「戦争」の世紀から「いのち」の世紀へ
From the Century of War to the Century of Life
もちろんこれらの項目の他にも倫理的な対応を要すべき多くの問題点は日常的に起こっているし、日本でも技術・工学倫理教育のユニークな試みはすでに始まっている (11)。
■ バイオエンジニアリングの新しいパラダイム《展望解説》
- バイオエシックスの視座からのテクノエシックスの提言 -
- A Proposal of Technoethics in the Perspective of Bioethics -
1 はじめに - DNA 戦争 -
20世紀は「核」「宇宙」「コンピュータ」の三つのキーワードで象徴される、いずれも開発の初期の段階から軍事的に利用され、結果的に多くの惨害をもたらした。これらの科学技術工学の戦争における実効性は20世紀の最大の出来事となった。
ベトナム戦争の最中1970年から1972年にかけて、私はサイゴン大学で教えていた。街にあふれる戦車、軍用車、空港の軍用機、レーダ、メコン川の艦艇、大学の周辺を含め至る所にある鉄条網と機関銃、高射砲、夜間、時々我が家のそばに落ちて近隣の家屋を直撃し破壊する小型ミサイル、そして自動車の車体の下に仕掛けられる時限爆弾や幹線道路でさく裂する地雷への恐怖、ゲリラ戦の只中で、さまざまな軍事兵器と軍用機械に囲まれ、私たち一家は極度の不安の中の日常生活を送っていた。
しかし、サイゴンで直面した最大の恐怖は「核」の破壊であった。と言ってもこの場合は私たちのDNA (デオキシリボ「核」酸) の損傷である。当時ベトナムの対ゲリラ作戦で使われていた枯葉剤の主成分であるダイオキシンが魚やえびなどを通して私たちの体内に入りがんや白血病の原因となったり、奇形児の出生を引き起こす可能性があることがわかったのだ。
このことに無知だった私たちがおいしいと舌鼓を打って食べていた海産物が汚染されていたのだ。このことを私の教え子からの警告によって知って驚いた。自分のいのちの取返しのつかない思いに駆られた。「いのち」の根源であるDNAが損傷されるとその被害は幾世代にもわたって影響を及ぼす。これは民族種族の大虐殺、すなわち「ジェノ (遺伝子の) サイド (皆殺し)」なのである。その後、枯葉剤を散布したアメリカや韓国の飛行士たちの一部にも遺伝障害などの被害があることも判明した。敵味方の区別なしにこの作戦に関与したすべての人々や当時ベトナムに住んでいた多くの人々のDNAは損傷された。私たちはタイラーの予言した生物化学兵器による「DNA戦争」の現実の中にいたのである (1)。
2 戦争の世紀 - 機械の栄光と悲惨 -
20世紀は広義の意味において機械技術工学が作り出したとも言えよう。例えば自動車、航空機をはじめ、交通、運輸、核エネルギー、宇宙、通信、コンピュータ、医療、農業、食品産業、マスメディア、建築、計測、福祉などのさまざまな分野における機械とその応用は人間のいのちと生活を計り知ることのできないほどに大きく豊かに充実させ展開させた。
ある意味ではそれらの機械によって20世紀の歴史は作られた。つまり、機械の使用はかつてないほどに人間に快適で合理的な生活をもたらした。しかし、その一方で、私のサイゴンでの生活でも日々実感したようにあらゆる機械の軍事的応用が今世紀のほとんどすべての世界の各地での戦争や紛争で威力を発揮した。
軍事上の意味において「機械とその応用」は正に20世紀の「戦争の歴史」を作った。それらの機械を作り出したのは人間である。それを応用、使用することによって自然と社会、人間・生命・環境を破壊しつくしたのもまた人間である。人間のための機械を非人間的な軍事殺戮兵器とした人間自身の非倫理性とその内面にある恐ろしさに私たちは直面せざるを得ない。そして核兵器による悲惨な人間の無差別的大量殺戮が一瞬のうちに起こされた。
第二次大戦中におけるこのような軍事科学・工学技術による徹底的な無差別的破壊やナチス・ドイツによる医学人体実験などの反省をふまえての連合国側による国際軍事裁判は大きな衝撃を与えた。20世紀の悲惨な出来事の只中で生きてきたわたくしたちの真摯な反省にもかかわらず、現在も悲惨な局地紛争は続いている。20世紀は、正に「戦争の世紀」となり、しかも1998年のアジアでの核の拡散も新しい戦争への引きがねとなりかねない現状のなかで、日本の科学者たちの緊急の国際的なアピールが注目を浴びたことも指摘しておきたい (2)。
3 いのちの世紀
- バイオエシックスと未来 -
殺し合いを止め、いのちを取り戻そう、真の人間解放といのちの豊かな充実を目指して、世界の人々との連帯による人権運動、反差別、女性解放や環境保全、消費者の権利運動、開発や平和の問題、反戦ベトナム運動などとも連動した「いのちを守り育てる」ための草の根の人権運動を基盤とする学問が「バイオエシックス」なのである (3) (4)。
