「医師は、提案した治療法に対する患者の知的な同意の基礎を形成するのに必要な何らかの事実を述べなかった場合に、患者に対する義務に違反し、責任を負うことになる。医師は、患者を説得してその患者の同意を得るために、処置または手術について知られている危険について控えめに述べることをしてはならない。同時に、医師は患者の福祉を至上のものとしなければならないのであり、そして、まさにこの事実により、医師はしばしば二つの行動方針の間で選択を行なわなければならない立場に置かれる。一つは、外科的処置または手術に伴うあらゆるリスクについて、それがいかに小さいものであれ、患者に説明するというものである。そうする場合には、既に懸念することがはなはだしく、実際には最小限の危険しかない外科的処置さえも受けることを結果的に拒否してしまうかもしれない患者に、警告を与えることになり得る。これはまた、懸念すること自体の生理的結果のために、実際にリスクを増大させることになり得る。もう一つの行動方針は、各々の患者には別個の問題があるということ、患者の精神と感情の状態が重要であって、場合によっては決定的であり得るということ、および、リスクという要素について論じる際には、インフォームド・コンセントにとって必要である諸事実の充分な開示と矛盾しない形で一定の裁量権を行使しなければならないということ、を認めることである。」
Schloendorff事件判決が下されてから40年ほどの間、患者の同意に関する理論に大きな発展はなかった。しかし、1957年のSalgo事件判決において劇的な展開があった。つまり、患者から同意を得るという医師の伝統的な義務が、一定の形式の情報を開示した後にそうするという明白な義務となり、インフォームド・コンセントという語が登場することになったのである。Salgo事件判決は、医師による医学的処置の提示、その医学的処置に対する患者の知的同意、および、医師による情報開示に言及するものであるが、患者が同意を与える際に情報を与えられているか否かを執拗に追求し、医師には提案した治療法に対する患者の知的な同意の基礎を形成するのに必要なあらゆる事実を開示する義務があるとしたのである。しかし、医師には一定の裁量権が認められており、したがって、情報開示の範囲は、実質的に、医療コミュニティの基準または専門家基準に依拠する。
(4)Natanson v. Kline, 350 P.2d 1093 (1960)
「内科医または外科医が手術の性格について積極的に不実表示を行なった場合、または、治療方針の蓋然的結果について指摘しなかった場合には、その医師は授権されなかった治療を行なったことになり得る。しかし、このことは、医師には治療から生じ得る諸結果のすべてについて詳細に述べる義務があるということを意味するのではない。癌または他の致死的な病気の場合には、精神的に不安定な患者の回復が情報開示により妨げられることがあるので、恐らくは、特定の診断について述べないという治療上の諸理由に基づく特権が存在する。しかし、通常の場合には、医師は治療前に患者に対して実質的な情報開示を行なうべきであり、さもなくば、不法行為責任を負う危険をおかすことになる。
英米法は徹頭徹尾の自己決定を前提として出発する。したがって、各々の人は自分自身の身体の支配者と考えられるので、その者は、健全な精神を有するならば、救命のための外科的処置または他の医学的治療を明示的に禁止することができる。医師は手術もしくは何らかの形の治療が望ましいかまたは必要であると信じるかもしれないが、医師が何らかの形の術策または欺瞞により自己の判断をもって患者のそれに代えることは法的に許されない。
医師が提案した治療法に対して患者が知的な同意を与えたか否かを決定するための適切な法準則は、実際上、患者のインフォームド・コンセントを得ることを確実にするために、医師による情報開示を強いるものである。しかし、医師の開示義務は、同一または同様の状況下で良識的な医療実務家が行なうであろう開示に限られる。この難しい状況で医師が患者に対する自己の義務をどのようにして最良の形で果たし得るかは、主として、医学的判断の問題である。開示がインフォームド・コンセントを確保するのに充分である限り、医師が患者の治療上の最善の利益というものによってのみ動機付けられており、また、有能な医療者たちが同様の状況において行なったであろうことを行なったならば、医師によるもっともな方針の選択は問題とされるべきではない。
患者が治療法に伴う危険について充分に理解している場合には、医師が患者に対して良識的な情報開示を行なう義務を果たさなかったとしても、それには傷害との因果関係がない。そのような場合には、提案された治療法に対する患者の同意は、インフォームド・コンセントである。
医師には、患者に対して、病気の性格、提案した治療法の性格、治療が成功する可能性、治療代案、ならびに、身体に生ずる不幸な結果および予期せぬ事態に関するリスクについて、必要である限り簡単な言葉で情報を開示し説明する義務がある。」
Natanson事件判決は、患者の意思能力、医師による情報開示、医学的処置の医師による推薦、開示された情報の患者による理解、医学的処置を支持する患者の決定、患者の自由意思、および、患者による授権に言及しており、これにより、一応、インフォームド・コンセントの構成要素が項目としてすべて出揃うことになる。同判決は幾つかの点で画期的である。第一に、医師が開示すべき情報につき、病気の性格、提案した治療法の性格、治療が成功する可能性、治療代案、予後などと、明示的かつ詳細に述べている。第二に、開示された情報の患者による理解を重視し、医師には患者が理解できるように簡単な言葉で情報を開示し説明する義務があるとしている。第三に、医師が不実表示や欺瞞によって患者の自由意思を損なう場合には、インフォームド・コンセントが成立しないことを明らかにしている。しかし、情報開示の範囲は専門家基準に依拠したままである。
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