(バイオエシックス用語集 1995)
*厚生省が承認した緩和ケア病棟のある病院一覧 (1994. 02. 01 現在)
*全人医療の考え方
*バイオエシックス委員会 (アメリカの例)
バイオエシックス '95
木村利人 (早稲田大学人間科学部教授)
1994年は、国際的水準から見ると極めて異質な日本のバイオエシックス事情を内外に示した年だったといえる。インフォームド・コンセントの欠如から、新薬の使用や臨床治験によって患者が死亡し、しかも社内情報によるインサイダー取引など「企業倫理」に違反する悪質な行為も明らかになった。本来、「審査委員会」の許可が必要な投薬内容の変更を「医師の裁量の範囲内」とする医学研究者の見解は国際的に見て全く通用しない。多くの患者とその家族から待ち望まれている臓器移植関連法案の成立は、政局混乱の影響で大きく遅れている。
いのちの主権者
ビオス (いのち、生き物) とエシイコス (習俗、倫理) というギリシャ語に由来する合成語で「生命倫理」と訳されることもある。1960年代後半から形成され全く新しく統合された学問分野で、生命・医科学、医療、看護、法、政治、経済、哲学、神学、宗教、倫理、文学、芸術などさまざまな研究領域の枠を超えた学際的協力により、「いのち」をめぐっての個人的価値判断や社会・公共政策に関する研究と実践を展開している。遺伝子組み換え、環境、公害、臨床治験、患者の権利、女性解放、末期医療、老人看護、障害などの課題に取り組んだ、ごく普通の一般住民による地域社会での「いのちを守り、育てる」草の根の人権運動がその基盤にあり、わが国にもそのルーツがあるといえよう。
私たち各人が、「いのちの主権者」として自分の価値判断やライフスタイルを大切にするとともに、国レベルでの社会的合意の形成を目指して、特に先端生命・医科学技術の急激な展開に伴う臨床研究・治療をめぐるガイドライン等「公共政策」のための理論的根拠をバイオエシックスは提示してきた。
その考え方の基本原理 (principle) として、(1) 自己決定 (autonomy)、(2) 善を行う (beneficence)、(3) 公正 (justice)、(4) 平等 (equality) などの原理がある。1990年代に入ってから、これらの諸原理を前提にした上で、「人間たるべき徳目 (virtue)」、例えば、誠実、正直、同情などに基づいたり、「臨床面での患者のケア (care)」、例えば、患者の心や身体の苦痛への共感に基づくバイオエシックス理論も構想された。さらに、米国ではオレゴン州を始め各州でヘルス・ディシジョン (health decision) という健康政策を形成する草の根市民運動が幅広く展開され、医療費、保険、生と死を選ぶ権利などをテーマに、政策上の具体的提案をめぐって州民投票が行われるなど、バイオエシックスが暮らしの中に定着しつつある。
バイオエシックスの基本的原理の一つ。正常な判断能力を持った成人が自らの責任において決断することをいう。特に医療において、各個人の自由権に基づく自らの生命および身体・治療処置に関しての最終的な価値判断の主体は患者にある。1960〜70年代にかけて、インフォームド・コンセントの法理の確立、医療消費者としての患者の権利運動、医師・看護婦・病院など医療提供側の患者に対する意識の変革により、72年のアメリカ病院協会の「患者の権利章典」に見られるように治療拒否権を含めてこの原理が法的にも欧米医療先進諸国では定着した。一方、わが国のように個や自己の強調よりも家庭・親族・仲間内の人間関係に重きを置く傾向のある社会でのバイオエシックスの原理としては「和」や「協調」を目指す「関係の中の自己 - 決定」が展開されている。
十分な情報に基づく同意。医師が、診断や治療にあたって患者に下記の内容を伝え、患者がそれを理解、納得、同意し、治療に参加することをいう。その内容は、(1) 診断の結果に基づいた患者の現在の病状を正しく患者に伝える、(2) 治療に必要な検査の目的と内容を患者にわかる言葉で説明する。(3) 治療の危険性の説明、(4) 成功の確率の説明、(5) その治療処置以外の方法があれば説明する、(6) あらゆる治療を拒否した場合にどうなるかを伝える、等であり、単に伝えるだけでなく、患者が理解したことを確認しなければならない。つまり、医師と患者との関係は一方通行的なものでなく、少なくとも同意に基づいた平等な人間関係が望ましいという前提に立っている。治療内容については、むろん医師の裁量権が重要だが、患者の生命・身体についての価値判断の最終決定権は患者自身にあるというバイオエシックスの考え方が医療の場に受け入れられ、医療供給者である医師中心の発想が大きく変化した。医療を受ける患者側の発想を中心にしたインフォームド・コンセントは、欧米先進諸国では臨床の現場でも法的に確立した原理となっている。わが国では1992年6月19日に医療法改正案が国会で可決・成立したが、その付則第二条で、医療提供側の適切な説明と受療者の理解への配慮に関し検討し、その結果に基づき必要な措置を講ずるという形でインフォームド・コンセントについて触れている。93年7月、厚生省は「インフォームド・コンセントに関する検討委員会」を発足させた。
94年2月には、民間・国公立約2500の病院で構成されている日本病院会がインフォームド・コンセントについて「医療の内容、危険性、回復の可能性について主治医からよく理解できる言葉で説明を受け、十分な納得と同意の上で適切な医療を選択して受けられる」などの5項目の指針を定め、病院に掲示するように指示した。
