第12講 (最終回). 看護の未来のために
未知への不安
どうして私が病気なの?
不治の白血病だなんて! No!
私に本当のことを言った時のママの顔
まるで凍りついていたようだったわ。
治らなくても治療するの?
皆と同じように続けて学校に行けないの?
ピアノのおけいこにも行きたいし
それにお友達との話の続きもあるのよ
毎日が時間との闘いなのね
検査、検査、検査で疲れてしまった
まだ動けるのに病院に閉じ込めないで!
実験の材料はいや、苦しむのはいや!
どうしたらいいの? 明日が怖い
死ぬってどういうこと? 看護婦さん、教えて
不安で不安でたまらないの
看護婦さん、そばに来て座って
じっと手を握っていてね
希望、愛、人生って何なの?
もう本当に回復の見込みはないの?
これは看護婦さんたちの自作自演によるソシオ・ドラマのせりふの一節です。実際の臨床経験をもとにいろいろな性別と世代の患者たち、医師・看護婦たちの病院内での生活や両親たちとの会話をドラマの形で再現し、ステージの上で衣裳を着け、音楽をバックに赤・青・黄などのライトを当てて、このソシオ・ドラマは演じられました。これは普通のドラマとは異なり、むしろステージの上での登場人物の詩の朗読とでもいった感じで、かえって深く訴えるものがあるように、私には思えました。
このソシオ・ドラマが、'1980年代の看護を考える' という、看護専門家のための特別シンポジウム (ジョージタウン大学看護学部主催) で、いちばん最初のプログラムとして行われたことに、私は強く印象づけられました。
病院の中で、いったい患者は何をどう考えているのか、医師や看護婦との人間関係や、どうやって真実を告げ、不治の病にどう対応するかなどのバイオエシックスの数々の問いが、このソシオ・ドラマの初めから終わりまでのストーリーの流れの中に数多く提起されました。
80年代の看護を自分たちの言葉で語り、未来に向かって新しい看護をつくり上げようとするとき、臨床の現場でバイオエシックス上の問題と正面から取り組まざるを得ないことがまざまざと浮き彫りにされたのです。
共通の問題意識を持って集まってきたシンポジウムの出席者 (約200人) と、ステージの上でのソシオ・ドラマを演じている同僚の看護専門家との間に、しばしば笑いや悲しみや怒りなどの共感のため息や拍手が起こりました。この後の各テーマ別でのグループ討議の話し合いのための多くの素材が、このドラマによって与えられたのでした。
既に述べたように、バイオエシックスの発想には '想像力' が欠かせません。特に医療・看護の専門家として何よりも重要なのは、患者の人生観・価値観を全面的に尊重することなのです。そして、そのためには、自らの慣れや体験のなさを克服するための '想像力' による感性や共感能力を育て養うことが必要なのです。
ジョージタウン大学ケネディ研究所の所長であり、バイオエシックスの世界的権威として著名なペレグリーノ博士 (Dr. Edmund D. Pellegrino) が指摘しているように、演劇・詩・小説・伝記・映画などは、私たちがいったいどのような '決断' をすべきかについての最も有効な教育上・研究上の具体例を提供してくれます。
しかし、私たちの想像力に養われた豊かな感性とバイオエシックスの原理 (表) によるアプローチを通して、バイオエシックス上の決断の背後にある動機や意図を探り、各人の価値観を見いだし、正しくこれに対応すべきことが、私たちに求められているのです。
表 バイオエシックスの原理とアプローチの多様性 |
原理 | 患者・医療専門家 ・公共政策へのアプローチ |
正義実現へのアプローチ | 決定へのアプローチ |
自己決定の原理 | |||
恩恵享受・授与の原理 | |||
平等の原理 | |||
公正の原理 |
自然・社会環境の中での人間生命共同体における共存の原理→情報・決定・政策の共有 |
この表に示された4つの重要な原理は、自然・社会環境の中での人間生命共同体における共存の原理に基づき、'情報' '決定' '政策' の共有へと統合されるということになるというのが、私の基本的な立場です。
未知への価値観 |
特に世界的にみた、看護専門家の役割の大幅な変化とその 'ケアからキュアへ' の傾向については、先月号でふれました。
今後、未来に向けてますますケアとキュアとが患者を中心にした全人医療・看護の観点から統合されることになると考えられますが、その動向について図に示しておきましょう。
ここではっきりといえることは、看護を旧来のように身体の疾患との関連においてのみとらえる傾向は、ますます少なくなり、むしろ看護を必要とする人々のための健康の保持と増進、そして未知への不安に苦しみ悩んでいる人々に対して、具体的なセルフ・ケアのための援助をすることが、看護職の重要な任務となってくるということです。また、看護専門職は看護を必要とする人々の人生観・価値観とそのゴールを本人の自己決定権1)に基づき、あくまでも尊重し、その方向をそれらの人々と共に分かち合うためのコミュニケーションに習熟すべきことは、いうまでもありません。なぜなら、このようなプロセスの中から、正に患者本人にとっても未知であった価値観の真に意味するところが明らかになる例が多いからなのです。
