■特別講演
■死の臨床研究会,『死の臨床』, vol. 8, No. 1, 1985. 12, pp. 58-69

患者の権利とバイオエシックス
- 国際的動向と展望をふまえて - Prof. Rihito Kimura wearing a smile


木村利人 (ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所アジア・バイオエシックス研究部長)
はじめに

 私はバイオエシックスというビオスとエシィケーヌ -- ギリシャ語の原語の意味での生命と倫理というその2つの言葉が組み合わさった新しい学問の体系といま取り組み、この十数年にわたり、新しいこの学問の構造を私なりに展開してきました。
 欧米諸国でのこのバイオエシックスという学問体系はいろいろな分野の研究者、あるいは実際に専門の活動していらっしゃる方、臨床、つまり、学校とかそういう研究のみならず、現場でいろいろな経験を積んでおられる方、そういう方々を1つにまとめた生命・医療・倫理に関する広範な新しい研究分野として、又、一般の人々による自らの生命をまもる人権、生命権の運動として展開されているというのが私の見解です。
 既に、「学際」という言葉があって、いろいろな学問分野の協力関係をちょうど国際がインターナショナルという言葉であらわされるように、「学際」というのはインターディシプリナリーというのです。学問のいろいろな専門領域を越えて、お互いの法律学や医学、看護学、哲学、宗教、いろいろな分野が交流し合って、たとえば生命の始めの問題や生命の質の問題、生命の終わりの問題を考えようということで、1つの大きい運動が起こってきて、それからバイオエシックスが展開されてきたわけです。
 私が学問的に構想し展開しているバイオエシックスは、その学際をもう1つ越えた「超学際」のアプローチなのです。つまり、学際というのは、自分の分野は自分の分野で守るので、学問的な相互協力関係の中で、他の分野の方からの批判は受け入れながら、自分の専門分野の論理や方法論は守っていこうとします。しかし、超学際というのは、他の分野からの問いかけや、語りかけをも正しく受け止めて、学際を越えてお互いに内容的に交流し合うというところまでいくべきだとするのです。スーパー・インターディシプリナリーという用語を私はかつて国際会議で提案し賛同をうけましたが、私はバイオエシックスをそのように把握し学問的な研究をつみ重ねて来ました。
 たとえば、今まで医学の分野は医学の専門家としての医師、医学研究者の判断、知識、経験が正しいのだという考え方が当然だと思われてきたわけですけれども、それに対して、やはり人権を守る視座から考えてみると、医学の中にもいろいろな視座から考察されるべき問題点があるのではないかということになります。法律家の立場から、あるいは他の発想から患者の人権を守る立場でもういっぺん医学や医療、看護を見直してみようということになってきているのです。これは超学際的なバイオエシックスの発想の一つの例です。従って、伝統的な医の倫理も変化することになるのです。
 ここで、皆さん方にちょっと始める前におうかがいしたいのは、患者さんになられて、大体1週間以上病院に入られた方というのはどのくらいいらっしゃいますか。(約半数挙手) わりあいにいらっしゃいますね。安心しました。死の臨床研究会ですと、やはり患者さんの側の自己体験がベースになって、現在、医療従事者として、あるいは宗教家として発言していく、取り組んでいくことが大事になると思うからです。
 さて、今日は時間が大変限られておりまして、私はいつも1時間だけという話はしたことがないので、むしろ問題提起ということで、私自身の体験に焦点をあてつつバイオエシックスの視座からの患者の権利とその国際的動向について皆さん方にお伝えして、そして、皆さん方と一緒に考える糸口を探ってみたいと思います。
 すでに患者の権利、あるいは医師 - 患者関係のあり方などにつきまして、ただいま司会者の乾さんのところの『看護学雑誌』「バイオエシックス・セミナー」ということで連載しております。7月号には「患者はパートナー」というテーマで書きました。1982年の『病院』 という雑誌には、患者の権利について、あるいは患者の権利を守る医療についてすでに書いてありますので、それを読んでいただきたいと思います。読んだ方いらっしゃいますか、私の「患者はパートナー」というのを。何人かいらっしゃるようですね。今年ずっとシリーズで書いておりますので、ぜひ『看護学雑誌』をお読みいただきたいと思うのです (あわせて『病院』 誌連載・「バイオエシックスと医療」1982年1月〜12月号参照)。

患者中心の医療とは?