医療に参加する主体としての患者の基本的な権利を実現するためのよりどころとなる法律。世界的には、患者の権利の確立を目指しての立法化の傾向にある。アメリカでは1973年にアメリカ病院協会が「患者の権利章典」を採択、マサチューセッツ州等で、患者の権利立法も行われた。各病院独自に患者の権利宣言等の文書を配布しているケースも多い。わが国では、70年7月、和田心臓移植手術への批判に関連して「病者のための人権宣言」がなされ、84年には「患者の権利宣言」が出された。その後、91年5月には、日本生協連合会医療部会総会が患者の権利章典を採択した。さらに、7月には「患者の権利法をつくる会」により患者の権利法要綱案が提案され、日本病院協会も93年7月に患者の権利章典の制定を決定した。なお、アメリカでは連邦政府による患者自己決定法 (Patient Self Determination Act 91年12月より施行) により、入院時に病院等で、患者に生命についての価値判断をめぐって自己決定権のあることを告げることが義務づけられた。ヨーロッパでは、世界保健機関 (WHO; World Health Organization) を中心に、「患者の権利章典」の作成が進みつつあるが、フィンランドでは、93年3月1日、17条からなる「患者の地位と権利に関する法律」を施行し、医療を受ける権利、患者本人の健康情報を知る権利を保障し、患者オンブズマン制度を確立した。
94年7月には欧州評議会の「生物学と医学の適用に関する人権と人間の尊厳を守るためのバイオエシックス規約」(草案) が公表され、ヨーロッパ全域にわたる基準として医療における患者の人権の確立が保証される方向が明白となった。
医学・医業専門家集団のメンバーとしての各自の使命と義務を宣言し、社会的責任を表明したものであって、医療従事者個人の倫理や信条を超えたものとされる。そのモデルはギリシャの医祖「ヒポクラテスの誓い」にある。患者に害を与えず、秘密を守り、積極的に死をもたらさず、堕胎を行わない等の基本的な考え方が欧米における医の倫理形成に与えた影響は大きい。また、世界諸国の宗教的伝統でも医療を愛の奉仕、大慈、仁の行為として医療者の自覚、患者のための献身的行為の倫理性を説いている。しかし、旧来の医療における上下関係の中で一方的に患者を見下した父権的な温情主義 (パターナリズム; paternalism) への批判が起こり、より平等なあり方を目指しての医師・患者関係の変革が1960年代から起こった。バイオエシックスの大きな枠組みの中での現代にふさわしい国際性と公共性に根ざした「患者中心の医の倫理」が求められている。ただし、わが国では病気という弱い立場にある患者の心理的依存心や甘えの心情が、頼り甲斐のある医師にすべてを任せるという状況を今も作り出している。特に現代的課題としてエイズ患者への告知や守秘・公衆衛生上の報告義務等はプライバシーとの関連で新しい医の倫理に問題を投げかけつつある。バイオエシックスの新しい展開に対応して、臨床医学・看護の立場に焦点を合わせた臨床バイオエシックス (clinical bioethics) という新しい研究分野も形成され、米国の医学・看護教育のカリキュラムとして定着しつつある。
アメリカでは、医療や人権などバイオエシックスの研究テーマをめぐっての事例研究や、バイオエシックスの教科書が、小学校から大学教育まで各レベルで数多く出版され、施設での実習や病院訪問などを含むカリキュラムが設けられている。また、『バイオエシックス大百科事典』(全4巻, 1978) がジョージタウン大学ケネディ倫理研究所により編纂・刊行されているが、15年ぶりの全面改訂版全5巻が94年から95年にかけて刊行される。同研究所はバイオエシックス関連の資料や文献の収集と研究・教育活動で国際的に最高水準にある。ニューヨークにあるヘイスティングス・センター (The Hastings Center) もバイオエシックス研究機関として活発な研究を行っている。93年7月に、ケネディ研究センターより刊行された「国際バイオエシックス研究機関便覧」によると、現在全世界に約300の研究・教育機関がある。わが国では、早稲田大学、千葉大学、上智大学、京都女子大学、産業医科大学、生存科学研究所、東京および神戸の生命倫理研究会などが、バイオエシックス研究と教育を行っている。なお、日本生命倫理学会が88年11月に発足しているが、94年10月には「バイオエシックス公共政策」をテーマに第6回年次大会が早稲田大学で開催され、バイオエシックス研究・教育・市民活動などをめぐって学会員、国や地方の政策担当者、一般市民、学生などが活発な意見を交換しあった。また、第2回国際バイオエシックス学会大会が94年10月下旬にブエノスアイレスで開催されている。
1994年10月に開催された第6回日本生命倫理学会年次大会の中心テーマ。人間生命の尊厳と基本的人権および公共の福祉の擁護を推進するためのバイオエシックス運動の蓄積と展開は、地域住民の福祉と安全を守るための情報の公開や、公共・社会政策決定過程への参加などを日常化することに大きく貢献し、生物・医科学の実験基準、立法、規則等の成立に大きな影響を与えた。これらの運動は、バイオエシックス公共政策づくりのため、専門家と非専門家との平等な協力作業を通し、具体的な問題解決を図るとともに、新しい時代に適合した価値判断の枠組みを提示してきた。現在カリフォルニア州、オレゴン州などアメリカをはじめ世界の各地で活発な運動が展開されている。なお、93年に米国議会技術評価局 (OTA; Office of Technology Assessment) は、「米国公共政策における生命医科学倫理」と題する報告書を刊行した。
いのちの境界をめぐって
