■星野一正 編著:1994. 4,『生命倫理と医療 -すこやかな生とやすらかな死』, 第1章「患者中心の医療とは」, 丸善株式会社, 東京, pp. 32-36.
1.7 患者の権利とは何か -バイオエシックスと患者の権利の考え方-
Prof. Rihito Kimura wearing a smile


木村利人
患者の権利と生活の場

 「患者の権利宣言」とか「患者の権利」という言葉は、日本では、和田心臓移植事件を契機に開催された集会で、1970年に使われたことがあります。しかし、この具体的内容については、1980年代に入るまで、ほとんど指摘されていませんでした。
 たしかに医療者側は、いつも「患者のために」を第一に考え、治療に専念してきたという歴史がありました。1951年9月に制定された日本医師会の「医師の倫理」の中の第一章、患者に対する責務の項には「診療に際しては念頭にただ『患者のために』ということあるのみ」と記されています。ただ、この場合もあくまで医療者側の考える価値観に応じての「患者のために」であって、患者側の人間としての切なる意向は無視されがちであったことは否めません。
 国際的にもても、医療の中での患者自身の価値観、人生観、患者自身のいのちに関する評価についての価値判断の最終決定権は患者にあるという、いわば医療の伝統的パターナリズムの崩壊が、1960年代からの社会的な価値観の激変の中で起りました。米国においては患者の権利、特にインフォームド・コンセントをめぐっての法理がさまざまな判例の中で形成されるに至りましたが、これはむしろ、医療の中でのパターナリズムを支えてきた価値観よりも患者の「人としての尊厳」と、いわばバイオエシックスをつくり出すにいたった「自己決定」という価値観の形成が社会的に容認されたという事実の反映なのです。
 つまり、医事訴訟の増大が患者の権利を認めさせたのではなく、現実の臨床や医学研究の中での患者中心の価値観、被験者を中心に考えようという新しい価値観の変動が現場を変革していったということを正しく把握しておかなければなりません。
 これは被差別者、少数者などの権利を充実させる公民権運動や女性解放運動、消費者の権利運動や情報の公開、住民の行政機関への発言や決定への参加などと連動しつつ、さまざまなセルフ・ヘルプの運動を糾合し、バイオエシックス運動や、患者の権利運動へと展開されていったのです。
 このような1960年代の欧米諸国にはじまった国際的な価値観の変動と体制・権威主義批判を通しての社会変革の大きな広がりの中で患者の権利運動を評価すべきでしょう。その意味で、わが国の患者の権利運動は、外国で出来上がった運動の単なるコピーになってはなりません。患者や良心的な医療者側が旧来の日本に特有な「患者のおまかせ意識」と「医療側の権威主義的パターナリズム」を変革することが良いのだという確信を持っていたとしても、日本人の人間関係や社会意識、事大主義が根本から変革されないかぎり、医療の現場も変革されえないことは明らかです。つまり、患者の権利の問題によって、実は私たちの医療をとりまく日常的な生活の場での「人権意識」が問い直されています。そのための変革の行動が求められているのです。

