第2章:高齢者ケアに関する政策決定過程をめぐる諸問題の概要及び考察


 本章では、第1章で述べたバイオエシックスの諸原理の捉え方に基づいて、これまで高齢者ケアに関する諸政策が決定される上で問題となってきた社会保障制度の変遷とそれに伴う政策決定過程について考えてみたい。特に、平成10年11月に総理府社会保障制度審議会事務局が公開した以下の報告をもとに、適宜、現状の諸問題に照らしながら考察を進めてみたい。

「老人保健・医療・福祉のあゆみ56

 戦後、夫婦と子供で構成される核家族が増加し、家族が担ってきた老親扶養の仕組みが変化することとなった状況に加え、高齢者の増加が予測される中で、福祉政策を総合的に進めるための制度の整備が進められ、老人福祉法が1963(昭和38)年に制定された。同法の制定により、低所得者である高齢者に限定された政策から、所得の多寡に関わりなく社会的支援を必要とする高齢者を幅広く対象とする政策へと転換が図られ、特別養護老人ホーム、訪問介護(ホームヘルパー)等が制度化された。
 高度経済成長期は、高齢者の保健福祉の各種施策の充実が図られた時代であった。その一環として、1973(昭和48)年から、70歳以上の者を対象に医療保険の自己負担分を公費により補填する制度(老人医療費の無料化)が行われた。しかしながら、この制度は老人の負担を軽減した一方で、老人医療費の急激な増大をもたらし、これが高齢者を制度上多く抱える国民健康保険を直撃し、その財政悪化を引き起こした。
 このため、1982(昭和57)年に、老人保健法が制定され、各医療保険制度間の負担の公平を図る観点から、各制度が老人医療費を賄うための拠出を行うこととし、老人医療費について、一定額を受給者本人が自己負担することとなった。また、老人に対する診療報酬を別建てとするとともに、40歳以上の者を対象とする健康診査等の保健事業が制度化され、地域住民に最も身近な市町村において成人病対策の積極的な展開が図られることとなった。
 また、高齢化が進む中で、いわゆる社会的入院の増加状況を改善するため、1986(昭和61)年には、治療よりもむしろ看護・介護等を中心とした医療ケアと生活サービスを必要としている要介護老人を対象とした老人保健施設が創設され、また1991(平成3)年には、老人訪問看護制度が創設された。老人福祉においては、1970年代後半に、介護の必要な高齢者を老人ホーム等の施設に入所させる短期入所生活介護(ショートステイ)事業や日帰り介護(デイサービス)事業が開始されたほか、介護を必要とする高齢者の家庭を訪問し、身の回りの世話を行う訪問介護員(ホームヘルパー)が増員された。

表2-1. 老人保健・医療・福祉のあゆみ57

老人保健・医療・福祉のあゆみ

 さらに、介護を必要とする高齢者ができる限り自立し、住み慣れた家庭や地域で生活を送ることができるような介護サービス体制を整備するため、1989(平成元)年に高齢者保健福祉推進10カ年戦略(ゴールドプラン)が策定され、在宅福祉サービス・施設サービスの充実や寝たきり予防の推進が図られることとなった。1994(平成6)年には、ゴールドプラン策定後のニーズ増に対応するため、新ゴールドプランが策定され、高齢者介護サービス基盤の整備が進められることとなった。
 1997(平成9)年には、寝たきりや痴呆などの要介護者の増加に対応して要介護者及びその家族を社会的に支援するシステムとして、介護保険法が成立し、2000年度から施行されることとなった。

 以上、これまでの社会保障に関する老人保健・医療・福祉に関する報告を挙げたが、本章では、1963年度に制定された「老人福祉法」から、1997年度の老人保建法の改正に至るまでの政策決定の経緯について、適宜、現在の制度上の問題点に照らしながら、バイオエシックスの観点から考察していきたい。