子供を産むか産まないか、人工妊娠中絶、男女産み分け、体外受精、精子銀行の利用や代理母出産など、人間生命の操作とその技術をめぐる問題はバイオエシックスの基本的研究テーマの一つである。中絶に関しては、わが国では優生保護法により条件付きで認められているものの、刑法上は堕胎罪が存続している。米国では1973年の連邦最高裁判決により中絶は女性のプライバシー権とされたが、その後92年に、州法による一定条件下での中絶規制立法は必ずしも違憲とならないという判決が出た。プロ・ライフ(生命権尊重)グループによる反中絶運動も全米で組織的に展開され、特にオペレーション・レスキュー (operation rescue) という過激派の中絶クリニックへのデモ攻撃や破壊活動が行われる中で、93年3月にはフロリダ州で医師を射殺するという事件まで起こった。94年6月にも、医師と助手が射殺されるという事件が起こった。一部の神学者がこれらの行為は正当化されると述べ、大きな社会問題となっている。94年9月にカイロで開催される国連主催の国際人口・開発会議において180カ国からなる代表が今後20年間の方針を計画立案する。一方、会議の「性と生殖に関する権利と健康」というテーマが中絶を積極的に容認する方向になることに反対する宗教団体の動向も注目される。
世界各国で社会的背景の違いはあるが、子供をどうしても欲しいという両親のために利用可能な生殖技術として人工授精、体外受精が幅広く行われつつある。わが国でも夫の精子による人工授精 (AIH; artificial insemination by husband) および夫以外の提供者の精子による人工授精 (AID; artificial insemination by donor) により、すでに一万人以上が誕生したとされているが、いずれも法的に婚姻関係が成立している夫婦のみ、この技術を使用するという日本産婦人科学会のガイドラインに沿って行われてきた。1993年に入ってから、日本人女性2人が渡米し、卵子の提供 (うち1人は日本人留学生から) を受け、夫の精子と体外受精させた受精卵を子宮に着床させ帰国し、出産準備中であると報道されたが、前記ガイドラインでは認められていない。しかし、母親は実際に出産するので人工授精と同じ発想で、人工授卵による出生を少なくとも夫婦の一方と遺伝子のつながりがあるので嫡出子として承認してもよいのではないかという意見もあるが、これは、わが国の現行法上の解釈にはなじまないとされている。さらに、これらの生殖技術の利用の中で多胎妊娠による不利益を避け、胎児の数を減らして胎児と母体の健康を守るための減数手術が行われていることが、わが国でも問題となった。すでに、世界各国でも、このようなケースが問題となっており、87年には英国リバプールでの多胎児が全員死亡した事件を契機として社会的議論が高まり、臨床上やむを得ない選択的中絶として67年に成立した英国の中絶法の適用範囲内にあるとされている。
94年7月にはイタリアの62歳の女性が第三者の受精卵の子宮への着床に成功し、男児を出産した。イタリア政府設置の倫理委員会では6月に「人工的な手段による妊娠は子供を生める年代の夫婦に限るべきだ」との勧告を出している。フランスでも閉経した女性の人工的妊娠を規制する立法の検討を開始した。
世界の医療先進諸国では、遺伝子治療研究専門家のみならず医学、宗教、倫理、哲学、法学、心理学など多方面にわたる専門家や一般の人々を加えた公開の議論の蓄積の中から、遺伝病、難病治療にあたっての臨床治験の被験者・患者の人権擁護、インフォームド・コンセント、事故の場合の補償の取り決め、秘密保持、遺伝関連研究者の倫理綱領などについての合意をガイドラインとして作成するなど、臨床研究・治療の協力体制づくりを進めている。わが国では、1993年4月に、厚生省厚生科学会議が「遺伝子治療臨床研究に関するガイドライン」をまとめた。研究対象は、現在効果的な治療方法のない致死性の遺伝性疾患、がん、エイズに限定され、生殖細胞の改変は禁止された。このガイドラインにも、審査過程記録の保管と公開が規定されたが、実施施設審査委員会それ自体も公開されるべきであろう。さらに、世界各国の経験と事例にみられるように、国レベルでの情報公開中央審議委員会の設置が必要不可欠である。情報公開と遺伝子治療臨床研究のための公共政策形成・決定過程への国民の参加により、バイオエシックスの手法を生かすことによって、先端医学研究、特に人間生命の本体ともいえる遺伝子をめぐる研究・臨床研究への国民の不安が解消され、研究者・研究機関への信頼の度合いも増加することが先進医学研究諸国でのケースからも明らかとなっている。94年2月厚生省は遺伝子治療の実施計画を事前審査する「遺伝子治療臨床研究中央評価会議」を設置し、原則的に公開とした上で安全性や倫理面の検討を行うこととなった。一方、文部省も「遺伝子治療中央審査会」を4月に発足させた。両委員会の委員は一部重なり合っている。
94年8月、北海道大学はアデノシンアミナーゼ (ADA) 欠損症患者の治療のための遺伝子治療の承認を申請した。
欧米諸国では、脳の機能が元に戻らないことが確定的であれば、単なる生命体としての人間存在に意味を認め難いという考え方が一般的であることから、旧来の死の定義に加え、「脳幹を含む脳の全体の機能の不可逆的停止」をもって死とする判例や立法が定着している。しかし、アメリカの一部には脳死反対のグループもあり、1991年4月にニュージャージー州で、脳死を人の死と認めない良心的拒否条項 (Conscientious Objection Clause) が成立した。また一方で、脳の高位中枢の機能停止をも人の死として選択できるようにすべきであるという少数意見も唱えられている。わが国では、伝統的な遺体観、生命観、人生観などさまざまな理由から、欧米諸国における脳死、臓器移植に対する考え方とは異なったアプローチがなされている。