第二次大戦の反省をふまえつつ、1960年代から現在に至るまで、国際的なスケールでの大きな価値観、倫理観の変動が世界の各地で引き起こされてきている。さまざまな職業専門家集団はこの1960年、1970年代以降に、消費者や依頼人の権利をまもる発想で、新しく専門家の行動基準や倫理綱領を修正する動向がでてきた。
たとえば従来最も保守的とされてきた医療専門職業集団でも従来の医師中心の価値観に基づいた医の倫理に変革が生まれた。すなわち1980年のアメリカ医師会倫理原則では「医師は患者及び同僚医師に対し正直に対処し、人格またはその能力に欠陥を持った医師及び詐欺や虚偽に携わっている医師を明らかにするべく努めなければならない」(第2条) と規定している。仲間内でのこのような生命に関わる厳しい警告の責任を明記したことが、専門家たちへの社会的な信頼の根拠となっているのである。
この倫理規則の改定は患者を中心とするバイオエシックスの考え方に沿った「患者の権利章典」(アメリカ病院協会, 1972年) や患者の医療への参加、医療保健政策の公開での審議、インフォームド・コンセント (診断や治療などに関して医療側からの十分な情報提供に基づいた患者の自発的同意) などが社会的に幅広く受け入れられるようになってきたことをふまえてのものなのであった。
このような医療のみならず、専門家の職業倫理と責任に大きな変革をもたらしてきたバイオエシックスという学問は「いのち」に関する価値判断の問題を取り扱い、伝統的な学問領域を超える発想を持ち、新しい時代にふさわしい価値観を、民主主義的な国民に開かれた審議のプロセスの中で作り出すためのものなのである。倫理学をも含め、医学、看護、宗教、法学、政治、経済、公共政策、工学、科学技術、哲学、歴史、教育などの旧来の学問の枠組みを超えた「超学際」的な学問体系としてのバイオエシックスを私自身は構想してきた (5)。
それは「いのち」の問題が、各専門的学問分野の形成とともに細分化され、極度に専門化され分断されてしまったことから生まれたさまざまな弊害と、いのちへの侵害への反省、新しいいのちの価値観の形成への問題提起をふまえたものであった。
バイオエシックスは、いのちと人権を尊重しつつ、21世紀の未来へ向けてそれをどのように新しく構築すべきかの倫理的問題点を分析、考察し、それらのさまざまな問題解決のための倫理的な価値判断の枠組みと選択肢を、バイおエシックス公共政策として提示する学問的、実践的活動を展開してきた。
地球上のあらゆる生命、自然環境、人間社会との持続的な調和を目指そうとして、いのちに関連する価値観と倫理について専門家自身の価値観の再検討の中から地域住民や一般の国民の公共政策形成過程への参加と情報の公開がわたくしたち国民の権利として主張されるようになってきたのである。
たとえば、すでに医療先端諸国では胎児診断・体外受精などの生殖補助技術、臓器移植・脳死、高齢化、遺伝子診断・治療などの生命の質に関する問題をめぐり、関連学会や国際機関、各国の政府機関などにおいては、専門家と一般国民との公開された議論の蓄積の中からバイオエシックスガイドラインが形成されるようになりつつある。
現在日本においても、厚生省の厚生科学審議会をはじめ各種の審議会や専門委員会は、医学のみならず法学や哲学、倫理などさまざまな分野の専門家委員によって構成され、これらのバイオエシックスの諸問題に積極的に取り組み、討議を重ねてきている。その議事の内容はすべてインターネットのホームページで全面公開されている (6)。
4 エンジニアと生命への警告
国際的に見ると、1960年代におけるこのような先進諸国での社会的な価値観の変動をふまえてエンジニアの職業的倫理とメーカー企業の消費者への製造責任の意識も急激に高まった。たとえば日本での1969年以降の「リコール制度」の創設にもそれらが反映されていると言えよう。
現在、日本を含む世界の先進諸国では危険あるいはその可能性があると分かった場合には製造者の責任に基づいて特定の製品のリコールを行い、無料で修理することなどが法または慣習および所轄官庁との連携指導により行われている。ところが以前は企業内部の事情や経営上の理由で欠陥情報を正しく公開することは得策と判断されずにリコールは行われてはいなかった。消費者や良心的なエンジニアが製品の欠陥やそれによる危険を知っていて、指摘をしたとしてもそのまま販売が続けられ、いのちが失われる事故が起きた事例も繰り返された。
「使用する人の生命に関わる製品の欠陥」については、専門家たとえばエンジニアが自己の信念に基づいて警告するのが当然であろう。そうすることはバイオエシックスの視座からすれば、いのちへの脅威とその確証とがあれば正当化されよう。これを周知のように "Whistleblowing" と言う。いのちへの警告の笛を鳴らすことはエンジニアの良心と責任の表明として制度的に企業倫理の中に位置付けていることが望ましいことは言うまでもない。
