■「看護学雑誌」, 48 (12), pp. 1421-1424., 医学書院, 1984. 12.


第11講. 職業としての看護 Prof. Rihito Kimura wearing a smile
木村利人

時代的背景

 1950年代から70年代にかけて、世界的なスケールで '自分の生命を自分で守る' ための様々な社会・市民運動が形成されてきたことについては、既に前にふれました。
 欧米など医療先進諸国では全人医療・看護運動、セルフ・ケア運動、女性の開放と健康を守る運動1)などの展開の中で、地域住民や一般国民が医療・保健の公共政策づくりの決定過程に参加することが当然のこととなりました。
 また、開発途上の諸国でも既成の医師や看護婦に依拠しないボランティアによる、コミュニティの中でのプライマリ・ヘルスケアの再評価が始まり、伝統医療の持つ積極的な意味がやっと理解されてくるようになりました。
 私もかつて、1965年から72年にかけてタイとベトナムに通算6年居住し、大学で教鞭をとり、その間ほとんどの東南アジア諸国を調査・研究のため訪れる機会がありました。
 これらの諸国での農村や漁村で強く印象づけられたのは、近代医療のシステムでの専門医療教育を受けたことのない癒し人 (Healer) たちの存在と、その土地伝来の薬草などを使用する療法のユニークさでした。
 西欧的医学教育を受けたエリートたちが大都市に集中し、その国に固有な歴史や文化と異質な医療システムや施設を外国からの医療・経済援助によりつくり上げるのは、バイオエシックスにおける '平等な健康権の原理' と '医療資源の公正な配分の原理' からみて大きな浪費であるように思われました。
 このような開発途上国での医師や看護婦の役割をめぐって、国際的にもいろいろな立場からの論議がなされています。
 一般の人たちの生命を守るためにコミュニティの中で大きな役割を果たすにあたっては、むしろ現在の先進国で行われているような '職業的な医療専門教育' を受けないほうがいいのではないかという見解まで、WHOレベルで論じられるようになっています2)
 西欧的な価値観を前提にした近代科学・技術モデルでの医療のあり方は、今や大きな挑戦を受け、危機に直面していることを、日本の私たちも率直に認めなければならないと思います。今こそ、かえって開発途上国に学ばねばならないことが多くあるのです3)
 '患者の権利運動' も、このような世界的スケールでの開発途上国における医療・保健の問題をふまえて論じられなければなりません。この運動は、また医療の専門家に '生命' をゆだね、頼りきってきたことに対する医療先進諸国の人たちによる反省でもあるのです。事実、およそこの20年間で、医療専門家や政策担当者たちの医療における価値判断の基準も、'患者の自己決定権' を中心とする方向に大きく変化をとげてしまいました。
 今月は、このような時代的背景と世界各国における医療および看護の状況を正しくふまえた上で、'職業としての看護' の問題をバイオエシックスの視座から検討し、分析してみたいと思います。