2-1. 高齢者福祉の諸問題の概要とバイオエシックス的考察

 まず、1963(昭和38)年に制定された老人福祉法は、その目的として、第1条に「この法律は、老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、老人に対し、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ、もつて老人の福祉を図ることを目的とする」とした上で、基本的理念として「老人は多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、且つ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障するものとする」 (第2条)、「(1) 老人は、老齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して、常に心身の健康を保持し、又は、その知識と経験を活用して、社会的活動に参加するように努めるものとする。(2) 老人は、その希望と能力とに応じ、適当な仕事に従事する機会その他社会的活動に参加する機会を与えられるものとする」(第3条) としている。第2条において老人福祉に関してあるべき姿が総括的に規定されているのに対し、第3条においては、主として、老人の健康の保持及び社会的活動の側面に関して規定されている58といえるだろう。
 さらに、第4条において、「老人福祉増進の責務」を示し、国及び地方公共団体は、老人の福祉を増進する責務を有することを規定、老人の生活に直接影響を及ぼす事業を営む者に対しては、それが社会福祉法人であれ、民間業者であれ、その運営に当たっては老人の福祉が増進されるように努めなければならない59とされている。
 この老人福祉法によって、高齢者の社会的支援が政策として一層幅広く図られるようになったわけであり、全ての所得階層の高齢者に対して、救貧的な選別を排除した「平等」な支援の機会が保障される、という「理念」が少なくとも法的に示されたことは、意義深いといえるだろう。
 しかしながら、同法をめぐって以下の問題点60が指摘されたことも事実である。すなわち、(1) 立法の理念と形式が、手続き・実態ともに高齢者の権利を中心に規定されていない (わずかに規定されている施策も、行政当局の大幅な裁量を容認する形式でしかない)、(2) 諸々の立法や通達等が、憲法25条61の趣旨からほど遠い最低基準であり、憲法13条62の人間の尊厳を侵しているにもかかわらず、その救済の手続規定が不備である、(3) 高齢者施策の展開が、憲法13条63の人間の尊厳を常に念頭において展開していない64、(4) 行政当局が公的責任を曖昧にした有料福祉と、社会福祉の利用者負担の政策をとりつつある (社会保障及び社会福祉の分野に、安易に "受益者負担" の考えを導入すること65等)、(5) 年金、医療等についての国の施策が頻繁に変化し、その度ごとに給付等の水準が低下するのに対し、老人ホーム等の「最低基準」は、若干の改正はあるものの基本的には改善されずに維持されている、といった問題点である。
 ここでは、まず、1999年までに4度の改正66を経た同法の政策決定過程を最も端的に特徴付けている (1) 老人居宅生活支援事業67にみられる在宅福祉対策と、(2) 老人福祉施設68の創設にみられる施設福祉対策の制度化について考えてみたい。これらは、介護保険法が導入されようとしている現在でもなお、重要な制度としてあり続けるものである。これら2つの高齢者福祉対策について概要を述べた上で、上述した問題点を念頭におきながら、政策決定上の問題をバイオエシックスの観点から考えてみたい。

2-1-1. 在宅福祉対策及び施設福祉対策の概要

 まず、「老人居宅生活支援事業」についてであるが、現在実施されている主な在宅福祉対策は、以下のようになっている (表2-2を参照)69

(1) 老人ホームヘルプサービス事業
 これは身体機能の低下 (老衰など)、心身の障害、傷病等の理由で日常生活を営むのに支障のある、おおむね65歳以上の者がいる家庭に対してホームヘルパーを派遣し、家事や介護など日常生活上のサポートを行う事業である。
(2) 老人短期入所 (ショートステイ) 事業
 寝たきり老人等を介護する家族が一時的に家族で介護することが困難となった場合 (社会的理由、私的理由) に、一時的に (原則として7日以内)、特別養護老人ホームおよび養護老人ホームを利用して介護する事業等である。
(3) 老人デイサービス事業
 おおむね65歳以上の在宅の虚弱老人等を老人ホーム、老人福祉センター等に併設されたデイサービスセンター等に送迎 (通所) し、入浴、給食、生活指導等のサービスを提供し、または、寝たきり老人等の居宅まで訪問し、入浴、給食、洗濯等のサービスを提供する事業である。このデイサービスセンターは、A型 (重介護型)、B型 (標準型)、C型 (軽介護型)、D型 (小規模型)、E型 (痴呆性老人毎日通所型) の5種類に分類されている。
(4) 老人日常生活用具の給付等事業
 寝たきり老人等に対し、市町村が身体機能の低下防止と介護補助のため日常生活用具の給付または貸与を行うというものである。

