■「看護学雑誌」, 48 (11), pp. 1301-1304., 医学書院, 1984. 11.


第10講. 家族計画のルーツと展望 Prof. Rihito Kimura wearing a smile
木村利人
 国際連合の主催による国際人口会議が今夏 (1984年8月6-13日)、メキシコ・シティで開催されました。この10年間で、世界的な人口増加率は減少したものの、まだ今後100年間にわたって人口の増加が続くものと推定されている折から、1974年のブカレストでの世界人口会議での活動目標を再検討し、社会・経済開発との関連で人口抑制問題を討議しようというのが、この会議の目的でした。
 そこで今回は、この会議にもふれつつ、人口抑制の観点から日本の私たちにとっても大きなかかわりを持っている '家族計画' のルーツを探り、バイオエシックスの視座からの問題点の分析と展望を試みたいと思います。

'中絶' と政治

 今年の国際人口会議で特に注目を浴びたのは、米国政府の '基本方針' の変化でした。
 米国務省国際開発局の国際人口会議のための '基本方針' 文書によれば、'人口増加' それ自体は '善' でも '悪' でもない '中立' の現象ではあるものの、むしろ健全な社会・経済開発にとって積極的に評価すべき要素であるとし、'人間の尊厳と家族の尊重をふまえた真に自発的な人口プログラム' (レーガン大統領の声明より引用) こそが何より重要だとしています。
 また人工妊娠中絶、非自発的断種、その他の強制的な人口抑制策に批判を加え、家族計画の方法として、これらの手段を直接または間接的にサポートしている開発途上国や国際機関には、今後家族計画のための財政援助をしないと表明しています。
 このような米国政府の人口問題への世界的なアプローチは、人口抑制方針から人口増加を積極的に評価する方針へと根本的に変化したものとうけとめられ、国の内外から大きな批判がなされました (例えばマクナマラ元世界銀行総裁発言, 1984年8月5日CBSテレビおよび国際人口会議での中国など開発途上国代表発言)。

家族計画のルーツ

 '家族計画' は、学問としての '人口論' や政府の '人口政策' などとは異なった発想で、当事者の自発的な意思と自己決定権を尊重します。バイオエシックスの視座からの家族計画の重要点をにまとめておきました。

表 家族計画とバイオエシックス
バイオエシックスの原理 家族計画の目標と内容
1. 自己決定 (自発的選択) の原理
  • 個々人は子供の数をあらかじめ定める (計画出産) 自発的な選択の権利を持つ
  • 避妊・断種への選択の自由 (条件つきでの人工妊娠中絶)
  • 2. 公正・公平の原理
    3. 公共の福祉の原理
  • 社会は一定数以上の総人口の増加抑制および公共の福祉 (家族計画プログラムなど) の促進のため個々人を積極的に援助するメカニズムをつくる (私的・公的組織体の活用)
  • 社会の合意による家族計画 '公共政策' の形成をはかる
  • 国家権力による強制的な国民の '生命' への干渉を排除する権利
  • 4. 真実告知の原理
  • 正しい人間教育の視座から、'真実告知の原理' に基づき、既婚者・未婚者・未成年者を問わず、性・家族・結婚などについての情報と知識・教育を得る権利
  • 避妊について国際的に広く承認されているあらゆる方法の使用自由化および安全性・副作用などについての事実を知る権利の承認
  •  周知のように、米国では1973年1月22日の連邦最高裁判所の判決 (Roe V. Wade) により、子供を生むか生まないかは憲法上の女性のプライバシーの権利として認める一方、胎児が母体外で生存可能となる時点での胎児の保護は尊重されねばならないとしたのです。この最高裁判所の判決は、米国での1950年代から60年代にかけての女性の権利の確立を求める運動や女性の解放の闘いの展開と成功という社会的背景をふまえてはじめて十分に理解・納得されるのです。
     歴史的に考察すると、米国での女性解放運動が大きな規模で最初に展開されたのは、ちょうど世紀の変わり目にあたる1800年代の後半から1900年代のはじめにかけてのころでした。この第一次の女性解放運動の強力な支持をうけて形成されたのが、ニューヨークの看護婦マーガレット・サンガー (1879-1966) による産児制限 (Birth Control, サンガーの作った用語) 運動で、これが '家族計画' あるいは '計画産児' のルーツといえるのです。
     看護婦サンガーは1914年に '女性の反抗' を編集・刊行し、その翌年には世界で最初の '産児制限連盟' を組織しました。ニューヨークのイースト・エンドでの低所得者居住地区での主婦たちの度重なる出産や母体の衰弱、更にせっかく生まれた子供たちや母親自身の死をなんとか避けようとする発想から '産児制限' が看護婦サンガーにとっての一生のテーマとなったのでした。彼女にとって、そして多くの女性たちにとって最も身近な問題としての '家族計画' は、人口政策や人口論の展開として生まれたのではなく、母親たちの悲劇を防ぎ、子供たちの人権を守るための実践活動だったのです。当時の社会状況の中でのこのような女性のイニシアティブによる '産児制限' 運動への抑圧は極めて厳しく、彼女はその活動のため繰り返し妨害をうけ、投獄され、裁判などで争うことになりました。
     私たちの国においても、東京・大阪・神戸などの大都市の人口過密居住区での母親たちの健康を守り、子供たちの生命を豊かに育てる社会運動として '産児制限' 運動が1910年代から展開されてきました。
     その先駆者の一人、馬島かんは、労働者・貧困層居住区での医師としての実践医療活動の体験をふまえ、我が国で最初に国際的スケールでの '産児制限' 運動の組織化をはかりました。
     1930年秋にスイス・チューリヒで開催された第6回国際産児制限会議に出席し、日本の産児制限運動について学術講演を行った医師・馬島かんは、前年右翼の刺客に暗殺された山本宣治 (日本の社会運動・産児制限推進者の1人で暗殺当時、無産党代議士。1922年サンガー来日の際の通訳をつとめた。サンガーあての自己紹介の英文書簡は米国立国会図書館に所蔵されている) についてふれ、軍国日本の社会運動や産児制限運動への弾圧の状況をなまなましく伝えました (The Proceedings of 7th International Birth Control Conference, Zurich, Switzerland, Sep. 1950., p. 285.)。
     スイスより帰国後の1931年1月12日、東京市医師会に約150人の参加者を得て、馬島の提案により '日本産児調節連盟' が結成されました (米国立国会図書館所蔵マーガレット・サンガー文書中資料による)。この年、馬島により産児制限の理論と実際を述べた "母よ、賢明なれ" が実業之日本社から刊行され、母親として、女性としての立場に焦点を合わせた医師による著作として国の内外で注目を集めました ("Medical History of Contraception" by N. E. Himes, 1936., p. 128. に引用され、'good medical handbook' と評されている)。
     私がここでバイオエシックスの視座から強調したいことは、表の中でもふれているように、母親・女性の自主性と自己決定権に基づいての '家族計画' 運動のルーツを私たちが正しく理解する必要があるということです。自分と自分の子供たちの生命を尊重するという '家族計画' 運動の展開の中で闘い、生命を捧げてきた先駆者たちの活動と生涯に深く学びたいと思うのです。

