■「看護学雑誌」, 48 (9), pp. 1061-1064., 医学書院, 1984. 9.


第9講. 遺伝子治療の意味 Prof. Rihito Kimura wearing a smile
木村利人
 遺伝子組み換えをめぐっての論争に焦点をあてつつ、'科学と社会' のかかわりについての歴史と未来への展望を鋭く分析し、世界的に注目を集めた "生命工学への警鐘" (S. クリムスキー著, 木村利人監訳, 家の光協会刊) という本は、バイオエシックスを学ぶすべての人々にとっての必読文献となっています。特にこの第1章では、'人権のための医学委員会' (Medical Committee for Human Rights) が医師、看護婦、栄養士、医療ソーシャル・ワーカー、検査技師を含め広範な活動を展開し、現在に至るバイオエシックスの形成の1つのルーツとなったことを教えられます。
 更にこの本の中で遺伝子工学の産業への応用 (第21章) が取り上げられ、農作物、エネルギー、工業製品、医薬品がバイオテクノロジー産業により21世紀に向かって大量に安価につくり出されるようになるだろうと予想されています。
 また遺伝子組み換え技術が人間の遺伝病の診断や治療に直接応用されることになれば、有害遺伝子を修復したり、欠陥遺伝子を外から補充したりすることもできるようになると考えられます。既に現在、遺伝的原因による代謝異常、染色体異常、突然変異などの疾患を胎児の段階で診断・治療することも行われつつあるのはよく知られています。
 このような遺伝学や生命科学・技術の進歩をふまえつつ、今月は '生命操作' の核心ともいえる遺伝子組み換え技術と遺伝病に関するバイオエシックスの問題点、更に遺伝病への看護専門家としてかかわり方を検討してみたいと思います。 

歴史的な洞察

 バイオエシックスの視座から '遺伝病' の問題にアプローチするにあたって、私たちは正しい人権感覚に基づいた '歴史的な洞察力' を養わねばなりません。遺伝や優生のイデオロギーが、価値からの中立を標榜した '科学' の名により悪用・誤用された歴史的事実を、無視したり忘れたりしてはならないのです。
 米国の移民法 (1924年)、ナチス・ドイツの優生計画 (1939年)、我が国の国民優生法 (1940年) などは弱者・異常者を科学の名による偏見の下に差別し、排除し、無益・有害な存在におとしめ、ひいては抹殺しようとする政治権力と支配構造の意図をむき出しにしたものでした。
 健常者や特定の人種を優者とするイデオロギーは現在も目に見える形で世界の各地に行われ、特に南アフリカ共和国の非白人種隔離差別政策 (アパルトヘイト) は極めて悪質な人権侵害であるとして国連総会により非難され、世界的な経済制裁をうけています (ただし、対日輸出は約18億ドルでイギリスとほぼ同額。1984年 "朝日年鑑" より)。
 バイオエシックスが旧来の医療の倫理とその発想を異にするのは、現在の時点での生命科学や遺伝学における臨床の問題を極めて微視的にとらえるのみならず、更に大きい視野から国際的・国内的な政治権力や支配構造をふまえ、生命をめぐってのあらゆる問題に巨視的にアプローチするからなのです。人種差別を国是としている国とあえて取り引きしなければ生存できない '経済大国' 日本の致命的弱点に目を注がずに、実は日本でのバイオエシックスは展開できないのです。
 遺伝への無知が差別と偏見の根源にあったように、歴史と世界の現状への洞察力の欠如が人権侵害を生み出すのです。いったいどのような論理で差別や偏見が正当化されるかへの批判を含めて、遺伝をめぐっての問題点を、医療の立場、バイオエシックスの立場、更に当事者の人生観や世界観などとして表1にまとめてみました。

