った国でもあるというふうに見えるわけです。
 そこで、時間が限られておりまして、大変恐縮ですが、こういう状況、特に2番目の直撃ハード方式から、間接ソフト方式へというふうに未来が展開するだろうと言うのは、次のような事です。
 ちょっとここで言いますと、メディカル医療モデルから全体に、ケア中心から予防中心へ、キュアからケアにいきます。それから、医師中心から、医師中心の時代は去っていくだろう。そして、病院中心の時代から、地域のヘルス・センターの時代になるだろう。その地域のヘルス・センターというのも、むしろ看護婦さんを中心にしたヘルス・センターが出来ていくんではないか。それから、医学校での医学教育は、むしろコミュニティなんかのヘルス教育でも、自己教育と言いますか、そういうような方向がはっきり出てくるんではないか。それから、技術中心の、何でもともかくお金をつぎ込んで、技術的に可能なものは成功させて、それでもって直撃ハード方式でもってやっていこうというシステムから、技術への不信がますます大きくなってくる。それから、死を何とか征服しなくちゃいけないという考え方は、むしろ死を受け入れていこうという考え方に変わるかも知れない。
 そんなような事が、未来を考えていく場合に、どうしても重要なポイントになるわけですが、最も大事な事の一つは、患者が受け身的な患者である方が、現在の医療システムの中では、やり易かった。しかし、それがむしろ自発的な患者として、治りたいと思っている患者、あるいは、先ほど、ご発言の中にもございましたが、自分が自分のために病に挑む患者、これは我々が1980年からずっと色んな機会を捉えて、講演なり、あるいは、論文なりで書いてきた事ですが、自分の命には、自分が責任を持つ。そして、医者なり、あるいは、ヘルス・プロフェッション、医療関係者の方が判断を下しても、それに患者が納得出来ない以上は、結構です、と言うような発想を取り入れていくというような考え方が、これからは強くなっていくんではないでしょうか。
 このように考えると、メディカル・プロフェッションとして、長い長い歴史を持ってきた、ヒポクラテスの倫理以来の考え方というものが、大きく根底から揺らぎ、そういう中で、第一線の現場にいる看護婦さんというものの一つの在り方が、質的にも内容的にも、それから対外的にも、おそらくは相当大きい変革を受ける事になると考えています。現在のところ、その兆しは、ヨーロッパとアメリカの諸国に出ていますが、しかし、メディカル・プロフェッションの中心にある、お医者さんたちの考え方が、なかなか強いために、色んな問題は確かに残っているわけです。
 しかし、全体として考えてみると、新しい時代、21世紀の時代の看護婦さんたちの役割というのは、今取り組まないと、取り返しがつかないぐらいになってしまうのではないでしょうか。これから変革していく看護婦さんたちの在り方を、私なりにまとめてみると、4つのポイントが挙げられるのではないかと思うのです。
 1つは、どうしても歴史感覚を持った看護婦さんが育っていかなければいけない。歴史感覚がないと、未来が展望できないわけです。これは、私なんかもそうなのですが、むしろ外国に住んでいますと、この間も、ある先生と話したんですが、日本の事がよく見えるという事があるんです。外国に住んでいるために、情報量が限られてくるでしょう。情報量が限られてくると、日本という国は、こういう方向に行こうとしているな、という事が分かるのです。それから、今、世界中に色んな情報が充ち満ちていますが、日本の中にいるよりも、外にいた方が、日本の情報がよく手に入るという奇妙な現象があります。
 例えば、私がいるアメリカのワシントン, D.C. のNIH (米国立衛生研究所) には、世界で最大の図書館があるのです。その NIH の図書館のアジア部門の中の日本部門というのは、日本の戦後に出来た新制大学の平均的な図書館よりも多くの蔵書を持っているわけです。日本で刊行される重要な書籍をほとんど全部買っているんです。アメリカで読むためには3ヶ月ぐらいの時間の遅れがありますけれども、少し遅れて必ず購入されています。だから、日本で刊行された本は、アメリカでほとんど読めるわけです。なお、NIH には、世界最大のメディカルの35もの研究所が、日本で言えば、東京の世田谷区よりも大きい敷地にあります。ここの職員は全部で1万3千人ぐらいで、日本人が約1,300人位いるんです。お医者さんが中心ですから。NIH の図書館に行きますと、日本の医療の古文書があるわけです。解体新書はセットになっているのが2部、図書ナンバーがあって、これ書くと司書は日本語を読めないわけですが、図書ナンバーが書いてあるのを見て、はいっ、と出してくるわけですね、解体新書を。
 かえって日本にいますと、なかなか解体新書の原本が読めないから、例えば、医学部の学者でも、日本の医学の歴史を勉強するというケースはほとんどないんじゃないですか。現在の技術中心の医学では、しかし、日本人として日本の中で生きていく場合に、日本の医学の先駆者がどういう苦しみをしたかというような事を踏まえないと、これからの医学は、例えば、国際的に活躍していこうとする日本人が、日本の医学について聞かれて返事も出来なかったというんでは困ります。そういう人は尊敬されない人です。どんなに医学的に技術水準が高くても、自分の国の文化を尊重し、自分の歴史、あるいは、自分の育った環境の中での文化遺産とをわきまえない人はだめです。これから、ますます、そういう時代になってきますから、そういう意味では、世界が狭くなってきている。ですから、そういう観点からいくと、歴史感覚が重要と言えます。例えば、明治以降の看護の歴史とか、赤十字の役割などを調べ、歴史感覚をどうしても養う必要があります。
 それから、そういう歴史感覚を養うために、特に、戦後の書物として、私は推薦して、是非皆さん方に読んでもらいたいと思っているのは、例えば、正木ひろしという弁護士さんが書いた『近きより』というのが、旺文社文庫で1から5まで出ているんです。これは、人権感覚というのはどういうものかというような事を養うために、そしてまた、日本が第2次世界大戦の時に、どれだけ狂ってしまったかという事を知るために、日本人のいやらしさがいっぱい出てくるんです。戦争を、我々は過去のものにしていますが、しかし、そういう歴史感覚を踏まえていくために、どうしても、この正木亮さんのものは、私、個人的によく存じ上げてた、ご指導いただいた弁護士さんでもありますから、是非皆さん方に読んでおいていただきたい。特に、3、5、後の方から読んだ方が面白いんです。日本が負けたところから読んだ方が。正木ひろしさんの考え方、これは戦争中に公然と東条英機を批判する論文を書いて、日本の歴史に大きい足跡を残した一人の人です。そして、これからも長く思想家として記憶される人だと思います。
 それからあと、私、どうしても挙げたいんですが、正宗白鳥という名前を聞いた事がないという人もいるかも知れませんが、明治、大正、昭和、を生き抜いた小説家なんです。その人の全集が今、福武書店というところから出版され始めています。正宗白鳥は、これから老人社会になっていく場合に、老人としての生き方というのは、どういう生き方かという事を、日本人として非常にクールな目で描いた、日本での最初の作家です。文芸評論家としても有名な方ですけれども、例えば、自分のお父さんが死んでいく有様を描写したり、あるいは、自分の兄弟の死んでいく有様を描写している。これは、中央公論の文庫の中に、正宗白鳥のものが2冊入っておりますから、これを買って、お読みになると、その中に『今年の秋』というのがあります。是非、読んで下さい (バイオエシックス・セミナー 第4講 <自然な生の終わり>,『看護学雑誌』, 1984年4月号参照)。
 先に、歴史感覚の事に触れましたが、第2番目に挙げておきたいのは、21世紀を生き抜くために、どうしても自己感覚と言いますか、自分に対するセンスビリティを磨いていかなくてはいけない。自分に対するセンスビリティというのは、他者へのセンスビリティ、他者への感覚と重なってくるわけですね。自分が一体どういう人間になって、自分が一体何を書くという事がはっきりしないと、他人も理解出来ないし、そして、ある意味では、やっぱり自分を大事にしていく、そういう発想を、日本というのは、やけっぱちの発想が、とても顔をきかすところで、これは正木さんの文章の中にも出てきますが、その場が良ければ、それでいいという考え方です。あとは野となれ山となれ、というような考え方が、非常にはびこり易い国なんです。戦争中の日本を見てみると全部そうなんです。
 ですから、そういう意味では、どうしても自分が一体誰なのか、一体何なのか、そして、自分の中に欠けているのはどんなものかというような発想を持っていかなくちゃいけないし、そういう事から考えると、私は日本人に最も欠けている、これから特に医療を考えていく場合に、永遠、つまり、自分を越えたもの、そういうものを持った一つの感覚を養う、その手掛かりとして、やっぱり2000年、あるいは、3000年を生き抜いた人類の古典としての宗教書が必要です。