表2-2. 在宅福祉対策70

在宅福祉対策

 次に、「施設福祉対策」についてであるが、「老人福祉法」にいう老人福祉施設は、老人デイサービスセンター、老人短期入所施設、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホームおよび老人福祉センターの6種類である71。老人ホームは前記の3種類で、前2者は入所措置という行政機関 (1993年度より市町村。実際は福祉事務所が窓口) の行政行為によって利用者が決定されるという、いわゆる措置施設であり、最後の経費老人ホームは利用者と施設の間での契約によって利用される施設である。老人福祉法にある代表的な老人ホームの主な内容は以下の通りである (表2-3を参照)72

(1) 特別養護老人ホーム
 原則として65歳以上の者であって、身体上または精神上著しい欠陥があるために常時の介護を必要とする、いわゆる寝たきり老人等で、居宅において適切な介護を受けることが困難な者を対象とする施設である。入所は、市町村による措置の決定に基づいて、公的措置として自らの設置する施設に入所させる場合と、他の地方公共団体あるいは民間の経営する施設に委託する場合がある。利用料は、本人または家族の所得階層区分に応じて徴収される。また、施設の運営に必要な費用は、本人から徴収した額を除き、国が2分の1、残り2分の1を都道府県または市等が負担する。
(2) 養護老人ホーム
 原則として65歳以上の者であって、身体上もしくは精神上または環境上の理由および経済的理由により居宅で養護を受けることが困難な者を対象とした施設である。心身機能の減退などのために日常生活に支障があるとか家族との折り合いが悪く同居が困難な場合、住宅に困窮している場合、その老人の属する世帯が被保護世帯か市町村民税の所得割を課されていない場合等が「理由」の具体例である。入所措置、施設経営に必要な費用の負担は特別養護老人ホームと同じである。

表2-3. 施設福祉対策73

施設福祉対策


(3) 軽費老人ホーム (A型)
 この施設は、前2者とは異なり、公的措置による入所ではなく、利用者が施設長との契約により利用するもので、低額な料金で給食その他日常生活上の必要な便宜を供与する。利用者は、生活費にあてることのできる資産、所得、仕送り等を合算したものが1人月額で一定額74以下の者で、身寄りのない者または家庭の事情等により家族との同居が困難な者となっている。入所が可能な年齢は原則として60歳以上であるが、夫婦で入所する場合はどちらかが60歳以上であればよい。利用者負担は、生活費は全額自己負担、事務費は所得に応じて一部負担75する。
(4) 軽費老人ホーム (B型)
 A型と同様の施設であるが、利用者が自炊できる程度の健康状態にあるということ、利用に要する費用は、原則として利用者負担であること等が異なり、家庭環境、住宅事情等の理由で居宅での生活が困難な者が利用する施設である。

2-1-2. 福祉供給の統合化に向けた諸施策ついての考察

 ここで、上述した「施設福祉対策」をめぐる諸問題に主眼を置いて考察した上で、同対策と「在宅福祉対策」との統合化による「複合型福祉サービス供給」に向けた方向性について、バイオエシックスの視座から考えていきたい。
 まず、1996年10月1日現在の各施設の在所者数と施設数の割合を比べれば、特別養護老人ホームが各施設ごとに平均68人、養護老人ホームが67人と在所者数が、際立って多い印象である (図2-1を参照)。 果たして、これら施設の在所者である高齢者個々人は、他の福祉サービスも含めて、効率的に自らのニーズを満たし得ているのだろうか。
 そこで、この特別養護老人ホームと養護老人ホーム等のいわゆる「老人ホーム」の諸問題を中心に、本節では高齢者の施設福祉対策の在り方について、利用者側の自己決定の観点から考えてみたいと思う。
 老人ホームの入所決定権は、上述したように市町村の長(福祉事務所のある市などは福祉事務所長)にあり、入所を希望する場合には、各市町村の福祉課に申請しなければならない。この際、本人が入所に適しているかが判定されるが、それは「入所判定委員会」や「高齢者サービス調整チーム」が行う。入所判定は、老人福祉法11・15・20の5によって、「措置」という用語で表現されているものである76

老人福祉施設数と在所者数

図2-1. 老人福祉施設数と在所者数 (1996年10月1日)77

 この措置の決定過程は複雑であり、利用希望者側の自己決定が容易にサービスの実現に結びつかない現実がある。また、これとあいまって、福祉の措置に代表される公的サービス提供が見えにくくなっている問題も考えられるだろう (表2-4を参照)。
 例えば、「特別養護老人ホーム」の入所を、介護負担のために、家庭が破綻の危機に瀕している本人や家族がいくら希望しても、ちょっとやそっとのことで入所できない78、という現実がある。施設サービスの利用希望者側の本人やその家族は、指定の書類をそろえて市の福祉担当者に申請し、さらに、上述した「入所判定委員会」等によって「入所の必要あり」と認められなければならない。しかも、「必要あり」と認められてからも、「特別養護老人ホーム」に「空き」ができて、順番が来るのを何ヶ月も待たなければならない79ところもあるのである。

