■「看護学雑誌」, 48 (6), pp. 701-704., 医学書院, 1984. 6.


第6講. バイオエシックス委員会 Prof. Rihito Kimura wearing a smile
木村利人
 これまで本セミナーでとりあげてきた諸事例から明らかになったバイオエシックスの基本の考え方は、病院などの医療機関でどのように具体化され、実際に機能しているのでしょうか。
 今回は、このようなバイオエシックスの実践のための各種の 'バイオエシックス委員会' の中での3つの典型的なモデルをとりあげ、分析・検討してみたいと思います。
 なぜなら、わたくしたちの国でも、バイオエシックスの理念の明確な理解がますます進んでくるにつれて、具体的な生物・医科学研究や臨床実験の現場でのバイオエシックス上の諸問題との取り組みが始まらざるを得ないからなのです。わたくしたちが、新しい時代にふさわしいバイオエシックス運動を積み重ねていくために、国際的な視野と展望を持って正しい方向に向かって着実に歩み続けることが求められているのです [拙稿:'バイオエシックスの理念と生命科学の発展 - 世界の現状と動向を手がかりに' ("生命科学は医療を変えるか", 講談社, 1984所収) を参照]。
 WHO (世界保健機構) とCIOMS (国際医科学協議会) とが1980年12月に共催したメキシコでの第14回国際会議でのバイオエシックスの国際基準づくりに参加して私が再確認したことは、次のことでした。
 すなわち、真理追究とか医学の進歩とかいう大義名分を掲げての患者を対象とする医療専門家の一方的判断による臨床実験を決して行ってはならないということです。かつて、そして今も世界のある国々に、その事例はないわけではありません。一方で、人体実験などを決して行わないという 'タテマエ' は、かえって人権侵害を生みやすい土壌を養うという数多くの事件が契機となって、バイオエシックスのガイドラインが提唱され、CIOMSのマニラ会議 (1981年) で採択されるに至りました。この原案作成にあたって大きな影響を与えたのが、今月とりあげるアメリカでのバイオエシックス委員会の1つであるIRBです。

臨床研究・実験の審査:IRB

 医療行為には必ず、ある意味の '人体実験' の要素が入ってきます。特にこれらの人体への応用の結果が未知である場合は、慎重なガイドラインの定める手続きに従って研究と実験を行うことが必要となります。バイオエシックスの原理からすると、その研究や実験の対象となる患者または被験者の同意 (場合によっては家族) が絶対に必要ですし、医療担当者との了解が成立していなくてはなりません。そして、この研究的臨床実験処置は、医師と患者とが合意していても委員会の審査を経なくてはならず、場合によっては、その委員会で否定され差し戻された上、再審査をする場合もあるのです。
 この委員会は医学研究施設内審査委員会 (Institutional Review Board, 以下IRBと略称) あるいは倫理審査委員会 (Ethics Review Board, ERB) という名称で呼ばれていて、その設置が連邦政府管轄下にある医学研究施設およびその研究補助金による臨床治療研究のために義務づけられ、制度化されています (国家研究規制法・公法, 93-348, 1974)。
 この法律によると、IRBの構成員は5名以上で、男女いずれかの性、または1つの職業 (例えば医学) によってのみ独占されてはならないのです。特に注目しなければならないのは、倫理・宗教・法律などの科学を専門としない人、および当該病院や研究施設の職員でない人 (例えば地域の代表) を加えなければなりません。
 ここで具体的な例をあげてみましょう。例のクラークさんへの世界最初の人工心臓の移植でよく知らされるようになったユタ大学のIRBは学内から14名 (医学・看護学・法学・薬学・哲学・解剖学などの専門家)、学外から2名 (ジャーナリストおよび看護婦) の計16名で構成されていました。
 クラークさんへのこの臨床治療計画はこのIRBで審査され、既に1982年5月24日付けで11ページに及ぶ '人工心臓移植のための特別の同意書および関連諸手続' が作成されていたのです。特に倫理的な問題に焦点をあてて、約半年以上も前から人工心臓移植のための審査および同意書が作られていましたが、これらの内容はすべてバイオエシックスの原則にそったものとして公開されていますので、入手はだれにも可能なのです。
 IRBでは、臨床研究的処置や薬剤の使用効果などが未知の場合に、(I) 処置や投薬の回数、(II) 期間、(III) 危険度、(IV) 予測、(V) 特別の要請 (緊急手配など) について審査します。またその過程では、特に1)危険度は最小限であるか、2)危険度に比べて恩恵は十分妥当するものであるか、3)患者・被験者の選択は公平であるか、4)十分に情報を与えた上で同意を (Informed consent) 得ているか、5)前項確認の文書はあるか、6)安全の確保は万全か、7)プライバシーは守られているか、といったことが1つ1つ厳重にチェックされねばならないとされています。
 わたくしたちの国には、まだこのようなIRBの設置を定めた法律はありません。それは '人体実験' を公式には認めたくない心情的状況があるからでもあります。しかし人体実験は臨床治療処置として行われているのですから、むしろ明確な情報を患者に与えるためにも、そして何よりも患者の人権を守るためにも、なんらかの基準が必要なのです。
 例えば、実験的要素の強かった体外受精をめぐっても、不妊症治療の一環として一定の基準をつくるという方向が、わたくしたちの国にも出てきていますし、実際に学会や一部の大学でガイドラインを作成しました。これらの基本の考え方を定める大きな枠組みの作成が、わたくしたちにとっての現在の大きな課題の1つなのです。