 おそらく、岡村ゼミの必読文献に入っていると思いますが、聖書は、どうしても読む必要がある。宗教書として読まなくても別にいいんですけれども、聖書を読んでいきますと、人間のみじめさ、醜さ、でたらめさ、それから、いやらしさと同時に、人間への愛、信頼、それからまた、誇り、そういうものが活き活きと描かれているので驚くんです。それから、例えば、道元の『正法眼蔵』なんか読んでみるべきでしょう。現代語訳で出ています。そういうのを読むと、どんなにか宗教者が、深く人間の問題を捉えようとしていたかというような事が浮かび上がってくるわけです。
 直接自分の職業とか、直接自分の技術とかに、直接自分の仕事とかに関係ないものを読まない癖をつけてしまった日本の教育というのが、やっぱり色んな意味で、大きく全てを損得で勘定している。時間で換算し、何か大事なものがどこかにあるんじゃないかと私は思っています。世界のバイオエシックスの動向の一つの大きい流れとして、ヨーロッパやアメリカのバイオエシックスをやっている人たちは宗教者が多いのです。
 やっぱり死に直面するとか、あるいは、生命をここで終わらせるのか、あるいは、器械を移植してまで人間を生かす事に意義があるのかどうか。人間の命というのは有限ではないのだろうか。ここで、1週間命が延びるという事のために、何百万とお金を使ってもいいという発想は正しいのか。それとも、ここまでやったのだから、これでいいのかというような、そういう議論が、やはり宗教や哲学の問題として、日常のホスピタル・コミュニティの中に、病院の倫理委員会みたいなものを作ってやっているところも、今、増えてきております。アメリカ全部というわけではありません。出来ていない州もありますし、出来ている州もありますが、ある場合は必ず、その委員会には宗教者が入っているわけです。しかも、個人個人が人生の終わりに自分の命の在り方について表明出来ない場合もあるわけですから、そういう場合に、家族なり、あるいは、法定代理人などが、どういうふうにしたら良いかという事は、これから大きい問題として出てくるわけです。
 具体的に言うと、今までは私の責任はこうです、私の仕事はこれです、という事で生きてきたのが、それぞれの自分の生き方を問われる時代になってきているという事です。ですから、周りの目や、あるいは、その場をごまかせても、自分自身はごまかせない。それから、自分が人生を一体どういうふうに生きているのかと、自分の生き方と職業とかがつながってきて、お金は入らなくても、たとえ死に達しても、という考えが、大事な発想になってくるだろうと思います。
 バイオエシックスの教科書が、今、100種以上、出版されていますが、バイオエシックスを考えてみた場合に、そういう基本のフィロソフィーが、当然自明の事になっているため、バイオエシックスの本の中に、はっきりした形では出てこない部分があるわけです。それを、日本でバイオエシックスをこれからやる場合に、重要な問題として、いつも見落としてはいけない点です。これは、日本でもバイオエシックスを展開する場合の、日本人のメンタリティと、日本の歴史、日本の医療の考え方、日本の職業の在り方というものが、どうしても前提となって展開されてきます。
 私は、アメリカで初めて総合され、形成されつつある、バイオエシックスという新しい学問の背景には、そういう一つのイメージ、人間が人間の中心というのではなく、何か神によって創られている、あるいは、人間は何かによって支えられているという発想があると思います。日本だってあるでしょう、かたじけないとか、有り難いとか。かたじけない (忝ない) という字は、心の上に天がある。心が天の下にあるというような発想をする人がいますけれども、何かそういう一つの日本のバイオエシックスが、文化や歴史の中で、日本人の魂の中に食い込んでくる展開を、これからしていくだろうと考えます。神様との約束、契約、つまり、新約聖書、旧約聖書という契約、というような考え方です。あるいは、患者と医者との契約、それで一旦そういう契約関係に入った場合には、信頼を守るという事です。そして、お互いに患者としての責任も出てくるんです。医師としての責任はもちろんですが、患者としての責任も出てくる。
 そこでは、信頼関係の中心にあるのは、何と言っても誠実さという事なんです。だから、嘘をつく事は許されないという考え方、つまり、この患者には、こういう事を言わない方がいいだろう。本当の事を言うか言わぬかは、医者が判断して決めているのは、今まではヒポクラテスについての考え方で、現在までの医療の大きい主流は、告げる・告げないは、医師の自由で、また、医師が患者の不利になると思う事は、言わなくても良いという一つの基本の型があったわけです。
 それが、1960年代から大きく崩れてきました。本当の信頼関係というのは、正しい情報を分かち合う、苦しみを担い合う、あるいは、お互いに愛し合う、という一つの基本の誠実さの中にこそ得られるという事です。しかし、その人に、もしかすれば人生の終わりが来ており、90パーセントぐらいの確率で死が予見されるのであれば、もちろん告げ方の問題が起こってきます。もちろん聞きたくないという人もあり、「あなたに任せます」という患者さんもいるわけです。そういう人に「あなたは癌です。これから何時間持つか知れない、死ぬかも知れない」なんていう事を言う必要は全くないんです。
 しかし、本当に人間としての誠実さの中での医療という事をこれから考えていかなければならないとすると、日本での展開には、私たちの先輩、あるいは、私たちより前に生きた人、それから、現在の私たちの仲間たちが、どういうふうになるかという事をおさえて出発しないといけない。そういう意味では、自己感覚、あるいは歴史感覚、あるいは、私が強いて名付ければ、他己感覚と言いますか、他者への感覚、それを大きく総合力で捉えていく必要があり、さらに、イマジネーション、想像力が貧困になると、未来への予感が薄れてくるんです。
 医療の場合は、技術者としての側面がどうしても必要ですから、クールさを欠く事が出来ない事はもちろん重要な事です。私も大きい手術を体験しまして、腎臓結石でアメリカで病院に入った事があるんですが、日本との大きな違いは、日本では病院に入れば、患者の苦しみへの共感が医療側にはないのです。大きい病院に入りましたけれども、アメリカでの私の入院生活からお話すると、ともかく毎日お医者さんが、あなたの病状は今、こういうところにいて、大体これぐらい経ったら退院出来るだろうと非常に丁寧に詳しく説明してくれます。それから、痛み止めについては「無理して我慢するというのは、絶対にやめてくれ」と繰り返して言います。日本ですと、例えば、癌で死ぬ事が分かっている患者さんの最期にも、麻薬の規制その他によって痛み止めをしないというような事があったりするんです。アメリカでは、無駄な苦しみはやめようという発想です。いずれにせよ、死ぬという事であれば、今の痛みを止めるというところの方を最優先にしようという事です。日本では、建前と本音とがある国ですから。確かに、ケース・バイ・ケースで違うわけですけれども、そういう一つの、その共通の感覚というのが、私は、どうもなかなか育ちにくくて、クールさ、あるいは、テクニカル・エキスパートという事の風潮が、あまりに強くなって、色んな意味での問題が出てくるんではないかと思います。
 先ほども話にありましたが、看護婦さんというのは、一体誰に対して責任を持つのかという質問がよくあるんです。お医者さんに対して責任を持っているのか、患者さんに対して責任を持っているのか、これは難しい質問で、英語では、order is order という言葉がありますけれども、日本語では、命令は命令だという事になりあんすと、お医者さんの命令に従わなくちゃならない。この前の会の時に私が話しましたけれども、アメリカで訴訟になったケースがありました。それは、患者さんの立場に同情して、看護婦さんが、医師の命令を拒否したケースです。つまり、看護婦としての職業倫理に反するというケースです。つまり、医師への命令違反という事で、第一審のの判決では、看護婦のライセンスは医者の命令に従うべきだというのです。しかし、看護婦の職業は、患者と共にあるという事が原則だという事で、その判決は、最高裁にいきまして、職業倫理に反する行為ではないという事で、ひっくり返るわけですが、難しい問題です。
 長い長い歴史があっても、患者さんを中心にしたメディカル・ケアをやっていく場合に、どうしたらいいかという事は、いつも問題になるんです。お医者さんの立場に立つか、看護婦の立場に立つか、その問題の立て方にもよるわけですが、アメリカですと、例えば、総合テレビなんかを使って、実際に国民の目に触れさせていくのですが、どうですか、何か意見ございますか? どういうふうに捉えますか?