90年3月に発足した政府の「臨時脳死及び臓器移植調査会 (脳死臨調)」は、92年1月最終答申を行った。多数意見は大筋で脳死を社会的・法的に人の死とし、臓器移植を容認するとした。併記された少数意見は、脳死を人間の死とは認めないが、ドナー (臓器提供者) の提供意思の確認、「脳死」の確実な診断等を条件として移植を認めるとした。この答申後、2年以上を経たが、国内では脳死体からの心臓、肝臓の移植は行われていない。脳死臨調の解散後、厚生省の臓器移植対策室が事務局となり、日本移植学会など9学会による移植関係学会合同委員会や臓器移植ネットワークのあり方に関する検討会が活動を行っている。また、超党派の生命倫理研究議員連盟に、衆議院法制局が「臓器の移植に関する法律案 (仮称) に盛り込む基本的な事項 (案)」を提出し、92年12月には、脳死及び臓器移植に関する各党協議会が設置され、法案提出に関する大筋の合意がなされたが、93年6月中旬に法案提出は見送られた。その後、94年4月12日に脳死体を含む死体からの臓器摘出を認める「臓器移植法案」が議員立法として国会に提出されたが、6月末継続審議が確実となり、日本移植学会は「臓器移植法が成立する前でも脳死移植を行う用意がある」と声明した。当時厚生大臣だった大内氏が「法律がなければ絶対できないというわけでもない」と発言した直後に、新しく厚生大臣に就任した井出氏が「法案成立までは待って欲しい」と対照的な発言をし、年内にも法案成立の可能性がある。一方、法案成立に反対する動きも根強くあり、7月には新聞に意見広告を掲載している。
意味のないと思われる延命処置を拒否するリビング・ウィル (living will; 生前の意思表示) や、これを法制化した自然死法 (カリフォルニア州、1977年成立) もDNR (do not resuscitate; 蘇生を望まないという患者自身の意思表示) を含め、本人が判断力を失った場合に備えて、あらかじめ文書による意思表示をしたり、代理人に生前の意思に沿った法的な処置を行わせることを認めている。なお、これらはあくまで本人の意思を尊重しての「尊厳死」につらなる考え方であり、自分の生命の終わりは自分で決めるという事前指示 (advance directives) として全米各地に広がりつつある。日本でも無理な延命をせずに自然な死を迎えたいという積極的な意思表示を文書で表明する人の数が増えている。日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」に署名した会員登録者は94年8月末で6万8977人となった。また、94年5月26日に日本学術会議総会は死と医療特別委員会の報告を承認し、「患者本人の尊厳死の意思表示を条件とし回復の見込みのない患者に対する過剰な延命治療を行わない」「人工呼吸器の装着、人工透析、化学療法、輸血、静脈注射による栄養補給の中止は自然の死を迎えさせるための措置である」などの方向を打ち出した。しかし、苦痛緩和が目的であっても毒物使用により患者の生命を終わらせることは殺人または同意殺人と判断し、東海大学事件のような積極的な安楽死は容認していない。アメリカでは90年以降20例の末期患者の自殺を幇助しミシガン州で起訴されたジャック・キボーキアン医師 (Dr. Jack Kevorkian) は、陪審員の10時間におよぶ協議の結果「苦痛の除去が目的で自殺の幇助ではない」とされ、94年5月無罪判決の言い渡しを受けた。
一方、イギリス国会上院の医療倫理特別委員会は94年2月に患者の生命を薬剤などで終わらせる積極的な安楽死の容認は高齢者や患者への心理的な負担となりかねないとする報告書をまとめ、殺人を許容しないとする社会通念は社会と法の基盤にあるとした。
末期患者のケア (看護) システムをいう。最後の死の瞬間まで生命を燃焼し、充実した生を送ることを意図して、あくまでも末期患者、死にゆく人々の価値観を尊重しつつ、積極的な医療の介入による治療を行わず、痛みのコントロールを行う。主として在宅ケアなど、コミュニティーのボランティアや病院からの訪問看護婦によって支えられたケアのシステムであり、施設のみを意味しない。
元来、中世ヨーロッパにおける旅人や病人の安息や看護のための、教会や修道院などによる施設を意味したホスピスは、近代医学の展開につれて病院に統合されていくが、近代ホスピスの祖としてマザー・エイケンヘッドが著明。1967年、ロンドンでシシリー・ソンダースにより開設されたセント・クリストファーズ・ホスピス (St. Christopher's Hospice) は、末期患者のケアのための施設として世界的に注目されたが、アメリカのホスピスのほとんどはコミュニティーの中での在宅ケアのための活動が中心である。なお、わが国でも、聖隷三方原病院、大阪の淀川キリスト教病院などで80年代からホスピス・ケアが始まっているが、90年4月から、末期がんの症状緩和ケア (palliative care) を行っている病棟で、専任の医師の存在など施設基準の条件を満たした厚生省認定の医療施設について、医療保険の適用が行われるようになり、各地でホスピス・ケアが行われている。94年4月から末期がん患者を対象とした在宅末期医療総合診療科を新しく設けるなど在宅医療関連の診療報酬改正が行われた。
病院名
所在地
ベッド数 (総数)
承認年月日
備考
三方原病院
静岡県
27 (758)
90.04.25
認可第1号
淀川キリスト教病院
大阪府
23 (600)
90.04.25
___
救世軍清瀬病院
東京都
30 (195)
90.05.29
___
福岡亀山栄光病院
福岡県
22 (178)
90.08.29
___
坪井病院
福島県
18 (312)
90.11.29
___
上尾厚生病院
埼玉県
131 (120)
92.02.25
___
国立がんセンター東病院
千葉県
25 (425)
92.07.01
国立初
富山県立中央病院
富山県
15 (800)
93.02.25
自治体初
長岡西病院
新潟県
22 (136)
93.03.12
___
東札幌病院
北海道
28 (251)
93.09.01
___
神戸アドベンチスト病院
兵庫県
8 (116)
93.09.29
___
ピースハウス病院
神奈川県
22 (22)
94.02.01
独立型第1号