表2-4. 措置決定過程の構造80

措置決定過程の構造

 なお、上述した問題に関連して、行政側からの「措置」という「官」的意思決定は、あくまでも当事者である、サービス利用希望者の主体的意思決定に基づいて行われるべきであり、そこには当然「自己決定化されたニーズ」の内容についての明確な把握が求められている。また、その際の判断材料についても「同居」や「独身」といった、家族状況を正確に把握した上で「本人の身体・精神状況」や「介護者の健康状態」について留意される必要があるだろう。特に、「入所判定委員会」には、「当事者側の自律性に基づく自己決定を支える」という意義において、バイオエシックスの正義原理に立脚した意思決定を行うことが、倫理的・道徳的に要請がされると考えられる。
 従って、入所判定をめぐっては、当事者側の自己決定を活かすという前提において、施設長のみならず、当該施設で行われる各種サービスに従事する様々な立場からの意見の反映が為されて然るべきではないだろうか (図2-2を参照)。
 その為には、現場のケア・リーダーや、スピリチュアル・ニーズのための聖職者の参与も必要となってくるであろう。また、措置事務を適切に、且つ、迅速に遂行するために、事務職員の参加も望ましいのではないだろうか。その上で、入所判定委員会では、あくまでも当事者側の自律「支援」のための「肯定的な」検討が為されるべきではないだろうか。当事者側が自らの自律に基づいて、サービスの利用を自己決定している以上、これは必然的に施設側に要請される「自律への仁恵の寄与」と捉えられるからである。なお、これは、当然「退所判定」についても同様に言えることであるだろう81

目指すべき入所判定委員会の在り方

図2-2. 目指すべき入所判定委員会の在り方82

 もっとも、こうした措置に関する意思決定は、限られたケアの資源の配分的正義に則って行われるべきものであるが、必ずしも、全ての当事者及びその扶養義務者の自律からの自己決定が、平等に認可されるという事はあり得ない、と考えられる。言うなれば、老人福祉法において全ての高齢者は、施設入所という自律的行為の機会の平等は保障されるものの、入所自体の行為は配分的正義の観点から止むを得ず否定される場合がある、という事が考えられるからである。
 この場合、配分的正義に背反しない形態で、入所を希望する当事者及びその扶養義務者の自己決定を平等に活かす倫理的意義において、行政側は入所判定の際、インフォームド・コンセントの原則に基づく何らかの代替措置 - 特に、単に入所判定の結果を当事者側に報告するのではなく、(1) 判定の結果に基づいた高齢者本人の現在の状態を正しく当事者側に伝える、(2) 判定の目的と内容を当事者側に分かりやすい言葉で説明する、(3) 入所措置以外の方法があれば説明する、(4) あらゆる措置が拒否された場合はどうすべきかを伝える、といった事まで当事者側に講じる必要があるのではないだろうか。
 こうした「公的サービス提供の見えにくさ」の問題の背景には、近年の社会福祉の実施体制が市町村の役割の増大に伴って、福祉サービス供給の第一線となっている、地域の自治体の「福祉事務所」が、従来の機能だけではなく、他の行政分野も併せて所管する傾向がとみに強まってきていることが指摘されている83
 この現状の打開の為にも、地域の老人福祉センター等が、他の施設や各サービス機関と連携をとって、地域高齢者のケアへの需要を適切に配分する役割を果たすべきであると考えられる。その上で、地域の特別養護老人ホーム及び養護老人ホーム等の各施設に設置される在宅介護支援センターが、デイサービス・ホームヘルプサービス・ショートステイ等の「在宅サービス」をも含む最大限のケア・サービスの選択肢を、利用希望者側にあらかじめ用意するべきではないだろうか。
 また、こうしたケア・サービスの利用者が、自らの選択肢を有効に活用し得るには、各施設やサービスセンター間のケアの資源が共有されて相互に補完し合う連携 - 例えば、人的資源としての介護従事者等の施設間の相互派遣、場合によっては、地域の各施設間の連携による財務管理体制の創設、等もこれからの地域福祉の方策として考えられるのではないだろうか。この際、特に注意を要するのは、地域におけるケアの資源の公正な配分である。地域の施設間でケアの資源が不均衡に偏在する - 例えば、利用者の自宅から近い施設には職員やベッド数が足りないので、結局、より遠く離れた別の施設に通う、といった事が起こるようでは、利用者の自己決定を脅かすことになりかねない。利用者は、自らの自律的行為を適切に支援するケア・サービスを自己決定しているのであり、この場合、けしてセルフ・サービスは求めていない、と考えられるからである。
 なお、利用者及び扶養義務者本位の自律的行為の支援に関して、在宅と施設、あるいは医療と介護の「中間」的存在としての施設の在り方も十分考慮される必要があると考えられる。寝たきりの高齢者も、出来れば住み慣れた地域で家族とともに暮らしたいという希望をもっているのではないだろうか。老人ホーム等の施設での援助と、在宅福祉を別々に捉えるのではなく、総合的に、相互のつながりを重視して、施策の整備を図ることが重要である84と考えられるからである。