病院内の治療処置と審査:HEC

 さて、次に主として病院入院患者のためにあるバイオエシックス委員会として、'病院倫理委員会 (Hospital Ethics Committee, HEC)' をあげることができます。看護の現場にある看護婦さんの方々にとって、このHECの持つ意味は極めて大きいといえるでしょう。つまり、HECの構成員の1人として、看護の立場からバイオエシックス上の問題に極めて重要な貢献をすることが期待されるからです。
 このHECはIRBとは異なった特長を持っています。つまり、審査事項の内容は、生命維持装置の使用開始や終始など直接・間接に生と死とに関連する重大なバイオエシックス上の決定に伴う医療処置についてです。この場合、しばしば医療チームと患者・家族との間に見解の不一致が生じ、関係者からの申し出により、このようなHECによる判断が求められることになります。
 なお、IRBと異なって、このHECの設置を義務づける根拠となる法律はありませんが、実際に必要に迫られてHECを設置する病院が増加し、現在定着化へのプロセスにあるといえます。
 昨1983年には、このHECをテーマにした全米会議がワシントンD. C. で開催され、38州およびカナダから約200人を超える参加者がありました。このようなHECへの関心の深まりと広がりをふまえて、会議主催者のクランフォード博士は、1980年代の終わりまでにはほとんどのアメリカの病院はHECを設置するようになるだろうと語りました。
 更に、アメリカでのホスピス運動が行政レベル、あるいは医療専門家などの指導により形成されたのではなく、むしろ死が確実に予想される患者さんやその家族、あるいは直接その看護に携わった人々を核としたコミュニティの中での相互協力プログラムとして生まれてきたことが指摘され、それと重ねてこのHECの展開も考えられていることに注目する必要があります。
 つまりHECは、むしろ患者を中心とした '医療' や '看護' の当然の帰結として、患者やその家族の人たちの要望や運動の中から生まれてきつつあるともいえるからなのです。この点は、HECをバイオエシックス運動の視座から把握するために、どうしても明確にしておく必要があります。
 なぜなら、バイオエシックス上の的確な判断を緊急に必要とする各事例の増大につれて、これに関しての行政当局の立法や規則による直接介入を避けるために、むしろ医療専門家および病院当局側に積極的にこのようなHECを設置しようとする傾向がはっきりと出てきているからなのです。
 HECは '病院' の事情により設置されるべきなのではなく、あくまでも '患者およびその家族' のためのものなのです。
 基本的に、HECは自ら判断力を行使できない不治の病 (回復の見込みのない場合をも含めて) の患者のための医療処置の検討を家族 (法定代理人) の要請により行うのです。もちろん正常な判断力を持った患者自身の要請によってHECがその役割を果たすこともあり得ます。
 HECの機能についても色々な見解がありますが、重要なポイントは、患者 (判断力がない場合は法定代理人・家族など) と医療スタッフが正確な情報を共有し、医療の専門家でない人々を加えての公平な視座から特定の価値判断を下し、勧告・助言などをする機関であるということです。
 従ってHECの結論は、その根拠となった判例などを明示すべきであるとされています。また、その他の機能として 1) 家族へのカウンセリング、2) 病院内外の構成員のための教育プログラム、3) 病院の基本方針に沿ってのガイドラインの作成などがあげられます。
 米国大統領バイオエシックス委員会 (正式名称は '医学および生物・医科学・行動研究における倫理問題研究のための大統領委員会') が刊行した報告書中に引用されているHECについての文書によれば、HECの構成員は9名 (参照) とされています。最終勧告はこの9名が行いますが、審査とのプロセスは公開されます。しかし、当事者のプライバシーは守られなくてはならないのです。
 前述したように、HECの設置と、そこでの審査を経ての決定であったということが、医療事故をめぐっての訴訟を避けるための道具となるのを防ぐため、このHECの名称をより広義に '患者の人権委員会' としたほうがいいのではないかという考え方もあります。
 つまり、バイオエシックスの基本の原理の1つである患者の '自己決定権' をHECが結果的に侵害する可能性もあり得るというヴィーチ教授 (Prof. R. Veatch) の指摘も大きな意味を持っています。
 それは、今まで '医学専門家集団' の伝統の枠内で当然のことと考えられてきた医療の価値構造と、患者および家族の価値構造が異なるということですら、正しく認識されてこなかったからなのです。医療の対象としての患者は人としての尊厳を持った人格の主体であって、決してモノではありません。
 このようなHECなどのバイオエシックス委員会の形成と活動が、医療における真の人間尊重とは何であるかをあらためて私たちに訴えつつあるといえるのです。