表1 遺伝をめぐっての医療とバイオエシックスの問題点
医療の立場 バイオエシックスの問い
(異なった立場・見解の存在)
人生観・世界観に関連しての問い
  • 遺伝病の早期発見と早期治療
  • カウンセリング (遺伝相談)
  • スクリーニング
  • コンピュータに遺伝欠陥データを入れ、検索するシステムの開発
  • 1. 遺伝欠陥の有無にかかわらず受胎した子供を生む権利と義務を持つか (中絶禁止立法、体外受精の権利)
    2. 状況により、医師・母親・両親などの判断をもとにして、胎児の出生に選択の余地を与えるべきか (中絶の合法化 - 遺伝欠陥事由による)
    3. 社会的な福祉施設の充実を最優先政策とし、個々の胎児の出生に条件をつけてはならないのか
    子供を持つのは
    1. 親の権利 (だれでも子供が持てるようにすべき) か
    2. 宗教・信仰その他の理由によるか
    3. 偶然 (運命) によるか
    4. 自分たち両親が選択し、都合の良い時に子供を持つのか
  • 医療およびその財源の制約と限界を認める
  • 1. 遺伝病のためのスクリーニング・治療の財源は、個人の負担か社会 (国家) の負担か
    2. 生命は尊いのでどのような犠牲を払っても生命を保持すべきか (生命の神聖性)
    3. 遺伝病における苦しみ、生命の質の意味と本質は何か
    4. 医療財源の効率を良くするため、むしろ早期発見のためのスクリーニング・プログラムを予算化すべきか
    5. 遺伝的欠陥は人間の遺伝子プール存在上、必要不可欠・・・したがって、そのコストは社会が負担 (国庫による全額無条件の負担) するべきか
    遺伝病とわかった場合
    1. 子供を生まないのか
    2. 施設の十分な所を考えて準備をすすめるのか
    3. どのような場合も子供を生み育てるのが親の責任なのか
  • 遺伝病の診断と治療処置を的確にすすめる
  • 苦痛の軽減、病気の治癒を行うのは当然
  • 1. 遺伝病とは何か、正常と異常との差はあり得るのか
    2. 完全な人間というイメージは何か (人間はだれでも約10の有害遺伝子を持っている)
    3. 有害遺伝子保因者は子供を持つべきではないのか
    私たちの日常生活において
    1. 質を問う生なのか
    2. どのような信条 (宗教・信仰) に支えられているのか
    3. 親が子供の健康を求める理由は何か (胎児診断の普及)
    4. 遺伝は運命として受け入れるべきか (家系・前世の因縁などの迷信)
  • 優生立法の容認
  • 次の世代への有害遺伝子の伝播を避ける政策に協力
  • 優生手術の合法性 (現行の優生保護法など) に基づいた手術行為の遂行
  • 1. 遺伝的欠陥児 (程度により大幅な相違がある) が結局は '不幸' になるのではないかといった不安はあるか
    2. '不幸' の基準をだれがどのように当てはめるのか (兵庫県 '不幸な子供を生まない運動' への批判と問題)
    3. 遺伝的形質 (目の色、肌の色など) は生物学的なものであって、道徳的な価値観と結びつけてはならないことが理解されているか
    4. 人類の遺伝的多様性が人類生存の条件であることが理解されているか
    人生の価値とは何か
    1. 使命に生きること
    2. 愛し合うこと - 結婚、家庭
    3. 子供を持つこと
    4. 健康であること
    5. 働くこと
    など、そのほか多くの人生観・世界観の表明において、健康が重要な指標となっていることの意味を考える

     この表である程度明らかになるように、問題の提起の仕方自体に批判が加えられることにもなるのは当然なことです。私自身は、情報や決断や方策を '共有' するバイオエシックス理論を構想しているので、その観点からすると当然、'遺伝性疾患' のための解決などを専門家や行政担当官たちに任せることなく遺伝病者を含むコミュニティの全員がイニシアティブをとって新しい方向づけによる遺伝病予防・治療に関連する福祉立法を制定するための手続きが、国や地方の議会などを通してとられるべきだと考えています。極めて時代にそぐわない遺伝疾患を含む現行の我が国の優生保護法 (同法の別表参照) が、これに伴い廃止されるべき運命にあることは世界の趨勢からみて当然の成り行きなのです。