死学ともいう。ギリシャ語で死を意味するタナトスに由来する用語で、心理的、社会的側面からの死と、死の過程について研究する分野。主な分野として死生観、悲嘆、安楽死などがある。1950年代後半から死に関するさまざまな文献や図書が刊行され、死の問題が一般社会で広く論じられる契機となり、死にゆく患者の生や死をめぐる価値観を尊重する傾向が生まれてきた。やがて、これは70年代にかけて死を選択する患者の権利の主張へと展開されて行く。このような患者の権利運動の一環として、死の問題を再構築するために、医師、宗教家、倫理学者、歴史学者、社会学者、法律家などが協力しあう中で、学問的にも大きな広がりを持つようになった。死の臨床の専門家は、患者の死を否定的に見る現代の医療は慰めどころか苦しみと悩みを増大させる傾向にあると指摘するが、死学研究者は死に直面している人間も豊かに生を充実させ成長すると強調し、死の受容の意義を説く。
いのちの質の向上をめぐって
現代の医科学技術がますます複雑化、計量化、専門化する中で、医療側のみの価値判断等で治療処置が行われ、かえって「いのちの質」が失われることに対して、患者や家族の人生観や価値判断を優先させ、生命、生活、人生 (life) の質的内容を重んずべきことを、医療や福祉の現場で主張するバイオエシックスの考え方。その内容は極めて個人的、主観的なものとなりやすいが、通常は、身体的、心理的、社会的、認識的、精神的な諸側面での評価に加え、全体としての満足度を意味するといえよう。従来の医療が、もっぱら患者の病状のみに関心をよせてきたことへの反省から、患者自身の全体的な健康回復を目指す全人医療 (ホーリスティック・メディシン; holistic medicine) という考え方も幅広く展開されつつある。末期患者のQOLを保つ方法として全身温熱療法も注目されている。体外に引き出した血液を温めて体内に戻す還流法と遠赤外線で身体ごと温める方法があり、がんの痛みを和らげ、がん組織の拡大を抑える効果があるとされる。がんの種類、患者の体力による選択によりQOLの向上が見られる場合がある。また、オルターナティブ・メディシン (alternative medicine; 現代医学に基づく医療にかわる、伝統医療、民間医療を含めたさまざまな治療処置法) に対する患者のニーズや医療・看護従事者の関心も、わが国を始め諸国に広がりつつあり、1993年、米国国立保健研究所 (NIH; National Institutes of Health) にも新しくこの分野の研究調査部が設置された。米国の大手健康・医療保険会社でも、瞑想やフィットネス・トレーニングを従来の心臓外科手術などの医療にかえて選択する患者に保険金の支払いを始めた。
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全人医療の視点
従来医療の視点
病 気
患者の立場
医療従事者
の役割
治 療
健 康
近代医学ではあまり重視されなかった、身体、精神、ライフスタイルを含めた総合的な視点から見た医療と健康についての考え方を全人医療 (holistic medicine) といい、1960年代からのセルフ・ヘルプやバイオエシックス運動の中で世界的に展開されている。
臓器の調達、配分、レシピエントの決定などをめぐってもバイオエシックスの立場から多くの問題点が指摘されている。医療の高度化により移植を希望する人々は増える一方で、供給される臓器に比べて圧倒的に多く、アメリカなどのように、臓器提供に同意する意思表示があるドナーからの自発的なオプティング・イン (opting in) 方式では、臓器の絶対的不足が補えない。ベルギー、フランスなどヨーロッパ15カ国のように、臓器提供を拒否する意思表示がない場合はあらかじめ臓器提供を承諾 (presumed consent) したとみなすオプティング・アウト (opting out) 方式へと変化する動向も国際的に見え始めている。アメリカでは臓器の提供を増加させるために、患者の死後に臓器提供の有無を近親者等に必ず確認することを病院・医師に義務づけた「Required Request Policy」が、連邦の保険の適用を受ける医療機関について1986年から実施されているが、結果はあまりはかばかしくない。その他の移植医療先進諸国でも、外国人への臓器の提供や移植への批判が臓器摩擦を生み、自国民や居住者を優先するようになりつつある。
93年5月、英国の2つの病院では、心臓病の喫煙者の場合、術後の回復の可能性が非喫煙者の半分しかないことを理由に、手術を拒否したと報道されたが、移植においても同様のケースが医学的見地からの生存率をふまえて問題にされるであろう。喫煙者にとって心臓移植待ちの優先順位が下位になるのは、希少資源の「配分的正義」の観点から正当化されるという説もあり、各臓器別の検討が必要となるだろう。わが国でも、93年3月に、日本移植学会など9学会で構成される移植関係学会合同委員会で、脳死者からの心臓、肝臓の移植について基準を定めた際に、飲酒による肝臓疾患の場合は、原則として移植の対象外とするという決定を行っている。
移植のための臓器の絶対数の不足を補うために、ヒヒやチンパンジーなどの臓器を利用する異種間臓器移植も免疫抑制剤の進歩により実用化の兆しが見え始めた。これに関連して、なるべく拒絶反応を起こさないように遺伝子工学を応用した臓器提供用の動物を作る研究も始まっている。