しかし、現実には企業への内部あるいは外部からの告発は少数意見として黙殺され、内部の場合は企業への忠誠心に背くものとされ当事者の解職に至ることすらあった。このような「警鐘を鳴らすこと」や「リコール」などをむしろ積極的に評価する考え方は、欧米諸国では1960年代から1970年代にかけて消費者運動の進展に伴い確立し、警告を発したものを不当解雇から守る立法もなされるようになりつつある (7)。
それは従来からの既成の価値観や制度的な権威、国家や企業への異議申立てが行われ、人間性の回復といのちへの警告を求めての、さまざまなグラスルーツ運動が社会的な発言力を得、バイオエシックスの視座からの制度的な整備にも努力を傾けてきたからでもある。
5 機械といのちの世紀
20世紀にはバイオエシックスの視座から人工心臓に関連しての注目すべき展開があった。それをふまえて21世紀には、さらにいのちのより良き充実を目指して永久埋込み方式の人工臓器開発を含む医用工学が大きく展開されることになろう。
アメリカでは1982年に人間生命の維持にとって最も重要な臓器の心臓が樹脂化合繊維と機械部品からなる人工心臓と入れ換えられた。アメリカ・ワシントン州シアトル市に住む歯科医のクラークさんは体内埋込み型「人工心臓」で113日間生存した、世界で最初の心臓病患者となった。このときに使用されたジャービック7型人工心臓の圧搾ポンプや関連機械部品ボックスは体外にあった。しかしクラークさんの生命を支える人工心臓の本体が身体の中で機能したことに多くの人々が感動した。世界で最初の人工心臓が人体内で稼働し、これにより人間生命を支える本体を機能させることができたからである。
心臓病患者のクラークさんは、人工心臓を体内に埋込んで使用するのが極めて危険度の高い医学臨床研究であることを事前に良く理解していた。動物実験を自分で検証し、病院倫理委員会での人工臓器移植基準作りにも出席し、情報を十分に得た上で、インフォームドコンセント文書に署名を行い自発的に臨床治療研究としての人工心臓移植医療に参加した。医療専門家集団とユタ大学病院倫理委員会は、このようなクラークさんの「自己決定」を受け止め、移植に踏み切った。ここに医療専門家と患者との間の相互信頼関係の原型が見いだされる (8)。
このような倫理委員会の設置、患者の倫理委員会への参加、動物実験の患者自身による検証による自発的同意などの社会的な制度としての医療人体実験の発想やシステムは当時の日本には存在していなかった。アメリカでの報道は、この手術の倫理的、社会的な意味合い、そして何よりも患者のクラークさんや、執刀医のド・ブリーズ医師、人工心臓の開発者ジャービック博士への取材が中心だったが、日本のマスメディアの報道は、機械としての「人工心臓」そのものへの関心が圧倒的であったのは、極めて対照的であった。このような人工心臓の永久使用は4例に及び、うち3例は200日を越える生存となったが人工心臓内の血液凝固や感染などの問題があり、補助人工心臓のみの使用がアメリカでは認可されている。日本でも補助人工心臓は昨1999年3月の大阪での患者が移植を受けるまでのつなぎのために用いられた。
情報の全面開示ならびに専門家と非専門家 (患者や依頼人) との間の対等な信頼関係は20世紀の後半にバイオエシックスが生み出した医療専門集団の倫理基準の基本的な原則である。これらは後述のようにいのちの発想を中心に据え、私が構想してきた「テクノエシックス」とも重なりあってくる。
6 専門職業集団とエンジニアの倫理
前述のように医療専門集団をはじめ、世界の諸国の法学、宗教、工学、教育、心理などの専門学会や専門職業集団は、必ず社会における責任の表明としての「倫理綱領」を策定している。
それらの集団の構成員である専門家一人一人が、倫理綱領を厳格に遵守することによって、専門家としての信頼性と学問的、技術的水準を保ち、社会的に認知された専門家としての行動責任を果たすことが義務付けられている。
したがって、この倫理基準の違反者は公的に学会倫理基準違反者として除名などの処罰を受ける。
1880年に設立されたアメリカ機械学会 (ASME) はすでに1911年から倫理綱領の起草に着手した。
1913年の理事会ではその倫理綱領が採択され、そのための特別の委員会を発足させている。約13万人の会員からなる現在の ASME の倫理基準は1976年に採択、施行されている (9)。1935年にあらゆる職種のエンジニアのための団体として設立された全米職業エンジニア協会 (NSPE) は、現在約6万人の会員からなるが、1946年から倫理綱領を発効させている (10)。
いずれもインターネットのホームページを見ると学会の方針としての倫理基準や具体的な倫理のケース、利害関係の対立などのための問題を見ることができる。NSPE のホームページには「エシックス」のボタンがあり、このボタンをクリックすれば、さまざまなエンジニア倫理の原則や倫理をめぐる事例研究等の情報が入手できるようになっている。まさにテクノロジーと倫理の問題がリンクしていると言える。エンジニアとしての倫理の遵守こそが両団体を支える約20万人の会員のありかたの基盤にある考えなのである。