    遺伝と国会

     遺伝子治療をめぐっての問題がなぜ国会で取り上げられるのか、と奇妙な感じを持つ人々もいるかもしれません。しかし、上に述べたことからも明らかなように、国民の福祉に関係することは、国民を代表する選挙された議員たちにより討議され立法化され、行政がその施行に責任を持つという民主主義の原理からすれば当然のことなのです。特に生物・医科学技術研究の分野での人権侵害 (人体実験) や政策上の失敗 (公害、軍事利用) を繰り返さないために、国民と国会による厳しい監視と方向づけが必要なのです。
     専門家に一切を任せることは専門家にとっても、また健全な学問、研究、臨床などの展開のためにも避けねばならないという考えが基本にあるからこそ、国会や行政機関などでの一般の人々の参加による公開された、だれでも発言できる委員会が形成され、バイオエシックスの審議制度として機能しているのです。
     遺伝子治療のバイオエシックスに焦点をしぼっての米国連邦議会での '科学技術委員会・調査・監視小委員会' が開催されたのは、1982年11月16 - 18日の3日間でした。ゴア委員長をはじめ各委員の前で25名の専門家が次から次へと参考意見を述べ、遺伝子工学技術の人間への直接利用について膨大な資料が配布され、時にカラースライドで説明がなされ、約150人近くの一般傍聴者を含め、会議室は熱気につつまれていました。
     遺伝子治療の問題は、患者や医療専門家だけの問題ではなく、国民の1人1人にとって直接かかわりのある問題だということが、毎日のテレビや新聞に詳しく報道されました。私自身もこの会議に出席して、次のような現状の認識を得ました。
     第1に、遺伝子治療の臨床研究が動物実験などにより着実に蓄積されつつあり、臨床人体実験のための患者の人権擁護のシステムがIRBなどにより確立していること、第2に遺伝子地図 (Gene map) の解明が急激な速度で進行しつつあること。これは遺伝病の診断と解明に役立ち、ひいては治療にもつながる [例えば最近の成果として、ハンチントン舞踏病 (中年に発病し体の不全と知能障害により死に至る) における遺伝子保因者の確定など]。
     また第3に、特にバイオエシックスの面での対応が法律・倫理・哲学・宗教・社会などのあらゆる面で研究されており、バイオエシックスの制度的保障が有効に機能していること。第4に連邦政府レベルでの新しい '遺伝子操作監視委員会' の設置が大統領バイオエシックス委員会および議会 (下院) により提案されていることなどでした。
     この委員会は、約11人から15人で構成され、主として科学技術の分野外の一般市民を代表する学識経験者 (バイオエシックス、法律、社会科学、哲学、宗教、倫理、行動科学などの分野) に専門スタッフや専門家、各省庁連絡官を加え、1) 実験室内の研究、2) 産業による環境改善のための利用とその危険性、3) 産業化、4) 人体への応用、5) 国際的な規制などの問題をめぐって慎重な方向づけによる遺伝子工学技術の社会統制を行うというものです。特に遺伝子治療技術の問題を全体の生物・医科学技術における臨床研究実験の枠内で把握する必要性が強く指摘されていました。
     公聴会の2日目に参考人として意見を述べたクライン博士は、'遺伝子治療' のためにイスラエルやイタリアの小児患者に人体実験を行い批判を浴びた研究者でした。カリフォルニア大学 (UCLA) でのIRBでは研究が許可されず、しかも、その研究自体がNIH (国立保健研究所) の研究資金の補助によるものであったために、たとえ国外ではあっても、必ずIRBの審査と許可を受けるという規定に反したことになり、その後の補助金の停止と、役職 (医学部血液学・腫瘍学科長) からの辞任となりました。
     しかし同博士が自らの実験を正当化し、'科学研究は、多数決により進歩したためしはない' とこの公聴会で発言したとき、会場は緊張とどよめきにつつまれ、あらためて専門家の '人権意識' に大きな問題のあることが露呈し、ゴア委員長がこの点を鋭く批判したのが深く印象に残っています。特にこのクライン博士のケースでは、その遺伝子治療の実験が慎重な動物実験の蓄積を欠いていたこと、また結果がほとんど成果をあげ得ないことが想定されていたのに、患者に正しい情報を与えず期待を抱かせたことなどが批判の対象となったのです。
     長期のスケールでの遺伝子治療の持つ意味を法律・倫理・社会の観点から取り上げる、このような具体的なバイオエシックスのプロセスは私たちの国の社会、あるいは関連する医療研究機関などにも定着されるべきでしょう。
     私自身、去る1980年の4月11日、講演で一時帰国中の折りに永田町の第一議員会館に招かれ、科学・技術・医療に関心を持つ国会議員の方々にバイオエシックスについて私の見解を述べる機会が与えられました。引き続いての朝食会で私の隣に座った社会党最高顧問の三宅正一氏 (元副委員長・故人) が、私の話が興味深く、たいへん教えられたと語られつつも、'日本では国会でバイオエシックスを論じるのは、まだまだ当分先のことでしょうなあ' とコメントされたのを今でもはっきりと覚えています。
     バイオエシックスの視座からの、国会での国民の代表による開かれたガイドライン作りのプロセスへの参加は、いわば '未来形成' 民主主義 (Anticipatory Democracy) の発想によるといえましょう。私たちはいったい、どのような社会のあり方を目標とするのかの合意づくりを基盤にした未来形成の民主主義は、従来の単なる代表民主主義や参加民主主義のあり方を超えるものとなるでしょう。正しい政治権力をつくり出していくのは私たちであり、専門家の経験と知識の正しい利用を方向づけるのは、ごく普通の一般市民なのであるということを、この20年間にわたるバイオエシックスの展開が示しているのです。