欧米医療先進諸国では、臓器移植のほとんどは、臓器移植以外に患者の生命を救うことができないことに加えて、次のような事情をふまえたうえで通常の医療処置として定着している。生体からの場合は、(1) 腎・肝臓部分移植のようにドナー (提供者) 本人の自由意思により患者を救いたいという倫理的決断が明確・強固であること、(2) 患者本人の延命および生命・生活の質の顕著な向上が大きく期待されること、(3) 提供者にとってのリスクが最小限であること、などによる倫理的正当性が指摘される。提供者が脳死の場合も、前記と重なり合うが、(1) 患者を救う最終的手段は臓器移植しかないこと、(2) 患者の治療が目的であって実験が第一目的でないこと、(3) リスクを含めレシピエント (提供を受ける患者) がインフォームド・コンセントの内容を納得、理解し、処置に同意すること、(4) 患者、家族関係者、特にドナーの臓器提供意思表示 (カード等文書による) の確認、近親者の同意、脳死判定などをめぐって、患者の権利の擁護について万全を期すること、(5) 極度にリスクやコストが高く、さらにQOL (生命の質) が低いと予想される場合の評価をあらかじめ考慮すること、などの倫理的正当性が挙げられている。
フランスでは生命倫理に関連する、臓器移植、人工生殖、出生前診断などの三法案が、1994年中に採択される見通しとなっている。この法案では、人体の構成物 (臓器、組織など)、産物 (精子、卵子、血液) の営利化を禁止している。
ERB (Ethical Review Board; 倫理審査委員会) とも呼ばれる。アメリカで制度化されたもので、世界的に定着しつつある。1974年にアメリカで制定された、被験者、患者等の人権を守ることを主な目的とした「研究・実験規制法」で制度化が義務づけられており、連邦政府管轄下の施設およびその資金による臨床・治療研究等に適用される。IRBに象徴されるバイオエシックスの制度化は、生物・医科学の発展の過程での研究・業績至上主義を人権・生命権尊重の立場から厳正にチェックする役割を効果的に果たしている。なお、わが国の医学部倫理委員会は、80の全医科系の大学に設置されているが、ほとんど同一学内の委員で構成されている。91年11月に設置された東京都病産院の倫理委員会は、わが国で初めて全面公開の委員会として活動し、宗教団体ものみの塔「エホバの証人」信者の輸血拒否に関連して公開の審議を重ね、94年4月「宗教上の理由による輸血拒否への対応について」と題する報告書を都衛生局長に提出した。
名称 (英文略称)
医学研究
施設内審査委員会
(IRB; Institutional Review Board)病院
倫理委員会
(HEC; Hospital Ethics
Committee)小児患者バイオエシックス
審査委員会
(IBRB; (Infant Bioethics Review Board)
設置基準など
National Research Act. PL-93-348
(1974年7月12日)各病院による基準作り (IRBのモデルによる) および大統領委員会 (PCSEPMBBR; President Commission for the Study of Ethical Problems in Medicine and Biomedical and Behavioral Research) 報告書中の米国・法と医学学会 (ASLM; American Society of Law and Medicine and Ethics) による提案など
IBRB (Infant Bioethics Review Board), 米国小児学会提案 (1983年7月)
ICRC (Infant Care Review Committee; 小児看護審査委員会), 連邦規則45-CFR-Part84 (1984年1月12日) 勧告
目的と対象
連邦政府の管轄の医学研究・医療施設 (および補助金を受けている研究計画) での臨床実験の対象となる人の人権の保護および倫理上の問題点の審査を含む治験実施要綱の全体的審査
自ら判断力を行使できない患者のために生死にかかわる医療処置をするに当たっての倫理的な問題点の審査、その他の患者または家族・関係者の要請による
新生児・小児患者を対象とする。
患者の家族・関係者および施設内のスタッフなどの要請による審査
患者の構成・人数と
専門分野など
1. 同一性別、同一職業などによる独占を避ける
2. 宗教・法律・倫理などの専門家を加える
3. 地域 (コミュニティ) からの委員を加える
1. 医師 (内科)
2. 医師 (専門医)
3. 患者の権利擁護委員 (看護婦のケースが多い)
4. 法律家
5. 病院管理者
6. ソーシャルワーカー
7. 精神科医
8. 宗教・倫理専門家 (バイオエシックス担当)
9. 地域代表
1. 医師
2. 看護婦
3. バイオエシックス (宗教・法律) 専門家
4. 法律家
5. 身障者またはその組織代表・その専門家
6. 地域代表
7. 医院内医療スタッフ代表
8. 病院管理者
バイオエシックスの展開
バイオエシックスという考え方が、広く受け入れられるまでには多くの犠牲や努力が払われてきた。特に、バイオエシックスが最初に芽生えた米国では、人種間対立などからアフリカ系アメリカ人 (黒人) をはじめとするマイノリティー (社会的少数者) が、人体実験の犠牲となった背景がある。わが国が第二次大戦中に中国東北部 (満州) で行った人体実験やナチス・ドイツが行った人体実験も、常識を完全に逸脱した犯罪行為である。これらに対する反省から、バイオエシックスという考え方が生まれてきた。
1960年のネイタンソン事件の判決は、患者が事前に同意するために必要な情報を医師から得る権利を確立し、今日のインフォームド・コンセントの基礎を作った。放射線療法のリスクとその身体への障害など、相手が医師なら当然知らせたはずの「専門家基準」による情報が、医師が患者に与えるべき内容とされた。
1972年のカンタベリー事件に対する判決は、例えば手術の内容や麻酔などのリスクと他の処置の選択肢など、分別のある人間なら当然重要と考える事柄についても分かりやすく詳しい情報を医師は自己決定の主体としての患者に与えるべきだとし、これを「良識人基準」とした。この事件により、今日のインフォームド・コンセントの原理が確立したといえる。この場合、「良識人」とは、分別のある理性を持った人としての患者のことである。