二木 (看護研究家); 私は思うんですが、これからの看護婦は、やはり今、アメリカが向かっております通りにいくと思います。それが、患者自身も看護婦との24時間の関わりの中で、患者の質問を、看護婦が受け止めていく。それがいい情報を確かに提供出来るという形の中で、話し合いの中で、患者が納得しなければ、その医師の指示を看護婦はしてはいけないという事は、私は正しいと思うのです。
 ですから、患者に対する医師の指示で、私もそれを拒否した事がございます。それは、具体的な例として、医師が飲んではいけないお酒を飲んで、手が震えているが、たまたま交通事故で入ってきた患者に縫合する必要がある時、私は、患者のためにナートを、その医師がするのを拒否しました。「あなたはとても酔っていらっしゃるから、ナートするのは非常に危険です」という事を言った事があります。ナースの人権運動は、岡村先生、木村先生が考えていらっしゃるよりも、もっと我々は、各所で声こそ出さないけれどもやっているという事実が世界中にあるという事を、もう少し研究して欲しいなと思うんです。
 1960年から63年の留学の時に、既に、私はアメリカで、患者の人権の講義を受けたんです。それから、患者はお客様であるという事を聞いて帰ってきました。もちろん帰ってきて、そういうふうなものを自分が実際にやろうとした時に、まず来るのは、昇給停止なんかまだいい方で、ともかく居れなくなる。院長とか、医師とか、婦長とかいうものは、権力を持っていますから。非常に素晴らしい闘いを日本中に広げている・・・。それに対して、とてもいいお医者さんも、一部分にいらっしゃるという事も事実です。
 しかし、それが形になっていないけれども、今、アメリカで患者の権利、そういった形の中で出てきているものを、日本にも確立するため、看護婦も目覚めて、自分自身の職業が何であるかと、すごく闘ってきたというところを、二人の先生に、私はこの場を借りて、お話したいと思います。多分、みんな、看護をしょって立って来たんだよ、という事を言いたいんでしょうけれども、私みたいに厚かましさはありませんから言えないわけです。
 ですから、あくまでもこれからのナースは、それだけの勉強をして、自分が納得した、あるいは、納得しなかったら、なぜ医師がこの薬を患者にやらなくちゃいけないかという事について、責任のある自分の納得した形で行動するという事が、これからの看護婦の在り方だと思います。