    看護と遺伝

     議員会館での私の講演でも詳しくふれたのですが、遺伝子操作技術を含めての応用遺伝学は急激に進歩しつつあります ("応用遺伝学の衝撃", 議会技術評価局, 邦訳題名は "遺伝子工学の現状と未来", 家の光協会刊の第3章 '医薬品工業と遺伝子工学' 参照)。
     今後、遺伝学や遺伝子工学の知識とその学習が医学や看護教育カリキュラムに導入されることになるのは間違いありません。
     現在米国では、一般の看護専門家や特別な専門分野 (小児科、内科など) の看護専門家にとって遺伝学の習得とその応用が重要性を増しつつあります。もちろん遺伝学専門の臨床看護婦も活躍しており、遺伝疾患にある人々やその可能性を持った人、家族などを対象としての業務が展開されています。
     患者と家族の遺伝欠陥の診断、治療処置と遺伝病への心理的対応や長期のスケールでの健康プランなどをめぐっての的確なアドバイスとカウンセリングが、専門の看護婦により行われている施設も増加しつつあります。
     このための特別の教育プログラムを持った看護教育も行われています。コミュニティでの保健計画に沿っての遺伝教育や、特に看護学の立場からの遺伝問題への取り組みが今後ますます展開されていくことになるでしょう。
     なぜなら、我が国においても感染症や栄養障害などによる疾病が大幅に減少し、成人病、体質性の疾患、先天異常など、遺伝子の質とかなりかかわりを持つと思われる疾患が増加しつつあるからです。したがって21世紀に向かっての保健・医療・看護を展望するにあたって、遺伝学の知識は欠くことができなくなってくるのです。

    表2 看護専門家が遺伝相談にかかわる利点
    1) 看護婦・保健婦が遺伝相談業務を行うのは医療の役割の面 (特に患者や家族との直接的・日常的なかかわりの面で親近感があるケースが多いので) および人的資源の面で効果的であると考えられる
    2) 看護婦や保健婦は既に看護教育の中で患者や家族とのコミュニケーションの学習を終え、その体験を持ったりしているケースが多く、遺伝相談にその方法を役立たせることが可能である
    3) 看護婦・保健婦は予防医学・保健計画に深い関心を持つ人が多いので、患者を一個人としてとらえるだけでなく、家族を含めて考える発想や、コミュニティの発想に習熟している
    4) 患者の観察・診断・評価・処置の経験を遺伝相談に生かせる
    5) 病院、保健所、家族、地域 (コミュニティ) を結びつけ、遺伝相談の任務を遂行する役割を果たすことができる

     従来のように大都市中心の大学病院や研究機関中心の遺伝相談センターではなく、むしろ患者や家族にとって便利な、そしてコミュニティの中での医療や看護のシステムと連結した、より実践的な遺伝看護センターなどを看護婦や保健婦が中心となってつくり上げていく時代が到来しつつあるといえます。コミュニティの事情に明るい、患者や家族と親しく日常的に接する機会の多い保健婦や看護婦が遺伝相談、診断、治療などに積極的にかかわりを持っていく利点について、国際的な動向を参考にしつつ表2にまとめておきました。
    (つづく)


    次号/
    バイオエシックス・セミナー (10)「家族計画のルーツと展望」に続きます。

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