 私は子供のときから身体が弱くて、患者にもう何回もなりました。一番私の大きい病気の体験は腎臓結石で、これはサイゴン大学で教えておりましたときに発病しました。腎臓結石になった方はお分かりかと思いますが、あぶら汗が出るくらい痛くなってくるのです。私のおりましたのは1970年、71年ですが、その当時、サイゴンではちょっと手術ができないので --、できないこともなくはないのですけれども、医師の強いすすめによって、東京まで飛行機で帰ってまいりました。サイゴンの自宅ではのたうち回って苦しんでいたのですが、飛行機に乗った途端、全然痛くなくなりました。お医者さんから、ともかくビールを飲みなさい、運動しなさいと非常に強くすすめられたので、機内でもビールを飲んでいました。羽田に降りてきたら、タラップのところに救急車が着いているんです。あまり元気な顔をして、もう痛くないものですから、スイスイと途中まで降りていったのですが、「ともかく寝てください」というので、寝て、救急車に乗ってサーッと運ばれて行って、尿毒症を併発するとかいうことで病院のスタッフが待機していてくださった大学病院に到着しました。
 しかし、私自身はもう全然痛くない。「それではレントゲンを撮ってみましょう」ということで、翌日から検査がはじまりました。これはもう10年以上前ですけれども、最初にいろいろなことを聞かれました。日本もただ診察して、そして、お医者さんがみるというのではなくて、診察の前に何人かの方にいろいろなこと、たとえば今の歳、お父さん、お母さんの既往症、何でそういう病気になったと思われるか、又、既に死亡しているかどうかということをいろいろ聞かれて、3人くらいに同じことを聞かれたことを今でも思い出します。実際にいろいろな方々が聞かれることに意味があるのだと思いますが、この病院では背中のほうから手術を受けまして、創の跡が本当に小さくて、非常に痛みましたけれども、ともかく石をとってくださったわけです。
 そのときの私の印象は、ともかくお医者さんは、これは結石であるということで即刻手術、「異議ありません」と文書に書くんです。そして、絶対安静ということでベッドにずっと寝ていなさいということだったのですが、お医者さんによる説明や対話の時間がほとんどありませんでした。もちろん回診、その他で病室を訪れることはありましたけれども、約3週間の病院生活中、ほとんどお医者さんとは対話はしませんでした、看護婦さんとは一言、二言の言葉を交わすことはありましたが。
 それからあと、今から5年前ですが、ハーバード大学におりましたときに、やはり腎臓結石が再発しまして、ハーバード大学の診療所から、ハーバード大学系病院のマウント・オーバン・ホスピタルという病院に回されました。そこでは、お医者さんがたっぷり長い時間をかけて説明してくれました。なぜ手術しなくてはいけないか、その理由を、お医者さん自身の判断に基づいて説明してくれました。
 私はよく聞いて、当然それでは手術しなくてはいけないと思ったら、そのお医者さんの最後の言葉が、「手術をしますか、それともしませんか、あなたが決めてください。これはあなたの決断ですから、あなたが決めてください。私は専門の医師として手術をした方がいいという判断にいま立ちます。ですから、あなたがこのままでいたら、あるいはいま検査で分かったように、お見せしましたように、尿に血液が混じっています。今あなたは痛みが止まったと言っていますけれども、石はご覧になったように、レントゲンでありますよね。これは前に切った跡があって、そこでつかえているから取らなければまずい。しかし、手術したくないというのなら、それはしないで結構。それから、私が手術をするのが何となく気にくわないようでしたら、どうぞ、2人目のお医者さんのところへ行って聞いてください」と言われました。second opinion ですね。「全部記録は持って行ってください」ということで、その時、とても新鮮な驚きをおぼえたわけです。
 「ああ、そうか、なるほど。こういうふうにして、最終決定は患者さんにゆだねることになってきているのかな」と。つまり、1960年代以降、10年以上の医学や医療・看護の進歩の中で、いろいろな選択を患者さんがしなければいけない場面にいま立ち至っているということを実際に私自身が経験したわけです。つまり、癌にもご存知のように、いろいろな対応の仕方があるわけです。放射線療法もあれば、化学療法もあれば、治療しないという方法もあれば、あるいはホスピス・ケアの中に入るという方法もあれば、いろいろなやり方がありますから、私は化学療法で毛が抜けるのは嫌だということもあり得るわけです。そういう時に、患者さん自身の持っている1つの価値観や人生観に基づいて選択するという方向がはっきりとでてきているわけなのです。
 このことは、今まで医の倫理ということで、ヒポクラテス以来、長い、長い歴史で、人間の非常に重要な人類の医療の文化遺産を受け継いできた医の倫理の基本の原理が、医師中心の医の倫理から、患者中心の医の倫理に移ってきていることを示しているのです。患者中心の医の倫理ということが、やはりなかなか理解されにくいのですが、このことを相当はっきり認識しておくべきでしょう。今までは、メディカル・プロフェッションの判断に基づいて、たとえば、この人にはこれをやってみよう、この人にはこういう方式でやってみようという形のメディカル・プロフェッションの側の判断を基準にした医療なり、治療なりが行われていました。そういう重点の置き場所がいま移ってきていることを私自身が体験したのです。
 とくに、ハーバードの場合には、ご存知のように、アメリカでは病院に雇われているという形のお医者さんではなくて、病院の外に自分のクリニックのオフィスを持っている。外というのは、つまり機構の外です。そして、その病院のビルディングの一角に自分の診療所があって、そこのお医者さんが病院の手術室の施設を使って手術をするというシステムになっています。つまり、病院に雇われていない、独自の、病院と契約しているお医者さんが多いわけですし、看護は病院側がやります。しかし、手術は診療所のお医者さんが責任をもって行うのです。ですから、私の手術が終わってから、毎朝十分に時間をとって、「今あなたの病気はこういう状態にある。これはあと何日経てば治る」ということを言うわけです。

治る気はあるか?