そこで、私はこの両団体に共通して宣明されているエンジニアにとっての倫理基準を次のように要約してみた。
(1) 一般の人々の安全、健康、福祉の最大限の確保
(2) 自らの専門職業の範囲内での業務の遂行
(3) 客観的で信頼性のある態度での公的な意見の表明
(4) 雇用主または契約依頼人に対して忠実で信頼されるにふさわしい対応
(5) 詐欺的行為を避け、利害関係のある双方の当事者となることなども避ける
(6) エンジニアとしての専門職業における品位、対外的評価、有用性を増進するために矜持 (きょうじ) を保ち、責任を持って倫理的、法的に正しく行動する
(7) エンジニアとしての職業に従事中は継続的な職業専門教育のための自己開発につとめる
(8) 専門的職務の遂行に当たっての環境問題への慎重な配慮
7 おわりに - テクノエシックスの提言 -
世紀末の日本の新聞には企業や政府機関との工事や機械材料、資材などの入札をめぐる癒着と贈賄、収賄、汚職等が報道された。設計ミス、データの改ざん、作業過程の意図的な改変、新幹線トンネル内壁の落下、起こり得るはずのない東海村での臨界事故やH2ロケット打ち上げ失敗などの背景にはエンジニアのモラルの低下、すなわち「責任感の欠如とごう慢さ」があるとの指摘も国際的に報道された (12)。
それを是正するために、これらの過誤への徹底した反省をふまえ、各分野の専門家が従来の学問や実務の領域の枠組みを越えて協力しあい、エンジニア等の専門家たちがよって立つべき行動基準や倫理綱領の作成が必要不可欠である。それは、いのちを中心とする新しい発想に基づく「テクノエシックス」として真剣に検討されるべきであろう。
形式的にも、実質的にも職業専門家集団にとっての倫理基準がほとんど機能してこなかった20世紀日本の状況は根本的に変革されるべきであろう。日本の再生はエンジニアを含む職業専門家個人と集団における、開かれた公共政策としてのモラルの確立と遵守にかかっている。
バイオエシックスの視座から、これらの専門家集団での開かれた倫理基準作りとそのプロセスを含む制度的な倫理審査メカニズムの形成と、その正しい運用の緊急性を指摘しておきたい。従来の「技術・工学の倫理」を越え、いのちの尊厳を中心に据えた「テクノエシックス」の発想と形成こそは、日本の技術・工学専門家集団とその構成員が社会の信頼を得て、国民とともに新しい「いのちの世紀」を作り出していくための最重要課題の一つなのである (13)。
(原稿受付 1999年12月14日)
● 文 献 ●
(1) Taylor, J.R., The Biological Time Bomb, (1968), 183-185, The World Publishing Company.
(2) 安斎育郎・木村利人・高木仁三郎・ほか15名, <声明>科学技術の非武装化を - 核拡散の新たな危機的状況の中で、科学者自身のモラルと責任を問い、日本の科学者は世界の科学者・市民に訴える,「世界」, No. 652 (1998), 137-141.
(3) 木村利人, いのちを考える, (1987), 178-188, 日本評論社.
(4) http://kenko.human.waseda.ac.jp/rihito/biogate-j.html
(5) KImura, R., Bioethik als metainterdisziplinäre Disziplin, Medizin Mensch Gesellschaft, B11, H.4, (1986), 247-253.
(6) http://www.mhw.go.jp/
(7) Martin, M.W., and Schinzinger, R., Ethics in Engineering (Third Edition), (1996), 252-255, The McGraw-Hill Companies.
(8) University of Utah, The Research Protocol for Artificial Heart Transplants, (1982).
(9) http://www.asme.org/
(10) http://www.nspe.org/
(11) 古谷圭一, 材料学教育と環境社会, まてりあ, 10-33 (1994), 1266-1269.
(12) Sims, C., Engineering Mishaps Erode Japan's Confidence in Its Technology, Dec. 4-5 (1999), International Herald Tribune, 5.
(13) 木村利人, 人間のための科学 [S. クリムスキー「生命工学への警告」木村利人 (監訳), 玉野井冬彦 (訳)], (1984), 501-519, 家の光協会.
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