老人保健施設、病院、特別養護老人ホームの関連

老人保健施設、病院、特別養護老人ホームの関連85

 この問題に関しては、高齢者の「医療 (治療)」と「福祉 (介護)」の中間的存在として捉えた上で、これに入所と在宅をめぐる各サービス間の「連携」の役割を持たせる「老人保健施設86」の制度的意義についても留意していく必要があるだろう (図2-3を参照)。これについては「老人保健法」をめぐる一つの成果として、次節にて述べることにしたい。
 ここで強調しておきたいのは、まず「福祉 (介護)」の範疇において、地域の老人福祉センター等が中心となって、特別養護老人ホーム及び養護老人ホーム、あるいは他の各種サービスの提供に関する具体的なケアの連携 - 例えば、当事者側の希望の施設入所が叶わなかった場合、当該施設管理者側と当事者側との間でインフォームド・コンセントが為された上で、可能な限り迅速に適切なケア提供機関が適宜紹介されて活用出来る、等の制度上の「連携」の重要性である。実際、施設の現場からも「ショートステイ」と「デイサービス」との制度上の分断性をめぐって、とまどいの声が出ているようである87。各種サービスの特質を活かしながら、利用する側のニーズに柔軟に、且つ、迅速に対応し得る制度運営が望まれるところである。
 ところで、こうした施設サービスにおける受益者負担の側面についても考えてみたい。特別養護老人ホーム等の措置施設においては、サービスを利用した者 (入所者等) 及び扶養義務者が負担能力に応じて費用を負担することになっている。費用徴収基準とは、入所者の納税額によって区分された基準のことであるが、成人の入所者の場合、その扶養義務者の範囲は、原則として配偶者及び入所する際に同居していた子とされている。
 これは、限られた資源の効率的、合理的配分を図るとともに入所者の自立意識の向上を図ろうという考えに基づいている88。ここで忘れてはならないのは、特別養護老人ホーム等の施設の措置費は、毎月、無年金者等の0 円 (対象収入による階層区分「1」) から、240,000円 (対象収入による階層区分「46」) までの範囲で、各入所者(被措置者)自身によってもまかなわれている89、ということである。こうした施設運営におけるケア当事者の財務的関与を考えれても、老人ホームは「サービス業」であると改めて認識せざるを得ないだろう。
 しかし、これらのケア・サービスは、あくまでも入所者自身の自律性に寄与するためのものでなければならない。そのサービス理念の根幹には、ケア当事者の自律的行為を適切に支援するための<恩恵の視座>があることを施設管理者側は忘れてはいけないだろう。その際、前章で述べたように、当事者の自己決定を如何にして引き出すか、その基となる当事者の自律を活かすために、如何なる程度までの仁恵をもってケアに望むか、といった事は重要な問題として考慮されるべきである。
 また、施設入所に際して、措置費の一部として入所者各人が支払う金額に格差が設けられることにより、低収入者も高収入者と同様、平等に入所出来るような制度的配慮が為されている事については十分考慮される必要があるだろう。これは入所の機会均等と、入所者の対象収入別コストの配分的正義を両立させている点において、確かに評価し得る制度ではある。しかしながら、ここでは制度上の平等のみが目立って、その背後にある対象収入別コストの配分的正義が、消費者側に誤解される現実 - 例えば、働いても働かなくても、いずれにせよ特養に入って楽できる、といった誤解の発生90が懸念されるところである。施設のサービスに対して、全入所者のコスト意識を刺激していくことは難しい。
 しかしながら、ケア消費者側の負担によっても施設サービスは成立している、という発想を、施設管理者側・ケア当事者側の双方がもつことは非常に重要なことではないだろうか。