木村; どうも有り難うございました。とても私も嬉しいんですね。やはり、私は日本に今年は3回帰ってきました。やっぱり一番教えられるのは、私自身なのです、こういうところで。だから、私は、自分の考えを述べ、色んな意見を展開するのですが、その後の質問のセッション、それから、色んなコメントが大変有り難いわけです。
 私自身は法律家ですが、父は科学者、電気工学者で、伯父は日本の社会医学のパイオニアの一人です。私は、伯父の家で、始終色んな方々にお会いしました。親戚にも医者がおり、私のいとこは聖路加でも教えていました。私は1934年生まれなんですけれども、戦前、子どもの頃、その伯父の家によく遊びに行って、そこで看護婦さんの状況とか、お医者さんや患者さんの状況をよく見ていました。本当に大きい転換が、特に、戦後の日本で行われたというような事を感ずる事が多いわけです。
 この間も、若月俊一先生 (厚生連佐久総合病院長) と対談したんですが、病院・コミュニティ・患者の権利とバイオエシックス (『病院』1983年6月号対談参照)、やっぱり、お医者さんの中に、今、二木さんが言われたように、医療の動向をはっきり見極められている方々もいっぱいいらっしゃるわけです。そして、今、私が出した質問というのは、看護婦さんというのは、co-worker だという事なのです。一緒にというのは、対等なんだという事です。つまり、看護婦さんは、そういう意味ではお医者さんの奴隷でもなく、もちろん、マスターでもないわけですけれども、主人でもなく奴隷でもない。看護婦さんというのは、患者さんの奴隷でもなく、患者さんのマスターでもないのです。だから、看護婦さんというのは、患者さんへのサーバント (servant)、患者さんに本当に尽くす、患者さんと一緒になって、ペイシェント・センタード・メディカル・ケア (patient centered medical care) というものを考えていく一番大きい担い手だろうと思うわけです。
 そういう意味では、新しい時代を展望する看護婦さんとして、一番のポイントは、看護婦さんはお医者さんに対する責任を持っているのか、看護婦さんに対する責任を持っているのかという問いが出てきた時に、実は、自分自身に対する責任を持っているという事に気付いて欲しいのです。つまり、一つの決断、あるいは、一つの行為が、他人に転嫁出来ないのです。仮に、お医者さんの命令であっても、看護婦さんが仮に手を下した場合には、自分の責任になるというケースは、もうアメリカでは日常茶飯事です。
 ですから、看護婦さんが賢くなって、そして一つ一つの、例えば、手術の現場での手順というのは全部覚えて、そして終わって帰ってきたら、メモを取って置くというような事が必要ですね。後で患者さんが訴訟を起こされた時に、アメリカなんかでは医療訴訟は非常に多いのですから、そういう時に、お医者さんの責任になるのか、看護婦さんの責任になるのかというのがはっきりしないと困るからです。看護婦さんはいつも目を開いて、そして、自分が何をしたかという事を克明にメモをつけないといけない。そうしないと、自分が守れないからです。看護婦さんの方も人権感覚、あるいは、患者さんの方も人権感覚が重要なポイントになってきます。
 そう考えていくと、自分に対する責任というのは、プロフェッショナルな技術はもちろんの事、人間として自己を見つめ、そして、自己を越える何者か、something を見つめる生き方を自分自身が示していない限り、納得出来ないのではないかというふうに思うわけです。
 私は、今年の8月に、1900年から始まり、一度ぐらい途中で戦争で抜けたりしていますけれども、世界の哲学者が5年に一度集まってやる第14回国際世界哲学会の中の一つのセクションで報告をしました。カナダのモントリオールというところで、この国際学会が開かれましたけれども、哲学者がバイオエシックスと全面的に取り組まざるを得ない現実があるわけです。それはつまり、どういう事かと言うと、バイオメディカルなエンジニア、つまり、そういう遺伝工学とか、あるいは、医療というものの進展する度合いがものすごく早くなっている。そして、そういう中で、専門家としての決断を色んな形で求められる。
 つまり、ますます専門化してくるから、素人には分からないという時代になってきている。もう細かい事は、全く分からない。しかし、先ほどから言っているように、哲学者としては、普通の医療の体系の中で、素人に詳しく説明出来ない医者や、技術者や、あるいは、メディカル・プロフェッションの方々は、おかしいんではないかという現実が出てきたわけですね。この人たちには説明したって分かりっこないから、こう言ったとか、一方では、この内容については一切異議申し立てしませんという書類にサインするとか、そういう時代ではないんだという事です。
 この世界哲学会では、むしろ、その専門家、普通の一般の知識を持った人とコミュニケーション出来ないプロフェッショナルであるならば、その人は欠陥専門家ではないかというような基本、つまり、フィロソフィ。バイオエシックスを考える場合のフィロソフィの問題として大きく取り上げたわけです。カナダの学会で報告したのは、世界の動向、特に、医療の展開の中での非職業化とその重要性を述べました。
 つまり、バイオエシックスを考える場合に、哲学なり、あるいは、医の倫理なり、医の歴史なり、そういう事をやっていた大学のお偉い先生たちが、頭の中で考え出し、現実と関係ないところからバイオエシックスが展開してきたのではないという事です。バイオエシックスというのは、今まさに先生方、看護婦さん方からのコメントがあったように、患者さんが自分の命を守る運動、あるいは、米国の社会の中でも人種差別運動、就職差別運動、あるいは、ヨーロッパでの反核運動とか、そういうものと結び付き、連動し、自分の命を守るための運動として展開されてきています。そこを誤解すると、バイオエシックスというものが、どこか日本以外で形成されている、はやりの学問だという事になってしまうわけです。バイオエシックス形成の一つの最も大きいきっかけは、私と岡村さんとを結び付ける事になったベトナム戦争だったわけです。
 ちょうど岡村さんが、ワシントンを訪ねられた時、私の家のテレビでこんな番組をやっていました。今、アメリカではパブリック・テレビジョン、日本で言うと教育放送ですけれども、毎週1回、ベトナム・テレビジョン・ストーリーというプログラムがありました。ベトナムと言うと、皆さん、アメリカがベトナムへ行って何かやったと思うでしょう。日本人としてベトナム戦争と言った時に、どういうふうな事を思い浮かべますか? ああ、そうか、あの時代に反戦ベトナムと言っていたと思う人もいるでしょうし、そんな事もそう言えばあったなと思う人もいるでしょうし。それから、なんだ、ベトナムがどうしたんだ、という人もいるでしょう。
 けれども、第1回目のプログラムは、何だと思いますか? 私も実はベトナムにいて、2年間サイゴンで教えていたわけですから、ああ、そうか、そうするとフランス植民地主義が第1回かな、と考えたのです。しかし、アメリカのテレビ放送だから、アメリカがベトナムにどう関わったかというところから始まると思っていました。ところが、違ったのです。世界の植民地主義が、何故、ベトナムに介入したかという事で始まるんですが、第1回目のプログラムで最も大きい焦点は、何故、日本がベトナムに介入したか、そして、何故、日本がベトナムに侵入したために、200万人を越える餓死がベトナムで起こったか。日本の侵略をめぐってのストーリーなのです。
 我々、ベトナムと言った場合に、ああベトナム戦争、ああ、アメリカが、と、こうなるでしょう。しかし、あの戦争は、日本が発火の原因をつくっていたのだという歴史感覚を持たないと、現代史が展望出来ない時代になっているのです。ご存知のように、あれは当時言われた大東亜戦争の始まりで、アメリカで言うと12月7日ですけれども、その寸前に、平和進駐というのを日本がしていくんです。そして、ベトナム国境を越えて、当時のフランス領、インドシナに侵入しました。それから、大東亜戦争中の3年半、日本はインドシナ3国を占領しているわけです。ベトナムも占領していますが、その撤退のプロセスです。フランス軍が帰ってこないように、民族主義運動が高まると同時に、それを何とかして押しとどめようとして、フランス軍と占領の一部を分担した中国の国民政府とが、工作を始めるわけですね。つまり、当時の民族戦線に対する弾圧を始めたのです。武装解除された日本軍が、いっぺん武器を持たされて、ベトナムの人民を弾圧するというような歴史のアイロニーがあるわけです。そこを詳しく説明しているのです。どれだけの人が餓死で死んだか、それから、また戦争です。
 この間も、あるシンポジウムで話したんですが、1910年にロンドン・タイムズが日本の特集をしているんです。それは、日本がちょうど開国以来50年経って、しかも、日英同盟があって、日露戦争の後の日英関係が一番盛んな時に、ロンドン・タイムズが、特集号で500ページの本を出しました。ロンドン・タイムズの付録で500ページ、今年の夏のタイムという雑誌のアメリカの本が、70ページの日本特集をしたと騒いでいますけれども、500ページの日本特集で、それは憲法から色んな事まで書いてあるわけです。今年の夏のタイムの雑誌は日本の社会、映画、野球、その他、色々書いてあります。
 極めて興味深いのは、その1910年に作った500ページのロンドン・タイムズの付録の方の日本についての特集記事では、日本の憲法は、人権についての規定が信じられないほどに少ないと記してあります。その日本の憲法というのは、旧憲法 (1889年) です。イギリスをはじめヨーロッパの国民は、100年、200年に及ぶ血みどろの戦いの中から、人権の規定を作ってきた。日本の憲法は、天皇によって人権の規定が与えられたと、その特集号には書いてあるのです。
 私は、やはり人間として、日本の現状の中で、生命を操作されないで生きていたい。そのために、私たちも知的に武装しなければならないし、それからまた、メディカル・プロフェッションの重要な、しかも、これからは、おそらくは中心勢力となっていく看護婦さんたちが、そういう意味で普通の患者さん、あるいは、私ども研究者、それから、岡村さんのようにジャーナリストとして、国際的なスケールで報道なされている方々と、協同して新しい世界をつくっていかなくてはならない。学問は学問、現場は現場、医療は医療、それから、看護婦と患者と医師が分断されてしまうのではなく、新しい未来を展望して21世紀に向かっていくために、何としても正しい意味での「歴史感覚」、正しい意味での「自己感覚」、正しい意味での「未来感覚」を養い、そして、未来が与えられるものとしてではなく、我々が創り出すものとして、今からスタートしていかなければならないと思います。つまり、メディカルとしてのカリキュラムの問題にしても、あるいは、看護教育の問題にしても、今後の在り方にしても新憲法のもとで我々が創り出していけるシステムなんです。
 ですから、私は、こういう勉強会で話すチャンスが与えられて、大変に有り難い事ですし、特に、このためにだけ来て、そして、皆さん方とじっくりコミュニケーションしながらやりたいという事も考えております。先ほど、細野さんと、そういう話をしたんですが、ここで、おそらく私の色んなコメント、今まで、ご質問あるいはコメントを加えられた方以外に、もし、ご意見を、どんな事でもいいんですが、ございましたら、お伺いして、その後、岡村さんが、私が言った事を補足、説明なさると思います。
 一つだけ最後に言いたいのは、バイオエシックスの主語をどういうふうに置くかという事です。例えば、『看護教育』の中での私の座談会を、皆さん方、お読みになって、どうお思いになったか、その中で、クラークさんの事についての報道のされ方が、日本とアメリカとでは違うという事を私はメンションしたんですが、「クラークさん」がアメリカでは非常に大きく浮かび上がって、日本では「人工心臓」というのが大きく浮かび上がりました。しかし、主語の置き方が違うので、新聞を読む時、あるいは、報道される時に注意すると、日本のマスコミの関心の持ち方が分かります。
 私は昨日の夜、日本に着いたのですが、私の母は、私がバイオエシックスをやっているものですから関心を持ちまして、色んな新聞を買っておいてくれました。それを見ますと、例えば、これは、昨日12月13日の火曜日の夕刊ですが、「先天異常の赤ちゃん、両親に手術拒否権」というふうに、両親に手術拒否権という見出しです。それから、毎日新聞は・・皆さんは、この情報を知っていますか? アメリカでは大きいニュースなんですが、「死なす権利、米最高裁が認める」死なす権利でしょう。死なす権利というのは? そうすると「死なす」だから、メディカル・プロフェッションが死なせるのか、あるいは、両親なのかと、こうなるんですね。ところが、同じ時に出ている英語の新聞を母がちょうど買っておいてくれまして、それを見ると興味深いのは、主語は、治療される赤ちゃんなのです。つまり、赤ちゃんは手術を受けられない。だから、それはどうしてかという事が、ここに書いてあるわけです。これが、朝日イヴニング・ニューズの見出しなんです。
 私たちは、医療を考える時に、誰が主体なのか、それによって見出しも変わるんです。私たちは、自分の事を中心に、ジャーナリストはジャーナリストなりに自分でもって色々考えるんでしょうが、例えば、AP電では、見出しが外国の考え方を反映した見出しになってくる。日本でも、ワシントン発、あるいは、ニューヨーク発になってくると、記者の資質が反映しますから、見出しがアメリカ人にアピールしている見出しと違って、両親にあたかも殺す権利があるとか、あるいは、お医者さんに死なす権利があるとか、日本で抱えている問題とオーバーラップしてくる。ああそうか、この程度なら医者が放っといてもいいじゃないか、というような発想の記事が出来ます。こういうふうにものを見る見方を、バラエティをもって展開していく、そういう発想がないと与えられたものだけ信じる事になってしまいます。ニューヨーク・タイムズも手に入れば、タイム誌も手に入る。今、手に持っている、こういう翻訳も手に取ってみる。
 今日、ここで詳しくお話する時間はありませんでしたが、『医療と法と倫理』の本が、最近出版されました。医療と、法と倫理を考える場合には、パブリック・ポリシーなり、運動の視座なり、というものがなくてはならないと私は思っていますし、国際的にも、そういう方向がはっきりしています。日本は、そういう意味では、色んな「ずれ」がある国です。今後とも、私自身も皆さん方にお教えを賜りたいし、それからまた、私自身の考えを述べたり、お互いに交流を深める事によって、日本に、我々が我々の手で、我々にふさわしい、我々のためのバイオエシックスをつくる努力をしようではありませんか。じゃあ、今日はこれで。質問があったらどうぞ。