1934〜72年にかけてアラバマ州タスキギーで、黒人男性約600人を対象に米国連邦政府公衆衛生局 (PHS) が行った梅毒研究。約40年間にわたって、梅毒患者の病状変化を調査するため、積極的な治療処置は一切行わず、ペニシリンなどの抗生物質の使用も差し控えた。しかし、患者には「無料の」治療を行うと伝え、食事を提供し、死後の葬儀費用も負担した。患者の死後、データ作成のため解剖が行われた。
72年にマスコミがこの事実を報道し、世論が高まり、この「治療処置」に名を借りた悪質な人体実験は中止に追い込まれた。タスキギー事件が契機となって、アメリカでの医学的研究被験者の人権擁護の声が高まり、バイオエシックス関連の委員会や制度化 (倫理委員会など) が進展した。タスキギー事件は、アメリカにおけるバイオエシックス公共政策の形成に最も大きな影響を与えた。
世界各地で1960年代中ごろから70年代を通して、それまで医学研究の名において、公然とあるいは密かに行われてきたさまざまな人体実験や臨床治験、医療過誤、薬害、さらに環境汚染や公害などがマスメディアを通じて公表されるケースが相次いだ。
(1) 米陸軍による細菌戦争に備えてのソルトレーク市近郊での9年間で170回にも及ぶ大気中へのバクテリアの放出実験。(2) カリフォルニアのぶどう園での農薬安全性実験に発がん性のある薬品であることを告げずに学生ボランティアを被験者として参加させた。(3) ピッツバーグで3歳の幼児に、最初から実験データ収集を目的とした肝臓、脾臓、大腸など5つの臓器移植が行われ、患者は数週間で死亡。
以上の他にも多くの人体実験が行われていた。とくにアメリカでは、これらの悲壮な被害にあった人々がアフリカ系、スペイン系などのアメリカ人をはじめ、女性、幼児、高齢者、囚人などであり、これらの従来差別されてきたマイノリティーの人々の権利向上のための公民権、人権運動の高まりの中で患者、被験者の権利を守る市民運動が展開され「バイオエシックス」が誕生する大きな要因となった。
米国連邦最高裁は1973年「ロー事件判決」により人工妊娠中絶を女性のプライバシー権として容認し、米国憲法修正1条の表現の自由に基づく「個人が自己を実現する権利」と位置づけた。しかし、現在も宗教的な理由からの反対も根強く存在し、中絶医に対する暴力・殺人事件も発生している。
1974年に成立した「国家研究規制法」に基づいて設置された委員会で、正式には「生命医科学及び行動研究に関する被験者保護のための国家委員会」という。78年に報告書「ベルモント・レポート」を発表し、人体実験・臨床治験の被験者や患者の人権保護についての倫理ガイドラインを提案した。これは、人種的マイノリティー・グループや精神病者などの人権保護の倫理原則を確立するための立法の基盤となった。現代ではバイオエシックスを考える上での基礎的な資料となっている。
国家研究規制法は、医療・臨床の現場での数々の人権侵害に国家レベルで統一的な対応を行うために成立した。これを契機に研究施設・病院内での「審査委員会」(IRB) などの制度化が進んだ。
正式には「医学および生物・医科学・行動研究における倫理問題研究のための大統領委員会 (Presidents Commission for the Study of Ethical Problems in Medicine and Biomedical and Behavioral Research)」。1980年よりバイオエシックスに関連する調査研究を行うとともに、ほぼ毎月1回、一般市民の参加と意見の表明を含む全面公開の委員会を開催。全16巻の報告、資料、勧告を刊行。83年にその活動を終了した。バイオエシックス公共政策の形成のモデルとして、この委員会の全活動の重要性はますます増大しつつある。
カレン・アン・クインランの死ぬ権利をめぐって、両親が米国・ニュージャージー州の裁判所に起こした訴訟。回復の見込みもなく植物状態で人工呼吸器につながれた娘は、機械に頼らず自然に死を迎えるべきだと主張した。1976年の判決に基づき人工呼吸器を外したが自然呼吸が続き、10年近くクインランさんは生存した。意識はないまま人工的に生かされるか、または自然に死を迎えるかをめぐって米国で大きな議論を呼んだ事件で、76年カリフォルニア州で世界初のリビング・ウィル法が成立する契機となったとされている。このケースでは、後のクルーザン事件の場合とは異なり、水分・栄養分の補給は当然のこととして継続された。
1988年2月3日に米国・ニュージャージー州最高裁は、代理母契約により子供を生んだメリー・ベス・ホワイトヘッドさんの親権は認めたが養育権は否定し、金銭を伴う代理出産契約は不道徳かつ違法であるとした。一方、生まれた子供Mちゃんの最善の利益のため、養育権を契約依頼人である父親 (精子提供者) に与えた。ビジネスとしての代理母契約は多くの州で違法とされる可能性はあるが、92年4月の時点で全米に約30の代理母仲介業者の存在が確認されている。
1989年に米国連邦最高裁により下された、州ごとの中絶規制立法は違憲ではないとする判決。これは73年の「ロー事件判決」の否定ではなく中絶時期の問題とされている。ただし、この判決により一部の公的医療機関による反中絶の動きが生まれ、プロ・ライフ運動にとって有利な世論形成がなされたという見方もある。
米国の連邦最高裁で争われた事件で、植物状態に陥った娘の「死ぬ権利」を主張して両親が起こした裁判。1990年6月25日に判決が出たが、本人の意思が不明確であることを理由に敗訴となった。しかし、本人の意思があらかじめ明確で、証拠があれば「死ぬ権利」はあるという判断が示され、連邦レベルで死ぬ権利が認められる注目すべき判例となった。その後、新たな証言に基づいて、ミズーリ州のジャスパーク検認裁判所は、本人の意思を踏まえた両親の主張を受け入れ、水分・栄養分補給などが停止され、ナンシー・クルーザンは90年12月26日に死亡した。