 日本と一番大きい違いは、ともかく患者自身が自分で治ろうとするような方向にはっきりと医師、看護婦、医療技術者等、医療従事者が方向づけてくれるということです。ですから、手術が終わった時点でも、ともかく起きられるのだったら起きて歩いてください。私は前に手術をしたことがありますから、「絶対安静と日本では数年前ですけれども、言われたんです」と言ったら、「もう傷口がどうこうの問題ではない。これは足を使わなければいけない」ということです。日本では背中を縦に切られたのですが、ハーバードのは、いま脱いでお見せしてもいいのですが、ちょっと恥ずかしいので脱ぎませんけれども、ここから、ダーッと横に切開されたんです。ここまで。ところが一方、これはなるたけ小さく、手術の跡が目立たないようにという日本のいいところです。技術水準といいますか、そういう手術の跡を小さくするという1つの使命感みたいなのがあって、しかも縦に切るという、当時、筋肉をあまり傷つけないという縦に切るというやり方で手術してくださいました。しかし、ハーバードはダーッと横腹を大きく切られましたので、切腹みたいになっているんです。
 これがまた非常に痛いのですが、ともかく自分で起きる。翌日から。自分で治ろうと思わなければ治らない。治る気になれというわけです。ですから、ベッドはもちろん電動でグーッと上がってきますから、電動で上がったのをこうやってガタンと落ちて、こうやって、歩いて、車付の点滴のスタンドがありますから、持って、グルグル歩いて、病室のコーナーにおトイレがありますから、そこへ行くとか。なるたけ廊下を歩いてくださいというので、腕に点滴をつけたまま廊下を歩いて行くわけです。そういうのが何人も行ったり、廊下で「やぁー」なんて挨拶したりするわけです。
 そういうエンカレッジを私は強く感じました。看護婦さんもお医者さんも、ともかく「患者さん自身が治ろうと思わなければいけない」と励ましてくれるのです。日本にいたときは、絶対安静、くだらないことは質問したりしないこと。ともかく寝ていなさい。寝ていればよくなるんだから、あまりうるさいことを言わないで。傷口が私の場合には、なかなかふさがらないんです。「これ、どうなっているんですか。いいんですか」「心配しないで、くだらないこと質問しないでください」と言われたんです。
 日本と全く反対に、アメリカの場合は、ともかく何でも聞いてくださいと言うのです。それから、日本の場合は、何か痛いのを我慢するようにという方向です、はっきりと。ハーバードで私自身の経験では、ともかく「痛いときに、絶対我慢しないでください。無駄な我慢はやめましょう」と言われました。だから、痛い場合にそう言えば、どんどん注射をしてくれました。
 そういうような私の体験から考えてみますと、やはり大きく医療というのは変わってきているというふうに思いました。これはいいとか、悪いとか、アメリカがどうだとか、いうことではなくて、私自身の体験からそう言えるのです。医師がはっきりと詳しく時間をかけて説明してくださったり、そして、自分の「治る気」を大事にし、自分で歩くようにと励ます方向づけのほうが、私の考えているバイオエシックスの考え方にふさわしいというふうに、そのとき思ったわけです。

次の世代への教育とは?

 私の娘は15歳で高校1年生なんですけれども、「ヘルス」という教科書で学んでいます。これは保健の教科書ですが、アメリカではテキストは厚く重いので、原則として学校に置いておきます。つい先日 PTA の会が夜開かれました。夜ですと、お父さんもお母さんも、仕事をしている人でも、出席出来るわけです。各教室に行きますと、それぞれ先生方が自分はこういういいことをやっているということで、一生懸命お父さんやお母さんたちに教室での授業の内容を説明してくれます。いわばデモンストレーションといいますか、実際の教育の状況を繰り返しながら説明してくれます。
 私は「ヘルス」というテキストの索引のところを引きましたら、"Patients' Bill of Rights"「患者の権利章典」というのがこの教科書の中に載っていました。そして、このページには、皆さんごらんなれますようにちょうど私が手術を受けたときと同じように、お医者さんがいて、手術をこれから受けなければならない人と2人の写真が載っています。手術のページのところに、こういうふうに書いてあります。簡単な英語ですから、ちょっと読んでみましょうか。

 Do not be afraid to ask questions and demand answers.

 そういう出だしで始まって、

 Surgery like other health care is a subject that many people are afraid to ask about. It is your body. Ask why you need surgery.

 こういうふうにして、「あなたの身体なんですよ。手術をすればどうなるかということを遠慮しないでお医者さんに聞いてください」そして、次のページには「お医者さんにそれを聞いたら、お医者さんは喜んで答えてくれます」と本に書いてあるのです。こういうのを中学の3年から高校生にかけて学び、そういうイン・プットをされていますから、自分が手術のときに、はっきりいろいろ聞こうということになるのも当然のことでしょう。
 医療の問題は非常に難しくて、とくに国によって文化が違いますから、患者の権利についてのいろいろな展開が諸外国でどうあろうと、日本には日本にふさわしいやり方があるんだということになりかねません。確かに仮に患者の権利宣言のようなものを出しましても、それが果たして本当にうまく機能するかどうかという問題があることも事実です。歴史的な社会のシステムや制度や私たち自身の意識が変わってないところで何かが出てきても、なかなかうまくいかないのです。しかし、私たちはおそらく日本でこれから患者の権利運動を展開していく場合に、次の世代の次ぐらいにイン・プットして、社会や人々の意識を長いスケールで変化させていくような具体的な教育カリキュラムを考えるべきではなかろうかというふうに私自身は考えています。患者権利の問題も長いスケールでその実現を考え、教育して行くべきでしょう。
 アメリカで患者の権利章典というのができましたのは1972年ですが、いまはそれから10年以上経って、あまりに当然になって、とくにそういうことで話題になることはありませんが、それは患者の権利が当然のこととして教科書の中に入っているからなんです。
 私自身、アメリカで患者になって、まさに患者の権利を自ら主張するという体験をしました。日本にももちろんそれぞれの、たとえば本日の研究発表にもいろいろなお話がありましたが、病名など知りたくないという人もいるわけですから、ホスピス・ケアの中でも、別に知りたくない方々に無理して教える必要は全くないと思いますが、アメリカではいま自分の身体についての情報を知りたくないという人はほとんどいないと考えていいのではないかと思うのです。
 診断の結果についての情報を家族の方々に先に知らせたり、第三者に伝えたりしますと、患者の人権侵害として問題になります。本人にともかくありのままに正しく伝える。とくに手術の前には、一番大事なことは、あなたの病気はこれです。手術をしなければいけません。手術しましょう、これでは絶対だめです。必ずリスクといいますか、こういう危険があるということを言わなくてはなりません。ですけれども、心配はありません。この危険は大体こういう%であります。これを患者に正しく告げないといけないのです。
 医学の展開を考えてみますと、パターナリスティックといいますか、非常に権威主義的な治療者に依存するタイプの患者さんが多い世界と、それから、そうではなくて、自分の独立心を尊重して、そういう中で医療に患者が参加していくという発想の社会と、いろいろな社会があるわけですが、これから日本はどういうふうになっていくのか。この間も日本各地の若い人たちと話し合ったのですが、やはり自分の診断の結果を知りたいという人が70%以上、学校などで話せば手をあげるわけです。いまもこの研究会でお話がありましたように、医療の中に、家族や患者が参加していくような方向が、新しい芽生えが日本の中で起こっているということは大変すばらしいことです。

同時代史を生きる?