    看護婦サンガーとGHQ

     戦前の1922年 (大正11年) に看護婦サンガーが来日した時には当時の官憲から危険人物とみなされ、制限付きで上陸を許可されたのでしたが、戦後の連合軍占領下の日本には、GHQの査証拒否により上陸も入国も許可されなかったのは歴史の大きな皮肉となりました。彼女の来日が実現したのは、マッカーサー元帥解任後の1952年のことでした。
     実は、1948年に成立した '優生保護法' をめぐってGHQ当局内部に対立があり、占領軍総司令部としては、日本の人口政策に直接干渉しないという言明を出すなどの対応をしています。産児制限運動の指導者としての看護婦サンガーの来日も、日本の人口政策への干渉ととられることを極度に警戒し、既に '優生保護法' の成立に関連してGHQが国の内外から批判されたのを繰り返したくないというのが査証拒否の理由でした。いうまでもなく、占領下での日本のすべての法律はGHQのなんらかの監査・指導の下に立案・施行されており、この意味で '優生保護法' も例外ではなかったと考えられます。
     同法提案者の1人である日本医師会元会長の谷口彌三郎議員は、提案趣旨説明にあたり、必ず総司令部・自然資源局アッカーマン氏の言葉を引用し説明を加えており、人口抑制政策にGHQの強力な支持のあったことをうかがわせます (第2回国会参議院厚生委員会会議録第13号, 昭和23年6月19日, および同氏による "優生保護法", 改訂版, 医家叢書・14, 医学書院, 1952. を参照)。
     既に第2次大戦終結前から、日本占領政策の重要方針として日本の '非武装化' と '人口制限' が検討されていたことから、この戦後における '優生保護法' の成立も、この既定方針に沿ったものと考えられるのです。アッカーマン氏が1952年に刊行した著作でも、日本の人口抑制政策を '妥当な処置' として評価しているのは、この間の事情を解く鍵になります (Japan's Natural Resources and Their Relation to Japan's Economic Future, by E. A. Ackerman, Univ. of Chicago Press, 1953., p. 572.)。
     一方マッカーサー元帥自身は、米国からの抗議書簡に返事をしたため、米国がこのような法律 (優生保護法) に関与すれば、未来永劫にわたって日本民族の皆殺し (Genocide) に加担したとして非難されるだろうとすら述べるほどの異例の反応ぶりをみせているのが、かえって注目されます (1950年6月17日付, ヘス師あて)。
     1952年11月1日、京橋公会堂で行われた講演会では、70歳を超えた看護婦サンガーの熱のこもった、よく通る声での話しぶりに、当時学生だった私も深い感銘を与えられたことを思い出します。この時の感動が、その後私の大学院でのインド家族計画研究へとつながり、1962年には現地調査へと赴かせることになったのでした (拙稿:インドの家族計画, 1-7, 家族計画だより, No. 63-69., 東京都家族計画協会, 1963.)。