看護職の新展開

 '看護専門家' は従来、医師の補助者として、その指示に忠実に従うべきことが期待されていました。この補助者としてのイメージは、前述のように近代医療先進諸国においてはもちろんのこと、特に開発途上国でのコミュニティ・プライマリ・ヘルスケアに関連して大きく変貌をとげつつあります。
 看護業務の内容は、我が国の旧態然とした、医師の指示のもとに '傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話又は診療の補助' (保健婦助産婦看護婦法第5条, 清水・門脇編:看護法令ハンドブック, 3, 医学書院, 1984) という定義の範囲をはるかに超える現状となっています。
 医療先進国である米国においては、'看護' 概念の法的な書き換えが1971年から始まり、1977年には既に31州でナース・プラクティショナー (Nurse Practitioner, ただし最初の正式名はpediatric public health nurse practitionerでした) が独立した看護業務を行っています。
 このナース・プラクティショナー教育は1965年から始められましたが、だいたい大学院修士課程での教育を終え、資格を与えられると特定分野での診断・治療を行う独立した看護業務に従事します。
 もちろん、各州の法律上の規定の相違により、その業務の遂行上、ある程度の違いがあります。例えば医師との相互協力関係を条件にしているといった州もありますが、基本的には看護職の新しい展開として独立し、医師と対等に協力しつつ患者のための医療・看護業務を行っています。
 したがって旧来の '補助者イメージ' は、もはや通用しなくなりました。国際的にも、かつては1965年の国際看護婦倫理綱領 (ICN) で看護婦の医師への忠誠が規定されていましたが、現行の綱領 (ICN, 1975) では '医師への責任' の項は削除され、'共働者との協力' が記されているのみです (前掲書, p. 223.)。
 このようにして、米国では全人看護 (Holistic Health Care) の概念を導入したケアの専門家が積極的なキュアへとその分野を広げ、主としてプライマリ・ヘルスケアを中心にしつつ、小児科・老人科、さらに全般的な家庭医療などの分野で活躍しつつあります。
 現在、その資格をもち、業務に従事しているナース・プラクティショナーは全米で約2万人以上になります。このうち約1万4000人がプライマリ・ヘルスケアの分野で、あとは救急ケア、新生児ケアなどです。
 米国連邦政府は、既に1950年代の半ばごろから看護業務の内容の質の向上と範囲の拡大のプログラムを推進し、1975年からナース・プラクティショナーのプログラムをプライマリ・ヘルスケアの一環として展開してきています。
 現在、このプログラムの担当責任者である看護婦のストーンさん (Carole Stone, MSN, PNP) によれば、今後のこのプログラムのいっそうの推進のために、全米レベルでの教育や資格の統一化を目指して、現在調査が行われているとのことでした。
 なお、1983年度には約130の大学院に修士課程のナース・プラクティショナー・コースがあり、約150の継続教育プログラムによる資格取得のコースもあるとのことでした。
 医療の中でのナース・プラクティショナーの位置づけと今後の方向がある程度定着している医療先進諸国の実状をふまえて、私たちも日本での今後の医療と看護を考え、展開するための一歩を踏み出すべきでしょう。
 なぜなら近い将来、我が国でも諸外国と同じように看護教育のいっそうの質の向上と内容の高度化・専門化に伴い、限られた医療の人的資源の十分な活用、コミュニティの中でのより有効なプライマリ・ヘルスケアの展開が求められるようになる必然性があるからなのです。
 このようにして考えてみれば、看護職を医師の補助者としてのみ規定している我が国の現行法は、国際的見地から一刻も早く根本的に変革されなければならないことは明らかです。そして、このための長期のスケールでの具体的なビジョンを、私たちは新しい時代の新しい看護職の公共策として作り出していくべきなのです。
 ケアはキュアを含むのが当然ですし、看護職は伝統的なケアからキュアへと (逆に医療職はキュアからケアへと) 新しく展開されつつあるのです。職業としての看護が、このような新しい展開をみせつつあるのは、医療・看護の焦点が '患者の自己決定権' を中心に再構築されてきているからなのだということを、バイオエシックスの視座から特に強調しておきたいと思います。
 そして、看護専門家が患者といちばん密接にかかわりをもつことになるからこそ、このような看護専門家は '看護を行うにあたって、個人の信条、価値観、習慣を尊重する' (国際看護婦倫理綱領, 前掲書, p. 222.) と定められているのです。