看護専門家のための未来に向けての教育のシステムやカリキュラムを、看護技術の習得や生物・医科学知識の学習に偏重させることなく、バイオエシックスにおける '価値観教育' の視座から全く新しく構想し直した看護教育機関も作られ始め、注目を浴びています。
既成の価値観にしばられない未知への想像力をもった看護専門家は、かつての看護・医療教育機関でほとんど組織的に教えられたことのなかった '価値観' 教育 (value-education) を学び終えた者となるという傾向は、今後ますます強まると考えられます2)。
未知への挑戦 |
21世紀の医療と看護とが '医師中心型' を脱し、'患者中心型' になることについては、上に述べたような新しい時代における '価値観' の転換から容易に想像されますし、また、現にそうなりつつあります。
さらに21世紀になると、医療と看護の担い手も、むしろ医師でも看護職でもない新しい職業人としての、医療コンピュータを駆使する 'メディクス' (the medics) といわれる人々になるだろうという説も、既に1976年ごろから唱えられています3)。
むしろ、現在のシステムでの医療教育を受けた医師や看護婦よりも、極めて短期 (約1年から1年半) で、バイオエシックスや患者心理学、患者の援助、家族関係論、医療社会学などの科目を集中的に習得した幅広い人間味豊かな、教養の深い 'メディクス' がコンピュータをもとに診断・治療の処置を決めるようになる可能性が大きいのかもしれません。
今夏にワシントンD. C. で開催された '世界未来学会' での未来の医療についてのシンポジウムでは、カリフォルニアのブリクトソン博士 (Dr. R. Brictson) が医療の今後の動向についての調査・分析の結果を報告しました (図の右下段参照)。
1990年代には、看護職の職務権限の拡大と自立の線に沿って、'メディクス' のような役割が、コンピュータ技術を十分にマスターしたナース・プラクティショナーによって病院の外で果たされるようになると私には考えられます。
このような病院外での看護職の自立した業務に関連して、本稿の最初に指摘したジョージタウン大学看護シンポジウムの基調講演者の1人であった米国連邦政府公衆衛生局看護部長のエリノア・エリオットさん (Ms. Jo Ellinore Elliot, R. N., M. A., 1977年のICN東京大会に来日。元米国看護婦協会会長) は、私に次のように語りました。
'現在、アメリカでは2/3の看護婦が病院に職を持っています。しかし、これから2000年にかけては、おそらく2/3以上の看護婦が病院を去り、コミュニティで働くようになるでしょう。
今までの医療が病院を中心に展開してきたのと対照的に、今後の医療は、病院から外に出た看護婦たちによって、地域や家庭にいる患者を中心に展開されるでしょう。'
国際的なスケールでの時代の価値観の変動による変革が進行しつつある今、私たちはこのような看護職の業務の質的転換や活動範囲の拡大をふまえつつ、どのような未来をつくり出すために、その一歩を歩み出すのかの決断を迫られているのです。
まとめ |
最後に、バイオエシックスが看護の未来にとって極めて重要な意味をもつに至る理由を、4つあげておきましょう。
第1に、看護専門家こそは '患者中心型' の医療の時代を迎えて、最も患者に近く、患者を理解し、患者の人権を守ることが、その職業倫理上も第1の責任としてあげられていることが指摘されます。
第2に、看護専門家の職務上の独立した判断の必要性の拡大に伴い、バイオエシックス上の判断や決定を下す責任が生じることです。したがって、バイオエシックスの原理の理解が看護教育のカリキュラムになるべきことがあげられます。
第3に、看護専門家は現在の医療システムの中で、あるいは今後の医療の展開の中で '病院倫理委員会' 'バイオエシックス委員会' などを作り出し、さらにこれに積極的にメンバーとして参加し、発言し、患者を中心にした看護職の立場を主張する機会が増加するということがあげられます。
第4に、看護専門家は、バイオエシックス上の諸問題につき、専門職業集団の一員として、正式に見解を表明することが、その社会的責任として求められ、バイオエシックスの公共政策作りに貢献すべきことがあげられます4)。
我が国における看護専門家は、ほかの医療職や一般の人たちと共に、このような4つの問題に関連する形で、医療と看護についての立法・教育・政治・経済などの形成のために具体的な提案と公共政策作りに参加する機会をとらえていかねばならないと思います。
個人の基本的人権の尊重を基盤にしての超学際的な、生命についてのあらゆる事象を統合する価値判断に焦点を合わせた '公共政策' 作りのための実践的学問としてのバイオエシックスを、患者を中心としつつコミュニティの中で21世紀にどのように展開させるかは、私たち1人1人のこれへの取り組みのあり方いかんにかかっているのです5)。
医療と看護の輝かしい未来を私たちのものとするためのバイオエシックスを、共に作り出していこうではありませんか!!
(おわり)