 いまの時点で、たとえばバイオエシックスにしても、患者の権利にしても外国からのイン・プットというふうにはとらえないでもらいたいのです。そうではなくて、歴史の大きい流れの中で、いろいろな出来事が積み重なって私たちは世界の同時代史を生きているわけですし、医療の中での人権をはじめ同じような問題は世界の各地の人々が直面しているのです。たとえばバイオエシックスというのも、いまアメリカでの先端生命医科学技術や医療や、そういうことに関する倫理問題の応用という表面的な現象としての理解はさけねばなりません。
 歴史的にみますと、1950年代からのいろいろな差別反対の闘争、とくに婦人の権利の問題、自分の子供を産み育てる、そして、その子供を産み育てる中で、女性が働くというのはどういう意味があるのか。家庭とは何か、家族とは何か、男とは何かという問題から始まって、いろいろな社会の、大きな変動の中で、人間の解放の問題として、その一環として「患者の権利の運動」も出てきているわけです。そういう人権運動としてのコンテキストを抜きにして外国での表面的な社会現象や学問を論ずる、あるいはそれを受け止めていくということは、いろいろな意味で問題があるのではないかというふうに、私はとらえているわけです。つまり、私の考え、主張しているバイオエシックスが、欧米での旧来の学説や理論と異なるのは、このような人権を守り育てる運動の一環として、バイオエシックスを把握し、理論化しているからなのです。
 日本の中にもそういう意味では、1940年代の患者運動の展開がありますし、戦前からもいろいろな意味の地道な積み重ねが行われているのです。そういう中で、一体医療というのは、どういう方向で日本はこれから医療政策を展開すべきかというような問題を、どうしても世界の同時代の中でグローバルに開発途上国の問題等を視野に入れて考えていかなければいけないのではないかと私は思っているわけです。

治療の強制?

 次に、私のケースのように、同意のある場合はいいけれども、同意できない場合はどうするのかという問題ももちろん出てくるわけです。前述した第1の例は私の体験ですが、第2の例として私が実際に会って、その人と話したケースをお話しします。ダックス・コワートさんという全身約60%以上が火傷した方の実例です。ダックスさんはテキサス州で車の運転をしていて、止まってしまったものですから、おかしいなと見たら、どこもおかしくないのです。そして、ダッと再びエンジンのスイッチを入れたんです。そうしたら、ブワッと車が破裂して、お父さんは即死で、ダックスさんはそこで全身火だるまになってしまいました。ちょうどそのそばを通っていた車が救急車に連絡して、ヘリコプターで飛んできて、ダックスさんはテキサスのヒューストンのメディカル・センターに入院したわけです。
 これは大変なケースで、普通でしたら、60%以上の皮膚が焼けると大体死亡なんです。しかし、メディカル・ティームは何とかして生かそうという決断をしたのです。やってみようということで、本人が気がついたときには、もう治療が行われていたわけです。そういうケースはもちろんあるわけです。ところがダックスさんは病院で気がついたときに、「死にたい」と言いました。通常の場合は助からないのですし、生きていても元通りになることはないことを知って「どうぞ、死なせてください」と言ったんです。
 ところが、そういう場合の判断は、やはり医者だけではなくて、これはアメリカのユニークな点でして、サイコセラピストとか、サイコロジスト、サイコアナリストとか、そういう人たちがインタビューの上で、やはりこれは患者の判断力が鈍っているときだから、必ずしも死にたいといっても、それを聞いてはいけないという判断を下すわけです。1人のお医者さんが下すことはないわけです。とくに、その患者さんのお母さんが何とかして助けてくれと言っている。非常に信仰の強い方で、必ず助かるからと言っているからというお母さんの意見も非常に尊重されて、治療を続けられたわけです。しかし、ダックスさんはどうしても死にたいということで、これもやさしい英語ですから言いますけれども、"Please let me die." と何回も繰り返して言ったんです。その VTR ができて、これはバイオエシックスを勉強する人は必ず見なければいけない VTR になっています。
 そのダックスさんがそれから10年経った現在、火傷の跡はありますが、全部毛を移植したりして、ちょうど私どもの研究所に来られて、自分の体験を語ってくれたわけです。
 ダックスさんは次のように語りました。
  「確かにいまの人生というのは、あのときにお医者さんや看護婦さんやいろいろな人たちが助けてくれたからあるんだ。だけども、私自身の意識は非常に正常でしたし、あの時に自分の意思を聞いてもらいたかった。聞いてもらったら、私はいまここに生きていない。生きてなかったことは間違いないけれども、いま現在生きていくのは私なんだ。だから、あのときに、お医者さんに助けてもらった。看護婦さんに助けてもらった。それは本当にうれしいんだけれども、私としてはいま10年間を考えてみると、あのプロセスを2度と繰り返す気はしない。私の人生はいま与えられたこの人生を私自身のものとして生きるという苦しみをいま担っていく。生きるのは自分なのですから、お医者はそこで一生懸命やってくださったけれども、いま生きる自分を考えてみると、非常に苦しい」ということでした。
 私が話していて非常に感銘を与えられたのは、独立心の旺盛さが伝わってきたことでした。ともかく時間をかけながらでも靴下を自分ではきます。手はくっついて、髪の毛はありますが、両目は義眼が入っていまして見えないです。そして、歩くのもこうやって、たどたどしい感じで歩いているんです。ですから、事実上、正常な暮らしは非常にしにくい。それでも火傷した手を使って靴下を15分かけて自分ではくんです。他人の助けを借りたくないというんです。独立して自分で住んでいたんです。そういう独立心のものすごい強さというか、パーソナリティーの強さというか、甘えの構造ではない社会に生きる人間の生きざまに教えられました。そういうものが医療の中にもみられます。それが、医療のティームと患者さんとは人間として全く対等だというようなところと私は結びついていくんじゃないかと思うんです。患者さんのそういう1つの生きることに関する意思決定の自由を終局的には尊重していくという方向が出てきているということは、私は注目すべきことではないかと思うのです。

子供に本当のことを?