看護職とフェミニズム

 今年の米国での医療・看護に関連する最大の話題のひとつは、'看護婦' によるストライキでした。
 米国の歴史はじまって以来の看護婦による最大のこのストライキ、1984年6月1日から7月9日まで続き、米国ミネソタ州の州都セント・ポール市とそれに隣接するミネアポリス市の17の病院で働く約6500人の看護婦 (RN) の主張が全面的に受け入れられる形で終結しました。
 このストに突入する前、数カ月間にわたって病院経営の悪化を理由に、シニア・ナースの解任や、看護時間の短縮が一方的に病院側により行われ、慎重な度重なる討議のすえ、最終的に患者の看護の質の低下をこのまま見過ごすことはできないとの観点から、ナースの職の確保を主張してのストライキとなったのでした。
 病院財政・経営の合理化を主張する病院側は、予想外の苦境に立ち、看護職側はマスコミやコミュニティ、一般の人たちの大きな支持を受け、資金も多く集まったとのことでしたが、これは看護婦たちの日ごろからのコミュニティに密着した仕事が大きく評価され、長期のスケールでの '患者看護' の質の低下を招きたくないという主張が多くの人々に理解されたからでした4)
 看護職の職場を減少し、その質 (勤務時間の縮小を含む) を低下させる方向がはっきり見えた時に、一致団結して '患者とコミュニティのために闘う' ことの重要性を、このストライキの最高責任者の1人であったミネアポリス看護協会専務理事の看護婦ランドさん (Ruth Lunde, RN) は、次のように情熱をこめて私に語ってくれました。
 '私たちの主張が通ったことにより、病院管理・経営者側も大きな利益を受けたはずです。なぜなら、患者への看護の質を低下させないという病院側の看護婦側との最終決定は、多くの人々が抱いていた病院への不信を取り除いたからです' と。
 米国では1948年に米国看護協会 (ANA) の方針により各州の看護協会に団体交渉権を認めていました。その後、1950年には看護婦 (ANA) の '非ストライキ宣言' が出されたこともありましたが、これは1968年に看護婦の労働運動と意識の高まりとともに完全に撤回されています。
 このミネアポリス市のケースのように、救急態勢を整え、患者の生命・身体の保全の措置を行うことを前提としつつストライキに入ることは、看護職にとって当然の権利なのです。
 医療と看護の質をより向上させるための看護職の確保のための闘いは、妥協を許さない厳しい職業意識の基本的条件であり、そのための看護職の一致協力が求められているのです。したがって、専門家がまとまりを欠き、その集団が一般の人たちの支持を失ったとき、結局その専門家集団は社会的に機能せず、新たな統合を求めての内部変革を起こすことは、歴史の教訓が示しているとおりなのです。
 国際看護婦倫理綱領は次のように記しています。
 '看護婦は、その専門組織を通して活動することにより、看護における正当な社会的・経済的労働条件の確立と維持に参加する' (前掲書, p. 223.)

看護職の確保

 看護職が、歴史的にみて現在に至るまで主として女性によって担われてきたという事実は、今後の医療と看護を考える上で大きな利点であるように思えます。
 現在、依然として男性原理に基づく価値観が支配的な医療の全体構造の中に、男女平等の原理に根ざした真のヒューマニズムが展開されるためには、新しい 'フェミニズム' の視座からの旧来の医療・看護構造への挑戦と問題提起が必要となってきます。
 医療や看護の現場での体験と理論の形成が、長い医療の歴史からみれば、ごく最近、急激に展開されてきた '科学・技術モデル' の医学の枠組みや論理の中でのみ形成されなければならないというわけではないからです。
 'フェミニスト' の立場からの問題提起、分析、洞察力、体験のストーリーが、学問の普遍化の名の下で '男性原理' の構造の中に組み込まれていくことを避けるべきでしょう。
 パターナリスティック (父権的・温情的) な医療の権威主義を排除した 'セルフ・ケア' への援助を中心とする '患者と共に' の看護の発想の中に、バイオエシックスによる看護の本質をみることができるのではないかと、私は考えています。
 '黙々として' 仕事に耐え、医師の指示のままに '命令' に信頼して服従するという 'ナイチンゲール的看護婦' のイメージは、イギリスでも過去のものとなりました5)。十分な知識と体験に裏づけられた看護専門家として、'療養上の世話又は診療の補助' への責任を担っている以上、疑問点は正し、納得できない指示に説明を求めることは当然のことなのです。
 医師の誤失による指示に基づき、薬剤を使用し患者を死亡させたケースで、看護婦がその医師の指示に疑いを抱かなかったことを理由に有罪となった例があります。患者を守るため、ひいては自己を守るため、'疑問を抱き' '質問する' 習慣をつけることは重要です (Somera Case, G. R. 31693-P. I., 1929.)。
 身体的・精神的に弱者の立場におかれている患者、特に女性と小児患者のための '擁護者' の立場からの貢献が看護職には求められているのです。
 '患者の利益' にとって何がベストであるのかを、'患者の自己決定権' に基づきつつ、バイオエシックスの立場から判断するために、事実上、医療職は看護職から多くを学ばねばなりませんし、また看護職はその職務をよくわきまえて正しく発言し、義務を遂行し、当然、医療職からも多くを学ぶことになるのです。
 患者を中心に、共働者が平等に協力し合いつつ、医療と看護がなされることが、患者の立場からいちばん望ましいことはいうまでもありません。
 ここで、'看護職とフェミニズムの発想' について、私が考えてきたことを整理してまとめておきたいと思います。

