(5)Canterbury v. Spence, 464 F.2d 772(1972)

 「成人に達し、健全な精神を有するあらゆる人間は、自分自身の身体に対して何が行なわれるものとするかを決定する権利を有する。自分自身に対して生ずることに関する真の同意とは、情報を与えられた上で選択権を行使することであり、それには、用いることができる選択肢と選択肢の各々に伴うリスクについて知識を持って評価を行なう機会が必然的に伴う。平均的な患者は医術に関する理解をほとんど欠いているか全く欠いており、通常は、知的な決定を行なうための知識を求め得る相手は自己の医師のみである。これらのほとんど自明の考慮事由から、そのような決定を可能とするための医師による患者に対する適切な情報開示の必要性が生じ、また、その開示を求める要件が生ずる。
 医師には充分な技量をもって患者を治療する義務があるが、診断と治療法における技量が医師の責任を定める手段のすべてである訳ではない。良識的なケアという要件により、医師は患者に特定の情報を伝達する義務を負う。適正なケアという要件により、患者の身体的異常の徴候を認識した医師は、患者に対してその状態について警告することを要求され得る。自己のサーヴィスに相応するものではない疾患に直面した医師は、それについて患者に告げることを要求され得る。医師は、患者に対して、患者自身の福祉のために今のところ守るべき行なってはならないこと、および、将来において試みるべき予防的治療法について指示を与えることを要求され得る。医師は、行なわれようとしている治療法よりも大きな利益をもたらしそうな代替的治療法があれば、その必要性と望ましさについて患者に助言することを義務付けられ得る。また、通常、医師は、考慮されている治療法に伴い得るリスクについて、患者に警告を与えることを要求される。
 リスクに関する情報開示の義務が生ずる状況は、常に、特定の治療法を試みるべきか否かを決定する場合である。医師にとって回答は明らかであるように思われるかもしれないが、患者の利益が存在する方向を決定するのは患者の特権であり、医師の特権ではない。患者が理解に基づき自己の治療計画を立てることができるためには、治療代案とそれらに伴う危険についてある程度まで知ることが絶対に必要となる。
 適正なケアの一側面として、医師には提案した治療に潜む危険について警告する義務があり、また、患者が期待する権利を有する情報を与え得る義務がある。要求される良識的説明とは、患者に対して、何が問題であるか、即ち、治療代案、期待されるかまたは達成されるであろうと考えられる目標、および、特定の治療または無治療から生じ得るリスクについて、非専門的な用語で全般的に伝えることである。
 手術または他の治療を開始する前に医師は患者の同意を求め、それを確保しなければならないというのは確立された法である。この同意は、有効であるためには、患者に圧力をかけたり患者を欺いて得たものであってはならない。患者が授権していない治療は、医師による不法行為─コモン・ロー上の不法な身体的接触─となる。また、通常、医師は、患者が理解できるように選択肢と危険について説明しなければ、有効な同意を得ることができない。
 特定の情報を患者に開示する義務は、医療コミュニティの慣行に依拠するものとされてきた。医師が情報開示に関する専門職業上の慣行を遵守したいならば、それは患者に対する責任を生ぜしめる。しかし、医師が充分に情報を開示しなかったことを理由とする患者の訴訟原因は、専門職業上の伝統の存在とその不遵守に依拠するのではない。
 特定の治療法に関する患者の自己決定権を尊重するためには、医師たちが自らに課したり課さなかったりする基準よりも、医師たちのために法により定められる基準が必要とされる。
 患者の病状と回復の見込みについて情報を開示するという決定は、しばしば非医学的な判断であり、そして、非医学的判断である場合には、その決定は、医師に適用される特別な基準の範囲外にある決定である。そのような状況において、専門職業上の慣行は、治療に関する選択肢および危険について患者に対して良識的に情報を開示するという医師の責任をはかるための法的判断基準を提供するものではない。
 提案された治療に伴うあらゆる危険─いかに小さなものであれ可能性が少ないものであれ─について患者と議論することを医師に期待することは、非現実的であり、また、一般的に、患者の視点からも不必要なことである。しかし、情報開示の範囲を純粋に専門職業上の基準に照らして定めることは、治療に関する患者の自己決定権と矛盾する。その自己決定権こそが情報開示義務の基礎である。
 患者の自己決定権が開示義務の範囲を決定する。この権利が有効に行使され得るのは、患者が知的な選択を行なうのに充分な情報を有する場合のみである。したがって、医師による患者に対する情報開示の範囲は患者のニーズによりはかられなければならず、そして、そのニーズとは患者の決定にとって重要な情報である。したがって、特定の危険について情報が開示されるべきか否かを決定するための基準は、患者の決定にとってのその情報の重要性である。決定に影響を与え得るすべてのリスクについて、情報は開示されなければならない。そして、治療に関する患者自身の決定を達成させるという患者の利益を保護するためには、充分な情報開示の基準が法により定められなければならない。
 リスクに関する情報は、患者がそれを自己の決定にとって重要であると考えるならば、開示されなければならない。医師は、患者が何を自己の決定にとって重要であると考えるかを正確に知ることはできないが、自己の医学的訓練と経験に基づき、平均的な良識ある患者がどのように反応するかを知ることができる。
 医師による情報開示の範囲に関する基準は、主観的なものではなく、情報に関する患者のニーズを充分に配慮した客観的なものである。リスクに関して、重要情報とは、患者の立場にある良識的な人が提案された治療法を受けるか否かを決定する際に重要視しそうな情報のことである。
 真の緊急事態が生じ、患者が無意識であって同意を与えることができないような場合であっても、医師は親族の同意を得るように努めるべきである。しかし、議論をするだけの時間がないほどに切迫している場合には、医師は治療を行なうべきである。
 医師は、情報を開示すると患者が治療─患者が本当に必要としていると医師が考える治療─を止めるかもしれないという理由で情報を与えないことは許されない。」

 Canterbury事件判決は近年において最も大きな反響を呼んだ判決である。同判決は、インフォームド・コンセントの適切な表現方法をめぐって意見の不一致が増大し、その法的検討を迫られたという事情を背景に、それ以前の判決よりも綿密な検討を行なっている。同判決では、患者の意思能力重要情報の医師による開示医学的処置の医師による推薦開示された情報と推薦された医学的処置の患者による理解医学的処置を支持する患者の決定その決定を行なう際の患者の自由意思、および、患者が選択した医学的処置の実行に関する患者による授権というインフォームド・コンセントの7の構成要素すべてが論じられている。Natanson事件判決との決定的な差違でもあるが、Canterbury事件判決の最も重要な意義は、専門職業上の慣行という情報開示の基準を退け、患者の自己決定権が医師の開示義務の限界を定めるとして、いわゆる良識人基準を採用した点にある。また、この判決は医師の開示義務を患者の最善の利益のために行動する義務と結び付けたものでもある。したがって、この判決では、開示されるべき情報の中に、検査結果、適切な自己管理の指示、代替的治療法、患者の疾患が自己の技術と知識を越えていると判断した場合の他の医師の紹介などが含まれるのである。

次頁, 最終章「4. むすび」に続く


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