 社会福祉事業法においても定義されているように、老人ホームは、利潤獲得を目的としない非営利事業体としての性格を持つということである91。当然会計上も、一般企業と異なり、「いくら儲かった」というものではなく「何にいくら使った」かということになるのである92。施設の収入源は、措置費収入と、地方公共団体からの補助金収入が全てである。その収入は、自由に使って良いものではなく、会計上処理出来る科目が決まっている。入所を認可した以上、少なくとも、その入所者に対する当該施設内のケア資源の配分的正義は満たされるべきであり、同時に、ケア当事者たる入所者のケアの機会の平等も必然的に保障されることになると考えられる。
 従って、一旦、老人福祉施設に当事者が入所すれば、入所者及びその扶養義務者の意思を最大限に活かした生活環境を継続的に提供していく責任が、施設管理者側、ひいては、それらを統括する行政側に発生すると考えるべきだろう。特に、高齢者の管轄ではあるものの「福祉施設以外の施設」に分類される有料老人ホームについては、その設置・運営主体が、財団法人、社会福祉法人、宗教法人、組合、株式会社、有限会社、個人、医療法人などと様々な上、民間施設であるため、入居金や入居後の管理費・生活費が非常に高額なものとなっている93。また、有料老人ホームの経営主体が倒産すると、高齢者の全財産が失われるおそれがある94等の問題も懸案となっている。この場合の行政側の保障責任をめぐる問題についても今後一層検討されていく必要があるだろう。
 さらに、老人福祉法第17条第1項の規定による養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設備及び運営に関して、1966 (昭和41) 年7月1日に厚生省令第19号の「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設置及び運営に関する基準」中、第19条「職員の配置の基準」において、「生活指導員、寮母及び看護婦又は准看護婦の総数は、通じておおむね入所者の数を4.1で除して得た数以上とする」との規定に対する次のような議論も存在する。
 すなわち、上述した基準の算定に従えば、最も平均的な50人入所の特別養護老人ホームの場合、生活指導員、寮母、看護婦の総数は、約12人ということになり、24時間365日・盆・正月も関係ない施設にとって、この12人という人数で、果たして十分な介護ができるのか、という疑問をめぐる議論95である。これは、パート職員等を雇用することにより、実際は、もう少し人的資源が期待されるとはいえ、それでもケア資源の制度上の「最低基準」が低過ぎるという、臨床/技術のケア場面の批判の声をよく表したものであるといえるだろう96。老人福祉施設の措置費は、実に、この最低基準をもとに算定されているわけであるが、その背景には「限られた資源の効率的、合理的配分」という行政上の基本理念があると考えられ、ここに「ケアの質」を維持させる仁恵的支援と、そのために費やされる費用の配分的正義をめぐった倫理的・道徳的葛藤が生じているものと考えられる。
 以上、ここでは「施設福祉対策」をめぐる諸問題に主眼を置くことで、在宅福祉中心の複合型の福祉供給サービス体制への政策決定上の方向性を推論した。こうした観点から考えれば、「施設福祉対策」を、一層有効なサービス提供として用いていくためには、やはり「在宅福祉対策」との制度横断的な統合化が必要不可欠なことが改めて指摘され得るだろう。この時、1973(昭和48)年から行われた「老人医療費の無料化」の問題に始まる「老人保健制度」は、非常に大きな意義をもって捉えられることになるのではないだろうか。
 この「老人保健制度」は、幾度の改正を経て、なお今日の諸々の政策決定過程に重要な示唆を与え得るものと考えられる。次項では、特に、この制度をめぐる諸問題を中心に、1982(昭和57)年の老人保健法制定から、1994(平成6)年の新ゴールドプランの策定までの経緯について、現在の問題に適宜、照らしながら考察してみたいと思う。

本章2-1の注釈 (56〜96)footnotes


2-2. 老人保健制度をめぐる諸問題の概要とバイオエシックス的考察」へ進む。
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