表 各バイオエシックス委員会の特徴
項目 IRB (臨床実験のため) HEC (入院患者のため) IBRB / ICRC
(小児患者のため)
設置基準など National Research Act, PL-93-348 (1974年7月12日) 各病院による基準作り (IRBのモデルによる) および大統領委員会 (PCSEPMBBR) 報告書中の米国・法と医学学会 (ASLM) による提案など IBRB, 米国小児科学会提案 (1983年7月)
ICRC, 連邦規則 45-CFR-Part 84 (1984年1月12日) 勧告
目的と対象 連邦政府の管轄の医学研究・医療施設 (および補助金を受けている研究計画) での臨床実験の対象となる人の人権の保護および倫理上の問題点の審査 ・自ら判断力を行使できない患者のために生死にかかわる医療処置をするに当たっての倫理的な問題点の審査
・その他の患者または家族・関係者の要請による
・新生児・小児患者を対象とする
・患者の家族・関係者および施設内のスタッフなどの要請による審査
委員の構成・人数と専門分野など ・5-10人
1. 委員会は同一性別・同一職業などによる独占を避けること
2. 宗教・法律・倫理などの専門家を加える
3. 地域 (コミュニティ) からの委員を加える
・9人
1. 医師 (内科)
2. 医師 (専門医)
3. 患者の権利擁護委員 (看護婦のケースが多い)
4. 法律家
5. 病院管理者
6. ソーシャルワーカー
7. 精神科医
8. 宗教・倫理専門家 (バイオエシックス担当)
9. 地域 (コミュニティ) 代表
・最低8人
1. 医師
2. 看護婦
3. バイオエシックス (宗教・倫理専門家)
4. 法律家
5. 身障者またはその組織代表・その専門家
6. 地域 (コミュニティ) 代表
7. 院内医療スタッフ代表
8. 病院管理者

小児科バイオエシックス委員会:
IBRBとICRC

 最後にあげたいのは、小児患者のためのバイオエシックス委員会 (Infant Bioethics Review Board, IBRB) です。
 これはHECの1つのタイプとでもいえるもので、特に小児患者に関するバイオエシックス上の判断を任務とした委員会といえます。このIBRBは、1983年の7月、米国小児科学会による提案として公表されたものです。なぜこのような提案がなされたかの事情とその政治的背景については、既に本誌3月号で説明したとおりです。
 このIBRBは、少なくとも8人から構成されなくてはなりません (参照)。次に、その役割と機能について検討してみましょう。
 第1に、このIBRBは、小児患者の家族と医師との間に特定の治療処置、特に生命維持装置の使用または終止をめぐっての見解の不一致がある場合か、こういった決定が下されてから24時間以内に開催されるべきこととしています。
 第2に、このIBRBは患者の家族はもちろん、病院スタッフや委員のうちのだれでも開催を求めることができるとしている点は注目されます。また、この場合、最終的な結論・判断は開催を求めた当事者に伝えられますが、その当人の名前は原則として知らせないという配慮をすべきことが指摘されています。
 第3に、このIBRBの緊急会議は、電話による連絡と討議でも成立し得るとしているのは、緊急事態に備えるという点で当然のことと考えられます。
 このようなIBRBによる審査の結論はどのような効果をもたらすことになるかについて、次にみてみましょう。
 まずAとして考えられるのは、生命維持装置の保持を家族が求めている場合、医療チーム側は原則としてこれに従うという方向で判断を下します。
 Bは逆に、家族側が生命維持装置の使用の終止を求め、医師側が保持を主張するという場合は2つの選択肢を考えることができます。すなわち 1) IBRBが諸データに基づきBケースの家族の見解に賛同の場合は、装置をはずす判断を下し、2) B ケースの家族の見解に賛同できない場合は、より上部の機構として考えられる総合的な病院管理委員会 (あるいはHECなど) や関連児童擁護機関へと、このケースを送付することになります。
 またCとして、医師と患者の家族とが合意に達していて (例えば生命維持装置の使用・終止をめぐって) も、IBRBがこれに賛同できない場合も考えられますし、この場合は、B- 2) と同じ手続きをとることになります。
 いずれのケースでも、記録が保管され後に裁判所または専門家の要請など、正当な理由のある場合は資料として提供されますが、この場合であっても、プライバシーの保護が必要とされるのです。
 本項で最後に指摘しておきたいのは、'小児看護審査委員会' (Infant Care Review Committee, ICRC) 設置の勧告です。これは昨1983年のHHS (米国連邦政府・保健ヒューマン・サービス省) の規則の改正に基づき、1984年2月13日から発効しました (45-CFR-Part 84, 1984年1月12日)。
 米国小児科学会の提案したIBRBの基本構想とほとんど重なり合っていますので、重複する説明を避けますが、その焦点が、重症遺伝欠陥などの障害をもって生まれた赤ちゃんが、連邦法上不当に差別され医療をうけられないケースにあてられています。この事実を知り得た場合、直接HHS省に連絡するための電話番号を含むポスターを看護婦または医療従事者の目につく場所に掲示すべきことが定められました。
(つづく)


次号/
バイオエシックス・セミナー (7)「患者はパートナー」に続きます。

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