 そこで、実際に治療をしていく上で、子供に対してはどうなのだろうかということも1つ問題になってくると思うので、1つの例をお話ししましょう。うちの子供は冬になりますと、下の息子ですけれども、冬の寒さが厳しいものですから、ちょっとオーバーなどを忘れて外に出たりすると、喉をやられるんです。喉をやられますと、耳にきて、何をいっても聞こえなくなったり、熱が出て、ともかく冬場になるとだめなんです。診察にいきましたら、アデノイドをとった方がいいということなので、詳しくそれも説明を受けまして、子供もその説明を一生懸命一緒に聞くわけです。そして納得します。そして、入院の日も私たちの都合に合わせて入院するわけです。お父さんとお母さんの都合に合わせて決めてくれました。つまり、向こう側の都合ではなくて、患者さんの都合に合わせて日にちが決まります。そして、それに合わせて今度は案内がくるんです。
 どういう案内かというと、病院に前もって来て、いろいろな知識を習得してください。つまり、急に病院に入って、子供がショックを起こしたり、あるいはわめいたり、泣いたりすることになると困る。ですから、1週間前に病院とアレンジして、つまり、計画を調整して、病院というところはこういうところだという訪問参観日があるわけです。
 参観日に行きますと、初めに病院のスライドで、病院というのはこういうところですよ。コミュニティーの中にある病院というのは、みんなの健康を守るために、こういうことをやっています。つまり、病院というのは病気になったら行くところではなくて、たとえばエアロビックス体操のプログラムとか、妊婦のための教育プログラムとか、いろいろなプログラムを含めていろいろやっているわけですが、そういう病院の機能についていろいろなお話をして、それから、病院の中をグルッと回って、手術室に入って手術のいろいろな器械に触らせて、これで切るんですよというようなことを言って、病院というのは君たちの健康を守るためにあるんだから、全然恐れる必要はありませんよ。お医者さんはこのお医者さんですよ。看護婦さんはこの看護婦さんですよというようなことを午前中いっぱいかけてやるわけです。
 帰りには、いろいろな病院関係の資料をくれまして、その中には、病院とは何だろうかというようなことを勉強するように、看護婦さんが仕事をしているところのぬり絵とか、たとえば、このぬり絵では看護婦さんとお医者さんが描いてあって、手術室の中の看護婦さんとお医者さんはブルーのユニホームを着て、帽子をかぶっています、と説明してあります。
 たとえば、"The nurses and doctors in the operating room wear blue uniforms and caps that cover up all their hair. They look funny." 変な格好だなというわけです。こういうふうに子供がちょっと絵の具で色を塗りかけていますが、こういうぬり絵でちゃんと学習するようになっているのです。
 それから、麻酔の説明も書いてあって、もし、手術を受ける場合は、こういうふうにして鼻の上にかぶせるものがありますけれども、「眠たくなったらどうぞ寝てちょうだい。全然危なくありませんよ」と書いてあります。この前にも、もちろん注射などの説明もありあんして、検査のために血をとります。これはどうしても必要なことです。そして、「痛ければ泣いていいですよ」と書いてあります。泣くほうも安心して泣けるわけです。そういうような教育を子供のときからする。お医者さんや看護婦さんといろいろな話ができて、それがコミュニティーの病院を支えていく大きい基盤になっているわけです。
 先ほど言いましたように、私が入院したときには、こういう "Patients' Bill of Rights" というパンフレットがありまして、これは必ず今マサチューセッツ州では、病院の入口に患者の権利宣言というのを掲げなければいけないという法律がありまして、患者が入ったときは、必ずもらって、「あなたは人間として十分に尊重され、ここの病院に滞在している間、何か不都合なことがあったら、患者の権利を守る専門の委員に連絡してください。委員の電話番号はこうです」というようなことが書いてあるわけです。
 そういう点から考えてみますと、私は子供のときからのイン・プットがものすごく大事だということがよく分かるのです。私自身の体験から言っているわけですが、こうい子供の頃からのイン・プットの1つの例としては、いま大体6歳以上の子供には何でも話すわけです。なぜ手術をしなくてはいけないのか。そして、この病気はどういう病気なのか。
 たとえば、私の知っている例ですけれども、NIHNational Institute of Health (国立保健研究所) というアメリカの大きい、世界最大の医学研究センター、31の研究センターが広大な敷地のキャンパスにあるわけです。ワシントン D.C. のはずれのメリーランド州というところにあるわけですけれども、そこの臨床研究センターに入院する患者さんの中には小児科の子供さんたちもいます。そういう6歳以上の子供たちには、全部ありのままに、あなたのは骨髄癌ですよなどと知らせているのです。告げ方、言い方がありますけれども、子供に本当のことを言うというのが基本です。そして、子供はむしろ親よりも理解する。かえって親の方は、驚いてはじめは子供に黙っていてくださいというようなことを言うというのです。子供によって、むしろ親が慰められたり、お医者さんや看護婦さんも子供から本当にいろいろ学ぶということをつくづくと語っておられました。
 私の会った子供も、その当時まだ生きていましたが、骨髄癌の小学校6年の女の子で、一生懸命ベッドで勉強していました。自分の病気について詳しく知っていて、とても明るい印象の可愛らしい女の子でした。
 それから、足を切る場合もどうして切らなくてはいけないかよく説明します。足を切る場合に、いろいろな転移を調べるために胸部を開けたケースがあるんです。検査のための胸部を切開することを子供に言わなかったケースがあるのですが、子供がどうしてこっちの方を見たのだろうと一生懸命聞いたときに、それを知った専門のバイオエシックスの担当者が、親御さんとお医者さんがそういうことを前もって子供に言わなかったのは非常によくない。もしかすれば癌の細胞というのは、こっちからあっちへと移って行きますから、そのために切開し組織の一部をとって検査しなくてはいけないんだよということをどうして言わなかったんだと問題提起して、担当のお医者さんも、お父さんとお母さんも、一緒に「子供にあやまりなさい」とアドバイスしました。それで、自分の子供に「本当に申し訳なかった。お父さんお母さんは足を切断することはあんたには言ったけれども、胸部を検査のため切開するということは言わなかった。本当は癌というのは、全体に身体に回っていくから、開けてみたんだ。しかし君は大丈夫だった。前もって言わなくてごめんね」と言ってあやまったわけです。それくらいに子供をオープンな医学の治療のプログラムの中に入れていく。そういうことが日常的に行われています。
 そういう観点からみると、日本のようになかなか本当のことを知りたくない、また、言わない文化や伝統の国・社会もあるわけです。つまり、子供にはなるたけ将来不幸になるかもしれないようなことを言わないという傾向がある社会では、これから私たち自身が医療の本当のあり方を考える場合にどういうふうに未来を考えるかが重要になってきます。他の国がやっているからこうというのではなくて、人間として、日本という国の中で、いろいろな文化を背負って生きている私たちが、子供たちに本当のことを言えるような環境を作り出していけるのかどうかというようなことは、どうしても私たち自身の問題として、これから考えていかなければいけないのではないかというふうに思っています。