    今後の展望

     この私の、インドでの関係者との会合の折にもしばしば話題になったのが、日本の人口増加率の急激な減少と経済発展でした。その中で '優生保護法' が当時の社会状況の中で果たした役割も指摘されました。つまり、'人工妊娠中絶' がその違法性 (刑法第29章堕胎の罪による) を阻却 (優生保護法による) されて、もっぱら '家族計画' の '手段' となったのではなかったかということが問題となったわけでした。
     産児制限運動をルーツとする '家族計画' の今後の展開は、家族計画における女性の立場の十分な尊重と女性の主体性と選択の自由を権利として把握する方向でなされるべきでしょう。したがって家族計画と公共の福祉に焦点を合わせた公共政策が必要となりますし、現行の優生保護法と刑法の堕胎罪の規定は全面撤廃されるべきだと考えられます。なぜなら現在、世界中で我が国だけが '優生' という名前を付した法律を持ち、健常者中心の発想での差別のイデオロギーに基づいての時代遅れの遺伝病リストを掲げ、優生手術の対象としているからです。
     更にまた、女性の身体・生命に関する事柄についてのプライバシー権の立場からの発想が、この法律には全く欠けているからです。胎児の生命の尊重と保護は原則的に当然のことですが、それをどのようなコンテクストの中で把握すべきかが今後、慎重に '公共政策' づくりの中で検討されなければならないのです。
     このような動向の中での我が国での家族計画は、そのルーツの最初からの方向に沿って、'人工妊娠中絶' を家族計画の '手段化' とすることに批判を加え、よりいっそう確実で安全な避妊教育へと向かうことになると思われます。新しい時代の新しい価値観に対応しての人間教育、男性・女性としてのアイデンティティ教育や具体的な知識と情報の伝達が、家族計画にとってますます重要になってきます。
     米国の首府ワシントンD. C. の家族計画協会は、1931年にサンガー訪問を契機にして組織されましたが、その活動の焦点は日本の私たちにも参考となると考えられるので、次にその概要についてふれておきましょう。

    10代の少年少女のために

     このワシントンの家族計画協会がユニークなのは具体的な相談やカウンセリング、指導プログラムとともに、特に10代の人々を対象にした資料・図書・ビデオ・映画などの情報センターがあることです。主任のフォレストさん (Ms. Phyllis Forrest) は大学で性科学を専攻した30代の女性で、かつて '中絶' 専門のカウンセラーをしていました。
     彼女の説明によると、この情報センターの利用者は主として10代の少年少女たちで、中学や高校での講演に彼女が招かれた折に必ず、このセンターの利用法方について説明しているとのことでした。また、セミナーや人間教育プログラム (性を人間性の全体的理解と結びつけて理解させる) を、毎月新しいテーマに沿って展開しています。
     非常に情報が過多であるように見えながら、実際は男性や女性についての偏見があったり、正しい人間性と性についての知識や情報が欠けているという現実に直面しているというアメリカの状況は、ある意味で私たちの国の状況と似通っている面もあると考えられます。もちろん、既婚者や青少年活動の指導者向けの集会もありますが、そのテーマとしては、次の例があげられます (1984年夏のプログラム, 無料から約5000円までの会費で約20の集会)。
     1) 赤ちゃんを生みますか? (親としての決断の問題)、2) 親 (片親を含む) と子供への性教育、3) マスコミに現れた性問題を手がかりに子供と対話する法、4) ダメ (NO) といってもいい (OK) のだ (思春期の性と相手への対応の仕方をめぐって)、5) お母さん、私はどこから来たの? (幼児の問いにどう答えるか)、6) 性教育の実際、7) 10代の子供たちにダメ (NO) と言わせるには?、10) 性の問いに答える方法、11) 性教育教師論、12) 最近の避妊方法について、などです。今後我が国でも、おそらくは既婚・未婚・未成年とにかかわりなく、'家族計画' についての知識が人生の生活のあり方として必要になってくると考えられます。
     私たちが男性として、女性として、また異性として、同性として、どのような人間観を抱き、愛し合い、子供を生み育てるのか、また生まないのかといったことについて十分な責任感を養う教育が、アメリカでは既に10代の初めの段階から教えられつつあります。我が国においても旧来の伝統的な日本社会の中での '男性' '女性' '子供' '家族' などについての価値観の変動をふまえて、個人の尊厳と両性の本質的平等 (憲法24条) に根ざした人間教育と家族計画が展開されるようになるべきでしょう。
     戦前から戦後にかけての '産児制限' 運動の中で、多くの医療従事者 (医師・看護婦・保健婦・助産婦) や社会運動家などの果たした積極的な役割と貢献を正しくうけとめ、新しい時代にふさわしい新しい家族計画の公共政策をバイオエシックスの視座から方向づけることが、私たち国民の1人1人に求められているのです。 
    (つづく)


    次号/
    バイオエシックス・セミナー (11)「職業としての看護」に続きます。

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