司会; どうも有り難うございました。お茶の時間は、木村先生が帰られてからしようと思います。あとわずかな時間ですので、皆さん是非、木村先生の連載をお読みになって分からないところとか、お客さんではなくて、自分がバイオエシックスの運動の参加者として、ご意見でもご感想でも何でも宜しいのでお願いします。

増田; 先ほど、アメリカと日本の看護婦さんの立場と言いますか、その違いについて述べられてきたわけですが、歴史感覚のお話になると思うのですけれども、かつてヨーロッパで病気が大流行した時、本でちょっと読んだのですが、正確かどうか分かりませんけれども、修道院のシスターたちが、患者さんに対してお手当てをしようという事で、一番初めに出来た看護施設を原型としての修道院の話があるんです。そのようにして病院の原型が出来て、その都市が、専門家としてのお医者さんを給料で雇って、それで、むしろシスターの看護婦さんたちが中心に、病院を運営したり、患者に対して何をしたらいいのかという事を相談し、決定したのです。
 ですから、専門家としてのお医者さんが出す意見に従ったか、従わないかは、むしろ看護婦さんの考えによる裁量ですから、幾つかの意見に対して全部否定する事も、一つだけ採用する事も、ここでは患者さんを中心にして、シスターである看護婦さんがやっているという、それが長い歴史の中で歩み続けてきたという話を聞いた事があるんですけれども、日本の場合には、極端に言いますとですよ、まず、お金をもうけたい人がいて、病院をつくって、それから、お医者さんがいて、ナースがいて、患者の方には最後にと、逆転しているような感じがするんですよね。そこで、歴史上で欧米での看護婦さんの一つのけじめと言いますか、役割の流れと大きな差があるような気がするんですが、その辺、如何でしょうか?