子供も参加する公共政策

バイオエシックスの領域というのは非常に広いのですが、ここでバイオエシックスと公共政策についてふれておきましょう。たとえば遺伝子の組み替えの問題もバイオエシックスと公共政策に関連する大きい問題としてとりあげられています。米国には遺伝子の組み替えの全国レベルの、日本でいえば厚生省の審議会みたいなものがあるわけです。そういうところは、全部公開でやっているわけです。ですから、この間もその委員会を傍聴する機会がありましたが、アメリカの保健・福祉省NIH (国立保健研究所) の31号館の8階のビルに大きい会議室がありまして、そこに丸いテーブルがあって、委員が20人くらい周りに並ぶわけです。ずっと後ろにこの大テーブルを囲んだ形で席があって、一般の人、誰でもその日にそこに入れますし、傍聴出来ますし、また意見も言えるのです。
 そして、委員会に提出されている書類は一般の人誰でももらえるのです。委員会の開催予定日は『官報』に出ますから、当日そこに行って、遺伝子組み替えの内容について、いろいろな討論をきくことが出来ます。たとえば DNA を植物の耐性 - 霜害を受けないような耐性を持った、それに耐えられる植物を作ろう。そのために遺伝子を組み替えればいい。だけども、それを今までは実験室でやっているけれども、自然環境の中でやってみなくては分かりませんから、そういうことは果たしていいのかどうかといった討議を公開でつみ重ね、それをもとにバイオエシックスの「公共政策」が形成されていくのです。
 ところが、この委員会の傍聴席で、私の横に、そこにどうもふさわしくない子供が5〜6人いるんです。ごちゃごちゃ話しているんです。政府の審議会に子供が出てくるというのはどっか間違っているのではないかと思って、何やっているんだと聞いてみたら、「いや、ちょっといろいろ調査を・・・」なんて言って、前の方へ出て行って、パチッなんて写真を撮っているんです。「どうして写真を撮ったりしているの?」と聞いたら、中学校の理科の時間の特派員で、政府の審議会に出て、審議している状況を写真に撮って、DNA 実験についての委員会とは何かというようなことをレポートするというのです。いま理科の時間から特別に派遣されて出てきた子供特派員がそういうところに出てきています。
 そういうふうな委員会への出席を通して、DNA と公共政策について教科書の何ページでどうこう書いてあるとかということではなくて、自分たちも委員会に参加し傍聴するといった中から、そういうことに発言していく習慣がついてしまうのです。
 これと全く同じことを重ねて経験しました。今のは去年の冬でしたけれども、この夏に、遺伝子治療、いま日本でもだんだん問題になってきますが、遺伝子治療の問題をめぐって論議が盛んになってきています。それから、もう1つ、エンブリョー・トランスファー (embryo transfer)、これは胚の移植、ご存知のように、体外受精で受精卵ができた場合に、それを精子や卵子の提供者 (夫や妻) と関係ない第三者 (代理母) に移植することの倫理上の問題点はどうだろうかということも論議されています。普通でしたら体外受精で、またもとのお母さんの身体に戻すわけです。それを体外受精をした胚を第三者に産んでもらおう、それの倫理問題はどうかというような論議をする米国議会 (下院) の特別公聴会にもちゃんと中学生や高校の子供たちが来ている。それで、ノートをとったりしているんです。そういう教育のシステムというのは、私自身は大変驚いたんです。なるほど、こういう形で教育が行われていったら、ずいぶん違う未来が開けるのではないかなと思ったんです。
 私の子供たちの学校で、つい最近ですが、子供の学校は必ず大統領選挙のときには、自分たちの学校でも大統領選挙をやります。そして、レーガンとモンデール、どっちが勝つかの予測をしたりしました。予備投票ではモンデールが勝ったのですが、ちゃんと不思議なことに、国の状況を反映した子供たちの選挙になるんです、お父さんやお母さんの影響もあるんでしょうけれども。大統領のディベイト (debate) というのがあるでしょう、モンデールさんとレーガンさんが並んで TV で公開討論する。生徒の誰かが大統領の役になって、私の子供は新聞記者の役割になって、質問したりしていました。日本人なのですが、全く平等にそういうアメリカの子供の民主的な教育プロセスの中に、教育の課程の中に入って、実際にそういういろいろなことを経験しています。これは、21世紀に向かってのバイオエシックスについての民主的な公共政策づくりにとって非常に重要なことだと思うのです。