患者の権利章典と自己決定 - パターナリズムの崩壊

 アメリカ病院協会 (AHA) は、1972年に「患者の権利章典」を採択しています。これは二つの重要な意味を私たちに示しています。第一には、単に患者の権利といわずに「章典」(Bill of Rights) という表現をとったことです。このことは、いわば人間の基本的人権を権力側に認めさせるという、一種の革命的メタファーが示されているのです。つまり、旧来の医療の絶対的権威への挑戦なのです。第二に、いわば今までに完全に医療側の立場にあった病院という組織体が全面的に患者の権利を提唱するという医療における価値観の大転換をやりとげたということです。
 これは、近代化、合理化、機能化が急激なスピードで進行し、非人間化状況のまっただ中に立った病院のいわば起死回生策であったともいえます。私はかつてこの間の事情を分析し、日本での患者の権利章典の形成を訴えました (木村利人「バイオエシックスと病院の機能」『病院』, 第40巻, 第1号, 1981年1月)。
 もちろん、世界の同時代史を歩むわが国も、このような欧米諸国をはじめとする医療の質の変革をめざす国際的動向の影響を受けています。前述の「病者の権利宣言」(1970年)、「精神医療における人体実験の原則案」(1973年)、「患者の権利宣言 (案)」(1984年) などがその例ですし、1991年には医療生協が日本の医療関連組織体としては、はじめて「患者の権利宣言」を採択しました。
 また、「患者の権利法をつくる会」が1991年7月30日に発表した法律要綱案 (1993年11月1日一部改訂) は、前文、I. 医療における基本権、II. 国および地方自治体の義務、III. 医療機関および医療従事者の義務、IV. 患者の権利各則、V. 患者の権利擁護システム、VI. 罰則 などから構成されています。従来の「患者の権利宣言」が、病院など臨床の現場での医師、患者の相互の心得やきまりを律していたのに比べると、患者の権利擁護委員をおいたり、地方自治体の義務を含めた幅広い意識での患者の権利の擁護を意図している点など、私が従来から構想し、提唱してきた「患者の権利章典」と多くの点で重なりあっています。

患者の権利の問題点 - 日本と外国

 日本では、患者の権利という場合にいうまでもなく医療行為におけるインフォームド・コンセントが焦点となります。日本医師会の生命倫理懇談会が1990年1月に公表した報告書では、日本にふさわしいやりかたでの「説明と同意」という表現でインフォームド・コンセントの内容を示しています。しかし、インフォームド・コンセントにおいては、医療側が患者側に単に情報を伝え、説明し同意するだけではなく、患者がそれを理解したことを確認しなければなりません。つまり、医者と患者との関係は一方通行的なものではなく、患者にもわかりやすい言葉を用いての情報の提供と交換と同意にもとづいた治療処置を行なうという点で、平等な人間関係が望ましいのです。治療内容については、医師の専門家としての判断と裁量権が重要ではありますが、患者の生命、身体の最終決定権は患者自身にあるというバイオエシックスの考え方が医療の本質を変えることになったのでした。
 通常、インフォームド・コンセントにおいては、(1) 診断の結果に基づいた患者の現在の病状を患者に正しく伝える、(2) 治療に必要な検査の目的と内容を患者にわかる言葉で説明する、(3) 治療の危険性の説明、(4) 成功の確率の説明、(5) その治療処置以外の方法があれば説明する、(6) あらゆる治療法を拒否した場合にどうなるかを伝える、などの内容を意味しています。欧米諸国においては、医療提供者側中心の発想が大きく変化し、医療を受ける患者側の権利を中心とした発想が臨床の現場でも、法的にも確立した原理となっています。

インフォームド・コンセントの法的基準の変遷と確立

 アメリカ法では有名なカドーゾ判事の判決 (1914年) により医師が患者本人の同意なく治療を行なった場合の損害賠償責任を認め、正常な判断能力ある成人の「自己決定権」を確立しました。患者が同意するための事前の十分な情報を医師から得る権利を確立した1960年のネイタンソン事件判決では、医師が患者に与える情報の内容は例えば放射線療法のリスクとその身体への障害など他の医師が当然知らせたであろうと思われる「専門家基準」によるとされました。
 しかし、その後1972年のカンタベリー事件判決では、分別ある人間なら当然重要と考える事柄、例えば他の処置の選択肢や手術の内容・麻痺等のリスクについても詳しい情報を与えるべきだったとし、これを「良識人基準」としました。この場合、良識人という用語は人としての分別ある理性をもった人という意味なのです。
 インフォームド・コンセントが患者の権利としてまだ十分に受け入れられていないわが国での議論に比べて、欧米諸国ではより本質的な医療への参加と自己決定の行使がもはや当然のこととなっているのです。
 明日は患者になるかも知れない自分自身、または家族にとって、患者の権利の充実は切実な問題です。医学教育も、医学研究も、医療も、私たち国民の税金を使用して行なわれているからこそ、私たちは発言し、政策決定の過程に参加する責任と権利をもっているのです。このような医療の公共性を認めることがバイオエシックスによる患者の権利へのアプローチの出発点となるのです。


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