木村; 今のは、非常に重要なポイントなんですが、確かに歴史的事実として、そういう事があったものですから、例えば、看護婦さんの事を、ある病院では、現在でもシスターと呼んでいるところもあります。それは、歴史の名残りなんです。例えば、ミッション・ホスピタルなんかには、シスターがいて看護婦の役をやるという、そういうケースが多いのです。おそらく、日本とヨーロッパ、あるいは、アメリカ、その他、ある地域の開発途上国を含めますと、大きい違いはやっぱり、コミュニティの中に病院があって、そして、コミュニティの中でお医者さんを雇い、看護婦さんを雇うというホスピタル・コミュニティみたいなものを、ここに欲しいという事で作り、あるいは、元来あった小さな診療所がまとまって病院が出来るというコミュニティ感覚が特にユニークだと思います。
 日本の場合には、コミュニティとは全く関係なく出来て、病院が出来てから、日本国中から色んな患者さんが集まるといったケースがあると思うのです。そういう意味では、看護婦さんが、コミュニティの中のヘルス・プロフェッションの一人として、地域の中でのコンタクト、その他を保つ、一つの大きいチャンネルになっていると思います。私どもの住んでいる、アーリントン (Arlington) という地域にあるアーリントン・ホスピタルというのは、そのコミュニティの人たちによって支えられて、最初に作られたものです。それから後で、その地方政府が予算を付けて、金を出していくというわけです。イニシアティブは、あくまでもコミュニティがつくっていくのです。
 歴史的な背景については、岡村さんがヨーロッパに実際に行って、アイルランドでも、ホスピタルの調査をされたと伺っています。