患者の権利の国際化

 私は先月終わりから今月のはじめにかけて (1984年10月29〜11月2日) ギリシャの首都のアテネで国際会議がありまして出席しました。これは皆さんよくご存知の WHO国際医科学協議会 (CIOMS) という世界医師会とか、日本でも学術会議がメンバーになっていますけれども、そういうところの専門家たちが約150人集まっての国際会議でした。これはとくに医の倫理、バイオエシックスが焦点となった国際会議で、中心テーマは国の保健医療政策をどういうふうにこれから考えていったらいいのかということでした。WHO でも、今までは価値観からの自由ということで非常に医科学技術尊重なのです。世界的にどこまで保健や医療の水準をあげなければいけないかが政策として論じられ行われてきたのです。
 たとえば、天然痘など流行性疾患の撲滅とかいうときに、その国の文化に関係なく、いろいろな西欧的医療保健政策上の判断をとり入れてしまうわけでしょう。だけれども、果たしてそれがいいのかどうか。その地域の伝統的な医療を滅ぼすような形で、外国から機械技術中心の医療が入ることが本当によかったのかどうかということが今大きい問題になっているんです。インドでも、ネパールでも、日本でもそうかもしれませんが。そういうような各国の文化をふまえた医療の根本的な見直しということが、保健政策、国際レベルでいま行われているのです。
 そういう観点から見ると、本当に世界の同時代史、同じ時代の中で私たちは生きているのですし、また同時代史をつくり出して行くべきだということを感じました。それは、たとえばスウェーデンでもイギリスでも、あるいはアフリカでもラテンアメリカの国でも、いま何が焦点になってきているかといえば、患者中心の医療が一体どういうふうに新しく展開されるべきかということで、いろいろな試みや立法・制度化が進んでいるということです。
 そして、もちろん医療情報を、診断の結果などを十分に知らせた上で医療を行うという方向が相当はっきりしていて、それを法律に作っている国が、もうかなり出てきました。たとえばスウェーデンは、1982年1月1日から新医療法というのを作って、その中に、医療というのは、患者と十分に相談して患者の納得づくの上でやってくださいと定めてあります。日本の場合には、医療関係法や医師法の中には患者と十分に相談してということは出てきていません。スウェーデンではそういう法律が出来ましたし、オランダで今それを立法中です。それから、アメリカなどでは、州毎にそういうレベルの法律が、患者の権利ということを含めた医療の専門家の大きな変革、今までの基本の考え方の変革が実際に起こってきているということをお伝えしたいと思うのです。
 最後になりますが、世界の各地でのそういう動きの一つとして、医療とか病院とかいうことをもういっぺん根本から見直してみようではないかということがあげられます。これはご存知のように、"西暦2000年までにすべての人に健康を" ということで、西暦2000年までに世界のすべての人々が医療を受けられるようにというようなスローガンが WHO でも採択されて、盛んになっていますが、それはやはり今までのように、病院集中型、施設集中型ということでは、やっていけばやっていくほど金がかかってしまうという反省の上に唱えられているのです。もう医療経済は世界のレベルで見れば、破綻といいますか、成り立たなくなってくることが分かってきたわけです。もういっぺんこれは考え直さなくてはいけない。
 たとえば、フィンランドでは、病院とか施設に投資するのはもうやめよう、ドカッとしたのを作るのはやめましょうということで、非常に投資を抑えて、1975年くらいから病院に対する投資をうんと下げて、プライマリ・ヘルス・ケア・センター (primary health care center) みたいなところに投資をしていって、その増加の動向が非常に大きくなっているわけです。つまり、誰でも地域の人たちを中心にやっていこう。つまり、日本でも最近そういう方向がいろいろ出てきているようにうかがいますが、施設や高価な高額医療ということで、悪くなった人を治すという方向ではなくて、むしろ悪くなる前に、予防とか健康教育とかいう方に行こうというプライマリ・ヘルス・ケア (primary health care) ということが非常に大きいテーマとして出てきているわけです。ですから、そこらへんのところが私はこれから医療を考えていく場合には、どうもコミュニティー - コミュニティーなんて片仮名で言うとまずいのですが、まあ日常の居住地域つまり自分たちの周りで、家庭の中でどういうふうに私たちが新しい時代に生きていったらいいのかということと、医療と保健を重ね合わせて考えていこうということです。

