3. アメリカ合衆国の主要判例における裁判所の意見とその分析
(1)Mohr v. Williams, 104 N.W. 12 (1905)

 「医師が患者に対して手術を行い得る前に、通常は、患者の同意が与えられなければならないことは疑い得ない。自由な市民の最も重要な権利、即ち、自己の身体の不可侵性に対する権利はあまねく承認されており、そして、この権利により必然的に、検査、診断、助言および投薬(これらは治療とケアにおいて少なくとも必要な最初のステップである)を行うことを依頼された内科医または外科医は、いかに技量が優れており高名であろうとも、患者の同意または認識なくしてその患者に大手術を行うこと、即ち、手術のために患者に麻酔をかけてその患者に手術を行うことにより、患者の許可なくしてその患者の身体のインテグリティを侵害することを禁じられる。手術を受けることにかけるのか、または、手術を受けずに生きることにかけるのかについての最終的な判定者は患者でなければならない。それは個人の自然権であり、法により法的権利として認められている。したがって、外科医が手術を行う権利を有し得るためには、患者の同意が明示的にであれ黙示的にであれ与えられなければならない。
 医師が患者に対してある特定の手術を受けることを助言し、そして、患者がその手術の実行に伴う危険とリスクを評価した上で最終的に同意するならば、それにより患者は、事実上、与えた同意の範囲に限って手術を行うことを医師に授権する契約を締結することになる。」

 Mohr事件判決は、医師が手術に関してフリー・ライセンスを有している訳ではないことを明らかにする判決であり、患者の意思能力、医師による医学的処置の提示、その医学的処置の実行に伴う危険とリスクに関する医師による情報開示、危険とリスクの患者による評価、医学的処置を支持する患者の決定、および、医学的処置の実行に関する患者の授権に言及する。裁判所は「自己決定」や「自律」といった言葉を用いてはいないが、「自己の身体の不可侵性に対する権利」という言葉が今日の患者の「自己決定権」と同等の機能を有していることは明らかである。同判決の段階では、医師が開示することを求められる重要情報は手術の実行に伴う危険とリスクに関するものに限られており、また、医師は代替の医学的処置を提示することを求められてはいない。更に、同判決は、患者が危険とリスクについて評価する機会を有することを明らかにしているが、その評価が患者のどの程度の理解に基づくものであるべきかについては述べてはいない。

(2)Schloendorff v. Society of New York Hospital, 105 N.E. 92 (1914)
   「成人に達し、健全な精神を有するあらゆる人間は、自分自身の身体に対して何が行なわれるものとするかを決定する権利を有する。したがって、患者の同意なくして手術を行なう外科医は、不法な身体的接触を行なっていることになり、それに対して損害賠償の責任を負う。このことは、患者が無意識であって、同意を得ることができるようになる前に手術を行なうことが必要である緊急事態の場合は別として、真実である。」

 Schloendorff事件判決は、患者の同意またはインフォームド・コンセントに関する後の判例で最も多く引用されている判決であるが、Mohr事件判決に依拠するものであり、同判決に比べて内容的に見劣りするものである。Schloendorff事件判決は、患者の意思能力、医師による医学的処置の提示、医学的処置を支持する患者の決定、医学的処置の実行に関する患者の授権、および、例外としての緊急事態に言及しているものの、医師による情報開示について全く述べていない。Schloendorff事件判決の意義は、後にいわゆる「水門論」を展開することになる高名なBenjamin Cardozo裁判官が実質的に「自己決定権」というフレーズを先駆的に採用して患者の同意に関する法理の簡潔な公式化を行なったという点にある。

次頁「(3)Salgo事件判決について─Salgo v. Leland Stanford Jr. University, 317 P.2d 170 (1957)」
及び「(4)Natanson事件判決について─Natanson v. Kline, 350 P.2d 1093 (1960)」
に続く


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