2.9 ヒト・ゲノム解析研究の問題点
(1) 技術的可能性の側面:DNA解析の自動化をすすめる研究の促進とその実現 (2) 基礎・応用研究での社会的な影響の側面:ヒト・ゲノム解析による成果への期待 - 例えば、人間・動植物の進化などを初めとする基礎研究、遺伝病の診断や治療などへの応用、さらにホルモン・医薬品の研究・開発・製造などや健康データの作成・犯罪捜査への利用、など人間の生命・身体・プライバシーへの幅広い社会的影響 (3) 政府・民間研究機関や企業による国際競争の激化の側面:欧米諸国が国家的に、また地域的にきわめて重要度の高い大型科学研究プロジェクトとして予算を計上する一方で、世界諸国の民間研究機関・企業も特許の取得めざしての国際競争に事実上突入しているという認識 (4) 日米科学研究・国際協力における政治的・経済的側面:わが国も国際的な規模でのヒト・ゲノム解析プロジェクト (例えば、米国NIH) に財政面でも積極的に寄与しない限り、従来のような研究成果の無償の利用といったことには問題があるという指摘がなされているという事実 |
ヒト・ゲノム解析プロジェクトは、旧来の科学研究のあり方とは根本的に異なった幅広いアプローチによりなされるべきです。
特にバイオエシックスの立場から指摘しておきたいことは、宗教や文化とのかかわりを視野にいれた学際的な科学研究へのアプローチの必要性です。
日本においては、純粋な科学研究それ自体が、宗教や文化とのかかわりについて深く論ぜられることはほとんどありませんでしたが、世界的なスケールではこのような傾向はむしろ例外であるといえましょう。
生、死、人間とは、人生の目的とは何かといった問いに答える宗教を基盤とした共同体やその社会の中に生きている信仰者たちは、しばしば科学研究が絶対者としての神をおとしめたり、人間を神の座に置きかねない傾向に対して鋭い警告を発し、批判を続けてきました。特に、神による被造物としての生物の中で人間に特別に位置づけをするユダヤ・キリスト教の伝統によってつちかわれた欧米社会においては、人間による人間生命の本体ともいえる遺伝子の操作に対しては深刻な問題提起がなされています。
その一方でユダヤ・キリスト教の伝統によれば、神によって与えられた生命の忠実な管理者としての人間はその知識と知恵を用いて悪や不正と闘い、苦しみの除去のために、より良き生を求めて最善をつくすことが期待されています。したがって、遺伝病のカウンセリングのための特別な教育を受けた聖職者による教会の遺伝相談クリニックなどもかなり存在しているのも納得がいきます。そこには、病者を慰め、癒すことへの積極的な取り組みがあります。遺伝病の診断と治療のための研究が社会的にサポートされているのもまた当然であるといえましょう。
日本でのヒト・ゲノム解析研究の推進にあたっては、他の諸国と異なった歴史的背景にあるわが国の実情 - 例えば、遺伝欠陥を恥とか、前生の因縁とか、運命と考えるなど - の変革を意図しつつ、基本的な生命観や人間観などを文化や宗教とのかかわりの中で、どのように治療や看護に焦点をあてることにより新しく把握し直すかというきわめて本質的な研究作業をも展開させるという国際的責務を果たすことが求められていると筆者は考えています。
私は、現状でのこの研究分野の日本での進展に深い憂慮の念を抱いているので以下にその問題点を指摘したいと思います。
第一に、私たち国民の支出する膨大な額の税金を使用しての先端基礎科学研究の具体的な内容が分かりにくいことです。この研究の必要性、有用性、問題性についての国民への積極的な情報提供とPRが現時点では欠けていることです。
この研究を行なっている先進諸国には色々な刊行物や、ビデオを利用しての教育広報活動があります。例えば米国にはヒト・ゲノム解析情報センターがあり、誰でもそこに電話や手紙で質問や資料の請求が出来るのです。問い合わせれば返事の手紙が美しい冊子の資料とともに直ぐに送られてきます。日本でも、東大医科研ヒト・ゲノム解析センター開設時にパンフレットが刊行されたり、「ゲノム解析ニュースレター」が関係者に配布されているのは意義あることと評価したいと思います。
しかし、「科学研究のスポンサーとしての一般国民」への情報サービスという発想を中心に科学研究プロジェクトを推進すべき時がきているのに、日本ではその統一的な体制作りが全く不十分なのは大きな問題です。
また、世界的なこの研究プロジェクトのキーワードの一つは「ELSI」、つまりそれぞれの英語での頭文字の「倫理的、法的、社会的な関わり」で、米欧では研究費の全体の5〜10%を割り当て、この分野専門の特別研究事務局を設置してかなりの研究成果をあげています。日本はこの分野では大幅に遅れているのです。
第二に、この様な大きなスケールでの国家的科学研究プロジェクトには当然国レベルでの明確な「研究ガイドライン」が必要となります。その作成のためにヒト・ゲノム解析専門外の法律、哲学、経済、宗教、バイオエシックスなどの専門家や一般国民の代表を含めての委員会の常置が求められます。政府部内はもとより、関連学会、学術団体、国際機関との一本化された調整、相互協力体制が現在は全く不十分であります。
第三に、個人の遺伝情報の保護のための新しい立法準備作業がなされていません。ヒト・ゲノム解析研究の成果が個人の病気の早期診断、治療に役立つことは事実でしょう。しかし、一方で「病気になる可能性を持っている」という新しい人間選別のパターンができることも想定されます。将来は、現在病気でない人々をゲノム解析のデータによって差別し排除する方向が見えてきますし、更に診断結果に基づいての「遺伝子治療産業」やその基礎になる「特許」などの激烈な国際競争もふまえた立法が必要になります。
精神的・身体的遺伝欠陥や遺伝病の心配のある人は「検査」を自発的に申し出るという段階を経て、健康診断の一環として自分の知らないうちに遺伝データが利用され就職、入学、転勤、保険加入などの場合に利用されることも確実に予想されます。本人の許可なく遺伝・健康状況が第三者に入手できないように、またそれらの提供を拒否したことによる差別をされないような人権を守るための立法が是非とも必要なのです。
最後に、専門家たちもまた、「安全だ」「外国に後れを取るな」「専門家に任せて欲しい」といったレベルの対応でなく、素人達のごく素朴で本質的な批判、たとえばヒト・ゲノム解析研究はかつての「優生学」の好ましくない展開につながるのではないのかといった疑念にも正面から取り組み、答えるべきでしょう。
遺伝的理由による人権差別を正当化し国家として「優生政策」をとったナチス・ドイツはやがてユダヤ人の徹底的排除と大量虐殺を行ないました。この様なことが二度と起らないようにとの願いを込めて「ホロコースト博物館」が1993年ワシントンに開館されました。展示の終わりに「当時、静かに黙っていた人々にも責任があったのだ」と記してあります。
ヒト・ゲノム解析研究のような国家的な巨大科学プロジェクトに直面して、私たちは黙してはなりません。国民の一人一人がこのプロジェクトに関心を寄せ、ある意味で監視し続け、積極的に、何に不安を持ち、何を知りたいのかを専門科学者達にもっと率直にぶつけ、専門科学者達と国民が相互に教育し合うべきなのです。なぜなら、今世紀最後で最大となるであろうこのヒト・ゲノム解析研究プロジェクトこそ私たち一般人と専門家との国民的共同作業だからです。
以上に述べた諸問題点への積極的な取組みと早急な解決は、日本の国家的巨大科学研究プロジェクトへの全般的評価を国際的にも高めることになるでしょう。