皆で分ち合う

 私の家内は、ボランティアのミールス・オン・ザ・ウィールス (meals on the wheels) という、毎週ある一定の時間、食事を在宅老人の方に運んでいくプログラムに参加しています。それをやっていると、私の家内は「若いわね」と言われてしまうのですが、大体、お年をめした方々がボランティアをやっているのです。ボランティアなんていうと、日本の私たちのイメージとしては、若い学生とか、あるいは、ある程度余裕のある奥さんという感じになりますが、そうではないのです。忙しい人や老人たちがボランティアをやっているんです。
 ボランティアというのは、自分の人生にとって、どんなに忙しくてもある一定の時間を助けを必要とする他者のために捧げようというライフ・スタイルの問題なんです。生きていく生きざまの問題ですから、たとえば連邦政府の局長レベルの人が、ホスピスのボランティアとして夜病院に行って、患者さんの枕元に1週間に3時間は座っていようとか、どんなに忙しい学校の先生でも、自分のコミュニティーの子供たちのため、特に世界の他の国から来ている子供たちのために英語を教えようとかいうようにボランティアとしての働きがそれぞれの人の人生の生活の一部なわけです。誰かがどこかで個別にやるんではなくて、それが全部コミュニティーをベースにしたプログラムなんです。
 コミュニティーといっても、教会があったり、いろいろなコミュニティーのセンターがありますけれども、日本のように、どちらかというと、行政区画というよりも、米国では特定の地区にある教会が中心になっているケースが多いのです。有名な労働組合のメンバーがコミュニティーの中心になっているケースもありますし、いろいろなコミュニティーをベースにした医療、つまり施設中心の医療ではなくて、コミュニティーがネットワークを持ってつくり出している医療が現実にあるわけです。
 そういう意味のコミュニティーの中での医療運動というのは、アメリカではビジティング・ナース (visiting nurse) という形で、1800年代の終わりから、かなり広範に行われてきたわけです。看護婦さんというのは、独立した職業として、聴診器を持って、いろいろな家を回っていたわけです。それがメディカル・プロフェッションが強くなってくれば強くなってくるほど看護婦さんの位置がだんだん下がってきたわけです。
 ですから、そういう中で、現在のアメリカの大きい運動としては、小児科担当の看護婦さんは聴診器を持って独立して小児科業務が行える。うちの息子なんかはそういう診断を受けています。医師とティームを組んで、小児科については独立して診断できる、処方も与えることができる看護婦さんがいます。これは英語で言うと、ペディアトリック・ナース・プラクティショナー (pediatric nurse practitioner) というのですけれども、これはもちろんここにいらっしゃる先生方はよくご存知かと思います。
 そういう医療の分野の中で、メディカル・プロフェッション (medical profession) が極めて専門化してくる中で、なるたけプライマリ・ヘルス・ケアを、もういっぺん考え直そうという考えが実際に展開されつつあります。看護婦さんがコミュニティーのイニシアティブをとって -- 日本でももちろん保健婦さんとかいろいろな形がございますが、そういう形での医療の全体の見直しをごくわれわれの身近か、周りの生活の中から考えていこうということです。米国では病院自体がそういう意味ではコミュニティーがつくり出したものなのですから。
 病院というのは、コミュニティーがあって成り立っているのです。ところが、病院にわれわれが直接行っても、救急以外は病院では診察してくれないんです。コミュニティーのお医者さんを通って、あるいは自分の属しているコミュニティー等の保健医療の病院を経て、コミュニティーの病院にいくわけです。

私たちが未来をつくる

 そういう意味で、日本でこれから未来をどういうふうに作っていくのか、医療従事者や患者や家族など、一般の人々もみんなが参加できる未来なのかどうかが問われているのです。専門家を信頼していれば、それは何も知らされないまま、分からないままにただ「ありがとうございます」と言えばいい未来なのか。そういうわれわれの生きざまに係わってくる問題ですし、これからのバイオエシックスの問題点は、私たちの未来構想が一番大きい問題点になってくると思います。
 もうお読みになった方はいると思いますけれども、今年1984年の11月9日金曜日の朝日新聞夕刊で、「患者こそ医療の主人公」という大きい紙面がありました。これはお読みになっていない方がいらしたら、ぜひ読んでいただきたいと思います。夕刊の13ページです。それをお読みになると、とてもよく分かるのです。どういう変革が起こっているか、それを全部そのまま日本に持ってくるとか何とかいうことではなくて、日本での未来を構想するための手がかりとして読んでいただきたいと思います。朝日の藤田さんが直接アメリカに来られ、精力的に取材、インタビューされて大変によくまとめてくださったわけです。
 この記事を読みますと、大きい歴史の流れが分かります。日本も世界の中にあるわけですから、日本だけが鎖国という時代ではないのです。鎖国的な状況にあるとしか思えないようなケースもないわけではありませんけれども、日本も1970年代の後半から大きく変わっていっています。
 そういう歴史の流れの中で、私はバイオエシックスの問題をもういっぺんとらえていかなくてはいけない。とらえる鍵というのは、やはり私たちの生活の基盤としてのコミュニティーや家庭、人間のあり方とか、そういうことをもういっぺん掘り下げるところから、新しい医療の方向が出てくるのではないかと思っています。そういう場合に、掘り下げるのは、ナショナリスティックといいますか、日本には日本のという言い方ではなくて、やはり国際的な動向を踏まえての医療のあり方をどうしてもやらなければいけないというふうに、私はつくづく、この間もアテネへ行って感じたわけです。
 アテネの会議はいずれ報告が出ますし、ぜひこの報告はお読みいただきたいと思います。私も日本の、とくに老人医療の問題をめぐって、日本のケース・スタディーをしました。日本の老人人口の増加というのは、世界の歴史始まって以来のスピードなんです。いま10%ぐらいですが、これからすぐ2000年には20%ぐらいになります。そういう中で、私たちが未来へのどういうビジョンを持つかということをはっきりさせていかなくてはなりませんし、その1つの態度決定として、本日のテーマの「患者の権利」が我国において確認されるべきだと私は考えております。
 そういう世界における医療・保健・バイオエシックスの国際的な動向を見極めて、これからの日本の医療をぜひ考えていくような方向でいかなくてはいけないのではないかという思いを強くして、アテネから帰ってきたわけです。
 今日、日ごろ死の臨床の問題に真剣に取り組んでこられている皆さん方にお話しする機会を与えられて、大変にうれしく思ったのですが、これからも年に3回くらいは帰ってくる機会がございますので、いろいろな機会をとらえて、ぜひ皆様方と対話を続けていく機会が与えられればと願っております。
 今日は時間が限られておりましたので、私の構想しているバイオエシックスの全体の展望に触れつつ、主として、私や私の家族の体験に焦点を絞って、患者の権利の具体的内容と国際的な動向をお伝えさせていただきました。どうもありがとうございました。


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