免疫抑制剤の進歩により、動物の臓器を人間に移植する異種間臓器移植も実用化の兆しが見え始めた。1992年6月に、ヒヒから人間への異種間臓器移植手術がピッツバーグ大学で行われたが、患者は71日目に死亡した。深刻化する移植用臓器の不足を補うため、今後も移植は続けられるというが、動物の権利擁護の観点や人間の固有性の見解、さらに動物が持つ未知のウイルスが有害である可能性などの否定的な意見もある。
なお、94年8月に京都で開催された世界移植学会では、遺伝子工学を応用した臓器提供用動物の開発も報告された。ヒヒの遺伝子を受精卵に組み入れ生育させたブタの心臓をヒヒに移植したところ約30時間生存したが、遺伝子操作をしない場合の生存時間は1時間に過ぎなかったという。ブタのインシュリンや心臓弁は医療にも使われ、心臓の大きさも人間に近く、入手も容易なのでブタの臓器や細胞を利用する研究が世界各国で進められている。
1994年1月から、条件付きで医師が投薬や注射などにより末期患者本人の意思に基づき積極的な安楽死を行うことを認めるように埋葬法の改正が行われた。
この法案は、93年2月に下院で承認、上院を11月30日に通過した。これまでも、医師会で作成した基準にそっている場合には司法判断で安楽死は容認されており、この法律は現在の慣行に法的根拠を与えるものといえる。安楽死が許容される患者は、(1) 耐えられないほどの痛みを訴え、(2) 明確に死を希望している末期患者で、医師の義務として、(3) 処置を行う医師の同僚への相談、(4) 検死官への報告、などがあげられている。バイオエシックスの発想では、あくまでも自己決定権の尊重が基本となる。したがって、今回のオランダ立法例は、本人の意思の確認を前提とした自発的な安楽死であるという点では原則にそっているが、医師により積極的に生命を終わらせるという点が、大きな議論をよんでいる。
1994年9月1日、抗ウイルス剤ソリブジン薬害事件で、厚生省は製造元への薬事法違反による今までで最も厳しい行政処分を通告、治験から使用に至る医薬品の安全性確保のための対策を協議する検討会の設置を決めた。
ソリブジンは抗がん剤との併用により16人の死者を含む23人もの副作用被害者を出した。治験段階での死亡例を報告せず予備的動物実験終了前に最終臨床治験を開始したこと、相互作用に関する注意文書配付を怠ったことなどが処分の理由となった。一方、厚生省や中央薬事審議会の対応、治験総括医師の責任や正式な文書によるインフォームド・コンセントがない場合の処分は不明確なままとなった。国際的な基準から20年は遅れているとされる、日本の臨床治験の問題点が明るみに出た事件といえる。
国際医学団体協議会 (CIOMS; Council for International Organizations of Medical Sciences) と世界保健機関 (WHO; World Health Organization) が、1994年4月メキシコ・イズタパで「健康政策、倫理、人間の価値観」をテーマにして開催した国際会議での宣言。まず、一般原則において、人権としてのヘルスケアとその公正で効率的な適用や、コミュニティーでの展開の必要性が確認された。次いで、国内・国際・地域的な人権団体の重要性や、開発銀行におけるバイオエシックスの役割が取り上げられ、貧困や生命の価値の具体的問題解決を目指しての全地球的視野からの課題への真摯な取り組みが宣言されている。
このメキシコ会議では、世界各国のバイオエシックス研究機関の情報交換と研究・教育協力体制の確立、世界銀行が新しい健康の指標として93年の報告書で採用したDALYs (Discounted Adjusted Life Years) の倫理的問題点とその適用についての討議、社会・経済・政治上の事由により「弱者の立場」に追い込まれた人々に関する健康政策、倫理、価値観が焦点となった。この10年間、世界各地でのバイオエシックスの運動・研究・教育の展開には目覚ましいものがあり、CIOMSとWHOが、先進国と開発途上国をつなぐ共通の倫理的要素を基盤にしつつ、臨床治験、インフォームド・コンセント、疫学調査などの国際ガイドラインの作成に取り組んできた。「イズタパ宣言」はこれらの蓄積を踏まえ、21世紀へ向けてのグローバルなバイオエシックス展開のための基本的な方向付けをしたものといえよう。
日本の年間死者数は約80万人で、その大部分は心停止による心臓死で、脳死は1%以下である。臓器移植法案の核心は、人工呼吸器の作動で血液が循環し心臓が鼓動していても脳死基準に合えば移植のための臓器摘出を可能とするところにあり、前もって臓器提供の意思表明をしたドナーの善意を生かし、臓器移植の促進が期待されている。しかし、本人の意思が不明確な場合、家族が本人の意思を「忖度 (そんたく)」(推測) するという手続きが提案されたが、基準があいまいなため、文書で本人の意思を確認することを条件とする案も出された。
1993年10月に九州大学で行われた「心停止後肝臓移植手術」の場合も、ドナーの生前の意思は不明で、提供は家族の忖度によるものである。ドナーの入院していた千里救命センターは、当初は脳死段階での肝臓摘出を表明していたが、大阪府の指導により心停止後の摘出となった。このケースでは、臓器摘出の準備のための保存液の注入時期が議論の対象となった。さらに、94年6月には、東邦大学などで92年から93年にかけて4人の脳死患者からの腎臓・角膜摘出とその移植が8例行われたことが横浜総合病院により公表されたが、いずれも遺族が本人の意思を忖度しての臓器提供で、患者本人の生前意思は不明だった。
バイオエシックス関連年表 (1947年〜)
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