岡村; 『看護教育』に、「ホスピスへの遠い道」の連載をしているのですけれども、これにフランスの修道院がやってきたようなホスピスとか、それから、オーテル・デュウ『神の宿』と呼ばれる、古い病院の在り方とかにふれてゆくつもりです。カトリックの病院から宗教改革を経て、プロテスタントの場合はどう変わっていったか。木村先生はプロテスタントですね。私は、どちらかと言うとカトリックに近い考え方です。母がカトリック信者だった関係で、カトリックの人たちとわりあい親しかったもんですから。
 カトリックの時代に病院がどのように成長したかは、関心深い人類の歴史です。フランスでは、フランス革命を経て、それがどう変わり、それから、イギリスでは、宗教改革によってカトリックを否定したにもかかわらず、そのイギリスの病院の中では、シスターやマトロン (matron) と呼び名は残されてゆきます。しかし、イギリスの病院では、オックスフォードを出た医者でないと、医者になれなかったのですよ。それは、イギリスの国教派でないと、医者になれない事を意味します。それから、チャリティの問題がありますね。キリスト教は、慈善事業として医療をやるんだという考えです。だから、患者から金をもらわないのです。そういう問題もありますので、ちょっと簡単に言えないですので、後で少し説明が必要です。

増田; それは、実は、歴史感覚としての意識ではなく、先ほど言われた自己感覚との統一というところで問題があると言いました。

木村; ですけれども、自己感覚というのは、どういう事ですか?

増田; 先ほど、自己感覚の中で、宗教性とか、そういう勉強のお話をされましたように、その辺は、やはり自分の目で総合して見たヨーロッパのナースと言いますか、世界のナースが、今、これから一つの医療を考える時の自己感覚につながるんじゃないかと。

岡村; しかし、それは18世紀は、18世紀です。17世紀は17世紀、16世紀は16世紀なんですね。やっぱり、その事実をちゃんとふまえた上でないと、21世紀の展望が出来ないという、これは、私の一つの歴史観ですけれども、そういう意味で、漠然とした修道女という言い方は、フランス革命以後とフランス革命以前では、すごく変わってきます。それは、後で一つ何かに書いておきましょう。

木村; あと何か他にございますか?