表 看護職とフェミニズムの発想
問題提起と対案  女性としての経験や関心、発想をもとにして、看護における問題点の前提や核心となっている事象、定義、枠組み、方法論、技術などに疑問を投げかけ、新しい看護の学の形成のための対案を提示する (学問の普遍性・客観性の名による '男性的論理・発想' の全面的否定と排除)
創造性  女性の視点からの新しい看護カテゴリーに基づいたデータの提供と価値観の創造を試みる (フェミニズムの発想による新しい、より統合された全人間理解とその学問の形成)
歴史的アプローチ  比較文化史、特に日本女性史の視座からの歴史的アプローチを看護の分野に導入し、人間観 (男性および女性)、家族、医療、看護などの史的意味と構造の新しい把握を企てる
体験と感性の重視  女性としての看護体験を女性の論理と感性に基づき、多様な体系化 (例えば物語=ストーリーとして集成) をはかる
男性中心の価値意識への批判  伝統的な男性中心の価値意識や役割の固定化 (男・女・子供など) の前提 (表面に出ないメッセージ) を鋭く指摘し、その批判を意図する

 生まれてから死ぬまでの (あるいは生まれる前から死んだ後に至る) 人間存在を徹底的な操作・技術化の対象とする現代医療の基本的なあり方に根本的な問いを投げかけ得るのは、こので示したようなフェミニズムの立場からの医療・看護への洞察力と、その内容の理解が可能な看護・医療専門家なのではないでしょうか。
 専門職業としての看護 (ケア) が、専門へのアンチテーゼとしての 'セルフ・ケア' への援助にあるという逆説のもつ重大な意味を、私は指摘したいと思います。バイオエシックスのアプローチによる新しい学として、また実践としての看護は、おそらくは既成の西欧的な学問の方法論や概念を超えて、自由な枠組みで新しい生活に密着した言葉を用いての '患者' (家族やコミュニティの構成員など非専門家の一般の人々を含む) との看護のストーリーの '共有' の中から形成されるというのが、現在の私の基本の考えなのです。 
(つづく)

  • 参考文献
    1) Ruzek, S. B. : The Women's Health Movement, Praeger Publishers, 1978.
    2) Newell, K. W. : Health by the People, 194, WHO, Geneva, 1975.
    3) 岩村 昇 : 共に生きるために- アジアの医療と平和, 新教出版社, 1983.
    4) Washington Post, July 22, 1984, "The Nurse's New Voice".
    5) Doyal, L. : The Political Economy of Health, Pluto Press, London, 米国版 (South End Press), p. 205.


    次号・いよいよ最終号/
    バイオエシックス・セミナー (12)「看護の未来のために」に続きます。

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