樋田 (樋田耳鼻咽喉科医院開業); 先ほどから色々なお話を伺いましたが、医者として本当の医療とは何かという事をつくづく、私、関心をもって今、考えてみましたけれども、「医療」と言っていますが、私は、本当は医療というのはないと思うんです。という事は、我々が白衣を着ただけで、本当の医療が出来るでしょうか? やっぱり権威があるんです。ですから、私たちは、白衣を脱いだ姿をいつも考えながら、医療というのが本当は何だろうかと考えるのです。それで医療というものを、じゃあ言葉の上でどういうふうに説明したらいいかと言いますと、やはり科学性という事も大切だと思います。しかし、科学性だけにとらわれているのが、今の医学の実態ですね。やはり、そこに哲学性というか、宗教性という事と3つがバランスよく絡み合っていないと、私は本当の医療にならんと思います。私は、ただの人になる練習をする事が、本当の医療に関係する一番大事な事ではないかなという事を感じるわけです。
 実際に、医の倫理を持っていらっしゃる方もありますし、おられない方もありますけれども、是非、次の文献を読んでいただきたいんです。まず、江戸時代にいました安藤ですね。この人の考え方は、非常に素晴らしい哲学性のあるものです。それから、昭和初期に出ました平田先生です。民間医療の大家として、民間の中に医療を起こした人ですね。非常に私は素晴らしいものを感じます。それから整体術、これは、現代医学の感覚から言うと、整体術とは何だろうかと思われるかも知れませんけれども。それから、東洋医学的な事に関心を持たれていますけれども、それを踏まえた整体法を編み出した門地春観という人です。それから、現在も生きていらっしゃいますけれども、民間の中にやはり医療、あるいは、生き方を教えていらっしゃる橋本敬三氏ですね。それから、私はヨガに関心を持ちまして、ヨガの沖正弘という方の本を、是非読んでもらうように申し上げます。その思想をつかんでいただいたら、僕は、本当に医療というのは何だろうかという事が、何か分かるような気がしてくるわけです。
 今までのお話は、全部その中に入っておりまして、やはり人間というのは、本当は生きているんだと、生まれてから死ぬまで、やはり、いきいきと生きなければならんのだと、そこに僕は尽きるんじゃないかと、そのためにお互いに教育し合うと、それに必要な、あらゆる事は学ばなきゃなりません。関心を持たなければなりません。やはり、そこには、バランスであり、総合成体である、あと、それが一口で言えば、愛であろうという気がします。

木村; どうも有り難うございました。

司会; あと5分という事ですけれども、どうでしょうか? 私たちは、役割の違いが身分の相違になるような状況の中で働いていくのですけれども、こうして、今日、こんなふうにして、皆さん、お集まり願えた事は、もう、その現実の中には生きにくいというような気持ちがあるからじゃないかというふうに思うんですね。
 今度は、例えば、1泊ぐらい泊まって、ゆっくりとディスカッション出来るような場を設定したいと思っております。まだ5分あるそうですから、皆さん、この貴重な5分で一言何かありましたら・・、はい、どうぞ。

B; 京都からまいりました。京都では、関西セミナー・ハウスで、一応、バイオエシックスの学習会を、先立って5回シリーズでいたしました。その時、岡村先生もお呼びして、話をいただきまして、対象は看護婦だけでなくて、あらゆる分野から参加したのですけれども、最後には一応まとめをしたのです。
 その時に、岡村先生のどういうふうに自分は死んでいきたいんだという話をお聞きしました。そのお話を伺って、皆さんで感動したのですけれども、木村先生は、自分の生活というものをどのように思っておられるか、是非お聞きしたいと思います。

司会; 最後に大変な質問が出ました。

岡村; 先に僕が。どんな死に方をしたいかという話を京都でしたのかというと、決して看護婦さんが側にいて欲しくない。死ぬ時は、まやかしの看護なんかして欲しくないですから、のたうち回って、苦しみが1週間ぐらいなら、その方がいい。白い服を着て、内面の醜さを隠したような人が、側にいて欲しくない。
 要するに、医療の問題ではなく、ちゃんと人間として対応出来る人が居れば良い。

木村; 私、これから飛行機であちこち行くんですけど (笑)。なんか大韓航空機みたいにやられたりして落ちて死ぬかもしれない。飛行機で飛べば飛ぶほど死亡率は高くなります。私なんか危ないので、子どもたちや家内に、「パパが落ちたら保険金が入るからね」って言っているんです。
 難しい問題で、これはじっくり、おそらく死の事だけをめぐって考えるセッションをやらなくちゃいけないと思います。人生は有限であって、死ぬという事だけは、はっきりしているのです。いつかの時点で、どういう死に方といっても、特定の死に方を望んでも、死というのは必ずしも、そういうふうに死ねない場合があるのです。どこで死ぬか分からないわけです。
 その死に方というのは、難しいですが、ただ基本はやっぱり、私はキリスト信者として、神様によって与えられ、神はこれをとり去りたもうという、私自身のコントロールを越えたものとして死を捉える。だから、その状況の中で、どういう死に方をするか考えて、死を、その瞬間には受け入れていくだろうと思います。あるいは、愛する人にも会わない、あるいは、お医者さんもいない、看護婦さんもいない所で死ぬかもしれませんし、あるいは、皆に囲まれて死ぬかもしれないし、分からないと思います。しかし、与えられた生を終える時が来たら、私としては天国に行ける事を希望しますけれども、分かりません。ともかく、その有限な生を喜んで終える事を受け入れるものとなりたいという信仰を持っています。
 今まで、バイオエシックスの話をして、神とか、信仰とか、聖書の話を正面からした事はないのです。
 今日は、西欧で展開されてきたバイオエシックスというのが、私たちにはっきり見えないものがあるとすれば、聖書によって形成された西欧思想の背景があるものですから、今日はそういう話をどうしても、日本人が、もういっぺん有限性を越えた、超越性を取り戻すためにふれておきたいと思ったわけです。
 信仰者としては、そういう有限な、この世の生を終える事が全ての終わりではないという事を信じていると申し上げたいのです。信仰的表現では、人間は「神から来て神に帰る」という事になると信じています。

司会; どうも有り難うございました。それでは、まだまだいっぱいあると思うのですけれども、今日はこれで木村先生に帰っていただこうと思います。皆さまは、お待ちかねですけれども、15分までティー・タイムを取りますので、セルフ・サービスでお願いしたいと思います。木村先生、有り難うございました。

----- 休  憩 -----


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